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筥迫モックアップ

ちょうど新しい江戸型筥迫のプロジェクトが始まるということで、仕事復帰早々にこのような試作を作っていました。

これは前回納品済みの筥迫の試作ですが、依頼品なのではっきりした画像が出せないのですがどうかご了承ください。

これは舞台で使う江戸型筥迫です。

代々使われている数種のデザインの筥迫があり、その時代ごとの職人が複製を制作し続けてきました。

現代では筥迫工房が担当しております。

江戸時代に使われていた筥迫は、明治以降は使われなくなってしまったので、基本的にはそのノウハウは引き継がれることなく、その時代時代の職人たちの知恵と工夫によって作られてきたのだと思います。

ですから、同じデザインなのに職人ごとの個性がかなり出ます。

私も前任者が亡くなられた後にこの仕事を引き継いだので、これを作るためのノウハウは一切ありません。

私が縢襠筥迫を作り始めた十数年前でさえ、筥迫の作り方を教えてくれる先生も、貼り込みの技法が書かれた本など何もない状況で始めたので、初めの数年はかなり苦しみましたが、それでも諦めず経験を積んできたことにより、今ではこんなニッチな物が来てもそれほどビビらなくなったことが最大の進歩です(笑)。

 

モックアップ

江戸型筥迫は基本的には一ツ口なので、作るだけならそこまでの難度はないのですが、何より大変なのは刺繍との連携や、合わせる素材の扱いの難しさです。

2面柄合わせ(被せ+胴締め)の縢襠筥迫と違い、江戸型筥迫は全面刺繍の5面柄合わせで、刺繍がないのは底面だけという恐ろしさ、、、。

使われる布もある程度の厚みがあり、刺繍もぼってりとした高肉なので、これらの厚みを全て加味した上で柄合わせ用の雛形を作ることが何より難しい。

今はPCがあるからまだ楽だとは思いますが、この雛形の難しさを考えると、江戸時代の人はこんな複雑なものをどうやって作ったのだろうかと思ってしまいます。

一歩間違えば柄が合わず刺繍がやり直しなんて可能性もあるので、この雛形を刺繍師に渡す時が一番緊張します(きっと大丈夫だ!と自分に言い聞かす)。

そんなことから、私は必ず柄合わせのためだけのモックアップを作ります。

普通の縢襠筥迫ならコピー用紙を組み立てる程度でイメージできるのですが、さすがに江戸型はもう少し正確な型に作り込まないと柄の出方がわからないので、出来上がりのイメージを作るためだけに画像のような簡易なモックを作るというワケです。

出来上がりは布や刺繍の厚みが入ってくるので、それを考慮した上で、モックの段階ではかなりゆるゆるな状態で仕上げます。

でも私の目には出来上がりのきっちり仕上がった筥迫が頭の中に見えているのです。

 

「モックアップ」というのは通称「モック」とも言い、要はハリボテのようなものです。

私は工業製品の設計やデザイン段階で試作される実物大の模型のことだと思っていたのですが、印刷物やWebサイトなどでも使われるらしいですね。

私はその昔、企業でデジカメのテクニカルイラストを描く仕事をしていたのですが、実際に新発売されるカメラというのは販売直前にならないと出来上りません。

しかし実際のブツがないとライターはマニュアルが書けないですし、私は絵が描けないので、塗装もされていないプラスチックのモックを渡されるわけです。

それを見ながら塗装された絵を想像して描くので、思えばこれらも今やっていることに繋がっているのだと感じます。

 

私がなぜこんなモックの話を書いているかといいますと、以前はこのような試作品を「サンプル」という言い方をしていました。

私が新しい型を作る際にはサンプルを山ほど作るとブログに書いていたため、そのサンプルを販売してくれないかというお問合せをいただいたことがあります。

多分販売するための製品サンプルと思われたのだと思いますが、私が作るサンプルは型紙を作ったり、作業工程を確認するためのもっと大元のサンプルであり、実際には適当な余り布で作る画像のようなものばかりなので、とても製品とは言い難いシロモノです(苦)。

多分皆さんは、私がブログやInstagramなどにアップするような綺麗な筥迫ばかり作っていると思われていると思われているかもしれませんが、そんな「よそ行きの筥迫」(笑)なんて、極たまにしか作りません。

そんなことから、現在はこれをモック(モックアップ)という言い方をするようになりました。

 

古い袋物を作るということ

昔の袋物職人は、出入りの業者が来る時は全ての道具や材料を仕舞い込むと聞いたことがあります。

どこぞの職人はこんな道具や材料を使っていたなどが知れると、それだけでどんな作り方をしているのか想像できるぐらい貪欲な探究心を持っていたのでしょう。

そのような職人は弟子が独立してしまうと自分の商売のライバルになるわけですから、弟子でさえ事細かには教えることはしなかったと思います。

ですから歴代の江戸型筥迫に関わってきた職人たちが、孤独に一人で悩み研究してきたことを考えると、時代を超えてシンパシーを感じずにはいられません。

 

私の父は注文紳士服の仕立て職人でしたが、小学校卒業で奉公に入り19歳で独立したそうです。

「親方に作り方を教えてもらったことなんてないよ」と言っていました。

横で親方の作業を見て覚え、親方がこいつは見込みがありそうだと思うと少しずつ任せるというようなやり方だったので、いいも悪いも自分で判断して、見て盗むことが修行だったのでしょう。

確かにスジの良い職人しか生き残れませんね。

 

昭和48年に発行された「袋もの作り方全書」という本があります。

著者は勝村左右治(かつむらそうじ)氏で、「あとがき」にこんなことを書いています。

私は明治以前より続いた古代袋もの師の家に生まれ、祖父、父、私と三代続いて、古代袋ものの製作を業としてきました。

真の意味の職人であったわけです。

私の習ったそのころは、職人であるがゆえに、秘伝というものはけっして口外せず、かたくなに代々受け継がれてきたものです。

このような技術伝達の方法をとっていたなら、跡を継ぐものがなければ、伝統的工芸ともいえる技術がそこで絶えてしまいます。
私はやはりこの技術を残したいと思うようになり、製図による寸法の出し方の研究を重ね、昭和十四年に『茶器仕覆の枝折』として
一冊の本にまとめ発刊しました。

この本は、多くの同業者のかたから、職人の秘伝を公にするとは、とひんしゅくをかいました。

 

かつて隆盛を誇った「職人」という人種も、あらゆる業界で希少種になってきました。

あらゆる方法で作り方を残していかないと、どこかで完全に途絶えてしまうような文化が世の中には山ほどあると思います。

以前、和裁のお針子さんに聞いた話ですが、どこかに独自の技術を持った仕立てをするところがあって、今までそれは問題不出の技術とされていたのですが、気がつけばそれを引く継ぐ職人がいなくなり、このままではその技術が途絶えてしまうとの危機感を持った途端、門外の人問わず積極的に講習会などを開き、広く技術伝達を行うようになったそうです。

今時はYouTubeやSNSで事細かい作業動画などを気軽に配信していますが、昔の職人が見たらどんなに目を丸くすることかと思いますが、それは競合する職人が多く、技術を抱え込むことが大事だった時代のこと。

引き継ぐべき職人が専業で生きられない今の時代にあっては、その技術を誰かに少しでもいいから引き継いで残してほしいというのが、現在に残った職人の大きなテーマになってきたのだと思います。

 

筥迫は現代でも作られていますが、私が目指す筥迫は、現代の簡易に作られた筥迫ではなく、昭和20年代ぐらいまでは存在していた専門の職人によって作られていたという高度な仕立てで作られた筥迫です。

そんな正統派筥迫は、私が筥迫を作り始めた頃には絶滅して久しいという状況でした。

しかし江戸型筥迫というのは、それより更に100年ぐらいは前のものなので、そのようなものは例え型を作れたとしても、当時の装飾の仕方で再現するということは非常に困難なことです。

ブログやInstagramでも江戸型筥迫の画像はあげていますが、これらはいわゆる現代の刺繍で作られたものであり、本来の江戸型筥迫の刺繍というのはかなり特殊なものです。

これを再現するために、長年の刺繍経験のある人たちが集まって議論を交わしながら、去年やっと筥迫工房としての初号機を作り上げることができました。

刺繍師、仕立師、それをとりまとめるコーディネーターという面々が揃って、やっと完成した本来の江戸型筥迫でした。

 

私もこの文化の一端を担う者として、次の型からは別の職人に技術を受け継ぐべく準備を始めているところです。

現代で筥迫を作っていると、なぜ作品を売る作家にならないのかなどと言われますが、私はそれより技術や文化を伝達する人になりたい。

同じように、このメンバーがいなくなっても後世に残るように、しっかりとノウハウを残していきたいと思います。

今では作られなくなった江戸型筥迫ですが、ニッチなニーズでも文化として残して行くべきものだと思っているので、このような物を作れる職人が一人でも増えてくれることを願いながら、日々その伝達に情熱を注いでいます。

 

古い漢字のこだわり

この江戸型筥迫が作られていた時代は袋物文化真っ盛りの頃で、当時の技巧を凝らして作られた袋物は、現代人がブランドバッグを持つ以上の価値がありました。

このような物を総称して「袋物」というのですが、この時代の袋物を収集する愛好家たちは「嚢物」という字を好んで使います。

今時のミシンで簡単に縫った袋物なんぞとは違うんでぃ!こちとら美術工芸の嚢物よ!てな感じですかね。

言ってみれば「箱迫」と「筥迫」も同じようなもので、愛好家たちの一線を画したいという思いがこのような漢字に表現されています。

 

実はこの「嚢」は「袋」の旧漢字というわけではなく、意味は同じですが別の表外漢字(当用漢字ではないもの)です。

「袋」も「嚢」も訓読みは同じ「ふくろ」ですが、「袋」の音読みは「たい(またはテイ)」、嚢の音読みは「のう」です。

袋を数える単位には、この「袋(たい)」が使われます。

「一袋=ひとふくろ」「二袋=ふたふくろ」ではなく、「一袋=いったい」「二袋=にたい」です。

「十袋」は「じったい」と読むそうです。なんかかっこいい。

これは業界で使われる単位なので、一般的には「ひとふくろ」でも間違いではないそうです。

対して嚢の音読みは「のう」なので、今でも「土嚢(どのう)」「氷嚢(ひょうのう)」にはこの字が普通に変換で出てきます。

 

そしてこの「嚢」にも二種類あって、PCで変換されるのは左の中が「ハ」で現された漢字です。

以前ブログで、左に対して右を「旧漢字」と書いたことがあったかもしれませんが、正しくは右の口口が「正字」で、左のハが「略字」なのだそうです(略すならもっと大胆に略せんかい!)。

そしてPCで変換されるのは左の「略字」の方です。

最近気がついて、どこかで訂正しておかねばと思っていましたが、今回江戸型筥迫のことを書いたので乗せてみました。

 

ちなみに、こちらの有名な「嚢物の世界」ですが、ちゃんと「ロロ」の正字が使われています。

(「ハ」なんて使おうものなら、本の価値が下がる!とかコレクターに言われそう)

 

ちょっとしたウンチクでした。

 

 

 

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今時の婚礼における「筥迫」事情

 

最近、私が「筥迫」について大変憂慮していることがあります。

 

それは、結婚式に花嫁が使う筥迫から「胴締め」が姿を消し始めたことです。

筥迫をよくご存じない方のために、「胴締め」というのは筥迫の中央にある帯のことです(画像右側のもの)。

 

筥迫から胴締めが外されるということは、筥迫の意匠において重要な役割を果たす「簪挿し」「びら簪」「飾り房」「巾着」がことごとく消えるということです。

私が筥迫を作り始めた当初は、「巾着」を「表に出すか」「帯にインするか」で問い合わせが多かったのですが、胴締めがないとそれにつながる巾着さえ存在しないので、そんな問い合わせは一切なくなりました(苦笑)。

 

かつて、花嫁の胸元には「3種類の房」が飾られていました。

(かなり昔のブログ画像からお借りしたので、画像が荒くてすみません)

向かって右側「懐剣房」(房2個)

その隣に「末広」(房2個)

右側が「筥迫」(房1個)

このスタイルでは、合計5個もの房が帯回りを飾っています。

 

個人的には昭和の花嫁のような「筥迫&末広」のみのスタイルが好きなんですが、今時は「末広房」どころか「筥迫房」までなくなり、「懐剣房」のみが残るという事態に陥ってしまいました。

でも「筥迫のようなもの」は残っている。

 

つまり、私たちの知っている筥迫はこんな形ですが、

今時の花嫁の筥迫(と言われるもの)は、右半分の付属品が全て取り去られ、左側の本体だけが残った形なんです。

あら〜なんてスッキリ!

だけどこれは筥迫じゃない(汗)。

 

かつて婚礼業界では、打ち掛けには「びら簪を外す」、引き振袖には「びら簪を付ける(本来の筥迫型にする)」などという謎ルールがあったようですが、それは本来の筥迫から「胴締め」や「びら簪」を差し引くということ。

それが今では、引き振袖にも胴締めのない「紙入れ」タイプが使われているので、そんな謎ルールさえ存在しない。

だって初めから付属品をつけない形にして筥迫として販売すれば、どちらにだって使えるのですから(?!)。

(いや、打ち掛けも引き振りも本来の筥迫使っておくれよ)

 

そもそも「胴締め」の存在理由は、二層式(前側の三ツ折り+背側の紙入れ)をまとめること、半懐中した胸元から筥迫が落ちないように「巾着」というストッパーを胴締めとつなげたことにあるので、胴締めを必要としない形にしちゃえば、邪魔な付属品諸共おさらばよ!(死語)ってな感じなんでしょう。

襟元にインしてしまえば、ほとんどバレないですしね。

 

▼そんな今時の花嫁スタイルは、以下検索からどうぞご参照ください。(時々は本来の筥迫も残っているけどね)

結婚 和婚スタイル

 

 

筥迫は邪魔もの?

 

なぜこのようなことになったのか?

それは婚礼業界のご都合主義と思っています。

 

「胴締め」と「被せ」の柄を合わせた「柄合わせ」は、筥迫の最上級の装飾なのですが、筥迫には被せと胴締めに「綿」も入れるため、中央はかなりの厚みがあります。

花嫁着付けに携わる人たちには、これが襟元の大きな障害になるのでしょう。

かつてはこの胴締めを外されたり、不自然にずらされたり(柄合わせは無視して襟から外に出す)したのですが、今やその胴締めは「存在すらしない」ものになり果てたのです。

 

もう一つは、打ち掛けをお包みのように体に巻き付けるスタイルにあります。

襟合わせが深くなるので、びら簪や飾り房は打ち掛けの中に隠れてしまいます。

それらを完全に見えるようにすれば、懐剣と筥迫を中央にぎゅ〜っと寄せ集めた不自然な状態になってしまいます。

 

そもそも打ち掛けは「裾を引く」もので、当時だって歩く時に前をちょっとつまみはしたでしょうが、ここまで体に巻き付けて裾をからげるのは外に出るときぐらいのものです。

室内で撮影するときでさえ、コーリンベルトでがっつり巻き付けるのをやめてくれれば、打ち掛けの前が開けて、筥迫がばっちり見えるんだけどなぁ。

(素敵な柄の打ち掛けを着ているという証拠を写真に残すためには、前を開けるのは業界的にダメなんでしょうね、きっと、、、)

 

つまり花嫁の美しい着付けにとって、筥迫は「邪魔」でしかない存在なんですね。

 

は〜、、、(ため息)。

 

 

「ハレ」の日と装身具

 

「筥迫」の成り立ちをもう一度考えてみましょう。

 

筥迫は江戸中期ごろに、それまで単純な「紙入れ」であったものが、薄い「箱型」(3〜4cm厚)にすることで実用的な物入れになり、そこに付けた「胴締め」と「被せ」を豪華な装飾で柄合わせすることにより、その存在が「格付け」にもつながる装身具として進化したのです。

 

そして、江戸時代の大奥の様子を記した書物には、「裾をからげるようなときには筥迫は付けない」とあります。

「裾をからげる」とは、裾が邪魔にならないような作業をする場面(ケ)なので、筥迫は裾を引くことが正式な儀式や特別な場面(ハレ)のみに用いる装身具だったということです。

 

維新以降に筥迫は一時姿を消しますが、明治後期からは花嫁衣装に用いられるようになり、次第に花嫁のアイコンとして定着していきます。

これは武家社会の「格付け」として使われた筥迫が、庶民の「ハレ」(結婚式)に使われる装身具に変化したことを意味します。

 

その昔、黒引き振袖が花嫁の定番だった時代、当時の女性の身長が150cmぐらいしかないのに、筥迫のサイズは現代よりずっと大きく、びら簪は長く立派な物が多かったのです。

当時の花嫁衣装において筥迫は大変目立つ存在だったので、この時代の花嫁スタイルを経験した年代で、筥迫に並々ならぬ郷愁を感じる人は多い。

それが今時の和装で結婚式をしたほとんどの方が、「筥迫なんて入っていたっけ?」という感じです。

現代の筥迫はそんな目立たない存在になってしまいました。

 

 

では気を取り直して(笑)、ここで今一度おさらいしますね。

筥迫の属性は紙入れですが、紙入れ=筥迫ではない。

あくまで「紙入れ」+「胴締め」=「筥迫」なので、胴締めのないものは筥迫とは呼ばないということです。

 

 

花嫁着付けに携わる方に知ってほしい

 

言っておきますが、私は婚礼衣装で「紙入れ」を使うことに反対しているわけではありません。

懐中物を身につけるという意味において、「紙入れ」を使うことは間違いではありませんが、「ハレの装身具(筥迫)」から胴締めやびら簪などの付属品を外して「ケの装身具(紙入れ)」にすることは、「格を下げる」というだけのことなので。

 

それよりも私が許せないのは、婚礼業界の中で、ただの紙入れを「筥迫」として伝統化されることです。

 

そして、花嫁の着付けをする人自身がそれを知らないということ。

着付けの先生や先輩から「打ち掛けには胴締めを付けない」(←勝手に伝えられている謎ルール)ことが伝統のように教えられているので、若い着付け師さんたちは真面目にそれを信じている。

(七五三の方が、忠実にびら簪を使っているというのも何だわ)

 

かつて筥迫工房の教本で筥迫を作った花嫁さんが、お式当日に「打ち掛けには使わないものなので外しますね!」と当たり前のように、胴締め、びら簪諸共外され、「そういうものだとは知らなかったです、、、」と花嫁さん自身の落ち度のように言われた時は、あまりにも可哀想で泣けました。

また、ある花嫁着付けに携わる人のブログでは、時々筥迫に「びら簪」が付いてくることがあるけれど、これって何するものかわからない、と書いてあって愕然としました。

 

「伝統」というのは、適当なご都合主義で変えられていく、至極あやふやなものであることが多い。

例え自分自身にその認識がなくても、教えられたことが全て正しいと鵜呑みにしていると、自分の知らないうちに本来の姿を変えていく手伝いをしているということにもなりかねない。

「筥迫」は本来このような形だけれども(この形に筥迫としての意味がある)、自分達は様々な理由から「紙入れ」を使っているぐらいに思っていてほしい。

そして、本来の形状をした筥迫を持ち込んでくる花嫁さんがいたら、それは尊重してそのままの形で使ってあげてほしいです。

 

また、筥迫は可愛いアイテムなので、最近はハンドメイドで作った筥迫を売る人たちも見かけるようになりましたが、ほとんどの人が、より簡易な物に形状変更しています。

時代によって筥迫は変化をしてきたので、それがいけないとは言いませんが、あの独特なフォルムをした筥迫と、簡易に落ちた今時の筥迫は「別物」だという認識は持ってほしいと思っています。

 

 

姪の結婚式

 

今回、なぜにこのようなことをクドクドと書いたかと言いますと、実は10月に私の姪っ子の結婚式があり、先日、兄から突然筥迫を作ってくれないかと持ちかけられたからです。

姪っ子本人からの依頼でないのは、筥迫は親からのプレゼントということにしたいからとのこと。

 

もちろん姪っ子のものなら喜んで無理もしますが、さすがにこの時期では凝った筥迫は作れないので、買いためておいた金襴の中から、着用予定の打ち掛けに合った色柄を選んでみました。(TOP画像がそれで、まだ制作途中)

筥迫は大型サイズを本仕立てにし、びら簪は長鎖で派手にしたいと思っています。

 

しかしながら問題は「付属の筥迫びら簪を必ず使ってほしい」ということを、兄→姪→式場のプランナー→着付師、に正確に伝わるのかということ。

 

私にとっては、筥迫を作ること以上に悩ましい問題です。

 

 

 

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婦人画報『細川家の筥迫』

 

2022年4月号の婦人画報WEB版のご紹介です。

 

会員限定の記事ですが、登録をすれば内容を見ることができます。

とても美しい筥迫が出てきます。

ある程度時間が経つと消えてしまうと思うので、できれば今のうちに見ていただくのがいいかと思います。

 

初出は2013年5月号らしいですが、私は当時この写真を見せていただいたことがあり、なんて綺麗な筥迫だろうと思った記憶があります。

 

この細川家のお二人も美しいですねぇ。

モデルさんかと思いました。

 

この記事では、元首相の細川護熙氏の実のお母様、細川温子(よしこ)さまの着物と、それと一緒に小物(筥迫や袂落とし)が紹介されています。

 

振袖と下襲で4キロもありました。現代の振袖は、せいぜい1.5キロほどしかありません。

 

ずっしりと名家の重みも詰まっているのでしょう。

 

 

ちなみに、私はよく婦人画報の「お取り寄せ」を使っています。

(自分のためにお取り寄せしたことはないですが〜)

 

 

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現在、受付中の講座

婚礼用「筥迫&懐剣」体験講座

定員になり次第、受付終了いたしますので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。

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諒闇に入る

 

これを読める人はあまりいないだろうというタイトルから始まりました。

大正元年に作られた三越のポスターで「諒闇(りょうあん)に入る」と読みます(画:波々伯部金洲)。

 

こちらは「週刊朝日百科 日本の歴史(112現代庶民生活の原型)」という雑誌の表紙で、筥迫を入れた女の子がいるというだけでジャケ買いするかどうするか迷ってヤフオクのウォッチリストに入れていたもの。

 

それが先日、バイトに来ている游猫(はぐれねこ)さんから

「先生、このイラスト知っています?」

と見せられたので驚きました。

 

游猫さんは昔の装身具を研究されているの方なのですが、その研究会で二人の胸元にある「喪章」が話題になったとのこと。

 

 

辞書によると「諒闇(りょうあん)」は

《「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」はもだすと訓じ、沈黙を守る意》天皇が、その父母の死にあたり喪に服する期間。

また、天皇・太皇太后・皇太后の死にあたり喪に服する期間。ろうあん。

つまりこのポスターが作られたのは明治天皇がお隠れになった年で、喪に服した姿を描いた絵なのですね。

 

何も知らず、

袴姿に稚児髷で筥迫なんておしゃれ〜♡

と暢気に眺めていたことを反省し、即日落札してウォッチリストから解放したのでした。

 

 

ハレとケ

 

游猫さんが私にこの絵を見せたそもそもの理由は、

 

「喪章を付けているのに筥迫を付けるって、、、???」

 

確かに「筥迫=祝」「喪章=喪」という相反するイメージですね。

ファッションも黒をベースにはしているものの、やたらとめかしこんでいるし。

 

しかし私はこの絵を見て「ハレ」を連想しました。

 

「ハレ=祝い」「ケ=穢れ」と勘違いしている方が多いのですが、本来は「ハレ=非日常」「ケ=日常」であり、一年の全ての日は「ハレ」と「ケ」だけで区別されるという日本独特の概念です。

 

つまり「普通の日」と「普通でない日」ということなので、結婚式も葬式も同じ「ハレ」に区別されるということです。

 

地域によっては葬儀の際に未婚女性が振り袖を着る習慣があるようですし、「筥迫&喪章」はありえるかも、、、と思ったのです。

 

近年ではこの「ハレとケ」に葬式を「ケガレ」として加える考え方もあるようですが、それだと元々の「ハレとケ」のインパクトが薄まってしまうような気がするのは私だけでしょうか?

 

しかしこの絵のホントの意味するところは、

 

「諒闇に入りましたが、ポイントさえ抑えていれば、ここまで気合を入れてお嬢様方を着飾らせることが出来ますよ!

ですから皆さま、是非とも三越においで下さいましね!」

 

という「諒闇コーディネート」を提唱する三越のしたたかさでしょう(笑)。

 

ちなみに、この翌年(1913年)に流行した有名なコピーといえば、

 

「今日は帝劇、明日は三越」

 

まぁそんな時代です。

 

 

母と子??

 

この雑誌を工房の棚に立て掛けていたところ、それを見た教室の生徒さんたちが喧々諤々。

 

この本に書かれた表紙写真の解説文

大正元年の三越ポスター『諒闇に入る』

明治天皇の喪に服している母子を描いている

三越資料編纂室蔵

に、「これのどこが親子???」。

 

母がこんな大きなリボンをするか?

母がこんな帯結びをするか?

母が肩上げをするか?

母のおはしょりがこんなもっこりしているか?

 

着物好きにはかなり違和感があるこの「母」の姿ですが、左手の薬指を見て「既婚者」と思ったのか?いや〜そんな習慣はもっと後の時代だろうなどの意見がありましたが、游猫さん曰く、

 

「いえ、この時代でも上流階級では婚約指輪や結婚指輪を交わしていましたよ」

そして、

「この指輪はダイヤがあしらわれているので、結婚指輪というよりも婚約指輪でしょう。」

 

喪章もリボン型の金属製ブローチ(黒)もあったそうなので、これも布のリボンではないのかもしれませんね(とことんお洒落)。

 

その後、元のポスターを探して全体像を見てみました。

(江戸東京博物館所蔵)

やはり大きいお嬢さんは振袖姿でしたね(笑)。

 

そういえば明治28年発行の「日用百科全書 衣服と流行」にこんな文章があったのを思い出しました。

東京に於て、十一月十五日は、七歳にあたる女の童に、好き綺羅を着かざらせて親々の楽となす、
此日、日枝神社や、神田明神の社頭へ時ならぬかわゆき人の花をさかす美観は、これぞこれ東京人が娘を持つ楽事とする七歳の祝賀なる。
蓋し東都にて娘の兒を持ちて、最も衣服に費用を要するは、此七歳着と十六七の嫁入前となり、府下の各呉服店にては毎年其調製に多忙なり。

『日用百科全書 第六編 衣服と流行』(明治28年)

東京ではこの頃から七五三の慣しがあり、娘を着飾らせることが親の楽しみであった。

日枝神社や神田明神で花のように可愛い娘を連れて歩けるなんて、東京人でホント良かった!という感じでしょうか。

(関西の七五三の風習は戦後ぐらいからか?)

娘を着飾らせる喜びは、いつの時代も変わらないようですね。

 

ただし女の子の衣服に最もお金がかかるのが、この「七歳の祝い着(七五三)」と「16〜17歳頃の嫁入り道具」であり、七五三の時期の呉服店の盛況ぐあいが書かれています。

 

七五三の広告などもかなり多かったようですし、このポスターはモロこの二人の年代をターゲットにしたものと言えるのではないでしょうか。

 

 

それにしても、子供用にこの立派な「びら簪」よ。

実は当時の写真にはよく見かけます。

 

それに比べ、現代の子供用のびら簪は筥迫丈より2cmほど短い。

 

Rom筥的にはこの短さは耐えられない、、、ということで、ショップではわざわざ鎖の長さを付け替えて「長鎖」として販売しているのですね(せいぜい筥迫丈より1〜2cm長いぐらいですが)。

 

ちなみに、維新後に一時衰退した筥迫が再び復活した際は、このように「女児」の装身具として普及したのが始まりだったようです。

 

現代で筥迫が七五三に限定されたのは、小さな女の子が着物を着る機会が七五三のみなのでそのような固定観念につながったのだと思いますが、この頃の上流家庭の女の子たちは、ここぞ!というハレの日には筥迫を身につけていたんですね。

 

 

稚児髷

 

牛若丸などの髪型で知られる「稚児髷(ちごまげ)」ですが、江戸時代以降は少女の髪形として結われる様になったようです。

 

Wikipediaには「主に京阪地域で明治時代中期まで流行」していたようで、「大正の初期ごろから花簪などを挿して飾るようになった」とのことで、この絵はその通りの様子を描いていますね。

 

 

ちょうど今読んでいる明治34年発行の「東京風俗誌」に、当時の小学生の様子が書かれた挿絵があったのでついでに載せておきます。

 

 

麹町区というのは、現在の東京千代田区にあたる地域です。

番町周辺は武家屋敷の跡地で、明治時代には新政府の要人達が住んでいた「山の手」の中でも最も格の高い「山の手」だったのだそうです。

このポスターの女の子もこのあたりに混ざっていそうですね。

つまり東京地域でも稚児髷の子は普通にいたということ。

 

こちらはWikiに掲載されていた「稚児髷の大正時代の高等女学校の生徒(1916年)」 

1916年は大正5年「能代実科高等女学校」は秋田県です。

つまり京阪を中心に、全国的に流行ってはいたのでしょう。

 

しかしちらほらいる分には可愛いですが、オール稚児髷って何だか怖い、、、。

 

 

 

 

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筥迫工房の教本や自慢の細工物を、皆さん自身で披露できる掲示板です。写真のアップロードが簡単になりました(一回の投稿で6枚掲載可)。丹誠込めて作った筥迫を大勢の人に見てもらいしましょう!

 

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七緒 着物キャラ”妄想”コーデ『久栄』

雑誌『七緒』の2020年秋号(vol.63)の特集は「漫画の着物 大研究」なんですと。

筥迫工房もちょこっとご協力させていただきました。

 

 

この特集では、エントリー9の『鬼平犯科帳 久栄』の妄想コーデで「利休型紙入」が使われています。

 

『久栄』というのは、池波正太郎による時代小説「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵の奥方のことです。

 

 

実は私は鬼平犯科帳は小説もドラマも漫画も読んだことがないのですね。

しかしどれだけファンの方が多いかはよく知っています。

 

若かりし頃、六本木のとある小さな出版社で2年ほど仕事をしていたことがあります(ただの事務職)。

 

専門書を扱う出版社でしたが、そこは本好きが集まるところ。

朝出社すると必ず机の上に数冊の本が積まれています。

個人が買ったものを好意で回し合っているのですが、適当に読みたい本だけチョイスして隣の机にまわします。

 

そんな会社で当時一番の人気が「鬼平犯科帳」でした。

新刊が出ると社内はその話題で持ちきり。

私はといえば、日常的に回ってくる本が多いため、すでに何巻も出ているような鬼平は負担が大きいとスルーしていました。

 

当時は時代小説に全く関心がなかったのですが、後年、短編が多い藤沢周平から読むといいよと勧められて見事にハマったので(笑)、あの頃に鬼平を読んでいたらこの妄想コーデもまた違った目で見られたのだろうかと思います。

 

 

久栄は「筥迫」を持つか

 

スタイリストさんから連絡をいただいたときに、久栄さんのコーディネートに筥迫を使うのはどうか?と聞かれました。

 

正確な時代考証というよりは、あくまで妄想コーデ、イメージ重視でお考えのようでした。

「小紋」に「丸帯」は決まっているので、あともう一つ雰囲気が出せるものをということでした。

 

この時代に筥迫を身に付けるかどうかの目安は、まず「打ち掛け」を着ることができる立場か否かということが重要です。

筥迫=打ち掛けであり、打ち掛け以外で筥迫を身に着けることはまずありえない。

 

ということで、ご主人である鬼平の「火付盗賊改方長官」という肩書がどのぐらい偉い人なのかが問題です。

 

調べていたら「おしえて!goo」にこんな質問がありました。

鬼平と金さん、どちらが偉い人ですか?

帰省中の小学生姪に尋ねられてしまいました。
弱りましたが、
『鬼平は警察の警視総監みたいな人で、金さんは裁判官だから、所属が違ってるし、どちらが偉いって事は無いと思う』

と答えました。

すると、母(60代、池波正太郎ファン)が、
「えー、鬼平はもっと偉いでしょ、公安委員長とかじゃないの?」
と横槍を入れてきまして、今度は公安委員長の説明を姪にするハメに・・・。

続きに興味のある方はこちらをどうぞ(笑)。

鬼平と金さん、どちらが偉い人ですか?

 

 

とりあえず鬼平さんはそれなりの立場のようなので、多分奥方は「打ち掛け」は着るのでしょう。

 

送られてきた雑誌には漫画版のカットが載っていました。

 

ここで久栄さんは打ち掛け着ているようですが、それより、この姿でご主人にお茶を入れるというシチュエーションに違和感を感じてしまうのだが、、、、???

 

打ち掛けは公家や大名の婦人、姫、大奥に勤める上臈・中臈などの上級女官なら日常的に着用していたかもしれませんが、そのような位の方はまずお茶は女中に入れさせるだろう。

 

久栄さん自らご主人にお茶を入れることが日常であれば、打ち掛けはせいぜい式日あたりに着用する程度ではなかろうか。

 

筥迫は持っていたとしても、まず「ここ一番!」という時でなければ身につけない。

(日々式日のような身分の方々は、それこそ毎日筥迫は付けるかもしれないが)

 

そもそも今回の妄想コーデは打ち掛けではないので、筥迫は付けないのが正解。

ということで「利休型紙入」をお勧めしました。

 

こちらはニコニコ動画の鬼平犯科帳『むかしの男』

 

 

表はほとんど何もないデザインですが、これは実際に歌舞伎役者さんたちが舞台で身に着けている型なので、今回の妄想コーデには妥当ではないかとお勧めしました。

 

襠もない型ですので、襟元を崩すことなく差し色程度に雰囲気を出すには十分かと思います。

懐紙サイズがそのまま入る大きさではないのですが、適当にカットして入れるとちょうどよいボリュームになります。

 

 

クレジット

 

今回のように雑誌に商品を提供する場合、そこには必ずクレジットを入れるものですが、筥迫工房の場合はあえて連絡先は入れてないようにお願いしています。

 

あくまで名前だけ周知されればそれでいいので、今回も「懐中袋物(参考商品)/筥迫工房」のみにしてもらっています。

 

既製品を売っているわけではないので、掲載されている物が欲しいと連絡されても困るというのが理由です。

 

今時は簡単にネット検索出来るので、本当に興味があれば何としても探し出して来るでしょう。

(そもそも「筥迫」が読めるかという問題はありますが)

 

しかし今回は地味な紙入れなので、心配するまでもないでしょうが(苦笑)。

 

 

 

 

 

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長雨と仕立ての仕事

毎日毎日途切れることのない雨天が続くと言うのは本当に久しぶりです。

雨天だけならまだしも、大きな災害に遭われた地域の方のことを考えると、ただの雨が続いていることぐらい文句言うなという感じですね。

豪雨災害に遭われた地域の方には心よりお見舞い申し上げます。

 

ただ、こんな長雨の時は、数年前の苦い思い出が頭をよぎります。

 

 

仕立ての仕事

 

「なぜ筥迫を売らないのですか?」

と言われることがよくあります。

 

この場合の「筥迫を売る」というのは、多分「作ったものを売る」ということなんだと思います。

これは私じゃなくてもできると思うのでやらないだけです。

 

これら既製品は、人が好みそうな色柄を選んで、婚礼物ならミシン刺繍をしたものを仕立てて売る。

時々失敗することもあるでしょうが、それは売らずにはねられるだけ。

これらの既製品はある程度同じ物を量産するので金額が抑えられます。

 

対して私の場合は「筥迫を仕立てる」「仕立て方を教える」という「技術」そのものを売るのが仕事です。

仕立ての場合は一点物をお客様からお預かりするので、失敗は許されません。

異なる個性のマテリアルにノウハウを駆使するため、時間とリスクがかかることから、金額はそれなりになります。

 

 

 

日本刺繍の筥迫

 

筥迫の表全面に刺繍が施され、胴締めと狂いなく柄合わせされているアンティークの刺繍筥迫を見たことがあるでしょう。

素晴らしいですよね。

 

今では日本刺繍の筥迫は作られなくなり、ミシン刺繍の筥迫でさえ「高い!」と言われる時代です。

アンティークにあるような前面にびっしり刺繍が施された日本筥迫を現代で作ったら10万は下りません。

 

刺繍の筥迫は、花嫁衣装を「誂え」で作った時代のものです。

着物を誂えたら、その格に合う帯を合わせ、それらに見合った筥迫が求められます。

 

しかし現代の婚礼はレンタル衣装が主流なので、実際に筥迫を手にする機会はなくなり、筥迫を懐中したことさえ気がつかない人がほとんどです。

これでは筥迫にお金をかけようなどと思う人はいないでしょう。

 

 

「それならもっと仕立ての宣伝すればいいのに!」とも言われます。

これねぇ、簡単に言ってくれますがホント難しいんですよ。

 

素材はお客様からの「持ち込み」のみに限らせていただいているので、思い出の着物を崩して筥迫を作って欲しいということなら問題はありません。

しかしほとんどの方は素材を持たずに依頼してくるので、イメージだけを延々と伝えてきます。

イメージ通りの裂を私が探すことはできませんので、ほとんどがお断りせざるを得ません。

 

結局私のところに仕立てを求めるお客様のほとんどは日本刺繍をされている方になるのですが、この場合、着物の仕立てに出す感覚で作られるとまず仕立てられない(出来たとしてもかなり不格好)。

 

これを回避するには、図案作りからの綿密な打ち合わせが必要です。

図案を作る前に打ち合わせ→図案ができたら打ち合わせ→絵付けの前に打ち合わせが一連の作業になります。

 

これを確実にやってくれれば失敗はないのですが、こういうことを面倒がる人が多いんですね。

雛形を渡した後にぷっつり音沙汰がなくなり、ある日突然刺繍裂が送られてくる(冷汗)。

 

結局、出来上がった物が気に入らなければ仕立て師の責任にされてしまうので、怖すぎて表立っての仕立ての依頼は受けられないのです。

職人さんが素人さんからの依頼を請けないのは、多分同じ状況にあるからでしょうね。

 

こちらは只今ご依頼をいただいて仕立て中の『江戸型筥迫(開き扉)』。

(ご本人さまにご了承いただき画像を掲載しております)

 

江戸型は表3面、背2面の柄合わせがあります。

この型は本仕立てにするため、こってりとした刺繍の際を2mmぐらいで断ち落とすので手が震えるほど緊張します。

 

更に刺繍が多くなればなるほど伸縮が加わったり、刺繍の盛り方で厚みが異なるするので、型紙通りのサイズに仕上がってくるわけではありません。

 

刺繍に合わせて中の芯をサイズ変更しながら、騙し騙し柄合わせしていくので、一つ作業しては確認し、また確認しの繰り返しで、この怖さと向き合いながらの作業となります。

 

かと言ってビクビクしながら作るとより失敗のリスクが高まるので、このような型はよほど慣れているお客様のものしかお請けしていません。

こちらのお客様とはかなり回数を重ねてお仕事をさせていただいているので、なんとか気持ちも保てるというようなもの、、、。

 

結局、筥迫のように仕立てにリスクのあるものは、刺繍師と仕立師の信頼関係あってこそ成り立つものだと痛感しています。

 

 

 

長雨の痛い思い出

 

筥迫にはよく「塩瀬」が使われますが、畝がしっかりしているので、筥迫刺繍に付き物の「すが縫い」がしやすいということ、そして何より伸縮がないので柄合わせが崩れないからでしょう。

 

裏を返せば融通が効かない布なので、型によってはまったく折りが決まらないということがあります。

折りが決まらないと素人並に下手な仕立てに見えるので非常に焦ります。

 

この生地に刺繍をした裂である依頼を請けたときに、それが初めてのお客様だったので、どうしても下手に見られたくないという気持ちが働き(この時点で観念しておけばよかった、、、)ある方法を使って蒸気を当ててみました。

 

それがちょうど今の様な長雨の時で、あっという間に布が水分を吸い上げて「水じみ」を作ってしまいました。

 

和裁の先生に相談すると、蒸気を当てる方法は自分では用いるけれど、生徒さんには絶対に教えないと言います。

やって見せたところで一瞬のタイミングで行うため、初めての人は失敗する確率が高く、着物にシミが出来て取り返しがつかないからというのが理由でした。

 

ただでさえ難しいのに、こんな湿度の高いときにやったので失敗してしまったわけです。

 

しかしそのとき言われたことは「失敗したときはお客さんとの関係次第だから」。

 

顔見知りのお客さんは「そのぐらいいいわよ」と言ってくれる場合も多く、仕立て代をいただかないことで決着することはあるけれど、デパートや呉服屋さんを介していたりすると非常に厳しい対応を迫られるとのこと。

顔を知っている人から受けるのと、全く知らない人から受けるのでは全く違うというのです。

 

着物の仕立てを依頼をしたものの、出来上がってきた着物にほんのちょっとした傷を見つけて突っ返したなどという武勇伝を語る人を見ると、同じ職人としてものすごく心が痛い。

 

あるベテランの和裁師さんが、まだ引退するほどの年でもないのに仕事をやめてしまった。

その理由が「このプレッシャーに耐えられない」というもの。

その気持ち、痛いほどよくわかる。

 

 

結局、その仕事は仕立て代をいただかないことで了承いただきましたが、その方とは打ち合わせから一度も顔を合わせることがなかったので、そのような状況で仕事をすることはとても怖かったです。

 

それ以降、電話だけ、メールだけで依頼してくる方のお仕事はお断りすることにしています。

仕立ての仕事は必ず対面して、私がやっている活動を理解してくれている人とだけすることにしました。

 

シミを作る様なことは絶対的に仕立師が悪いのですが、柄がずれるということは頻繁に起こります。

これはミスというよりも色々な条件が重なって起こることなので、次に生かせるようその原因を詳しく説明しようとします。

 

それを真摯に受け止めてくださるか否かで、その後のお付き合いが続くかどうかが決まります。

職人との作品作りというのは、少しずつ歯車を合わせていくような作業なのです。

 

でもいつかこのプレッシャーに耐えられなくなったときに引退を考えるんだろうなぁ、、、。

 

 

シトシトと長雨が続く時期はそんなことを考えてしまいます。

 

 


 

 

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筥迫のびら簪は武器説?!

最近は教本の改訂版の話題ばかりになっていたので、今回はちょっと一息「筥迫びら簪」についての話題について書きたいと思います。

ちなみに、筥迫のびら簪は筥迫専用に作られているものなので、ただの「びら簪」でなく、「筥迫びら簪」といいます。

 

今回のテーマは『筥迫のびら簪は武器』説です(笑)。

以前もこれについて書いた頃があったかと思いますが、また新しい資料を見つけたのでご紹介します。

 

只今では筥迫は服装を引き立たせる、装飾品の一種として扱われて居りますが昔は、これに挿してある簪が武器としてその役目を持ってゐたのだそうで御座います。
昔の御婦人は護身用として日常は平打ちの簪を挿して居りますが、婚礼の時には金属製の簪は挿しませんから、これを筥迫の上部に挿して護身用としたものだそうで御座います、が今では美しい銀の房が理れて居りますから、式場でもそれを挿した儘に致して居りますが、古式の場合は式場では簪だけを扱き取る事も御座います。

『春夏秋冬に配した着物の着付けと帯の結び方』著:柳さく子/昭和4年発行

 

この説、大正、昭和期の書籍によく出てきます。

 

確かにエピソードとしては面白い。

しかしこれを筥迫の説明の最後に付け加えて書くならいざ知らず、筥迫の説明の初めにこれを書くのはいかがなものかと思ってしまうのですよ。

 

簪が武器として使われることもあったのは周知の事実なのだから、それは簪の項で述べるべきであって、それを筥迫の項で書く必要はないと思うのです。

 

こちらは大正時代に出された嚢物の教科書から。

 

箱迫は古より婦人の儀式用具として體服の附屬品の一に數へられたり。
即ち禮服を着たる時の紙入にて、鼻紙、化粧品等を入るゝものなり。
昔は武家の婦人は必ず之を懷中したり。
簪は手裏劍に代用し得るやうに造り、萬一の時の用心となしたり。

『嚢物教科書<下巻>第四章 箱迫』著:山本嘉兵衛、赤沼八重子/大正三年発行

 

こちらは武器でも「手裏剣」と具体的です(笑)。

 

手裏剣とは「手を離れて敵を伐つ剣」ものだとすれば、どんだけ武芸に長けた姫なんだよと、、、(汗)。

 

当時の筥迫はかなり特別な装身具なので、武家婦人の中でもかなり上級武家でないと身につけません。

基本的には打ち掛けを羽織るような階級なのですが、そんな人がですよ、びら簪を投げたところで、そもそも相手まで届くのかよと言いたい。

届いたところで相手に「ぽすっ」と、か弱く当たる音を想像してしまう。

 

相手だって至近戦(素手)で姫を襲うなんてことは考えられないので、せめて「刀」で切り付けてくるでしょうし、それをか細き簪で応戦するものなのだろうか?

自らの喉を突くなら考えられますが、自害用と護身用は違うよね?

 

そこでRom筥は考えました。(あ、ここからは妄想ですよ)

 

*********************

 

あるところに武芸に長けた姫がいて、敵対する大名家に人質のように嫁入りさせられる。

そこで護身用として仕込んだ簪をつけていたところ、婚礼の際に金属の簪は外せと言われ、咄嗟に胸元の筥迫に差し込むことに。

しかし心配したこともなく、婚礼はつつがなく執り行われた。

 

その後、姫の筥迫に見慣れぬ銀のびら簪を見た女中たちが

 

「見た見た?今度来た姫の筥迫!?びら簪付けてたっしょ?!やっぱ上方からきた姫はセンスが違うよね〜!おっ洒落〜!」

 

その噂はあっという間に江戸中に広まり、それからというもの筥迫にびら簪を挿すことがトレンドとなったとさ。

 

ちゃんちゃん。

 

*********************

(つい女中のセリフがギャルになってしまう)

 

いや〜私も何故にあんなびら簪を筥迫に付けたのか、その発想が一体どこから来たのだろうかと前々から不思議に思っていたのですよ。

 

初めて筥迫にびら簪を付けた人が武器目的だったものの、その飾りは期せずして筥迫のトレンドになった、、、というのは案外遠からずの真実かもしれません。

 

当時は参勤交代で全国の大名が江戸に出仕させられたわけですが、大名妻子の江戸在府制が確立したことにより、まぁ江戸には姫様と呼ばれる方々が大量にいました。

 

詳しく知りたい方はこちらをどうぞ

 

つまり、花のお江戸は筥迫を必要とする姫君たちだらけ。

(姫とはいっても若いとは限らないけど〜)

そしてハイソな女性がトレンドに目がない状況は今も昔も同じこと。

筥迫を競うのにド派手なびら簪がどれだけ役だったか想像に余りある。

 

しかしそれはあくまで「大名風」の流行であり、千代田城大奥ではあくまで我が道を貫きます。

 

御本丸では、箱せこ・かんざしを用いないのです。

あのピラピラさせるのを、大名風だといいまして、かえって嫌いました。

『御殿女中』著:三田村鳶魚

 

これは天璋院(篤姫)に実際に仕えた元御中臈の大岡ませ子が、筥迫びら簪について語ったところです。

 

江戸時代の筥迫は特注品です。

姫君の筥迫がどんなにゴージャスだったかおわかりでしょう?

その筥迫についたびら簪のド派手さを美術館で見た方もいらっしゃるでしょう。

やたらとデカく、やたらと派手。

もう武器の片鱗も残っていない(笑)。

 

つまりこの頃には、筥迫のびら簪が武器だなんだのという話はなくなっていて、大名家ごときの間で流行っている、あのぴらぴらした飾りは何なの!軽薄な!という感じでしょうね。

 

でもあれを武器にしている人もいるみたいですよ篤姫様(笑)。

 

 

ちなみに、はぐれ猫さんが武器として仕込み簪の画像を教えてくださいました。

ヤフオクの画像なのですぐに消えてしまうと思いますが、リンクを貼らせていただきます。

金工銀地鍍金仕込み三味線簪

これぞ必殺仕事人〜

さすがに護身用で持つような物ではないですが。

 

 

 

いつの時代にもある「今時の人は、、、」

 

私が古い本(といっても明治〜昭和)に書かれた筥迫のことをつい疑ってしまうのは、いつだか読んだ大正時代の資料の中で、

 

「今時の者は“はこせこ”という言葉さえ知らぬ」

 

と書かれてあったのが忘れられないからですね。

大正時代でですよ(笑)。

 

大政奉還で武家社会は終焉を迎え、それと同時に筥迫は姿を消します。

その後、明治後期の筥迫の復活まで約30年のブランクがあります。

 

現代では30年前ぐらいならそれほど昔とも思えませんが、この頃の平均寿命は「43歳」とされていますし、明治期の30年は相当な隔世の感があると思います。

 

豊富な書籍やテレビやネットなどの情報にあふれた現代人の方が、多分明治時代の人よりもずっと江戸時代以前のことに詳しいと思います。

 

 

 

現代人は明治・大正期に書かれたことならつい真実だろうと思いがちですが、けっこう尾ひれを付けた口伝えで広まった話も多いと思いますので、あまりそのままを受け取らない方がいいかもしれません。

 

筥迫の説明があると、必ず「武器」の話が始めに書かれているのは、いつの時代でもそれが「面白いエピソード」というだけで伝わってきたものであり、全ての筥迫が武器としての簪を収めていたわけではないということをRom筥的には言いたいわけです。

 

 

 

最後に、初めの引用には「古式の場合は式場では簪だけを扱き取る事も御座います」とありますが、こういうことを知ってか知らずか、現代でも結婚式でびら簪を外す着付師さんがいるようです。

 

どんな「古式」の意味を持って外すのかと、小一時間問い詰めたいRom筥でした。

(そんなこと言われても断固拒否してくださいね!)

 

 

 

 

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ふるぎぬや紋様帳 筥迫描写あれこれ

先日、T.Yさんから「筥迫がキーアイテムの漫画が出ています」と情報提供をいただいたので早速入手してみました。

漫画に筥迫を取り上げてくれたのが嬉しかったので、今回はこれについて書こうと思います。

 

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月刊Flowers7月号

和の幻想浪漫『ふるぎぬや紋様帳』第30話

波津彬子

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この漫画を読んでいないので前後関係がよくわからないので、以下この号だけの内容です。

 

 

主人公(伊都子)の母が、ある日伊都子が実家に残した荷物を届けにきます。

 

(場面変わって事務所の所長との会話)

 

これ、なんか気になっちゃって。

私覚えがないんだけど。

母は七五三のときのだろうって。

 

七五三用にしちゃ大きいわよ。

柄も大人用だし。

アンティークじゃないの?

 

あっ、、、

おばあちゃんの着物と一緒に来たものかしら。

それなら、、、

 

 

おばあちゃんの着物は「三襲の藤の柄の着物」で、それとお揃い(?)の謎の筥迫、、、という感じで話が進んでいきます。

 

 

 

筥迫本体

 

さて、ここで気になるのが上記の筥迫の描写である。

 

筥迫を描いた絵には、その人の筥迫に対する考え方や思いが見えてきて、そんなことを推察するのが面白い。

 

まず筥迫本体のディテールですが、横長でそれもかなり広めです。

この形は昔のものに見ることはあるのですが、それほど多くはなく、限られた範囲で販売されたものか、もしくは特注で仕立てられたかのようなサイズ感です。

 

現在の筥迫はほぼ縦横比が固定されていますが、昔のものはそこまで定型化されていませんでした。

横長というのはかなりクラッシックな形です。

(実は「三段口扇襠筥迫」は、このタイプの筥迫を参考にしています)

 

袋物には日本固有の美意識による縦横比というのがあるのですが、現代でオリジナル筥迫として販売しているものを見ると、時々この縦横比がおかしいものが出て来ます。

西洋的な価値観にどっぷり浸かった現代人の感覚なのかもしれませんが、古い日本の袋物ばかりを見ている目にはとても奇異に見える比率です。

 

ということで、このクラッシックな筥迫と、もう一つのキーアイテム「三襲の着物」(三点一組の婚礼衣裳)が相まって、いかにもアンティークな設定です。

 

次に筥迫としての仕様ですが、天面に「簪挿し」がないので、身蓋が一体となった紙入れ型の筥迫です。

本来「胴締め」というのは筥迫が二層式だからこその留め部品なのですが、紙入れ型は本体だけで成り立つ型なので本来胴締めは必要としません。

つまり、この紙入れ型に胴締めを付けるというのは「機能」ではなく単なる「お飾り」でしかありません。

 

しかし明治・大正期は新しい時代の筥迫を作ろう!と試行錯誤していた時代で、こぞって色々な型を作っていたことから、既存の紙入れに胴締めを付けて筥迫に仕立てちゃえ!という型がけっこうあって、何でも胴締めをつけて筥迫にしてしまったという時代です。

このことからも、この筥迫は明治後期から大正中期ぐらいのディテールと見られます。

 

そして、この身蓋一体になった「胴」に玉縁を付けて、更に縢りを付けるという面倒な仕立て。

一般的には紙入れ型で作る場合、縢りではなく「折り襠」を付けた「外日の出」か「内日の出」に仕立てることが多いので、この筥迫はあまり一般的な仕立てではないようです。

美観優先という感じでしょうか。

 

そしてこの素敵な藤の刺繍。

 

横長の型に縦長の藤柄を配置するなら、絵を分断する簪挿しの付いた二層式よりも、後ろに柄を続けさせるこの型を選んだのは正しい。

 

しかし、

 

身蓋一体なのに「被せと胴締め」はまだしも、「被せと被せ下」まで柄合わせがされている!

それもこんなに細かい藤の柄で!

 

このような身蓋一体型で全面刺繍にする場合は、布のちょっとした厚みで柄合わせの位置を計算することは困難なので、一般的には被せと被せ下の柄合わせは考えません。

つまり、目眩がしそうな超絶難度の柄合わせということです。

 

この筥迫の刺繍をした人がよほど仕立ての知識があるか、仕立師とあうんの呼吸ぐらいのつながりがあるかです。

 

できれば筥迫工房には仕立てに出して欲しくないなぁ、、、。

 

 

 

落とし巾着

 

巾着のディテールがかなり適当なところを見ると、これは写真か画像だけを見て描いているかもしれません。

もし目の前に実物の筥迫があるなら、タックぐらいは気がつくはずなので。

 

この横長の筥迫画像を選んだ漫画家さんは、それなりにディテールにこだわった資料を探し、それをあまり筥迫に関心のないアシスタントさんに描かせている可能性がある。

 

「巾着の結び」にもアンティーク感が見られます。

一般的な「二重叶結び」なら二本の紐が揃って円を描くので、このように乱れているのは二重叶結びではない物を参照している。

 

アンティークといわれる筥迫では、「二重叶結び」を「封じ結び」にしているものが多く見られます。

見た目には同じですが、封じ結びはちょっと複雑な結びです。

 

封じ結びにした紐は、持ち主以外の人が解くと元通りの形に綺麗に結び直すことができない、つまり他人が開いたことがわかってしまうというような結びなので、「封じる」という意味においてこちらの方が正当性があるように思われます。

 

しかしこの巾着の結びは、二重叶結び(封じ結び)でもない、ただ縛ったというような簡単な結びです。

これは明治以前の江戸型の筥迫によく見られます。

もしかしたら後から何か入れる(それも度々)目的があっての簡単な結びなのかもしれません。

 

今時の筥迫では「落とし巾着」を「匂い袋」と解説しているものも多いのですが、私は実際に中に綿以外のものを見たことがありません。

匂い袋というのが一体どこから来たのか昔の文献を探しても出てこないので、私はあえて匂い袋という言葉は使っていません。

 

でもこのような簡単な結びをしているものは、もしかしたら持ち主が「香」などを出し入れするためにしていたものかも、、とこの絵を見ながら漠然と考えました。

 

しかし、適当に縛っただけだと二重の輪にはならないので、これも何かの結びなのかしらん、、、。

 

 

 

漫画なんだからそこまで忠実に描いていないよと言われそうですが、いや、こういうものは間違い探しというよりも、実際にある物だと思って妄想する方が楽しいということ。

 

Rom筥の総評としては、なんて素敵な藤の筥迫!いらないなら是非私に譲ってほしい!です(笑)。

 

 

 

最後にこんな場面もありました。

 

こういう昔の文化をよく理解していらっしゃる。

うれしいねぇ。

 

今後の展開をちょっと気にしながら見ていきたいと思います。

このブログを見ている古い和物好きな方には面白い漫画かと思いますので、ご興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

この筥迫が出て行くるのはこちらです。

 

 

古い着物の話が楽しいので、ご興味のある方はどうぞ単行本を。

 

 

一話試し読みはこちらから。

月刊Flowers

 

 

 

教本改訂版進捗状況

 

やっと印刷物が時間差で届いています。

というのも、前回と同じく冊子にはしていないので一枚ずつ(A3見開き)印刷に出しているので、全部揃うまであと2〜3日はかかりそうです。

 

毎回冊子にしないのは、どこかで間違いや入れ替えが生じた時に差し替えできるようにです。

冊子にしてしまった方が安くできますし、バラだとセットする面倒はあるのですが、どうしても冊子にする勇気がない、、、。

 

これからショップの内容も変えなければならないで、6月22日以降の販売を目指します。

 

 

 

 

筥迫工房の材料販売(ネットショップ)

 

▼筥迫工房の講習会

 

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とりあえずキレイな筥迫、仕立てが美しい筥迫

 

貼り付けから抱き合わせまではすんなり運んだ教本作りですが、巾着で足止めをくらい、応用編に至っては数日で1段進むかという試行錯誤の繰り返しです。

 

私は筥迫作りを始める以前に、長年企業でテクニカルイラスト(マニュアルのイラスト)の仕事に携わっていました。

 

筥迫作りはちょっと慣れた素人ぐらいのレベルであっても、マニュアル作りは仕事で慣れているので、売り物として許容してもらえるだろう程度のレベルで教本の販売を始めたのです。

それはあくまで機械の操作を説明する程度のノリであって、筥迫=嚢物という概念は微塵もありませんでした。

 

その後は成り行きで講習会が始まり、需要に伴い筥迫以外の型が増え始めました。

しかし、そのためには人様に教えるための土台が必要ということに気づき、焦って古い嚢物を集めまくり、必死になって「貼り込み」というものに向き合っていた時期でもありました。

 

そうなると販売している教本の内容に受け入れ難いストレスを感じるようになるもので、改訂に至ったのは必然とも言えます。
 

かつて「和装の手持ちバッグは筥迫の貼り込みの技法を元に作られた」とどこかで読んだことがあり、それが私が「貼り込み」という言葉に出会った始めでした。

 

「筥迫=貼り込み(糊だけで作る)」という特徴をもっと出していきたいと考えて作ったのが「副読本」です。

そして貼り込みの基本になる事柄を副読本にまとめて、縢襠筥迫以外に販売できる教本の数を増やそうと考えていたのです。

 

しかしその後、これ以上印刷物を増やすことが難しいという壁に打ち当たり、その状況のまま在庫切れになってしまいました。

ウダウダ悩んでいるうちに在庫分が売り切れるなんて、ありがたいような、申し訳ないような、、、という心境です。

 

 

とりあえずキレイな筥迫

 

私の筥迫作りは何もないところから一から技法を積み上げてきたものなので、いまだに確立していないのが実情です。

 

しかし印刷というのは一度に数を刷らなければならないので、安易に更新ができないというのが最大のデメリット。

ですからある程度は曖昧な部分で作らざるを得ない。

 

結局、本来の技術はしっかり対面で教えるものと割り切り、ショップで販売する教本は、不特定多数のレベルもまちまちの人たちに、難度を下げていかにわかりやすく筥迫作りの順を説明するかだけを考えて作ることにしました。

 

それでも前回の教本で筥迫を作るより、今回の改訂版で作った方がキレイに出来る!と思ってもらえる内容を目指しました。

 

その一番のこだわりが「厚紙(0.25)」を加えることでした。

 

筥迫は袋物の中でも難度が高いので、それを初心者に作らせるには如何に難度を下げられるかということ。

これまでの教本では「部品数を減らす」ことで難度を軽減しているのですが(厚紙は(0.7)使用のみ)、そこに厚紙(0.25)を増やす=部品(工程)を増やせばよけい難度が上がってしまいます。

 

考えた挙句、思い切って「薄糊」を使うことをやめました。

これまで筥迫を作ってきた人はさぞかし仰天されることでしょう(笑)。

 

「厚紙0.25」を使えばこれまでよりも劇的にキレイに仕上がるのですが、初心者が貼り込みの知識なくして「厚紙0.25」と「薄糊」を扱った場合、より汚い仕上がりになる可能性はあまりにも高い。

 

でもね、絶対失敗しないでキレイに仕上げる方法があるのです。

それは改訂版を見てのお楽しみですが。

 

すでに筥迫作りに慣れた何人かの方にモニターをお願いしていますが、薄糊を使わないので「とても気楽にできる」という評価をいただいております。

 

教本を買って筥迫を作る人のほとんどが「花嫁さん」ということもあり、貼り込みを習いたいというよりは、そのときだけの筥迫を作れればいいという人がほとんどです。

そしてよほど筥迫に思い入れのない限り、花嫁さんが筥迫の存在に気づくのは全ての準備を終えた一番最後というケースが非常に多い。

つまりぶっつけ本番で作ったものをそのまま本番の結婚式に使いたいので、初めてでも絶対に失敗したくないという切実な思いがあります。

 

今回の改訂版はそんな人たちに的を絞って作っているのですが、当初から安易な形状に退化した現代版筥迫とは一線を画したいという強い思いがあるので、どんなに難度を低くしても決して「簡単」でないことだけは変わりません(笑)。

 

しかし初めて作る人には「気楽」が少しでも筥迫作りの助けになると信じ、そこから更に貼り込みというものに興味を持っていただけるきっかけになることを願わずにはいられません。

 

 

 

仕立てが美しい筥迫

 

気楽に筥迫が作れるのであれば、全ての型で薄糊を使わない方法で作ればいいじゃないのと思われるかもしれませんが、そんなことあるはずがない(笑)。

 

講習会で筥迫を作ったことがある人でも、是非、新しい改訂版のやり方で筥迫を作ってみてください。

 

「びっくりするぐらい気楽に出来た!(それもいつも以上にキレイな仕上がり!)」と思った方は、講習会ではキレイに出来るのに、家では何故かイマイチな仕上がりという方ではないでしょうか。

これは糊の扱い方が間違っているだけなので、糊の心配をせず、もう一度貼り込みの工程だけを復習できるいい機会と思ってください。

 

反対に「気楽だけど作りにくくてイライラする!」と思った方は、薄糊の使い方に慣れている方だと思います。

薄糊が使えないと「ここ潰したいのに!」というメリハリが付けられない。

そう思う方は、単に薄糊を使って作ればいいだけです。

 

「房」や「巾着」の作り方はかなり作りやすい方法に変わっているので、これだけでも改訂版を買う価値はあると思います。

型紙頼りだった「柄合わせ」は、キチンと本体に柄を合わせる方法で説明しています(コマ数はそれほど多くないですが)。

 

貼り込みというのは、如何に「水」の影響を受けずに作れるかというのがキレイに仕上げるコツなんですね。

糊の「水分」と「粘度」と「乾くタイミング」をよく理解して作れば、「厚み」をコントロールすることができます。

厚みをコントロールして立体的な筥迫を作ることが出来るようになると、そこで圧倒的な仕立ての違いに気づき、本来の貼り込みの楽しさに目覚めることになります。

 

 

私が高校生のときにパン屋でバイトをしていたときに、そこの職人さんがボヤいていた言葉をよく思い出します。

 

「うちの社長は、うちのパンは特上の小麦粉を使っているんだ!ってお客さんに宣伝しているけど、そこにB級品も混ぜているんだよね。

そしたら結局B級品になっちゃうと思うだろ?

でもそうじゃないんだよ、C級品にしかならないんだよ。」

 

とりあえずキレイな筥迫を作れるようになると、お高い布、古い貴重な布、時間をかけて作った日本刺繍のような装飾裂を使って筥迫を作りたくなります。

そんな特上品のマテリアルを、C級品に落とすか、特上の工芸品に昇華されられるか。

 

いや、それほど技術のない刺繍であっても、しっかりとした技術で作られた筥迫は工芸品にさえ見えるものなのですよ。

 

 

 

これから


マニュアル制作のコマ撮り用に、背景になるアイロンマット用の布が切れたので、先日ネットショップの布屋で購入しようと思ったところ、どこの布屋さんもパンク状態でびっくりしました。

 

アイボリーの木綿を買おうと思ったのですが、淡い色の木綿はことごとく在庫切れで、「手作りマスク」に使う人が殺到したことは想像に難くありません。

 

発送を担う定員さんたちも交代勤務のようで、あまりの注文数に対応が難しいことから、新規注文は全て受付中止までになっているお店もありました。

 

 

早く教本を作らねばと焦りはするものの、そういう思いが人混みに出て仕事をしなければならない人たちを追いつめることにもなるので、とりあえず今は「あるもの」「出来ること」で考えなければならないと思いました。

 

教本とは別に、実際に技術を教えられるのは「対面」しかないとはわかってはいても、今の状況はそれも単なる理想論でしかない。

臨機応変に「あるもの」「出来ること」で続けることを考えるしかありません。

 

とりあえず、リモート、動画、電子書籍と、色々な可能性を考えています。

どれも実用可能ではあるものの、新たに調べなければならないことや、一から覚えなければならないことばかりで、歳を取れば取るほどそれを受け入れるのは至難の技。

 

DTPも嫌いなのに動画編集を一から勉強するなんて絶対嫌!と思っていましたが、先日ちょこっと触ってみたら意外と面白かった(笑)。

 

尻に火がつかないと人は簡単に状況を変えられないもの。

時代の波に乗れるかどうか焦るよりも、その波に少しの好奇心が持てるかどうかが分かれ道になるのではないかと思っています。

 

ゆっくりでしか進めないとは思いますが、皆様には長い目でお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

筥迫工房の材料販売(ネットショップ)

 

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筥迫工房の教本や自慢の細工物を、皆さん自身で披露できる掲示板です。写真のアップロードが簡単になりました(一回の投稿で6枚掲載可)。丹誠込めて作った筥迫を大勢の人に見てもらいしましょう!

 

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教本印刷と今後のこと

講習会も教室もなく、教本の在庫もなくなったので発送も減ったという状況なので、今はひたすら教本の改訂版作りに没頭しています。

 

先週までの、準備→貼り付け→本体の抱き合わせはすんなり進んだものの、縢り(かがり=千鳥掛け)や巾着、飾り房などは毎日必死で進めてもやっと半ページ。

 

教本作りは、講師がレクチャーした後の補助的な資料として配布する講習会の資料とは異なり、不特定多数の初心者にぶっつけ本番で筥迫を作らせなければならないので、内容としての精度が違うからです。

 

教本は常に小さな改定はしているのですが、大きく内容を変える改定は今回で3回目です。

初めて作った頃の教本は、ただただ作り方の手順だけを解説したものでした。

これは家庭のプリンターで出力していたので、販売数もそれほどではなかった時代でした。

 

 

印刷そして紙媒体

 

2回目はちょうど講習会が増えだした頃で、講習会の人たちも使えて、将来的にはショップでも縢襠筥迫以外の袋物の教本を販売しようと思い、内容が共通する部分を別冊の「副読本」として印刷にすることにました。

 

しかし筥迫工房のように極小規模な自費出版(?)でも、オフセットともなれば少なくとも数百部は印刷しなければならないわけで、縢襠筥迫(教本)、貼り込みの基本(副読本)、婚礼用和装小物の作り方という3種類だけで(型紙も入れれば4種類)、かなりの数の段ボールが家を占領します。

 

私の活動は、知識さえあれば一人でデータが作ることができ、個人でも簡単に出せる安価な印刷システムがあって、人を雇わなくてもネットショップで販売が可能なインターネット社会がある「現代」だからこそ成り立つものです。

 

しかし旧時代から存続している「紙媒体」は、発信側にアナログな環境がないとできない。

つまりこれ以上の荷物が増え続けることは可能なのか?という葛藤が常にありました。

 

講習会や教室で配布する資料は、印刷出すほどの量ではないものの、拵え方と型紙がどちらも6〜8枚はあるので、それを都度人数分印刷するとなるとプリンターの消耗が激しく、一年もすると調子が悪くなるので常にプリンターを二台持ちという状況。

インク代もばかにならないので、家庭内印刷もそれなりにコストがかかります。

 

これらのことから、印刷や紙媒体の限界を身をもって感じます。

 

 

 

世の中と変化

 

世界的にリモートワークが広がっています。

終息までには相当の時間がかかるでしょうし、いつか終息したとしてもこの流れは残っていくものと思われます。

 

世の中の価値観が大きく変わる狭間に私たちは生きているのだと感じます。

 

今までやってきたことが新しいやり方に完全に変化していくのか、やり方が変化しながら継続していくのか、たぶんどちらもあるのではないかと思っています。

コロナとも共存しながら生きていかざるを得ないでしょう。

 

しかし時代というのは常に大きな流れで変わってきました。

私はこの仕事に携わるまでイラストレーターという仕事をしていたので、社会に出始めたころに「筆で線を引く」「絵具を調合して色を作る」などというアナログ作業が、一気にパソコンというデジタル仕事に変わった時代を生きてきました。

 

筆で絵を描いていた人が、あるときから一気に「データ納品でないと仕事が出せない」と言われるようになり、イラストレーターとして仕事をしてきた多くの人がその流れについていけずに仕事を辞めました。

どんなに絵が上手くて仕事ができると言われた人でも、時代が求める急激な環境の変化に適応できなけばもうその世界では生きていけないということです。

 

今のようにたった一か月でがらりと世界が変わるというほどではないにしても、1〜2年でがらりと環境が変わっていったあの時の衝撃はいまだに忘れられません。

 

私のように会社に属していた人たちは否応なくこの流れに飲み込まれていきました。

しかしデジタルに対する拒否感は大きく、なぜ絵を描く人間がこんなDTPを勉強しなければならないのだ!と上司といつもやりあっていました(遠い目)。

 

結局「仕事なんだから、できないじゃない、やれ!」という上司の喝で、泣きながらPCに向かっていました。

それは今でも変わりなく、速足で駆け抜けていくデジタル情報に泣きながらトボトボとついていっているというのが現状です。

(誤解している人も多いですが、私は決してデジタルに強い人間ではありませんよ!)

 

どんなに苦手なことであっても、生きて生産活動している限りは戦わなければなりません。

 

 

とりあえず教本の改定3版は印刷します。

副読本はなくなり縢襠筥迫の教本は一冊になりますが、これまで教本で伝えたいと思っていた内容を割愛していくことになります。

 

人が集まる講習会もしばらくはできないとなれば、本来伝えたいと思っていた内容をこれからどのような方法で続けていかねばならないのか。

またしても時代の波にもまれていくことになりそうです。

 

 

 

 

 

筥迫工房の材料販売(ネットショップ)

 

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