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江戸時代の袋物描写(1)

ここのところ講習会のシステムが代わったり、教室が始動したりで毎日がバタバタしております。

そのためブログがちょっと遅れがちです(許されよ)。

 

実際にはそれ以外にも色々なことが動いていて、ブログに出せるものは少しずつ出していきますが、出せない事案も多々有り、ちょっとジレンマです。

 

そんな中、以前「鏑木清方」の企画展をご紹介くださったNN(ぬぬ)さんと浮世絵の中の袋物描写についてやりとりをしていたのですが、その中でいただいた画像を何回かに分けて皆様にご紹介させていただきます。

 

『風俗三十二相〜奥女中の風俗』月岡芳年(つきおか よしとし)

 

筥迫工房が扱う日本固有の袋物細工とは、現代ではほぼ途絶えてしまった文化です。

筥迫や念珠入れのようなものは微かに残ってはいますが、これもあくまで型を真似ているだけで、昔ながらの考え方で作られたものではない。

 

消費の時代の袋物と、その物に命が込められていたような袋物とでは、見る者に訴える力は雲泥の差があります。

 

西洋文化が怒涛の勢いで日本文化を飲み込んでいった維新後の明治期は、その反動で日本固有の文化が復古するという流れが起こり、より洗練された日本趣味の工芸的作品が多々作られました。

 

対してまだ西洋文化に犯されていない江戸時代の袋物は、生活に密着したあからさまな日本趣味にさえ思えます(もちろん当時の人はそんなこと思ってもいないでしょうが)。

 

それが最もわかるのが「浮世絵」です。

 

江戸時代の浮世絵の中にはそこここに袋物の描写があり、それを見つけるのも楽しく、都度喜んで保存していましたが、それはあくまで偶然見つけたものに限ります。

浮世絵の中からピンポイントで袋物を探すのは広大な海の中から魚を釣るようなもので、数点保存するのみで置かれていた分野でした。

 

しかし鏑木清方の作品から昔の袋物に興味を持ったNNさんは、この浮世絵の海に飛び込んだようです。

浮世絵の中の袋物を探して骨董屋巡りもされているそうで、以前講習会でも貴重な浮世絵を何枚も持ってきてくださいました。

NNさんは元は清方から遡って浮世絵にたどり着いたそうです。

 

別方面でも、かなりマニアックな種類に特化して浮世絵の中の袋物を探しまくっている方々もいて、お仕事で私もプロジェクトに携わっているのですが、残念ながらこちらはあくまで社外秘。

 

快く皆さんに資料を共有してくださるNNさんはありがたい存在です。

(以下は私が集めた画像も含まれます)

 

 

江戸型筥迫

 

まずは何と言っても筥迫ですが、TOP画像は筥迫モチーフとして有名な浮世絵ですが、ド派手な筥迫びら簪に目が行きます。

 

この時代の筥迫は現代のものと違いかなり大きなものです。

小さなクラッチバッグぐらいあります。

 

そして、なんで襟元がこんなにぐずぐず?と思いますが、これでこそこの大きな筥迫が入るというもの。

『月百姿』月岡芳年

 

「もう急いでるのに、肩出ちゃうわ」という図に見えなくもない(苦笑)。

 

 

 

紙入れ(鏡入れ)

 

先に筥迫モチーフの浮世絵からアップしましたが、筥迫なんてものはこの時代でも一般的なものではなく、庶民に身近な女持ち(めもち)の袋物といえば圧倒的に「紙入れ」(鏡入れ)でしょう。

 

「美人画」渓斎 英泉(けいさいえいせん)

 

華鎖(ストラップ)が付いているので、これはほぼ鏡が入っていると見ていいと思います。

このような紙入れは、現代でいえば「あたしブランドバッグを持ってるのよ〜」と見せつけているようなものだったのではないでしょうか。

 

懐紙をただ巻いて入れているだけの人もありで、下図のようにズボッと帯に差し込む姿は一般的だったと思います。

現代人にはやたら大胆に見えますが。

『布袋屋店先』歌川豊国(うたがわ とよくに)

 

時代劇のドラマもこのぐらい忠実にやってもらいたいものですが、やらんでしょうねぇ(笑)。

 

『潤色三十六花撰 新ばしいでのや徳治』豊原国周 (とよはら くにちか)

 

帯締めみたいのもしているし、いいとこの奥様が出かけるときは身だしなみの紙入れは欠かせないのよという感じですかね。

こんなに着付けずるずるなのにね。

 

軽子(御運びさん?)も紙入れでおしゃれを楽しんでいます。

『深川の軽子』月岡芳年

 

庶民も紙入れを通常使いしていたかというと、浮世絵の中の女性たちが必ずしも紙入れを身につけている訳ではないことから、絵師も紙入れを身につけたおしゃれな軽子の姉さんがいることに感心して浮世絵の題材に用いたのではないでしょうか。

 

当時の女性たちはしっかり稼いで自立していたそうなので「あたしが稼いだ金で紙入れぐらい買って何が悪いの?」とでも言っていそうな面持ちです(超妄想)。

 

 

日々古い資料を探して江戸と現代を行き来するような環境にいる私には、この絵はスマホを振りかざした現代のギャルにさえ見える。

『東京三十六会席 柳はし』豊原国周

 

 

「紙入れ」なのに紙は入れずに外に巻くとはこれ如何に、と言ったところですが、当時は紙入れに高価な裂や革を使っていたので、これを保護する目的で紙を巻いていたのです。

 

現代人からすれば考えられないことですが、当時紙入れがどれだけ貴重で大事に扱われていたかがわかるというものです。

 

 

 

鏡入れの中の鏡

 

この紙入れから出ているストラップのことを『華鎖(はなぐさり)』(もしくは「ぶら」)とも言いますが、これは鏡にこのように付いていました。

 

『美艶仙女香という』

 

当時の鏡は「銅鏡」です。

鏡の裏には浮彫りされた文様が施され、その中に小さな「ち」(穴の開いた突起)があり、そこに華鎖を引っ掛けたようです

 

そういえば私もこんなの持っていたなと思い出し、サンプルの箱をかき回して見つけました。

これは「ち」に紐で繋いでいますが、当時は環を使っていたかもしれません。

これはけっこう小さいので維新後のものかもしれません。

 

 

 

筥迫か鏡入れか?

 

華鎖は一本立ちから三本立ちの鎖様のぶらが一般的なようですが、中にはこんなにゴージャスな華鎖を付けた絵もあります。

ド派手ですねぇ〜。

 

『亀戸乃藤(団扇絵)』豊国(三代)

 

これは「胴締華鎖」といい、筥迫の胴締め部分が華鎖でできているんですね。

胴締めというのは筥迫特有というものではなく、筥迫の以前からあったものです。

 

こちらは以前ご紹介した『なごみ 特集:江戸の粋と洒落(1998年2月号 )』の画像ですが、左上の紙入(鏡入)に巻かれた五本立ちの鎖が胴締華鎖です。

 

実際にはこのように直接紙入れに巻くと本体の装飾裂(こちらは相良詰)を傷めてしまうので、紙入れに懐紙を巻いて保護し、その上から華鎖で留めました。

現代で私たちが見ているものはあくまで展示用にしているだけで、本来は白い紙に派手な華鎖が巻かれていたのです。

 

そして外出時にはこの華鎖を外し、鏡の裏に付けたか、どこかに挟んだのか、いずれにせよ「ぶら」のように垂らしたのです。

 

これだけ派手な鎖を人に見せつけないのはもったいないという気持ちもわからないではないですが、それにしても大胆なこと。

頭が派手なのでバランスは取れるのでしょうが、そう考えると私たちの生きている時代は実にシンプルだと感じます。

 

 

こちらは役者絵ですが、筥迫様のものを入れています。

「役者絵 (三枚続)」:豊原国周

 

先ほどから紙入れを縦に入れたり横に入れたり様々ですが、横入れで華鎖や胴締華鎖を付けた物が果たして筥迫か?と言われればちょっと微妙です。

 

まずこの時代の筥迫の「定義」ですが、

 

1)前面箱型、背面紙挟みの二層式

2)胴締めと落しが付く

3)装飾に凝っている

 

現代でも筥迫を定義する上で二番目の胴締めの存在は大きいのですが、ここではあえて「本体と共布」であると考えます。

本体と胴締めの「柄合わせ」が何より筥迫装飾の華なので。

 

しかしこれをよ〜く見ると背面が紙挟み形式にはなっていない。

つまり箱襠の紙入れに懐紙の束を重ねて、それをただ胴締華鎖で留めているだけ、ではないかと思うのです。

 

ぶらとしての華鎖もついているし、つまりこれは筥迫を模した鏡入れではないのかということ。

 

役者はあくまで庶民。

実際の筥迫は知らないけど、舞台で使うならこんなもんで良くね?ぐらいかと。

それを見たファンの婦女子が同じ格好を真似する。

 

こちらも今時の女子も喜びそうな、玉を連ねた豪華な胴締華鎖。

素敵ですがこんなもの絶対武家の人は使わない〜。

あくまで役者さんが舞台映えする小物を作らせたのではないんじゃないでしょうかねぇ。

 

『政岡 沢村田之助 』(役者絵・団扇絵:国周

 

珍しく房が付いていますが、この時代は鏡も嵌め込みではなく個別に入れていましたし、この房も筥迫についているというよりも、たぶん栞に付けた房を外に出しているだけではないかと思われます(房付きの栞は今でもたくさん残っています)。

こんな使われ方を他で見たことがあるので、たぶんこれが現代の筥迫房になったのではないでしょうか。

 

 

以上はあくまで私なりの勝手な見解なので、あしからず。

 

 

ちょっとサボっていたので、今回はかなり力入れてみました。

 

それでは本日はこれまで。

 

 

 

 

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鏑木清方と筥迫

今回は、以前からブログで取り上げたいと思っていた「鏑木清方(かぶらききよかた)」について書きたいと思います。

 

さじき(昭和20年頃)

 

鏑木清方(1878年〜1972年)は、明治から昭和期を生きた画家で、伊東深水、上村松園と並ぶ三大美人画家として有名です。

 

なぜ清方なのかと言いますと、とにかくこの人の絵の中には「筥迫」がよく出て来るからですね。

 

私が一番初めに清方の絵に興味を持ったのは、上の「さじき」という作品で、少女の胸元に覗く赤い懐中物がとても印象的でした。

 

モデルの時代背景が明治頃とすれば、びら簪が付いていないので筥迫ではない。

三ツ巻きの紙入れが箱型なところが、衣装づけとして少々意図ありげです。

 

同じ美人画家でも、伊東深水と上村松園の作品で明らかな懐中物を探したのですが見つからず。

 

浮世絵でリアルな筥迫はよく時々見かけますが、日本画でここまで精密に筥迫のディテールを描いている作家はあまりいません。

 

花見幕(1938年)  

 

いやん、田楽型のびら簪♡

 

江戸時代の筥迫は「簪挿し」はないので、筥迫から完全に飛び出るように挿します。

だからすごくびら簪が目立ちます。

 

清方の作品の中の懐中物は、人物設定によって使い分けをされているので、そんなところを見るのも懐中物好きにはたまらん楽しみです。

 

今回、初めと終わりの画像を除いて、あえて懐中付近のみ切り取って引用的に掲載させていただいています。(全体をそのまま使うのもはばかられるので、、)

ご興味のある方はそれぞれの全体像を探してみてください。

とても美しい作品です。

 

 

 

清方の父親は毎日新聞の創始者の一人で、ジャーナリストでありながら作家としても活躍した人物だそうです。

 

清方自身も小説家を目指すものの、父からは画家としての道を勧められ、17歳の頃から当時父が経営していた「やまと新聞」で「挿絵」を描き始めます。

 

美人画でありながら、細密な描写で風俗を描いた画家と言われたのは、文芸に寄り添った挿絵画家という道が出発点だったからなのでしょう。

 

春宵(江戸中期の御殿女中)  

 

この作品では「落とし巾着」を出していますが、江戸時代の人は中に入れています。

なぜならこの時代の筥迫は大きく、中に物を入れて半壊中すれば簡単に落ちてしまうので、ストッパーとしての落としは必須でした。

 

維新以降の筥迫は、江戸から30年ぐらいのブランクを経た後に復活しているので、その時点でかなりサイズも小さくなっていましたし(絵の中の筥迫も実際の江戸型よりかなり小さい)、すでに落とし巾着の意味もわからなかったようで、明治頃の写真には巾着を出しているものをよく見かけます。

 

巾着を出していいとか悪いとかの議論は昔からありますが、筥迫がより小さくなり江戸の物より落ちにくくなっているとは思いますので、着物を着慣れている人の動き方であれば落とさないかもしれません。

私としてはせっかく作った筥迫を落としたくないので、巾着は帯に入れることをお勧めはしますが、「入れないのは間違い!」とまでは言わなくていいんじゃないかと思っています。

 

御殿女中は「びら簪」も付けていないで、時代考証という意味では曖昧だったかもしれませんが、筥迫の襠は本来の「箱襠」で描かれているので、やはり江戸時代の筥迫を描こうとした意図は大いに感じられます。

 

びら簪を横挿しにして、重さで下がっているのもやけにリアルです。

 

 

衣装づけ

 

「近代日本の身装文化(高橋晴子著)」の「明治中期の新聞小説挿絵」について書かれた箇所から引用させていただきます。

 

新聞小説挿絵の身装についての指示性は、端的にいえばキャプションつきの絵ということだが、その時代の小説作家たち一般の、登場人物の身装記述の熱心さによって、その重みを倍増している。

 

こうして衣装づけは、本格的な長編小説の女主人公にもなると、一段の行数の4分の1にも達することがめずらしくない。

 

ここでいう「衣装づけ」とは、その人自身を明確に表現する着こなしのような感覚だとは思いますが、毎日違う服を着ることが当たり前になっている現代人と、江戸、明治、大正時代の衣装付けでは、その感覚というか重みが全く違います。


花ざかり

 

この手に隠れるように描かれている筥迫が、ことさらその物を主張しているところがにくい。

(でもびら簪の挿し位置は近代風)

 

この時代のひとがそれほどまでに衣装づけに執着した理由のひとつは、現代とくらべると、着衣、髪型による人間の類型化、すなわち枠付けに、かなりの妥当性があったためだろう。

やや突飛な事例だが、新聞紙面の片隅に散見する行き倒れのひと、自殺者など、すべて身元不明の記事には「商人体の男、、、」等とあって、ときにはふんどしの色までのくわしい衣装づけのあることがふつうだった。

ひとが身につけるものに対するつよい執心は、この時代、衣類の資産価値がまだまだ高かったため、という理由も考えられる。

人並みの暮らしをしている勤め人や、小商人の家庭では(も)、もっている衣類の種類も数も現代とくらべるとはるかに少なかった。

一枚の着物を繰り回すことは、美徳というよりも必要からだった。

気に入った普段着は、縞模様がまるでその人そのものにみえるくらい、ひざがぬけるまで着ることもめずらしくはなかった。

 

夏の武家屋敷(1957年)

 

こちらはただの紙挟みのようですが、耳かき付きの簪を挿しています。

 

例えば明治・大正期の作家であると、第二章3で述べたように、作中の人物についてはふつう詳細に衣装づけするものだったから、その方面の知識も趣味も豊かで、遺された関連文章がわずかであっても、傾聴すべき事実は多々ふくまれている。

作家としてはとくに身装関連の文章を多く書いているのは、長谷川時雨、平山蘆江、与謝野晶子、宇野千代、森田たま等である。

作家以外では、新派の河流章太郎、画壇では洋画家の木村荘八、そしてとりわけ鏑木清方だろう。

 

 

これは清方の「魔風恋風(明治36年)」の中の挿絵ですが、縢襠の筥迫(もしくは紙入れ?)、懐中時計、半襟に止めている小さなブローチ。

これは作者が文中で衣装づけしたものを清方が忠実に再現しているのかもしれませんが、もしかしたら文中に衣装づけはなく、登場人物の立ち振る舞いから清方自身がコテっこての衣装づけをしている可能性もありますね。

 

この時代の懐中物は、その人物を衣装づけするには持ってこいの小道具だと思います。

 

 

先日の講習会で清方の話が出たのですが、その時参加していたはぐれ猫さん(装身具を研究している方)曰く、装身具好きから見た清方の作品で一番のオススメはこちらの「嫁ぐ人」だそうです。

 

 

小道具使いで萌え感満載の清方の作品は、現代なら立派なオタク作品になっただろうと考えると、上村松園の美人画も大変惹かれるのですが、やはり私は清方の美人画に軍配を上げてしまいます。

 

ちなみに、私は清方の作品ではバイオリンを弾く女性を描いた「秋宵(しゅうしょう)」が好きです。

 

 

清方の作品が見られるのがこちらです。

鎌倉市鏑木清方記念美術館

 

 

 

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