『筥迫工房』のブログ 筥迫の作り方と材料の販売 筥迫!箱迫!箱セコ!ハコセコ!はこせこ! 管理人:Rom筥
前回の縢襠筥迫基本型「簡易式」に続いて、今回は「古式」をご紹介いたします。
同じ布で作ったので三点とも外観はほぼ同じように見えますが、本式(中央)を基準にして比べると、
・簡易式(左)→天面の簪挿しがない、本式の2/3の厚み
・古式(右)→被せが短い&本体の幅が気持ち長め、胴締めの幅が狭い、二層式で厚みは本式と同じ
ぐらいの違いです。
横から見ると、右の古式には「襠(マチ)」が付いていることがわかります。
中央の本式は「三ツ折り&紙入れの二層式」までは古式と同じですが、すでにマチはなくなっています。
そして左の簡易式に至っては「紙入れのみ」と、次第に簡略化されていることがわかります。
しかし中央の本式も元を正せば簡易式の一種なのです。
大正三年に発行された「嚢物教科書」には、ここで本式といっているマチの付かない型を「簡単箱迫」といっています。
第一節 簡單箱迫(小物一式付)
箱迫は其種類極めて多く、上巻に説明せし紙挿の如きは之の略したるものなり。此處には普通なる襠の付かざるものを説明すべし。
されども裁方仕立方共に複雜にて前の紙入鏡入の比にあらず。
細事に注意して造るべし。
「紙入れのようなものはこれ(筥迫)を簡略化したもの」と書いてありますが、紙入れの歴史の方がずっと長いので、「紙入れを複雑化したものが筥迫」というのが正しい。
筥迫の種類が極めて多いと書いているのも、筥迫前身である「東小町」がヒットしたことにより、それまでに多様な種類があった紙入れを二層式に改良して、そこに胴締めや小物一式を加えて筥迫としたものがたくさん出てきたのではないかと私は考えています。
ここでは2種類の筥迫が解説されていますが、「簡単(簡易)」ではないもう一つの筥迫がどんなものかといえば、それは今回「古式」としたマチ付き(マチ入)の筥迫です。
第七節 襠入箱迫
此箱迫は前に説明せしものに襠を入れたるものにて、従つて其仕上り、立派なり。されども裁方も、仕立方も、前のよりは稍(やや)複雑にして手際を要するものなり。
これが当時の「襠入筥迫」です。
ヤフオクやメルカリでもよく出てくるので、お持ちの方も多いのではないでしょうか。
(鏡の位置は、三ツ折りの被せ下側に付くものも有)
このスタイルのものは、基本的に「綿」は入っていません。
正直野暮ったい仕立てなので本当に職人が作ったんかしらんと思ってしまいますが、女学校の袋物の授業で習った人が内職するなんてこともあったようなので、それが現代で流れているなのかなと思ったりもしています。
「嚢物」というカテゴリーを扱っていると、つい古いものが正しいというバイアスがかかってしまいがちですが、私はこの時代の筥迫よりも、装飾性を極めた本式の仕立てが一番綺麗だと思っています。(大正後半から戦前までは、確実に専門の職人が作っていたと思いますし)
襠物(マチモノ)
筥迫の属性は、懐中物>紙入れです。
「紙入れ」というのは別名「襠(マチ)もの」と言われ、基本はマチが付くものです。
マチは物を入れるための「実用」を意味します。
現代の筥迫の原型は明治時代に派生した「東小町」ですが、これも何某かのマチが付いていたと思われます。
東小町の説明には、
此の紙入の中の拵へは鏡付にて七道具入るゝにも便利なる事言ふ迄もなく
疊みたる其の外側には鼻紙を入るゝ様になり居れり (風俗画報第 明治29年発行)
「七つ道具」が入って便利だというぐらいですから、さすがに「折り襠」ではなく「箱襠」ぐらいはあったかと思いますが、元々は実用品として考案されたものと考えられます。
左の「簡易式」は縢りマチにそのまま被せが付いていますが、右の「古式」は前面層を三ツ折りにはせず、あえて折り襠と持出口のみにしています。
本来の江戸型筥迫も前面層は三ツ折りではなく「箱襠」になった作りが基本なので、実際にこんな形もあったのではないかと思っています。
ちなみに、本式の鏡の付いた三ツ折り部分を「あがき」というのですが、マチがなく袋物の体を成さない形を蔑んでいったのか?などと考えてしまいます(あくまで私見)。
それならばこのマチが付いた古式スタイルを本式にすればいいと思われるかもしれませんが、マチが付いていた頃は筥迫多様化の時代であり、定型はありませんでした。
それでも筥迫であると認識されたのは、「胴締めと緒で繋がれた巾着」と「簪差し」「小物一式」が共通していたからです(だから筥迫には胴締めが必要なのね)。
最終的に「あがき」スタイル(簡単筥迫/ここでは本式)に踏襲され、これが一般化して100年ほど経過し現在に至ったことを考えると、あがき型が「本式」で、今回のマチ付きを「古式」にするのが妥当と考えました。
実用から形式的な装身具へ
マチが実用だとしても、あくまで懐中物なのでそれほど多くのものは入りません。
そもそも当時の人々はそれほど多くのものを持ち運びませんでした。
日本初の鉄道が開通したのが明治5年、それまで旅人は一日十里(約40km)は歩いたそうなので、箱根駅伝のスタート地点から戸塚中継所まで(1区間20kmで二区間分)の約10時間程度を1日で歩いていたと考えられます。
しかし、現代人のように大きな荷物を持っていてはこの長い距離を移動することはできません。
懐中物や提げ物、ちょっとの荷を風呂敷に入れて背負うというように、袋物を体に密着させてできるだけ負荷をかけないようにして荷物を持ち歩いたのでしょう。
日常生活でも徒歩で行ける範囲内で行動していたでしょうし、小さな懐中物に少しの七つ道具を入れるだけで実用と成り得たのだと思います。
日清戦争の頃に、江戸型筥迫からの再来である東小町と、新しい手提げスタイルの信玄袋が流行しますが、その後この二つは明暗が分かれます。
鉄道網の発達により大きな荷物を持って遠くまで移動することができるようになると、それほど体に密着せずとも袋は持ち歩けるようになります。
そして信玄袋型の手提げ巾着は女性にとっての必需品となり、それに比べちょっとの物しか入らない懐中物は一気に需要を減らしていったようです。
その中でなぜ筥迫だけが現代まで生き残り続けられたのか?
それは筥迫の三ツ折り部分から実用性(マチ)を取り除き、装身具としての美しさだけを追求することにより、時代に左右されない花嫁衣装のアイコンとしてその地位を勝ち得たからです。
ちなみに筥迫工房では現代の筥迫のことを「縢襠筥迫(かがりまちはこせこ)とよんでいますが、実は袋物の中で縢りはマチ扱いはされていません。
ただ筥迫の属性は紙入れなのにマチがないのはヘン!と考えて、この縢りをマチに見立て、他の筥迫型と区別するために付けた名称ででした。
古式は昔の筥迫を参考にしつつ、気持ち横長で、被せは短め、胴締めも幅が狭くその耳は半円形です。
(サンプル作りで山ほど試作したものなので、内布の柄向きは無視しています。許して、、、)
これだけ「襠(マチ)」を語って、できたものがこんな単純な折り襠型なのですが、そりゃあ厚みを気にしなくていいなら、いくらだって変わったマチの懐中物を作りたいですよ。
あ〜いつか厚みなんて気にしなくていい、マゾ的に凝りまくった変形マチの男物の紙入れを作ってみたい!(どこにも需要はないけれど)
厚みとの戦い
「古式」は実用を意識しつつ、何をどう入れるかを考えました。
まず、筥迫に付き物だった「鏡」を前面層に嵌め込むことができなかったので、懐紙を減らして「紙入れ」に入れることにしました。
幅の狭い紙入れから「鏡」を取り出すのは難儀なので、引き出しのための「ち」を付けました。
そして昔の七つ道具に倣って、自分にとってあれば便利なもの(ただしカード型に限る)はないかと考えてみました。(さすがに七つは入らないけどね)。
そして私なりの三つ道具は、鏡、カード型の「ルーペ」と「定規」に決定!
物を設計して作る人間は常にどこかを測っているものなので(笑)「定規」は私にとって必需品です。
もう一つの「ルーペ」は、そりゃもう私の年代なら、あれば絶対に便利というものですよ(笑)。
カード型は薄くていいのですが、どれもこれも逆さにして取り出すのはスマートではないので、鏡の背を単純な挟み型にして、そこに挟んで鏡と一緒に取り出すことにしました。
最後に、この古式は天面の「簪挿し」を取り外して使うこともできます。
綿を入れない分、柔らかい雰囲気を出したかったので、胴締めと本体胴の角をなくして全体的に丸みを持たせています。
角がないので下にずらしてもそれなりに収まるので、カジュアルな筥迫として使うこともできるという、古いようでもあり、新しさもある筥迫です。
<お知らせ>
『婚礼用和装小物』の教本の割引期間が終了します。
3月1日からは通常価格となりますので、必要な方はお早めにご注文ください。
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