七五三撮影会の次なる撮影場所は、先ほどの神社から車で10分ほどのところにある『薬師の泉』です。
薬師の泉とは、東京は板橋区の指定記念物となっている小さな小さな日本庭園です。
「江戸名所図会」の挿絵にある名水の地に、史実を元に再現された庭園だそうで、実は地元の人にもあまり知られていない隠れた名所でもあります。
実は歩道を挟んですぐ横は中山道が通っているのですが、中山道側は塀に遮られていて全く中の様子が見えないことから、私自身ここにこんな庭園があるとはずっと知らずに過ごしていました。
秘密の花園ならぬ、秘密の日本庭園といった感じです。
(下3点の写真は春に撮影したものなので、他の写真とちょっと緑の雰囲気が違います)
私は趣のあるこの小さな木戸から入るのが好きなのですが、実は正門は反対側にあります。
この木戸をくぐり抜けると急な石段になっていて、一気に視界が開けます。
この石段もまた趣があってステキです。
でもさすがに着物姿の子どもにこの階段を降りさせるのはかわいそうなので、今回は正門から行くことにしました。
以前行った時は春で、庭園の中央にしだれ桜が咲いているのを見て、なんて美しい庭園だろうと思ったのですが、秋の方が庭園全体が色ずくのでずっと賑やかな感じです。
庭園に入る前に、Kちゃんは筥迫のお色直しです。
筥迫工房で扱っている房糸は、色によって糸の太さが違います。
また染める色によっても房糸の手触りが違うのですが、この白は房糸の中で一番細い糸で、うっとりするようなサラサラの手触りです。
切り房の良さを一番感じさせてくれる色ではないかと思います。
中に入ると鮮やかな木々が迎えてくれます。
ここは四季折々で違った表情を見せてくれますが、実はここから全景が見渡せるぐらいとてもコンパクトな庭園でもあります。
はい、こちらが今回メインの筥迫&懐剣セットです。
やはり白の方がバッチリ決まりますね。
懐剣の結びは、鱗結びにして清楚な感じを出してみました。
いつも大人用の筥迫ばかり作っているので、七五三の筥迫は「小っさい!」と思ってしまいますが、実際に付けてみると筥迫がとても大きく感じます。
子どもは胸幅が小さいので、筥迫と懐剣で見た目はきゅうきゅうです。
今回、子ども用の懐剣を作るにあたり、大人用とは違う作り方をしています。
大人用はしっかりした厚紙で型を作りますが、慣れない帯を締めた子どもに、更に苦しい思いをさせるのは忍びないので、型にも厚みは付けず、厚紙をそのまま入れるという、かなり簡易な作り方をしています。
とりあえず「苦しくない」と言ってくれたので、このやり方で大丈夫かな。
生地は帯地を使ったのですが、これは筥迫を作ることよりも、下処理に手間がかかります。
これはまた、続きで筥迫だけを紹介したときにご説明したいと思います。
子どもは走り回るので、常に切り房がサラサラと揺れています。
花嫁さんでは絶対に見ることのできない光景ですね(笑)。
敷地内には、四季折々に様々な野の花が植えられていて(あくまで自然な状態で)、隅々まで手の行き届いた管理がされていることがわかります。
すでに草履はリタイヤです(笑)。
この庭園は全体がギュッと詰まっているので、どこで写真をとっても絵になります。
塀の向こうはすぐに中山道だし、回りはマンションが乱立しているのですが、上手い具合に坂を利用して奥行きを作りつつ回りの景色を隔てているので、外部の騒音や外観の影響を受けず、ひっそりと静かな癒しの空間になっています。
Kちゃんもいつか同じスタイルで花嫁さんになる日が来るのでしょう。
きっとあっと言う間ですね。
それまで私は筥迫を作り続けていられるのだろうか、、、。
七五三の懐剣スタイルは、小さい子どものかわいらしさと、背筋が一つ伸びたような、ちょっと大人な雰囲気も感じられ、なかなかすてきでした。
筥迫を作っていて良かったなと思うのは、七五三も十三参りも成人式も花嫁さんも、自分の娘だけで終わらずに、何回もそのかわいい&すてきな姿が見られることです。
着付けのIGさんと共に、こういう姿を何度も見られるのは幸せなことね〜といつも話しています。
Kちゃん、ご家族の皆さま、ご協力本当にありがとうございました。
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七五三の筥迫の房について、私も「白」にしようと思っています。市販の筥迫に付いている房は赤が圧倒的に多いので、赤にするという決まりがあるのか心配でした。伊勢半本店(紅屋)のHPで『いにしえより、日本において「赤」は魔を祓う神聖な色』と書いてありますので、そのあたりが赤が多くなった理由かと想像しています。
江戸時代と明治以降で筥迫の考え方はかなり異なります。
筥迫の房が「赤」に定着してしまったのは、明治期以降に筥迫が花嫁を象徴する装身具に固定化されてしまったからだと考えられます(本来は花嫁のために作くられたものではない)。
「赤色」や「鏡」は確かに魔除けとも言えますが、江戸時代の筥迫はあまり赤にはこだわっていなかったようです。
明治以降に赤が多くなった理由は、その昔婚礼衣装といえば「黒振袖」だったので、黒に映えるおめでたい「紅白」という意味合いが強いのではないかと私は考えます。
昔の花嫁衣装の「真っ赤な志古貴」と「白の筥迫(刺繍)」のコントラストは大変美しいものでした。
ただ、七五三の筥迫などはほとんどが量産品なので、撚り房の色を統一した方が安上がりという市場の都合が大きいかもしれませんが。
現代では着物の色も様々ですし、白でも何色でも全く問題はありません。