『筥迫工房』のブログ 筥迫の作り方と材料の販売 筥迫!箱迫!箱セコ!ハコセコ!はこせこ! 管理人:Rom筥
ワークショップ準備以前から怒濤の忙しさで、
「はい、葉っぱ見て〜」と言うと、まじめに葉脈の数を数えていました(笑)。
この筥迫は、10月のワークショップ『びら簪付き筥迫(装飾・応用)』で、折り襠付きで作ります(経験者対象)。
娘の半襟は絞りの羽織をといた端切れを使いました。
帯締めは、当初古い紅絹で作ったのですが、「できた〜!」と左右に強く引いた途端、ビリッ!布が裂けました、、、。
しかたなく、手元にあった赤い縮緬の半襟を縦半分に切ってつなげることに。
ワンポイントの小さな刺繍が入っていたので、うまく出るように配置して縫い合わせました。
日本刺繍を施した筥迫を何十倍も際立たせてくれるのが、ゴージャスなびら簪です。
このびら簪は昔のものですが、現在の物よりも下がりが3.5cmほど長く、鎖の本数も多いので、筥迫とのバラスンスもいいです。
いつかこの頃のびら簪を再現して販売するのが私の夢です。
去年、今さらながら娘の七五三時の写真をアップしましたが、あれから6年あまり経ちました。
懐かしの七五三と私の筥迫黎明期
娘の七五三を切っ掛けに筥迫を作り始めたので、娘の成長は私の筥迫の歴史でもあります。
やたらと成長した感のある娘ですが、私の筥迫も同じぐらい成長したのでしょうか。
あの頃の筥迫は堂々と公開できるシロモノではありませんが、次の目標は娘の成人式。
その時になったら、私の筥迫がどのぐらい進歩したか、皆さんに判断していただきたいと思います。
Hちゃんの筥迫は帯地で作りました。
あいかわらず作るのが難しい帯地です。
帯地は厚くて折り返しができないので、玉縁は包み(くるみ)玉縁です。
この玉縁は、表布と玉縁用布と厚紙を一緒に縫って、縫いはしを包んで裏に折り返すので(パイピング)、当初は縫い玉縁、被せ玉縁と色々な言い方をしていましたが、最近は「包み(くるみ)玉縁」で落ちつこうかと思っています。
帯地だけではさみしかったので、飾りに「メタルスタッズ」を付けてみました。
ラインストーンはあまりにも存在感がありすぎて、少しでも付け過ぎると嫌らしくなりますが、メタルスタッズはそれほどの派手さはなく、作品に立体感を与えてくれるので、筥迫には使いやすいかもしれません。
しかし、付け過ぎてしまった感がなくもない、、、。
帯締めは絞りなので、帯の上に広く出すのが一般的ですが、私は筥迫に一番に目が行ってほしいので、帯揚げは中に入れることにしています。
筥迫がしっかりした帯地なので、房はがっつり系の「撚り房」にしてみました。
この日はかなり風が強かったのですが、ゆっくりと揺れる撚り房に対し、切り房の動きの激しさよ。
うちのうるさい娘にはお似合いでしたが(笑)。
本来、切り房は、儚げに揺れる様が美しいんですけどね。
びら簪は「横挿し」にしてみました。
私はこの横挿しが好きです。
頭部分が全面見えて、鎖も二重に見えるという挿し方なので、びら簪がより印象的に映ります。
決してイレギュラーな挿し方ではなく、薄い実用筥迫などではよくこの横挿しが使われていて、本体横に簪挿しを縦に差し込む口があります(これは8月のワークショップ『二つ折小被付き筥迫』で作ります)。
今回の筥迫は横挿し用ではないのですが、中の段口の上あたりに挿し込んで頭部分を筥迫本体にやや被るように入れると、しっかりと固定し、全体的に馴染むと思います。
本来は、横挿しにすることで、びらの配置が平打ち型の楕円になるのですが、このびら簪は横差し状態で横並びになっています。
これは平置き状態で、びらが楕円型になるように作られているからです。
これぞ!と思う筥迫を作ったら、是非この横挿しにも挑戦していただいて、ドーダ感をお楽しみいただければと思います。
着物を着ていると人を見かけると、ついつい目で追ってしまいます。
これが振袖ならば、よく見なきゃもったいない!ぐらいに思ってしまいます。
そういう意味では、着物は見ている回りの人をも幸せにしますよね。
そして、おば樣方には必ず声をかけられます。
今回もそう踏んでいたのですが、実際に声をかけてきたのは男性ばかり。
それもおじいちゃん率が高かった。
「かわいいね〜〜。成人式じゃないよね?何の日??」
コンビニのお兄ちゃんからも
「今日って何かあるんすか?かわいいっすね〜」
後日、実家の父に娘が着物を着たことを話すと、
「この日はデイサービスに行っていたから、ちょっと寄ってくれればよかったのに。」
男性陣も着物姿には萌え萌えのようです。
着物って幸せな文化だな〜と思います。
十三祝いと筥迫の儀
私の頭の中では、十三参りといえば京都の法輪寺というイメージが強かったので、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」に参らねば十三参りじゃない!ぐらいに思っていました。
ところが前回の十三参りでは、親御さんの意向から、繋がりの深い明治神宮でお参りしました。
よく考えてみれば、七五三でも檀家の方はお寺に行くでしょうし、自分に馴染みの深い神様(日本的に言えば)にお参りするのは至極当然のことです。
虚空蔵菩薩に意味があるのは、自分の好きな漢字一文字を供える「知恵詣り」があるからで、厄払いだけならどこでやってもいいんですね。
しかし、教会では「厄払い」なんて概念はない、、、。
筥迫に携わるようになってから、私には十三参りは特別な思い入れがありました。
筥迫が出現したのは江戸の中期頃で、紙入れに華美な装飾を施し、より豪華にするために薄い箱ほどの厚みを持たせました。
たぶん厚みで落ちやすくなったので、ストッパーを兼ねた胴締めを付けたものと思われます。
江戸時代に女性が懐中して用いた典具帖とは、もむと脱脂綿状になる和紙で、美濃紙や俗にさくら紙といわれ長く使われました。
一帖:50枚を、1月経期間に使ったそうです。
江戸時代、成人女性はこれを箱迫に入れて身につけていました。
〜中略〜 月経の手当に使う紙を入れていたので、成人女性のしるしでもありました。
これは、以前『ロリエ』のHPに掲載されていたものです。
現在、このページはありませんが、ロリエがこの内容をどの文献から参照したのか知りたくてずっと探しているのですが、未だに見つけられません。
なので真偽のほどはわかりませんが、私にはとても印象に残る内容でした。
十三参りは、生まれたときの干支に初めて戻る年であり(干支が一巡する)、最初の厄年に当たります。
体が大人へと変わる頃であり、女の子がちょうど初潮を迎える時期でもあります。
私の頃は、初潮を迎えると親がお赤飯を炊いてくれました。
「何で今日はお赤飯なの?何で?何で?」と騒ぐ兄(年子)に対し、母と父と私はうつむいて答えず、ただ黙々とお赤飯を食べました。
ものすごく気まずい思い出しかありません(笑)。
最近は、子供がすごく嫌がるという事で(ほとんどセクハラ?)、我が家でもお赤飯は炊かず、おめでとうも言わず、普通の日として過ごしました。
ただ夫から「何でお赤飯炊かないの?何で?何で?」と言われ困りました(笑)。
江戸時代、筥迫を持てるということは、高位の女性を示し、更には大人の女性の印であったということを考えると、筥迫がどんなに誇らしい装身具であったか想像に難くありません。
堂々としたきらびやかな筥迫はその象徴なんですね。
ですから、お赤飯で大人になったことを証明される恥ずかしさよりも、美しい筥迫で証明された方がずっと大人になる誇らしさを感じてもらえるのではないかと思ったのです。
ちなみに、関東では十三参りの風習は一般的ではありませんが(知っている人はごく少数)、沖縄などでは実際に「十三祝い」という形で家族や身近な人たちとお祝いをするそうです。
子供と大人の境を、気持ちの中に作らせるにはいい機会です。
よくよく言い聞かせて、大人になるための段階を踏ませる。
そのために筥迫を象徴とするのは、とても意味のあることだと思います。
お参りに行かない代わりに、子どもたちを前に座らせて、筥迫を身につける意味を伝えたかったのですが、娘に「そんな話、もうしつこいほど聞いた〜〜」と言われ、あえなく玉砕、、、。
私が思い描いた筥迫の儀、どなたか実現していただければ幸いです。
また、十三祝いを機に、大人として「末広」も身につけさせたかったのですが、お参りもしないし結界を作る対象もなかったので、残念ながら今回は持たせませんでした。
十三参りに末広をつけるかどうか悩んだら、十三参りなら神仏に関わることなので末広を身に付けさせ、十三祝いを家族や身近な人だけで祝うのであれば末広はなし、と考えるといいかもしれませんね。
七五三で筥迫作りを体験した方には、次回は是非十三参りの筥迫作りを目指していただきたいと思います。
七五三では作ることがやっとだった筥迫も、お嬢さんの成長とともに腕を磨き、立派な装飾を施した筥迫を作ることを目標にしましょう。
ダラけた十三歳の娘でも、ドーダ感満載の筥迫を身につければ、それなりに立派な女性に見えるというものですよ。
いや、もう強制的に「あなたはもう大人の女性になるのよ!」と、思いっきり背伸びをした大人感覚で身に付けさせていただきたいです。
撮影が終わり、これまで撮った画像を見て大笑いしています。
Hちゃんママと二人でお互い400枚以上撮影して、ほとんどがおふざけショットばかり。
デジカメの世の中でほんと良かったですよ。
娘はバスケ部で汗を流す生活なので、毎日「髪切りた〜い」が口癖。
なんとかこの撮影まで髪を着ることは禁止していたので、撮影後、着物を脱ぐと二人でダッシュで美容院へ向かいました。
窮屈な着物と慣れない撮影、うっとおしい長い髪ともお別れをして、今は相当な開放感だと思います。
そして私はというと、もう長すぎて疲れたよ、パトラッシュ、、という心境です(笑)。
これが終わったら少し休んで、次の新しいものを作る気力を養おうと思っています。
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刺繍作家の武部由紀子さんが、江戸筥迫を公開してくださいました。
筥迫工房に仕立てをご依頼いただきました。
明日から始まる、京都高島屋「わざの美・現在展」に展示される予定だそうです。
武部さんのブログに公開されているのでリンクさせていただきます。
『ぬう 日本刺繍 / 江戸型筥迫「月明 げつめい」』
お近くの方、是非足を運ばれてはいかがでしょうか?
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十三参り(じゅうさんまいり)は、旧暦の3月13日(現在では月遅れで新暦の4月13日)の間、数え年13歳に成った少年少女が元服を迎え大人と成ったことに感謝して、これから先の万物の福徳と英知を授かるために、虚空蔵菩薩に参詣する行事。
それで別名、知恵詣り、または、智恵もらいとも云う。
初めて大人の寸法(本断ち)の晴れ着を着るが、事前に肩上げをしておいて着用する。帰宅するとすぐにほどく。
必ずしも晴れ着でなくて良い。
半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたため供え、ご祈祷を受けて、帰りにはお守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べる。
お守りは身につけるようにする。
参詣の帰路、本殿を出たあと、後ろを振り返ると、せっかく授かった智恵を返さなければならないという伝承があって、狭い長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまでは、または渡月橋を渡り終わるまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す習俗がある。【お参りの前に子に教えておくことをすすめる】
空海がそれによって飛躍的に記憶力を増大させたと言われる虚空蔵求聞持法に由来する。
また、13歳という年齢が元服の時期と合致するため、一種の通過儀礼として伝承された。
関西では七五三よりも、こちらの方が盛んで、中でも、京都嵐山の法輪寺・奈良の弘仁寺が有名である。
最近では関東でも徐々に盛んになりつつあり、浅草寺では3〜5月にかけて上記と同様の参拝客が目に付くようになった。
※虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
江戸時代に女性が懐中して用いた典具帖とは、もむと脱脂綿状になる和紙で、美濃紙や俗にさくら紙といわれ長く使われました。一帖:50枚を、1月経期間に使ったそうです。江戸時代、成人女性はこれを箱迫に入れて身につけていました。 〜中略〜 月経の手当に使う紙を入れていたので、成人女性のしるしでもありました。