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2014年5月 十三祝い徒然 〜後記〜

十三祝いまでのブログが終わり、ほっと二息ほどついていたので、更新が遅くなりました、、、。
今回は画像なしです(初めに言っておく)。

あの後、色々な方からメールや感想をいただきました。
ご自身の体験になぞらえてのことなのですが、大きく分けて

1)娘に十三参りをさせたかったが反抗期でできなかった。
2)成人式に母(または祖母)の好みの着物を着させられてすごく嫌だった。

う〜ん、どちらも考えさせられます。

中学生という年頃は、一般的に「第二次反抗期」と言われますが、初潮がきたり胸が大きくなったりと、身体的な「第二次性徴」の時期にもあたります。
つまり、ちょうどこの時期にぶつかるのが十三参りなんですね。
親に従うことが当たり前だった年頃から、自分で考えて行動するようになるけれども、うまくできない、または考えが整理できなくてイライラという年頃になるので、親としては非常にあぶなっかしく見え、かといって手も出せないので悶々とする時期です。

小学校高学年ぐらいになると「彼氏」がいるなんて話をけっこう聞くようになり、親としてはひどく悩ましいのですが、女としての部分を早めに感じる子の方が、十三参りに着物を着せるのはすんなり行きそうな気がします。
うちはまだ男の子に興味がないから安心、なんて子の方が、着物を着せるのは難しいのかも(あくまで私見)。

親の言いなりだった七歳の頃とは違い、十三歳は完全に本人の気持ちしだいなので、いくら十三参りを夢みて着物を用意していても、この年頃の子には拒否される可能性大!ということをよくよく考えておいた方がいいと思います(経験者多数)。
拒否されたらテコでも動きませんし、モノで釣ろうにもあの頃とは桁が違う、、、。
我が家の場合も、何年も前から「十三参りにはあなたのために筥迫を作るからね(=着物を着ろよ!)」としつこく刷り込んでいたせいか、「着物やだな〜」と言われつつも完全な拒否はなく、当日はなだめすかして何とか十三祝いを終わらせることができました(ほんとよかった〜Aネコアセアセ)。
それでも「友だちと一緒に!」が一番効いたかもしれません。

なぜ(着物好きな)母親は十三参りにこだわってしまうのだろうと考えたのですが、親が好きな着物を選べる最後の時期、というところにあるのかもしれません。
これが成人式ともなると、着物を着たい=自分の好みで選ぶのが当たり前!になるので、当然ながら親の好みは通らない。
ここで親が自分の好みを貫いてしまうと、もう一生恨まれることになるのでご注意を。
自分の趣味でもない着物を着て、大々的に証拠の写真まで撮らされた成人式は最大の黒歴史、と死ぬまで言われるみたいです(笑)。

そんな私は、娘の成人式の着物も、結婚式の着物もすでに用意していますとも(笑)。
アンティーク着物は、手頃な値段なので気軽に買えてしまうのが難。
でもその時になったら、娘の好みの着物は自分で選ばせて、私が選んだ着物と両方着てくれたらラッキーと思うことにしています。
私としては十三参りを成し遂げただけで、もう成人式はなくてもいい、ぐらいの思いでしたから。
成人式はどこかのかわいいモデルに着てもらって、ブログ用の撮影するだけでもいいわ。



意外と知らないこと

十三祝いが終わって即、髪を切りにいった娘ですが、今では「シャンプーが楽〜♡」と喜んでおります。

実は娘は「ふけ」がかなり出る方で、私はそれがとても気になっていました。
目にシャンプーが入るのが怖いと、頭をあげたまま洗髪するので、髪の毛の多い人はそれでは泡がたたないよ!と何度も言っていたのですが、今では一緒にお風呂に入らせてくれないので、どんな洗い方をしているのかわからず、対応ができないでいました。
でも最近はふけが見えなくなったので、髪が短くなって洗いやすくなったのかしらん、、と思っていたのですが。

先日、美容院でその話をしたところ、
「シャンプーがしっかり流せていないこともありますが、リンスやコンディショナーを頭皮に付けているかもしれませんねぇ」
と言われました。

「えっ?いけないの?」

「絶対にダメです」

私自身、頭皮にもみ込みはしないものの、けっこう上の方からつけていた、、、(汗)。
美容に興味のある人であれば常識なのかもしれませんが、いや〜知らなかったな〜も〜。

子供の頃は、洗面器のお湯にリンスを溶いたものを頭からかぶる、というのはけっこう一般的だったような気がします。
今ではさすがにそういう人も見かけませんが。
とにかく、少しでも頭皮についたらいけないらしいですよ。
強力なコーティング剤なので、毛穴をもコーティングしてしまうため、皮脂が詰まってトラブルをおこすそうです。
更にしっかりと洗い流さないと、背中の毛穴さえもコーティングしてしまうので、背中にきびの原因にもなるそうです。
ずいぶん恐ろしいものを使っていたんですね。

娘にこの話をしたところ、最近はバスケと塾で家に帰るとすぐ寝てしまうため、忙しい朝に頭を洗うことになり「めんどくさいからコンディショナーはつけてないの〜」とのこと(以前はばっちり頭皮からコンディショナーを付けていたそうです)。
もちろん、乾燥の季節が終わって、髪も短くなって洗いやすくなって、コンディショナーもつけなくなって、全体がいいように作用したのだとは思いますが。



ところで、これらのことを調べているうちに、「頭は下を向いて洗うか、上を向いて洗うか」という話題に行き着きました。
娘は上を向いて頭を洗うからうまく頭が洗えないんだ!と思っていた私は、ここぞとばかりに食いつきましたよ。
意外や意外、上向き派が多いということを知りました。
私は昔から髪が長く量が多いので、上向きだと腕が疲れてしまい、うまく洗髪できない。
しかし、下を向くと苦しい、、と思う人も多いようです。
また上向き洗いは「おしゃれ」というイメージがあるようですが、これは外国ドラマだと皆上を向いて洗っているからだそうですね。

私が上向きで洗うのが嫌な理由は、泡がはねやすいので、バスタブの中に汚れが入ってしまうことにもあります。
日本は銭湯文化の影響が強いので、隣の人に迷惑がかからないように下向きになったという説もうなずけます。
笑ってしまうのは、この下向きで洗髪することを「貞子状態で髪を洗う」と説明されていること(笑)。
子供の頃から「上向きでシャワーに背を向けた状態」を徹底しているという人は、「おばけが怖い」が理由だそうです。
ものすごく納得できる理由だわ(笑)。



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2014年5月 十三祝い徒然(2)

ワークショップ準備以前から怒濤の忙しさで、このような状況で着物を用意をするというのは本当キツいです(それも二人分)。

しかし、GWを過ぎると日に日に暑さが増す→袷は暑い→娘不機嫌→とにかく今やるしかない!と心を強く持って乗り切りました。
そして先週末、母の一周忌法要を終えたことで一段落し、今回は心穏やかに十三祝いの続きを書いています。
ということで、今回も思い入れを込めて怒濤の長文です(苦笑)。


こちらの筥迫は装飾の『びら簪付筥迫』ですが、一般的な115×80cmに対し、それより一回り大きい125×90cmサイズで作っています。
詳しくはこちら▶『十三参りの筥迫 〜菊鈴と房〜 2014.4』



一般的な筥迫は日本刺繍の図案を考えるのが難しいサイズですが、それがほんの一回り大きくなっただけで、かなり図案の幅が広がります。
しかし筥迫は1cm差でも相当大きく見えることから、問題はこれを十三歳の娘が胸に入れてどう見えるのかが、最も心配していたことでした。しかし、、、

何ら問題なかったです。
目立つというよりも、全体的な印象がより堂々として見える感じ。


今時の花嫁さんが使う筥迫はどんどん薄く小さくなっていて、もしかして七歳用と間違えてない?と思ってしまうものもあります。
帯揚げや帯締めのような、単なる小物扱いなんでしょうね。
これはひとえに着付けの責任があると思います。
花嫁さんも成人式の振袖も、胸元がパンパンすぎて一寸の隙もない。
完璧な着付けに仕上げてから、付け足しのように筥迫を押し込もうとするので入るわけがない。
もっと小さく!もっと薄くしなければ入らない!となってしまう。

嚢物が隆盛を極めていた時代は、着物の中が隙間だらけだったと思います。
着物自体が「袋」だったからこそ、豊かな嚢物文化が花開いたのです。
襟元がキツキツだから筥迫が小さくなるのか、筥迫がチンケだから追いやられて行くのか、なんとかこの連鎖を裁ち切らねば。
ものすごく立派な筥迫を作って、この筥迫を入れるのだから胸元の補正を考慮せねば!と着付師さんたち自らに思わせるような、そんな筥迫を作らないといけないですね、私たちも。

そういう意味では、この大きさにはかなりのドーダ感があります。
元々、筥迫は回りの人に自分の地位を見せしめる目的もありました(私は筥迫をつけられるほどの身分なのよ、的な?)。
現代でもそのぐらいの意気込みで、花嫁さんには筥迫を身に付けていただきたいものです。

 


「はい、葉っぱ見て〜」と言うと、まじめに葉脈の数を数えていました(笑)。
この筥迫は、10月のワークショップ『びら簪付き筥迫(装飾・応用)』で、折り襠付きで作ります(経験者対象)。

娘の半襟は絞りの羽織をといた端切れを使いました。
帯締めは、当初古い紅絹で作ったのですが、「できた〜!」と左右に強く引いた途端、ビリッ!布が裂けました、、、。
しかたなく、手元にあった赤い縮緬の半襟を縦半分に切ってつなげることに。
ワンポイントの小さな刺繍が入っていたので、うまく出るように配置して縫い合わせました。


日本刺繍を施した筥迫を何十倍も際立たせてくれるのが、ゴージャスなびら簪です。
このびら簪は昔のものですが、現在の物よりも下がりが3.5cmほど長く、鎖の本数も多いので、筥迫とのバラスンスもいいです。
いつかこの頃のびら簪を再現して販売するのが私の夢です。



去年、今さらながら娘の七五三時の写真をアップしましたが、あれから6年あまり経ちました。
懐かしの七五三と私の筥迫黎明期

娘の七五三を切っ掛けに筥迫を作り始めたので、娘の成長は私の筥迫の歴史でもあります。
やたらと成長した感のある娘ですが、私の筥迫も同じぐらい成長したのでしょうか。
あの頃の筥迫は堂々と公開できるシロモノではありませんが、次の目標は娘の成人式。
その時になったら、私の筥迫がどのぐらい進歩したか、皆さんに判断していただきたいと思います。


Hちゃんの筥迫は帯地で作りました。
あいかわらず作るのが難しい帯地です。
帯地は厚くて折り返しができないので、玉縁は包み(くるみ)玉縁です。
この玉縁は、表布と玉縁用布と厚紙を一緒に縫って、縫いはしを包んで裏に折り返すので(パイピング)、当初は縫い玉縁、被せ玉縁と色々な言い方をしていましたが、最近は「包み(くるみ)玉縁」で落ちつこうかと思っています。



帯地だけではさみしかったので、飾りに「メタルスタッズ」を付けてみました。
ラインストーンはあまりにも存在感がありすぎて、少しでも付け過ぎると嫌らしくなりますが、メタルスタッズはそれほどの派手さはなく、作品に立体感を与えてくれるので、筥迫には使いやすいかもしれません。
しかし、付け過ぎてしまった感がなくもない、、、。

帯締めは絞りなので、帯の上に広く出すのが一般的ですが、私は筥迫に一番に目が行ってほしいので、帯揚げは中に入れることにしています。

筥迫がしっかりした帯地なので、房はがっつり系の「撚り房」にしてみました。
この日はかなり風が強かったのですが、ゆっくりと揺れる撚り房に対し、切り房の動きの激しさよ。
うちのうるさい娘にはお似合いでしたが(笑)。
本来、切り房は、儚げに揺れる様が美しいんですけどね。

びら簪は「横挿し」にしてみました。
私はこの横挿しが好きです。
頭部分が全面見えて、鎖も二重に見えるという挿し方なので、びら簪がより印象的に映ります。
決してイレギュラーな挿し方ではなく、薄い実用筥迫などではよくこの横挿しが使われていて、本体横に簪挿しを縦に差し込む口があります(これは8月のワークショップ『二つ折小被付き筥迫』で作ります)。
今回の筥迫は横挿し用ではないのですが、中の段口の上あたりに挿し込んで頭部分を筥迫本体にやや被るように入れると、しっかりと固定し、全体的に馴染むと思います。
本来は、横挿しにすることで、びらの配置が平打ち型の楕円になるのですが、このびら簪は横差し状態で横並びになっています。
これは平置き状態で、びらが楕円型になるように作られているからです。

これぞ!と思う筥迫を作ったら、是非この横挿しにも挑戦していただいて、ドーダ感をお楽しみいただければと思います。



着物を着ていると人を見かけると、ついつい目で追ってしまいます。
これが振袖ならば、よく見なきゃもったいない!ぐらいに思ってしまいます。
そういう意味では、着物は見ている回りの人をも幸せにしますよね。
そして、おば樣方には必ず声をかけられます。
今回もそう踏んでいたのですが、実際に声をかけてきたのは男性ばかり。
それもおじいちゃん率が高かった。

「かわいいね〜〜。成人式じゃないよね?何の日??」
コンビニのお兄ちゃんからも
「今日って何かあるんすか?かわいいっすね〜」
後日、実家の父に娘が着物を着たことを話すと、
「この日はデイサービスに行っていたから、ちょっと寄ってくれればよかったのに。」
男性陣も着物姿には萌え萌えのようです。
着物って幸せな文化だな〜と思います。



十三祝いと筥迫の儀

私の頭の中では、十三参りといえば京都の法輪寺というイメージが強かったので、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」に参らねば十三参りじゃない!ぐらいに思っていました。
ところが前回の十三参りでは、親御さんの意向から、繋がりの深い明治神宮でお参りしました。
よく考えてみれば、七五三でも檀家の方はお寺に行くでしょうし、自分に馴染みの深い神様(日本的に言えば)にお参りするのは至極当然のことです。
虚空蔵菩薩に意味があるのは、自分の好きな漢字一文字を供える「知恵詣り」があるからで、厄払いだけならどこでやってもいいんですね。
しかし、教会では「厄払い」なんて概念はない、、、。

筥迫に携わるようになってから、私には十三参りは特別な思い入れがありました。
筥迫が出現したのは江戸の中期頃で、紙入れに華美な装飾を施し、より豪華にするために薄い箱ほどの厚みを持たせました。
たぶん厚みで落ちやすくなったので、ストッパーを兼ねた胴締めを付けたものと思われます。
 

江戸時代に女性が懐中して用いた典具帖とは、もむと脱脂綿状になる和紙で、美濃紙や俗にさくら紙といわれ長く使われました。
一帖:50枚を、1月経期間に使ったそうです。
江戸時代、成人女性はこれを箱迫に入れて身につけていました。
〜中略〜 月経の手当に使う紙を入れていたので、成人女性のしるしでもありました。

これは、以前『ロリエ』のHPに掲載されていたものです。
現在、このページはありませんが、ロリエがこの内容をどの文献から参照したのか知りたくてずっと探しているのですが、未だに見つけられません。
なので真偽のほどはわかりませんが、私にはとても印象に残る内容でした。



十三参りは、生まれたときの干支に初めて戻る年であり(干支が一巡する)、最初の厄年に当たります。
体が大人へと変わる頃であり、女の子がちょうど初潮を迎える時期でもあります。

私の頃は、初潮を迎えると親がお赤飯を炊いてくれました。
「何で今日はお赤飯なの?何で?何で?」と騒ぐ兄(年子)に対し、母と父と私はうつむいて答えず、ただ黙々とお赤飯を食べました。
ものすごく気まずい思い出しかありません(笑)。
最近は、子供がすごく嫌がるという事で(ほとんどセクハラ?)、我が家でもお赤飯は炊かず、おめでとうも言わず、普通の日として過ごしました。
ただ夫から「何でお赤飯炊かないの?何で?何で?」と言われ困りました(笑)。

江戸時代、筥迫を持てるということは、高位の女性を示し、更には大人の女性の印であったということを考えると、筥迫がどんなに誇らしい装身具であったか想像に難くありません。
堂々としたきらびやかな筥迫はその象徴なんですね。
ですから、お赤飯で大人になったことを証明される恥ずかしさよりも、美しい筥迫で証明された方がずっと大人になる誇らしさを感じてもらえるのではないかと思ったのです。

ちなみに、関東では十三参りの風習は一般的ではありませんが(知っている人はごく少数)、沖縄などでは実際に「十三祝い」という形で家族や身近な人たちとお祝いをするそうです。
子供と大人の境を、気持ちの中に作らせるにはいい機会です。
よくよく言い聞かせて、大人になるための段階を踏ませる。
そのために筥迫を象徴とするのは、とても意味のあることだと思います。

お参りに行かない代わりに、子どもたちを前に座らせて、筥迫を身につける意味を伝えたかったのですが、娘に「そんな話、もうしつこいほど聞いた〜〜」と言われ、あえなく玉砕、、、。
私が思い描いた筥迫の儀、どなたか実現していただければ幸いです。

また、十三祝いを機に、大人として「末広」も身につけさせたかったのですが、お参りもしないし結界を作る対象もなかったので、残念ながら今回は持たせませんでした。
十三参りに末広をつけるかどうか悩んだら、十三参りなら神仏に関わることなので末広を身に付けさせ、十三祝いを家族や身近な人だけで祝うのであれば末広はなし、と考えるといいかもしれませんね。

七五三で筥迫作りを体験した方には、次回は是非十三参りの筥迫作りを目指していただきたいと思います。
七五三では作ることがやっとだった筥迫も、お嬢さんの成長とともに腕を磨き、立派な装飾を施した筥迫を作ることを目標にしましょう。
ダラけた十三歳の娘でも、ドーダ感満載の筥迫を身につければ、それなりに立派な女性に見えるというものですよ。
いや、もう強制的に「あなたはもう大人の女性になるのよ!」と、思いっきり背伸びをした大人感覚で身に付けさせていただきたいです。



撮影が終わり、これまで撮った画像を見て大笑いしています。
Hちゃんママと二人でお互い400枚以上撮影して、ほとんどがおふざけショットばかり。
デジカメの世の中でほんと良かったですよ。

娘はバスケ部で汗を流す生活なので、毎日「髪切りた〜い」が口癖。
なんとかこの撮影まで髪を着ることは禁止していたので、撮影後、着物を脱ぐと二人でダッシュで美容院へ向かいました。
窮屈な着物と慣れない撮影、うっとおしい長い髪ともお別れをして、今は相当な開放感だと思います。

そして私はというと、もう長すぎて疲れたよ、パトラッシュ、、という心境です(笑)。
これが終わったら少し休んで、次の新しいものを作る気力を養おうと思っています。


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刺繍作家の武部由紀子さんが、江戸筥迫を公開してくださいました。
筥迫工房に仕立てをご依頼いただきました。
明日から始まる、京都高島屋「わざの美・現在展」に展示される予定だそうです。
武部さんのブログに公開されているのでリンクさせていただきます。
『ぬう 日本刺繍 / 江戸型筥迫「月明 げつめい」』
お近くの方、是非足を運ばれてはいかがでしょうか?
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2014年5月 十三祝い徒然(1)



私にとって一年がかりの準備となった娘の十三祝いが終わりました。
注文以外で作る筥迫は、研究目的かブログ掲載を目的としたものばかりですが、今回は「娘のために」「この日のために」という目的で作ったので、久々に燃えました(笑)。
筥迫を身につけるのに十三参りほどふさわしい状況はない!という持論を証明するチャンスでもあります。

今年は4月13日がちょうど日曜日にあたり、十三参りのメッカ、京都嵯峨の法輪寺はさぞや大賑わいだったことでしょう。
それに対抗して、東京の我が家は浅草寺に行くぞ〜と意欲を燃やしていたのですが、諸事情によりあえなく5月に延期となりました(涙)。

とかく思い入れが強すぎるとうまく行かないのは世の常。
再挑戦のこの日は、WSが終わってから間もなく、運転手の都合もつかなかったので、浅草寺でのお参りはあきらめることにしました。
慣れない着物で電車移動させ、時間をかけて撮影までしたら、この年頃の娘がどんなに機嫌が悪くなるか目に見えています。
近場の庭園で撮影のみと割り切ることにいたしました。


ということで、お参りをしないので「十三参り」ではなく「十三祝い」ですね。
今回は撮影画像を交えながら、私なりの十三祝いについて徒然に書いてみたいと思います。
いつもにも増して長文なので2回に分けます。お覚悟召されよ。


場所は東京は駒込の『六義園(りくぎえん)』。
我が家からは車で15分です。


前回の十三参りでお世話したお嬢さんたちは、自然で儚げな表情に、一瞬で過ぎ去る少女時代というイメージを私に焼き付けてくれました。
しかし、気まぐれ、不機嫌、お調子者の我が娘が、あのお嬢さんたちのように、気前よく笑顔を向けてくれるとは思えません。
もう毎日胃の痛くなる思いでした。


そこで、小学校から仲良しのHちゃんに一緒にモデルをお願いすることにしました。
Hちゃんと一緒なら打ち解けた表情を見せてくれるかもしれない、という淡い期待を抱いたのですが、案の定、着付けの時点ですでに不機嫌。前途多難、、、(泣)。
上の写真は、タクシーから降りて六義園に向かう途中、やっとご機嫌が戻ったところです。

この年代の少女たちはくるくると表情が変わるので、自然に輝く瞬間を逃さなければ、着物との相乗効果でいい写真が撮りやすいものです。
ところがカメラを向けると、ふざけまくり、ダレまくりで、まともなポーズをとってくれません(照れ隠しも有)。



七五三(七歳)はまだまだ親の視線を独占したいお年頃なので、カメラさえむければ無邪気に微笑んでくれます。
二十歳(成人式)は自分を見せることに意欲的なお年頃なので、まわりの目が自分に注がれると、それはもう満開の花のような笑顔をふりまいてくれます。
しかし、十三歳という年頃は、自分を良く見せることに恥じらいがあり、その少しはにかんだ笑顔が初々しくて何ともかわいらしいのですが、着物=動きづらいの面倒くさ〜いという気持ちに傾いてしまうと、心に反した笑顔を作るなんて芸当はできません。

前回のお嬢さんたちは、お世話をしている私が第三者だったのでかなり協力的でしたが(とりあえず気遣いはできる年頃)、実の親子ともなると全てのことに遠慮がない。
このときばかりは、第三者に撮影をお願いした方がよかったかなと後悔しました。



完全にやる気無し、、、こちらを向いてもくれない Aネコ泣き
とりあえず、初めはさりげな〜い雰囲気の写真を撮っておいて、時間とともに表情がゆるんでくるのを待ちます。



娘の着物はお針子会のフリマでゲットしました。
出品者のMさん曰く、おばあさまの若かりし頃の着物だそうです。
おばあさまはMさんが生まれる前にすでに他界されていたそうですが、曾おばあさまはご存命で、この着物を大事に取っておかれていたそうです。


この着物の写真を見せたい!とおっしゃっていました。
きっと喜ばれることでしょうね(だから娘よ、お願いだからまともな笑顔を作っておくれ)。

帯はヤフオクでこの着物に似合うアンティークの帯が出るのをひたすら待って手に入れました。
帯裏が全く雰囲気の違うレトロ柄だったので、お針子会で紅絹(もみ)に張り替えてもらいました。

かなり柔らかい仕上りだったので、着付けのJ.Iさんに「撮影のときは、その都度帯の形を直してね!」と言われていたのですが、撮影しているとそれどころじゃない。
私がひたすら叫んでいたのは「足を閉じろ〜!!!」のみ。
珍しくまともな笑顔をしてくれた!と喜んで撮影していると、足が180度に開いていたり(後に画像で知ることになる←完全に確信犯)。



彼女らが食べているのは『ランチパック』です。
たくさん買っておいて、着付けの前後に食べたり、小腹が好いた時の持ち歩き用にします。
汚したりこぼしたりすることがないので、撮影をするときの必需品です。
何とかこれで気分を変えてもらおう。


遠くからズームで撮影すると、やっと自然な笑顔が出てくるようになりました。


この日は申し分のないお天気でしたが、あまりにもピーカンすぎると写真を撮るのは難しいですね。
順光では影が強く出過ぎるし、逆光だと暗すぎる(泣)。
そういえば前回は明治神宮だったので、大きな木が頭上高くうっそうと生い茂り、撮影するにはちょうどよい光の具合いでした。


二人がしている丸ぐけは私が作りました。
これは留袖の八掛けか比翼を使ったと思いますが、白は透けやすく「持ち手芯」のガラが見えてしまいます。
そこで二重巻きにしてみたのですが、それでもうっすら透けている、、、。
白の透け感が心配なら、縮緬あたりを使うとそれほど気にならないかもしれません。


Hちゃんの髪型は、本人曰く「ボカロのグミ」を真似たそうです。
何のこっちゃとお思いの方、ボーカロイド(ボーカル・アンドロイド)のグミというキャラクターだそうですよ。
着物なので、長い部分は耳の後ろで留めてもらいましたが。
つい最近まで「ちゃお」(お子ちゃま少女漫画)を読んでいた娘が、急に「進撃の巨人」やら「黒子のバスケ」に興味が移ったのも、このHちゃんの影響のようです。
そんな二人は毎日バスケ部で汗を流しています(たぶん黒子の影響)。


Hちゃんの着物は一年以上前から用意してあったものです。
私のイメージする十三参りの着物のイメージは、成人式に見えないぐらいの控えめな派手さ。
私はアンティーク着物が大好きなのですが、ネットで安く手軽に買える現代はホントありがたいです。
だから七五三の着物は痛恨の極み。
今回でやっと憂さが晴れました〜。

娘の着物のサイズが小さいことは初めからわかっていたので、「肩上げ」(十三参りのお約束)をするためにお針子ショップで袖丈も出してもらいました。
本来は大きく作って肩上げをするものなので、それを考えると笑っちゃいますけどね。



Hちゃんの着物はかなりサイズが大きかったので、このままでも大丈夫だろうと私が肩上げをしておいたのですが、実際に着せてみると、Hちゃんは手足がやたらと長い現代っ子でした、、、。
2cm上げていた肩上げを大急ぎで1cmに直し、できるだけ腕を曲げててね!と言っておいたのですが、そんなことすっかり忘れていますね。
これなら直さなくてもほとんど変わらなかったわ(苦)。

ただでさえ慣れない着物に、礼装用の高い草履では辛いだろうとウレタンの低い草履を用意していたのですが、Hちゃんには小さすぎて、結局Lサイズの草履をお母様に用意していただきました。
それさえも寸足らずで、更には足の指も長く、足袋が悲鳴をあげていました。
とにかく今時の子は何処もかしこも大きいです。

体がまだ大人の肉付きになっていないので、細長い体型が少女らしさを感じさせます。
あきらかに、子供(七五三)でもない、成人式(二十歳)にも見えない女の子が、着物を着て歩いている光景というのは何だか不思議で、だからこそ、私はこの年頃の娘が着物を着ているのが好きなのかもしれません。


徐々におとなしくカメラに向かうようになってきた二人、、、(やった〜わーい )。


しかし、ポーズが終わった途端、踊り出すわ、大股開いてハーキー(バスケのステップ?)しだすわ、、、。


おかげで着物は崩れまくりです(J.Iさん、申し訳ない、、 沈
じっとしていれば大人っぽくも見えるのに、まだまだ子供の本能に勝てないのが十三歳ということですね。

は〜、、、。


(次回に続く)


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2011年5月 十三参りの筥迫 『刺繍端切れ 菊とラインストーン』

 
表布:刺繍生地、ラインストーン
内布・玉縁:濃紅
打ち紐:濃紅
房糸:専用房糸(濃紅)、銀糸
かがり糸:濃紅
緒締:珊瑚玉
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実を言いますと、十三参りには日本刺繍で2つの筥迫を作る予定でした。
しかし一つは撮影に間に合わず、急きょこちらの筥迫を仕立てることになりました(汗)。
以前、東京目黒の「池田」で購入していた、刺繍の入った着物地のハギレです。
運良く、着物の柄とも合うものだったので助かりました。
ミシン刺繍ですが、刺繍があるというだけで、筥迫がぐっと引き立ちます。

もう一つの日本刺繍の筥迫と比べると、ちょっとかわいそうな気がしてラインストーンなど付けてみました。


あまり付けすぎると品がなくなりますが、小さくキラキラ光った方が筥迫としては効果的です。
サイビノールで接着できるので、簡単な装飾としてもオススメです。
悲しいかな今時の若い子には、日本刺繍よりもこのような装飾物の方が喜ばれるかもしれません。


びら簪は、若い子が付けるとほんとうにかわいらしく見えますね。
花嫁さんが身につけると、なんとなく色気を感じますが、頭につけるびらびら簪も、元は未婚の女性しか付けないものでした。
ちなみにこの簪は、正式には「筥迫びら簪」と言って、筥迫専用のびら簪です。頭に付けるものではないのでご注意ください。
こんなものを付けるのは恥ずかしいな〜と思うような年になったら(あくまで自己申告ですよ)、びら簪は外して房だけにするというのもステキです。



ちなみに、私はびら簪は筥迫の横幅に揃えないで、少し引き出すようにセットしています。
江戸時代の頃の筥迫や横挿しのびら簪は、平打ちの部分が完全に飛び出るような状態で飾られています。
筥迫は右半分が襟の中に隠れてしまうのですから、左半分の装飾までびら簪の鎖で隠してしまわないようにとの思いからです。


この筥迫は玉縁に濃紅色を使ったので、「濃紅」のセットを使って飾り房を作りました。
この色はそのうちショップの方にも出すつもりです。
ご要望のあった「黒」、差し色として便利な「水色」「黄緑」も順次出して行く予定です。



色合わせの種類をもっと増やしたいとは思うのですが、同じメーカーで揃えることが難しく、それぞれ「微妙に」から「かなり」まで、使いやすさが違います。
例えば、今回飾り結びに使った濃紅の「打ち紐」のメーカーではたくさんの色を扱っているのですが、つるつる滑ってほどけやすいので、結んだらすぐに糊付けする必要があり、初心者にはかなり難しいかもしれません。

千鳥掛けをするための「かがり糸」は、何と言っても絹糸が扱いやすいのですが、絹糸は高価なので在庫として数を揃えることができません。
そこで今回、かがり糸にアクリルのものを扱うことにしました。
アクリルのかがり糸は、撚りが均一にかかって仕上りは美しいのですが、こちらもツルツルすべって扱いにくい…。
初心者の方は、とにかく扱いやすい基本の「赤セット」で慣れてから、色々な色を使ってみてください。

もう一つ、今回の筥迫に使われている「珊瑚」の緒締めも出す予定です。
これまで、胴締めと落し巾着のストッパーを「ビーズ」としていましたが、実際にはこれは「緒締め(おじめ)」と言います。
これもまた回を改めてご説明したいと思います。

とにかく、材料は色々あるのですが、販売となるとなかなか難しいものがあります。
どうしてもこんな色がほしい!と言う方は、こっそり問い合わせてみてください。
裏から販売できるものもあるかもしれないというところが、小さなショップのよいところです(笑)。

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筥迫の作り方&材料販売 筥迫工房
筥迫工房へのお問い合わせどうぞこちらから
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十三参り 〜撮影〜



今年、中学生になったばかりのNHちゃん(左)とNNちゃん(右)は、保育園の頃からの仲良しさんです。

十三参り用の筥迫を作るために、数年前から撮影会の協力をお願いしていました。
この子たちが13歳になる頃、一体どのぐらいの背丈になってるのだろうと想像しながら、大人用の筥迫を縮小して作ろうかなどと考えていましたが、現在、NHちゃんは160cm、NNちゃんは155cmです。
問題なく、大人用の筥迫で大丈夫でした(笑)。



十三参りのお約束「肩上げ」は、どちらも1cmしか上げることができませんでしたが、気持ちだけでもあると初々しい感じがしますね。
髪型はアップにせず、垂らしてみました。
背丈は大人でも、どうみても成人式の振袖には見えない…というのが、十三参りの着こなしのポイントのような気がします。



十三参りには、七五三のようなキャピキャピ感も、成人式のような派手さも似合いません。
一瞬のうちに過ぎ去る切ない少女時代そのものに、子どもでもない大人でもない、そんな微妙な年頃が十三歳なのかもしれません。



場所は東京の明治神宮です。
今回、この場所に決まったのも、NHちゃんのお母さんの実家が近く、子どもの頃からお参りと言えば明治神宮だったので、十三参りもできればここでお参りしたい、とのことで決まりました。

しかし十三参りといえば、京都の法輪寺や奈良の弘仁寺のように「お寺」に行くものではなかったのか…?
更に「知恵と福徳を授かれるよう虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に祈願する」という意味において、虚空蔵菩薩が祀られているお寺に行くような…?

ところが明治神宮にも「十三詣」はありました。
どうも最近は、虚空蔵菩薩を本尊とするお寺に限らず、日頃お世話になっている神社仏閣へ参拝するという形で十三詣は各地域に普及しているようです。



境内なので、あたりさわりのないショットで…(彼女たちの視線の先には白無垢の花嫁さんがいます)。
GW中ということもあり、早朝をねらって行ったのですが、運良く人影もまばらでした。
普段は外国人が多い明治神宮ですが、震災の影響で外国からの観光客が少ないせいかもしれません。



御社殿での参拝が終わってから、明治神宮御苑に立ち寄りました。
ここは明治神宮内にありますが、入り口が目立たないため、知らない人も多いようです。
しかし御苑中にある「清正井(パワースポットとして有名)」の整理券を求める人の行列ができて、今ではそれが目印のようになりました。

御苑内はツツジもまばらで、見所の菖蒲園もつぼみでしたが、萌え出るような緑さえあれば、着物姿の娘たちがあでやかな花となってくれます。



オレンジの絞りの振袖は、NHちゃんのお母さんが十三参り用に仕立ててもらった振袖だそうです。
白っぽい着物の方は私が用意したものですが、これを着ているNNちゃんのお母さんもまた、十三参りの時に紅型の振袖を仕立ててもらったそうです。



最近は東京でも十三参りをする人が増えて来たとはいえ、それでもまだごく少数です。
ですから、東京生まれの彼女たちのお母さんが、当時、東京で十三参りをすることは、相当珍しかったのではないかと思われます。



何やら落し巾着に興味津々の様子。
筥迫を襟元に半分差し込んだら、この落し巾着を帯の中にぐっと入れ込みます。
それから筥迫を帯のところまで落し込むようにセットすると、安定して筥迫を落すことはありません。
これをしないと簡単に落ちます。
特に七五三をする年代の子は着物で走り回ったりかがんだりするので、筥迫は神社での落とし物No.1だそうです。
せっかく作った大事な筥迫をなくさないようにね。



本来の意味に立ち返えれば、十三参りは女子限定の風習でした。
自分の生まれ干支が一巡し元の干支に戻る最初の厄年である十三歳は、思春期を迎えて体が大人の女性へと変化する重要な厄よけの時期とされます。
初潮を迎えた女の子たちが大人になった証しとして、始めて本裁ちの着物を着せる。
十三参りが一般的な風習でもない東京生まれの二人のお母さんたちが、十三歳に振袖を仕立ててもらったというのは、そのまたお母さんたちの並々ならぬ思い入れを感じます。



5月に十三参りをするのは、気候的に暑く、振袖を着せるのはかわいそうな気もしましたが、本来の4月13日の頃は東日本大震災から一ヶ月あまりのことで、全くそのような気分になれなかったこともありました。
こんなことをしていていいのだろうか、、、との思いから、もっと先に延期しようかとも悩みました。
しかし、未来を担う若者たちの成長は、何よりも希望を感じさせてくれます。
前を見て歩かなければならない日本のためにも、若者たちの成長を素直に喜び、感謝し、心からお祝いしようという気持ちになりました。

ブログ掲載に快く承諾してくださった、NHちゃんご一家とNNちゃんご一家に心から感謝いたします。
そして超多忙な生活を送りながらも、いつも快く着付けをしてくれるIJさん、本当にありがとうございます!

今回の筥迫のご紹介は、また次回に、、、

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十三参り 〜十三参りとは〜

 さて、今年のRom筥の目標『十三参り(十三詣り)』の撮影がやってきました。
友人のお嬢さんで、ちょうど今年、中学生になる二人の女の子にモデルをお願いして、GW中に十三参り用の撮影(もちろん筥迫を付けて!)を行う予定です。

関西ではメジャーな十三参りも、関東では「何それ?」という人が多く、私自身も十三参りという言葉を初めて聞いたのは筥迫を作り出してからのことです。
こんな私が十三参りを語るわけにはいきませんので、とりあえずウィキペディアの内容をそのまま引用いたします。

十三参り(じゅうさんまいり)は、旧暦の3月13日(現在では月遅れで新暦の4月13日)の間、数え年13歳に成った少年少女が元服を迎え大人と成ったことに感謝して、これから先の万物の福徳と英知を授かるために、虚空蔵菩薩に参詣する行事。
それで別名、知恵詣り、または、智恵もらいとも云う。
初めて大人の寸法(本断ち)の晴れ着を着るが、事前に肩上げをしておいて着用する。帰宅するとすぐにほどく。
必ずしも晴れ着でなくて良い。

半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたため供え、ご祈祷を受けて、帰りにはお守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べる。
お守りは身につけるようにする。
参詣の帰路、本殿を出たあと、後ろを振り返ると、せっかく授かった智恵を返さなければならないという伝承があって、狭い長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまでは、または渡月橋を渡り終わるまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す習俗がある。【お参りの前に子に教えておくことをすすめる】
空海がそれによって飛躍的に記憶力を増大させたと言われる虚空蔵求聞持法に由来する。
また、13歳という年齢が元服の時期と合致するため、一種の通過儀礼として伝承された。

関西では七五三よりも、こちらの方が盛んで、中でも、京都嵐山の法輪寺・奈良の弘仁寺が有名である。 
最近では関東でも徐々に盛んになりつつあり、浅草寺では3〜5月にかけて上記と同様の参拝客が目に付くようになった。

※虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。

この十三参りを知ってから、いつか絶対に撮影をしたいと思っていました。
女の子にとって、筥迫を付けるに最もふさわしい儀式と思っていたからです。
筥迫は、典具帖(てんぐじょう)という当時の生理用品を入れて携帯するための入れ物でした。
以下は『ロリエ』のHPから引用したものですが、今は内容が変わってしまったようで、このページはありません。

江戸時代に女性が懐中して用いた典具帖とは、もむと脱脂綿状になる和紙で、美濃紙や俗にさくら紙といわれ長く使われました。一帖:50枚を、1月経期間に使ったそうです。江戸時代、成人女性はこれを箱迫に入れて身につけていました。 〜中略〜 月経の手当に使う紙を入れていたので、成人女性のしるしでもありました。

筥迫は『紙入れ(紙挟み)』から進化した形なので、平安時代の頃から使われていた典具帖は、正確には筥迫というよりも、紙入れに入れて使っていたのだと思いますが、江戸中期以降、筥迫というものが登場して、より大人の女性を象徴する物になったのかもしれません。
現在では、十三参りと言えば「合格祈願」や「卒業・入学祝い」の意味合いの方が強いような感じがしますが、もともとの意味は、ちょうどこの頃に初潮を迎える女の子ための成人儀式だったのですから、十三参りに筥迫を使うのは最もふさわしい!という思いがありました。

一般的に筥迫と言えば、七五三か花嫁さんという印象があります。
十三参りが関西の風習ならば、七五三は関東の風習です。
七五三という言葉が使われるようになったのは明治の頃からで、今のように一般的に祝われるようになったのは大正以降のことだそうです。
その頃は、武家の花嫁スタイルを再現した黒引きずりや筥迫が流行していたので、七五三スタイルは自然と花嫁衣装を模した形になったのかもしれませんが、七五三の筥迫はあくまでお飾りでしかありません。

「智恵もらい」の儀式と一緒に、大人の女になった証しとして、本身裁ちの着物を着せ筥迫を持たせることは、十三参りを迎える女の子たちに自覚を持たせるとてもよい機会になるのではないかと思います。

今はGWのお天気がよいことを願うばかりです。
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