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鏑木清方と筥迫

今回は、以前からブログで取り上げたいと思っていた「鏑木清方(かぶらききよかた)」について書きたいと思います。

 

さじき(昭和20年頃)

 

鏑木清方(1878年〜1972年)は、明治から昭和期を生きた画家で、伊東深水、上村松園と並ぶ三大美人画家として有名です。

 

なぜ清方なのかと言いますと、とにかくこの人の絵の中には「筥迫」がよく出て来るからですね。

 

私が一番初めに清方の絵に興味を持ったのは、上の「さじき」という作品で、少女の胸元に覗く赤い懐中物がとても印象的でした。

 

モデルの時代背景が明治頃とすれば、びら簪が付いていないので筥迫ではない。

三ツ巻きの紙入れが箱型なところが、衣装づけとして少々意図ありげです。

 

同じ美人画家でも、伊東深水と上村松園の作品で明らかな懐中物を探したのですが見つからず。

 

浮世絵でリアルな筥迫はよく時々見かけますが、日本画でここまで精密に筥迫のディテールを描いている作家はあまりいません。

 

花見幕(1938年)  

 

いやん、田楽型のびら簪♡

 

江戸時代の筥迫は「簪挿し」はないので、筥迫から完全に飛び出るように挿します。

だからすごくびら簪が目立ちます。

 

清方の作品の中の懐中物は、人物設定によって使い分けをされているので、そんなところを見るのも懐中物好きにはたまらん楽しみです。

 

今回、初めと終わりの画像を除いて、あえて懐中付近のみ切り取って引用的に掲載させていただいています。(全体をそのまま使うのもはばかられるので、、)

ご興味のある方はそれぞれの全体像を探してみてください。

とても美しい作品です。

 

 

 

清方の父親は毎日新聞の創始者の一人で、ジャーナリストでありながら作家としても活躍した人物だそうです。

 

清方自身も小説家を目指すものの、父からは画家としての道を勧められ、17歳の頃から当時父が経営していた「やまと新聞」で「挿絵」を描き始めます。

 

美人画でありながら、細密な描写で風俗を描いた画家と言われたのは、文芸に寄り添った挿絵画家という道が出発点だったからなのでしょう。

 

春宵(江戸中期の御殿女中)  

 

この作品では「落とし巾着」を出していますが、江戸時代の人は中に入れています。

なぜならこの時代の筥迫は大きく、中に物を入れて半壊中すれば簡単に落ちてしまうので、ストッパーとしての落としは必須でした。

 

維新以降の筥迫は、江戸から30年ぐらいのブランクを経た後に復活しているので、その時点でかなりサイズも小さくなっていましたし(絵の中の筥迫も実際の江戸型よりかなり小さい)、すでに落とし巾着の意味もわからなかったようで、明治頃の写真には巾着を出しているものをよく見かけます。

 

巾着を出していいとか悪いとかの議論は昔からありますが、筥迫がより小さくなり江戸の物より落ちにくくなっているとは思いますので、着物を着慣れている人の動き方であれば落とさないかもしれません。

私としてはせっかく作った筥迫を落としたくないので、巾着は帯に入れることをお勧めはしますが、「入れないのは間違い!」とまでは言わなくていいんじゃないかと思っています。

 

御殿女中は「びら簪」も付けていないで、時代考証という意味では曖昧だったかもしれませんが、筥迫の襠は本来の「箱襠」で描かれているので、やはり江戸時代の筥迫を描こうとした意図は大いに感じられます。

 

びら簪を横挿しにして、重さで下がっているのもやけにリアルです。

 

 

衣装づけ

 

「近代日本の身装文化(高橋晴子著)」の「明治中期の新聞小説挿絵」について書かれた箇所から引用させていただきます。

 

新聞小説挿絵の身装についての指示性は、端的にいえばキャプションつきの絵ということだが、その時代の小説作家たち一般の、登場人物の身装記述の熱心さによって、その重みを倍増している。

 

こうして衣装づけは、本格的な長編小説の女主人公にもなると、一段の行数の4分の1にも達することがめずらしくない。

 

ここでいう「衣装づけ」とは、その人自身を明確に表現する着こなしのような感覚だとは思いますが、毎日違う服を着ることが当たり前になっている現代人と、江戸、明治、大正時代の衣装付けでは、その感覚というか重みが全く違います。


花ざかり

 

この手に隠れるように描かれている筥迫が、ことさらその物を主張しているところがにくい。

(でもびら簪の挿し位置は近代風)

 

この時代のひとがそれほどまでに衣装づけに執着した理由のひとつは、現代とくらべると、着衣、髪型による人間の類型化、すなわち枠付けに、かなりの妥当性があったためだろう。

やや突飛な事例だが、新聞紙面の片隅に散見する行き倒れのひと、自殺者など、すべて身元不明の記事には「商人体の男、、、」等とあって、ときにはふんどしの色までのくわしい衣装づけのあることがふつうだった。

ひとが身につけるものに対するつよい執心は、この時代、衣類の資産価値がまだまだ高かったため、という理由も考えられる。

人並みの暮らしをしている勤め人や、小商人の家庭では(も)、もっている衣類の種類も数も現代とくらべるとはるかに少なかった。

一枚の着物を繰り回すことは、美徳というよりも必要からだった。

気に入った普段着は、縞模様がまるでその人そのものにみえるくらい、ひざがぬけるまで着ることもめずらしくはなかった。

 

夏の武家屋敷(1957年)

 

こちらはただの紙挟みのようですが、耳かき付きの簪を挿しています。

 

例えば明治・大正期の作家であると、第二章3で述べたように、作中の人物についてはふつう詳細に衣装づけするものだったから、その方面の知識も趣味も豊かで、遺された関連文章がわずかであっても、傾聴すべき事実は多々ふくまれている。

作家としてはとくに身装関連の文章を多く書いているのは、長谷川時雨、平山蘆江、与謝野晶子、宇野千代、森田たま等である。

作家以外では、新派の河流章太郎、画壇では洋画家の木村荘八、そしてとりわけ鏑木清方だろう。

 

 

これは清方の「魔風恋風(明治36年)」の中の挿絵ですが、縢襠の筥迫(もしくは紙入れ?)、懐中時計、半襟に止めている小さなブローチ。

これは作者が文中で衣装づけしたものを清方が忠実に再現しているのかもしれませんが、もしかしたら文中に衣装づけはなく、登場人物の立ち振る舞いから清方自身がコテっこての衣装づけをしている可能性もありますね。

 

この時代の懐中物は、その人物を衣装づけするには持ってこいの小道具だと思います。

 

 

先日の講習会で清方の話が出たのですが、その時参加していたはぐれ猫さん(装身具を研究している方)曰く、装身具好きから見た清方の作品で一番のオススメはこちらの「嫁ぐ人」だそうです。

 

 

小道具使いで萌え感満載の清方の作品は、現代なら立派なオタク作品になっただろうと考えると、上村松園の美人画も大変惹かれるのですが、やはり私は清方の美人画に軍配を上げてしまいます。

 

ちなみに、私は清方の作品ではバイオリンを弾く女性を描いた「秋宵(しゅうしょう)」が好きです。

 

 

清方の作品が見られるのがこちらです。

鎌倉市鏑木清方記念美術館

 

 

 

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