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2011年 雛祭り!

今日は娘のお友達を招いて雛祭会をしました。
以前は雛祭り用の料理を作ったりイベント等をしたこともありましたが、今はとにかくお菓子オンリーです。



テーブルに乗せきれないほどのケーキや果物、お菓子などを、きゃ〜!!と絶叫されるぐらい山盛り用意して、今日だけは子どもたちだけの無礼講で大騒ぎしながら食べまくります(笑)。
ただし、食べる前に皆でお雛様のお膳にお菓子を盛ってお供えするのがルールです。

娘の雛祭りを3日までに済ませたら、後は嫁ぎ遅れる心配のないおばさんたちで、週末は連ちゃんの雛祭り飲み会です。
昨年は招待するはずだった友人の不幸があり、どうしてもお雛様を出す気になれませんでしたが、二年ぶりにやっとフルメンバーが登場しました。

先日「雛を祀るー日本人と人形ー」(三井記念美術館)という講座に参加しました。
雛祭りが初節句と結びついたのは江戸後期になってからで、それ以前は女児というよりは「女性が楽しむ日」だったそうです。
「ひなまつり だんなどこぞへ いきなされ」天保13年(1842年)
女性にとっては、さぞかし心躍る時期だったことでしょうね。
どうやら私には、この時代からのDNAが確実に引き継がれているような気がします。

私は子どもの頃、自分のお雛様を持っていませんでした。
きれいなお雛様を見るのは好きでしたが、特に欲しいとは思いませんでした。
それが「欲しい!」という欲求に変わったのは、アンティークの古いお雛様に出会った高校生の頃のこと。
今まで見慣れたお目々ぱっちりな現代顔のお雛様に比べ、なんとも怪しげな不敵な笑みが(高貴な笑みとは思えず)、多感な乙女心をやたらとくすぐったのです。
骨董屋さんを覗いては雛人形を愛でる怪しげな女子高生(笑)。
しかし骨董屋さんの雛人形はほとんどが薄汚れ裏ぶれていて、恐いもの見たさにはいいのですが、とても買いたいとは思えませんでした。

そんな私に転機が訪れたのは、もちろん娘の誕生でした。
娘が産まれる直前まで、回りの人たちに「このお腹の形は絶対に男の子だ!」と言われ続けていたので、男の子以外生まれるはずがないと頑なに信じ込んでいました。
ですから、娘が生まれた瞬間はとにかく頭の中が真っ白。
少し落ちついてから、まず頭に浮かんだのが
「お雛様どうしよう!」でした(笑)。

こんな私ですから、娘が10月に生まれたにもかかわらず、翌年の雛祭りは堂々と無視し、一年以上かけてお雛様を物色したあげく、やっと初節句となりました。
それも節句の雛にアンティークを買ったのですから、実家の母や回りの人をかなり呆れさせたようです。



左がそのとき揃えた娘の御殿雛です。
雛は大正期の芥子雛ですが、御殿は昭和頃のデッドストックと思われます。
御殿のわりに雛が小さいので、やたらとスケール感があります。
やはり私はジオラマ好きなんだな〜とつくづく思います。
小物はその後数年かけてコツコツと集めました。
お道具の中に筥迫を一つ置きました。
これは私が初めて作った娘の七五三の筥迫です。
とてもアップで紹介できるような作りではありませんが、迷い苦労して作り上げた今につながる出発点です。
お道具と一緒に置くのがふさわしいと思い飾りました。
右が私の雛です。
結局、自分の雛がほしくなり、数年かけて購入しました。
明治期ごろの京雛と思います。

今ではその情熱が筥迫にシフトしたので、雛を見る目も大らかなものです。
たぶんこのブログにも毎年少しずつ、お雛の話が出て来ることでしょう。

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