3月の花独楽は『花一華(はないちげ)』です。
これは和名で、皆さんにお馴染みの名称は「アネモネ」です。
その他「牡丹一花(ぼたんいちげ)」「紅花翁草(べにばなおきなぐさ)」等の和名があるようですが、日本には明治時代に輸入されました。
今年は冬が暖かいので、「桜」と「アネモネ」どちらを3月に出すか悩んでいましたが、結局は桜の開花状況次第ということになりました。
しかし工房近くの桜並木は今になってもまだ蕾は小さく硬い状況で、東京で桜が満開になるのは3月末との予想が出たので、今月はアネモネをアップして、桜は4月早々を目指してアップしようと思います。
花独楽のおかげで、今年一年は花の開花や花屋の流通に一喜一憂しそうです。
今年初めに、毎月一回花独楽の動画をアップしようと目標を立てたものの、現在出来ている花独楽は10種のみ。
やっているうちに2個ぐらい増えるだろうとの安易な考えで見切り発車しました。
しかし花の種類は多種あれど、全てが花独楽に適した形とも言えず、PCのデスクトップは花画像にまみれる毎日。
今ある花独楽を月別に分けて、空欄の一つが3月でした。
3月は早い春、ということで目についた花がアネモネでした。
赤、ローズピンク、紫のカラフルな色が印象的なアネモネは、この季節になると花屋でも目立った存在でしたが、いつからか私の記憶の彼方へと消え去っていました。
しかし季節は早春の今が盛りのはず。
それなのに、花屋をいくら探し回っても、どこもアネモネを置いている店がない。
ある花屋さんで言われたことは、こんな陽気じゃ仕入れてもすぐ咲いちゃうから仕入れられないとのこと(東京で2月中旬に気温が20度にもなった頃)。
更には、最近の花屋の傾向として、アネモネが減ってラナンキュラスが増えたらしい。
アネモネを作る農家さんも減ったことから、市場にあまり出回らなくなったのだそうです。
確かにアネモネは花持ちも悪いし、花びらの多いラナンキュラスはゴージャスで花持ちも良さそうだし。
巡ること数軒、やっとアネモネが置いてある花屋さんを見つけたものの、それは八重のアネモネ(写真手前)。
う〜ん、アネモネというより矢車草みたい。
これじゃない感を抱えながらも、妥協してこの八重のアネモネで撮影するかと思っていたところ、最後に訪れた花屋でやっと見つけた私の記憶の中のこれぞアネモネ(写真後方)。
ああ、懐かしい、やっと出会えた。
しかしながら、その昔は束になって売られていたアネモネも、今時は3本(300円)がまとめられているだけだったので、アネモネ特有のカラフル感に欠けるというか、何だか普通の花に紛れてアネモネの特別感がないのがちょっと残念。
これではラナンキュラスに負けちゃうよなぁと思いながらも、とりあえず今の目的は動画撮るだけなので、2束買ってミッションクリア。
花独楽動画は自然光で撮影しているのですが、工房の自然光が入る窓は北向きのため、天気のいい日でないと撮影できません。
そこで天気を見ながらアネモネが完全に開かないように暗い部屋に置いていたのですが、いざ撮影しようという段になってまだ半開き状態のまま(汗)。
慌ててエアコンのそばにおいてみると、あっという間にのけぞるがごとく開き過ぎている。
急いで撮影!と何回か撮り直しをしている間に、みるみる枯れていくアネモネに焦る焦る、、、。
結局、半分枯れかけぐらいの状況なんですよ今回のアネモネは(泣)。
ということで、花集めの舞台裏の奮闘を交えつつ、どうぞ雰囲気だけ味わってください。
でも私としては、記憶の彼方に消え去っていたアネモネに再会できて満足です。
アネモネはカラフルな組み合わせが印象的なので、今回はまとめて3色作ってみました。
(白のアネモネも好きなのですが、白だけは単色でまとめた方が可愛い気がする)
もうちょっと本物のリアル感を追求しても良かったんですが、あまり凝った作りにすると生徒さんたちが作る時に大変なので、それなりのデフォルメに留めておきました。
要は一目見てアネモネ!とわかればいいのよ。
風の花(Wind flower)
アネモネは、クリスマスローズ、ラナンキュラス、クレマチスなどと同じキンポウゲ科の植物です。
(ちなみに、同じキンポウゲ科の「秋明菊(シュウメイギク)」は、「ジャパニーズ・アネモネ」と呼ばれているそうです)
アネモネの語源はギリシャ語の「風(アネモス)」で、英名は風を意味する「Wind flower」。
つまり「風の花」ということで、春風が吹き始めると咲く花で、花の妖精とも呼ばれています。
これは花が風に揺れる様というよりは、その種が綿毛になって風に運ばれる様にちなんでいるのだそうです。
カラフルなアネモネの花は、実はガクが変化したもので、あれは花びらではないそうですよ、びっくりですね。
また草全体に毒を持っているので、花を手折った時の汁が肌に触れると、皮膚炎などを引き起こすことがあるそうです。
(ますますラナンキュラスに軍配が上がりそうな、、、)
そして、光や温度に敏感に反応するそうで、動画撮影するまで暗い暖房のない部屋に置いたときは半開きのままだったのも、暖房のそばで一気に開いたのも、これが原因だったということですね。
アネモネにまつわる神話は色々とあるのですが、古代ギリシアではアネモネは悲しみと死の象徴とされてきました。
キリスト教時代になっても、受難の血の色としてマリアの悲しみの象徴とされました。
反対に毎年咲く多年生植物であること、十字軍殉教者の墓地から血のような赤い花が咲いたことによる「血」と「復活(蘇り)」にからめて「奇跡の花」「Easter flower(復活祭の花)」として、復活祭には欠かせない花なのだそうです。
私はクリスチャンなので、教会では「野の花」という言葉がよく使われますが、今までそれはポピーのことだと思っていたのですが、実はガリラヤの地に自生するアネモネの花だということを今回初めて知りました。
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]]>「ままねこ」さんは以前よりこのブログで何度か作品を掲載させていただいていますが、講習会から通年開催の教室になっても、静岡から東京まで年に数回通われて、今回めでたく工芸科に進級することになりました。
工芸科進級テストは、実技課題1点(左下)、提出課題2点(縢襠筥迫玉縁付、四ツ襠紙入)で採点します。
実技課題は認定Cと同じ時間で仕上げますが、扱う素材が違うので、より高度な仕立てになります。
「筥迫講師認定」に求められるレベルは、現代で通用する仕立てであり、「工芸科」に求められるレベルは、その昔の筥迫職人によって作られていた古き良き技術に基づいた仕立てなので、採点もより厳しくなります。
このレベルで筥迫や紙入れが作れるようになると、工芸科では本仕立ての筥迫や江戸型筥迫、定家文庫などの仕立てをする資格が得られます。
貼り込みで作る袋物教室では、入門、初級、中級、上級までを「教科」として袋物細工を学び、「工芸科」になると本格的に嚢物工芸を学ぶ技能修練コースと、職人コースに分かれます。
「教科」では、ある程度のステップはあるものの、基本的には自分が作りたいものを作ります。
C認定だけを取りたければ、他の袋物は作らないでひたすら筥迫だけを作り続ける人もいます。
講師認定だけを取りたければ、それに必要なカリキュラムのみをこなしていく人もいます。
自分の楽しみとして全ての型を制覇していく人もいます。
数をこなせば技術は自然に身についていくので、無理なくその人のレベルで純粋に袋物細工を楽しんでいただきたいというのが「教科」です。
「貼り込みで作る袋物細工」は、専門用語が多かったり、処理の仕方も一連のルーティーンを覚えなければならないので、初心者は何をやっているかわからないうちに出来上がっていた、と感じるようです。
工程が難解に感じられるのは、洋裁脳に染まった現代人にはその切り替えが難しいだけで、慣れれば布を使ったただの工作物ということがわかるはずです。
ただ実際に作ってみると、手の掛け方や細部の処理に、日本的な繊細さがふんだんに詰まっていることが感じられると思います。
そんな趣味で作る袋物細工から、一歩目覚めて本格的に工芸の世界に進んで行きたい人たちのために数年前に「工芸科」を作りました。
工芸科で作るような高度な袋物は色々な素材を用いて作るため、使うものによって作り方を変えざるを得ません。
私もアドバイスはしますが、最終的には自分で考えて悩んで修練を重ね、作品作りをしていく段階に入ります。
そのため、貼り込みの基礎が完全に身についている必要があり、テストというものが存在します。
急がなくても一定の時間で筥迫を仕上げられるようになるまで筥迫の作り込みをするのはC認定と同じです。
できれば綺麗な柄のある布を使わないでと言っていますが、これは仕立ての精度に集中するためです。
筥迫作りは考えなくても手が動くというレベルにならないと、工芸として本来気を使わねばならないところに集中できないですから。
私自身は意図せず工芸的な物作りの道に入りましたが、現代では貼り込みの袋物が作れる職人がいなくなったことから、ニッチな需要に迫られたということがありました。
現代で専業の職人として成り立つかは疑問ですが、作れる人がいなければそれも困るというニッチにありがたがられる世界なので、私には職人や作家を育てるという使命もあります。
今回、工芸科進級をされたままねこさんは日本刺繍がご専門なので、自身の刺繍で提出課題の作品を作りました。
工芸科の提出課題は自分の好きな布を使って作品を作るというものですが、日本刺繍で提出課題を作ったところで作品点が数点あがるぐらいですよと言ったところ、ボツにした刺繍が残っていたのでそれを使って仕立てただけとのことでした。(なんて贅沢な使い方)
ままねこさんはこれまでは教科での型を中心に作品作りをされてきましたが、今後は江戸型筥迫や定家文庫などの本格的な型で筥迫作家、袋物作家として活躍して行く姿が見られると思います。
ままねこさんはInstagramでも作品を発表されています。(@eastglen110)
緻密な刺繍は袋物作品を作るにはぴったりですが、今後は更に華やかな作品が増えていきそうで楽しみです。
四ツ襠紙入れもふっくら丁寧に作られています。
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]]>先日「筥迫講師認定C」と「工芸コース進級テスト」にそれぞれ合格された方がいたので、今回と次回でそのお二人の作品をご紹介させてただきます。
筥迫講師認定C
まずは「筥迫講師認定C」に合格されたT.Mさんの作品。
試験課題は、縢襠筥迫(基本型)の実技課題(左)と提出課題(右)の二つです。
実技課題は、支給された布を含めた材料一式を使い、事前の準備(自宅で行う)をしてきた上で工房に来て試験を受けます。
試験の内容は、指定時間内に作ること、そしてそこで出来上がった作品を点数化して技術判定します。
認定を受ける人に試験内容を説明すると皆一様に顔を曇らせるのですが、教本を見なくても楽々作ることができないで認定を取ろうと思う方が無謀というものです。
各種認定を受ける人には、試験の前にかなりの作り込みをさせます。
毎回目の前に時計を置いて、工程ごとに時間を測っていきます。
試験でこの「時間」というものを重視しているのは、筥迫を作る時間を競うためではありません。
全ての工程で迷うことなく作り切ることができれば、一定の時間内に仕立てられるようになるものなので、工程ごとに時間がかかっているところは、どこでつまづいているのかを確認して、そこを更に詰めていきます。
合計時間が平均して規定内に達するようになると、そろそろ試験をしようという段階になります。
そして、その頃にはほとんどの人が技術も一定のレベルに達しています。
筥迫というのは、出来上がりは同じに見えても、仕立ての仕方によって大きな差があります。
「筥迫講師C認定」というのは、筥迫工房が販売している教本で使われている型紙を使った筥迫で、最も難易度の低い仕立て方です。
以前講習会で教えていた筥迫もこの基本型になりますが、お客様に商品として出すような筥迫は、もう少し難易度の高い「B認定」での仕立てになります。
講師認定に合格すると、自動的に「技術認定C」と「筥迫講師認定C」の両方が認定されます。
「技術認定C」というのは、対面での販売が可能となる認定で(ネット販売不可)、この「技術認定C」のみを取る人もいます。
テストはこの技術認定に対するものなのですが、それにプラスして講師認定の特別カリキュラムを受講することで「筥迫講師認定C」の両方が認定されます。
C認定で作る筥迫は着物地が限界ですが、画像のようなレベルにはきっちり仕立てられるようになります。
(T.Mさん、よく頑張りました!)
初心者に帯地で筥迫作りを教えるようなことはないので、筥迫講師認定はこれで十分だと考えています。
提出課題(右)は、完全に自宅で作り上げてくるものですが、玉縁仕立てで飾り房までを作った作品を提出します。
作品点も加わるので、好きなだけ凝って作ることができますが、あまり楽しんで作ると細かな技術が疎かになってしまうので、あくまで冷静に仕立てましょうねと言っています(教室の人は筥迫作っていれば幸せな人が多いので)。
筥迫の仕立ての技術は側面にほぼ集約されているので、ここを見ればどのぐらいのレベルかはすぐにわかります。
あともう一つありますが、それはここでは書きません(笑)。
私が筥迫工房を始めたきっかけは、当時販売されていた筥迫と、昔の職人が作った筥迫のあまりのレベルの違いにショックを受けたことからでした。
筥迫専門の職人が作った「高度な仕立て」の筥迫が流通していたのは、昭和20年代ぐらいまでです。
その頃は専門の筥迫職人たちが腕を競い合っていたので、基本的に仕立ての技術が高いものが多いです。
(ただし、アンティークのものには、たまに女学生が作ったであろう素人っぽいものもかなり混ざっています)
その職人たちがいなくなって、筥迫の生きる道が婚礼業界に移ってから筥迫の劣化が始まります。
工芸的な「美しさ」が筥迫に求められていた時代から、「着付けしやすい」筥迫に価値観が変わってしまったからなんですね。
私が筥迫作りを始めた頃は、市販の筥迫もまだそれらしい外観はしていましたが、現代では筥迫としての概念さえ覆されてしまいました。
胴締めのない紙入れを筥迫扱いするのは、白熊をパンダと呼ぶようなものです。(飾り房、びら簪は、時代やスタイルによってあったりなかったりではある)
筥迫工房の認定は、よくあるカリキュラムをこなせば認定されるような商業的なものではなく、本来の技術を問うためのものです。
長く時間がかかる人もいれば、最短で取る人もいます。
昔の職人が作った筥迫を見て「私もこんな美しい仕立ての筥迫が作れるようになりたい!」と願ったように、本来の美しい筥迫を多くの人々に普及させる講師たちが世の中に増えていくのは大変喜ばしいことです。
できれば日本中に筥迫の作り方を教えられる講師の方が増えて、かつての美しい筥迫が巷で見られるようになる日が来ることを願わずにはいられません。
次回は「工芸コース進級テスト」に合格された、ままねこさんの作品をご紹介します。
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]]>2月の花独楽(はなごま)は『梅』です。
前回、花独楽の動画を撮影するにあたり、ただコマを回すだけはつまらないので、本物の生花と共演させよう!と思い立ちました。
そして2月になったら「水仙」の動画を撮ろうと決めていたのですが、時は確定申告真っ盛り。
早々に申告を終わらせ、いざ水仙!と花屋に直行したところ、どこを回っても水仙の花がない!
ちょっと前までは見かけたのに、、、(泣)。
用意していた花独楽は一般的な房咲きの白の水仙(日本水仙)で、今年は早々に出回らなくなっていたとのことでした。
ということで、気持ちを切り替えて2月の花独楽は「梅」に変更。
梅の方が時期的にはちょうどいいと思ってはみたものの、すでにある梅の花独楽は教室では一番初めに作る基本型で、デフォルメされすぎて本物の梅と並べてもほとんど同一には思えない(下の赤鹿の子)。
ということで、もう少しリアルを追求した形に変更したのが今回の花独楽です。
リアルでありながらもしっかりと回るというのが私が考える現代の花独楽なのですが、思いの他可愛い仕上がりと安定した重心に、自分としてはかなり満足。
(動画は見た目重視なので回し方が甘くなってしまいますが、うまく回せばもう少し長く回るのよ〜)
さて、無事梅の花独楽も出来たし、次は花木の梅を入手しに行こうと花屋に出向くも、またしても梅がない!
今は梅が盛りの時期なので、一般家庭を探すしかない。
そこで、教室の生徒さんの中からFさん方に目星を付けて連絡したところ、庭には白梅も紅梅もあるのですが、運悪く先月庭木の剪定をしたばかりで、花が残っているのは地上5〜6mで手が届きません(泣)と言われてがっかり。
しかし翌朝に一転して、「先生、朗報です!」というFさんからのメールには白梅の画像が貼り付けられていました。
日が登ってから庭に出てみたところ、手の届きそうなところに少しだけ花が咲いていたのを見つけて、ご実家から高枝切りばさみを借りてきてなんとか採取できたのだとか。
連絡をした翌日には梅の花を入手することができ、花独楽の2月のミッションを無事クリアすることができました。
そして届けてくれた「白梅」の中に、なんと「紅梅」も一枝入れてくれていたので、急遽紅梅も作ったという次第です(少し濃すぎた?)。
それにしても、今時の東京で白梅、紅梅の大木があるお宅、、、なんてステキ♡
Fさん、本当にありがとうございました。
しかし、今年一年は花探しに苦労しそうだわ(汗)。
時代は梅から桜へ
日本人として、花の象徴といえば当然の如く「桜」を連想すると思うのですが、対して「梅」はどうしても古典的なイメージになってしまいます。
しかし「万葉集」に取り上げられた花のランキングでは、1位はダントツの「萩」で141首、2位の「梅」が118首、そして現代に人気の「桜」はなんと8位の40首しかないそうです。
(出典元によりこの数は違うのですが、梅に対して桜は約1/3ぐらいしかないと思ってください)
梅の枝を届けてくれたFさん曰く「思いがけず白梅の枝を届けるなんて、今話題の源氏物語みたいで結構楽しかったです(電車でだけど)」
Fさんなんて素敵なこと言うのかしら、と思いながら「源氏物語」も梅の話題は多そうなので調べてみたところ、万葉集(奈良時代)のツートップである「萩&梅」から、源氏物語(平安時代)になると「梅&桜」がツートップになっているのだとか。
匂い袋の「誰ヶ袖」でお世話になったこちらの歌、
「色よりも かこそあはれと おもほゆれ たが袖触れし やどの梅もぞ」
の古今和歌集(平安時代)でも「梅」の29首に対し「桜」は53首と逆転しています。
「梅」は「桜」と同じく日本的な雰囲気がありますが、実は古くは中国から渡来した外来種で、奈良時代以前は貴族社会で行事などの際に好まれて使われるような花でした。
それに対して「桜」は日本に元々ある在来種なので、庶民には桜の方がずっと身近な木だったようです。
そんなことから庶民により馴染み深い「桜」を愛でようという機運が高まってきたのが平安時代ということですね。
また、梅は花の姿より「香り」が重視されたのに対し、「観賞」を目的にした花見と言えば桜!が庶民の間でもてはやされるようになったのは江戸時代になってからなのだそうです。
歳寒三友
これは中国が起源の言葉で「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と読み、冬の寒さに耐える3種の植物をパターン化したものです。
「歳寒」は厳しい冬のことで、その中で常緑である「松」「竹」、花を咲かせる「梅」を「三友」とし、この三友には「梅」「水仙」「竹」というパターンもあるそうです。
これは、逆境でも耐える理想の人、ためになる友だち、清廉潔白、節操を表す絵のテーマとして用いられていましたが、それが日本に渡って「松竹梅」とされ、吉祥の象徴(また等級を表すもの)に変化したそうです。
「四君子(しくんし)」は「蘭」「菊」「梅」「竹」の4種の植物をですが、ここでも梅は登場します。
その昔、梅は原産国の中国で愛された名高い花として、堂々と日本に渡ってきたんでしょうね。
花独楽と貼り込み
梅のシベは長く不安定なので、うねうねしてしまうのはご愛嬌ということで。動画や画像ではあまりよくわかりませんが、実際には回すとシベがキラキラ光って綺麗です。
花独楽は袋物じゃないと思う方もいらしゃることとは思いますが、紙に布を貼って作る物という意味においては「貼り込み」です。
そして、糊、紙を駆使して物を作るのが、誰よりも得意なRom筥です。
私は対外的には筥迫の専門家を名乗っていますが、実際には完成された綺麗な作品を作るよりも、中の構造を考えたり型紙を作っている時間が一番好きです。
見たこともない袋物を見つけたりすると、一瞬で頭の中に展開図が浮かびます。
それを図面に起こして、どこまで自分がイメージした通りの物に仕上げることができるか、試作をしている間が何より楽しい。
試作を作るときはできるだけつまらない柄の生地を使うのですが、これは柄に惑わされると本来の仕立ての誤差が見えずらくなってしまうからなんですね。
教室の生徒さんたちにも、筥迫の作り込み(筥迫特訓みたいなもの)をさせるときは、できるだけ柄のないもので練習した方がいいというのですが、ほとんど却下されます(もちろん無理強いはしませんが)。
いつも綺麗な物を作っていたいということのようです。
私は仕事柄、綺麗なものを見る機会は普通の人より多いと思いますが、綺麗なものなんて感動するのはその一瞬だけなんですけどねぇ。
そんな私が花独楽にハマってしまうのは、「コマ」という構造が好きなんですね。
造花は飾って「綺麗」なだけですが、花独楽はそこにプラス「回る」という動作が付くんです。
花の形によって重心と遠心力が変わってしまうので、微妙に形状を直しつつ、それぞれの部品の重さを調整しながら作っていきます。
最近は道に咲く花を見ると、これは回る形状か否かを考えるのがクセになってしまいました(笑)。
机の上にはいつも花独楽が置いてあって、PC仕事に疲れると花独楽を回してリラックスするという、私にはとても楽しいおもちゃです。
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]]>昨日、東京は久しぶりの大雪でした。
午前中は雪が降るような天気ではなかったものの、テレビでは帰宅時間あたりに大雪になりそうとのことだったので、ちょうど教室の日ということもあり、全員に確認して急遽教室はお休みということになりました。
雪国の方から見れば積雪8cmで大騒ぎするなんて失笑ものでしょうが、東京でこのぐらい降るのは2年に一度ぐらいしかないので、そりゃ交通網もマヒしますわ。
しかし昨日はショップからの注文が相次いだので、私は通常通り工房に行って遅くまで仕事をしておりました。
家から工房までは自転車で20分ぐらいなので、雪でも歩いて帰れるわぐらいに高を括っていたのですが、気がつけば夜の8時、、、。
外は一面の雪景色でした。
雪に雷も珍しかったですよねぇ。
真夜中かと思うほど、人も歩いていなければ車もまばら。
雪の中ヒーヒー言いながら自転車を押しつつも、珍しい降雪に心ウキウキで(子供か!)1時間以上かけて家に帰りました。
家に帰ると、家人は早期退社で在宅、娘はたしか春休みで今日は在宅のはず、なのにいない、、、?
家人曰く「雪の夜の街が見たいと散歩に行った」。
ただただ雪が珍しい、これが東京人です(笑)。
母と雪かきの思い出
そして今日、外はどんな状態でも工房には行かねばならぬのです。
なぜかといえば、急いで「雪かき」しなければならないからです。
工房の前は人通りの多い歩道です。
実家の母が生前、雪が降った後はとにかく「急いで雪かきをしないと!」と言っていたのを思い出します。
雪かきをしないと通行人が通れない!というのは表向きで、家の前の雪かきが少しでも遅くなると、隣の家の人に雪かきされてしまうからです。
工房(実家)のあたりは家幅の狭い家が長屋のように連なっているので、自分のところだけやるとそこだけポツンと嫌味ったらしく目立ってしまうし、自分の家の前だけだと距離も短いのですぐに雪かきが終わってしまう、だから隣の家の分までやってしまおう!という感じになるのですが、そうするとやってもらった家の人は、雪かきもしないだらしない家と見られて恥ずかしい(母談)思いをするわけです(めんどくさいなー)。
そんなワケで、母は隣の家の雪かきの音に耳を澄ませ、その音が始まると急いで外に飛び出して雪かきをするので、そこからは近所中で一斉に雪かきに発展します。
こんなに狭いところなんだから2〜3人が代表してやればいいのにと思うのですが、狭い道を大勢の人が大騒ぎしながら雪かきしている様はなかなか笑えるものがありました。
自宅のマンションでも雪かきは住人総出でやるのですが、皆が一斉に出てくるので雪かきスコップ(マンション用)が足りない。
どうしても自分用のスコップが欲しい!と言ったところ、家人から東京なんて2年に一度ぐらいしか雪かきするほどの雪なんて降らないんだから、そんなもの必要ない!と却下されていたのですが、内緒でマイスコップを買ってしまいました(笑)。
それがこれ。
雪国の人が見たら笑われるぐらいささやかな大きさ(笑)。
今は工房に持ってきているので、誰にも文句を言われずに雪かきスコップが使えます。
しかしそんな私でも、さすがに去年圧迫骨折をしたので、雪が硬かったら雪かきはあきらめようと思っていたのですが、今年の雪は10時時点で半分以上溶けていたので、それほど無理なく周辺の雪かきを終えることができました。
今は昔と違って、住人は雪かきなどできない年寄りが増えてしまったので、隣のおじさんと二人で手分けして静かな雪かきでした。
こんな雪かきも楽しいと思えるほど、たま〜にしか雪が降らない東京の雪の日事情でした。
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]]>言わずと知れた、コクヨの定番品『ドットライナー』。
文具の大人気商品として、お仕事などでお使いの方も多いことと思います。
実は貼り込みでも、3種の糊のうちの一つ「留糊」としてお世話になっている糊です。
留糊というのは、ちょこっとだけ仮止めしたいときに使うのですが、ドットで糊が出てくるため「5mmだけ出したい」という調整がしやすいのが利点です。
また水分を含まないので、ヨレヨレ、ベタベタを気にすることなく、手軽にすぐに接着できるのもうれしい。
私は酸を含まない「アシッドフリー」と説明していますが、正確にはコクヨ独自の基準で「写真や紙の変色の原因となる酸を抑えたのり」という言い方をしています。
慣れた人こそ使い方に注意が必要
「でんぷん糊」や「サイビノール」は「水性」なので、どちらも使い方には注意が必要です。
糊で作る物はうまく出来ないという方は、ほとんどの場合その正しい使い方がわかっていないだけで、それらの特性をよく理解して使うと、貼り込みでの物作りはとても楽しいものになります。
でんぷん糊やサイビノールと比べると、ドットライナーはそれほど注意をしなくても使える大変優秀な糊なのですが、使い慣れた人に限ってダメにしやすい。
私は最近、新たに詰め替えたテープを2回続けてダメにしました(涙)。
私のようなハードユーザーは、「スタンダードタイプ(16m)」(画像下)ではなく、「ロングタイプ(36m)」(画像上)を使っていると思います。
スタンダードタイプと比べるとかなり大きいですが、慣れてしまえば安定感があってなかなか良い。
これだけあってもすぐに使い切ってしまうので、もちろん詰め替えも常にストックしてあるのですが、最近、詰め替えて間も無くにテープが動かなくなることが2回続きました。
テープが引けなくなってしまった場合は、後ろのコアの側面にある溝にペン先をかませてテープを動かすのですが、そのうちコアを巻いても動かなくなることがあります。
こうなったら、残念ながらもう元には戻らない、、、(泣)。
これを36mの1/3も使っていない状態でやらかすと、やたらと悔しい。
その原因を色々と考えたのですが、テープを勢いよく引くと「糊飛び」してついてしまい、フィルムに残ったドット糊を巻き取ることにより、巻き取り側のコアに糊が付いてが動かなくなるのだろうと思いました。
そこでコクヨのカスタマーに問い合わせたところ、やはりそれが原因の一部とのこと。
こうなってしまうと何をしても直りません。
これは慣れているがためのハードユーザーあるあるです。
普通に使っていても本体の劣化により同症状は出やすくなるので、10回程度詰め替えたら本体も変えましょう(コクヨ推奨)。
リニューアルされたロングバージョン
ところが、今回ドットライナーを改めて調べたところ、ロングタイプの新バージョンが発売されていたことを知りました!
2023年の1月発売ということなので、ちょうど一年前です。
今月従来バージョンの詰め替えをAmazonで箱買いしたばかりなのに、、、悔しい(でも新しいの買ったよ)。
上が従来型で、下がリニューアルされた「LONG50」です。
従来品の白部分がなくなってツルんとした印象ですが、大きな目玉の付いたずんぐりむっくりした形状です。
従来品は青部分をそのまま詰め替えますが、リニューアル版はブルー部分が被せになっていて、これを右側にカパッと開いて、詰め替え用を入れるという構造になっています。
従来品に比べると、詰め替えが骨格だけになった感じです。
従来品と値段はそれほど変わらないので、テープの増量分は、この青色カバー部分が無くなったことと引き換えなのかも?
ドットライナーの発売は2005年ということなので、すでに20年近くも経っているわけで、考えてみれば、そのぐらい長い間使われていれば、リニューアルの一度や二度あるだろうと思いますが、あまりにも目が慣れてしまっているので、デザインが変わるだけでやたらとびっくりしてしまいます。
本体の交換目安も10個から20個になったそうなので、耐久性も増したようです。
フタのバネがやたらと頑丈になったのはわかる。
ちなみに、コクヨの説明によると、
「たっぷり使えてつめ替えの手間を削減する大容量タイプ。ヘビーユーザーにおすすめです。」
くすぐるコピーだわ(笑)。
コクヨではすでに従来品は生産終了しているようです。
リニューアル版が発売されて一年も経つというのに、ほとんど従来品しか目立たないのは、多分、どこも従来品在庫が残っているからなのだと思います。
だって、こちらの「LONG50(50m)」は従来品(36m)と比べて断然長いのに、価格がほとんど変わらないので、誰も在庫の従来型を買わなくなるからですね。
今現在、従来型のロングを使っている方は、リニューアル版は従来型と構造が違うため、詰め替えの互換性はありません。
なくなったら詰め替えを買わずにリニューアル版を買ってくださいね。
更に言うなれば、スタンダードタイプ(16m)とも、ほとんどお値段かわりないですからね。
家ではロング50を使い、持ち運びにはスタンダードを使うのがお勧めです。
Amazonは色々な販売業者が出品しているので、常に値段が変動していて、まとめ買いより単品で買った方が安いということもよくあることなので要注意です。
Amazonの「LONG50」を貼っておきますが、なぜか本体のカートが出てこない。
(そのうち出てくるのでリンクは貼っておきます)
ということで、Amazonプライムのようなものもなく、全品送料無料の「ヨドバシネット」が絶対お勧めです。
そしてAmazonより安い。
野菜は頭で食べる
上記とは全然関係ない話ですが、最近面白いと思った「野菜」の話題を。
我が家の娘は、家族揃って食卓を囲むときは「野菜」を食べるのですが、私がいないときに、各自が小皿に分けて用意しておいたものを食べるという時は、決まって「野菜」の小皿には手をつけません。
完全な野菜嫌いということでもなく、ただ野菜を食べるのは「面倒臭い」のが理由のようです。
小さい頃は野菜を食べなくても、ある程度の年齢になると、美容のため、もしくはダイエットのためなど、体に必要な栄養素と思って食べ始めると思うのですが、二十歳を過ぎても状況はあいも変わらず。
どんなに言っても野菜を無視するので、最近はワンプレートにしているのですが、その時は野菜だけ分けるのも面倒ということもあり、しかたなく食べているようです(その代わりレタスだって一緒にチンすることになるぞ!)。
ところが最近、作り過ぎた野菜のおかずを配膳してもらった時に「多い分は明日に回すから、全部盛り付けなくていいよ」と私が言うと、
「昨日から外食続きでほとんど野菜を食べていないから、自分が全部食べるわ!」
と言い出したのでびっくり!
どういう心境の変化か?と聞いたところ、現在バイトをしているチェーンの喫茶店で、「サラダ」を注文する人は元気なお年寄りだったり、快活に受け答えするようなお客が多い反面、サラダを注文しない人は、相対的に愛想が悪かったり、わがままな客が多い、ということがわかったからだそうです。
最近は入店したお客の様子を見て、この人はサラダを注文する、しない、の予測を立てて楽しんでいるそうです。
実体験に勝る理解なしですね。
ということで、最近とても感心した笠原シェフのサラダをご紹介。
単純なのに美味しい、そんなレシピが好きです。
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]]>『貼り込みで作る袋物細工』を教える、という活動は、2012年の講習会を皮切りに、コロナ以降は筥迫工房での月6回の通年開催の教室に落ち着きましたが、すでに10年以上続けているということで、まさかこんなに長く続くとは思わなかったです。
現在は小さな工房での開催なので、定員は4名までしか入らないのですが、大荷物を抱えて移動していた講習会はかなり大変だったので、今後あのやり方に戻るのは難しい。
現在の教室は、通年で通いたいという方を対象にチケット制で基礎から教えていますが、筥迫だけを作りたいという方も多いので、同じ教室開催日の中で単発の「体験講座」を受講される方も多いです。
かつて開催していた「講習会」は、受講後に自宅でも作れるように全ての工程を作業するという、あくまで「教える」ことを前提とした内容でしたが、教室の「体験講座」では、厚紙のカットやトレースなどの「事前作業」と、時間がなければ「結び」は私が作るのをお手伝いするという、あくまでメインの貼り込みに絞っての「体験」という違いです。
参加できる日程によって1日〜3日で作れる内容に分けています。
先日この体験講座(2回で筥迫を作る)に参加されたTさんは、大学で日本文化関連の研究をされているという方でしたが、普段、手芸をするような趣味は一切やっていないとのことでした。
筥迫作りはお手軽に作れるとは言い難いのですが、手芸というよりは工作に近く、教本を見て一人で作ることにためらいがある方や、手芸や洋裁経験がない方でも、ここに来ればどなたでも最後まで作り上げることができます。
その人のレベルによって進行具合は違うのですが、Tさんが来られた日は教室の参加人数が少なかったこともあり、二日で玉縁から飾り結びまでを作業することができました。(えらい!)
ただし表布だけはご自分でお持ち込みいただきますが、多少であれば工房にハギレも置いていますし(別料金)、ネットショップでの選び方もご相談に乗ります。
Tさんはお祖母様の若い頃のお着物をお持ちになりました。
刺繍部分にアクが出ていて着ることができないということから、これで筥迫を作りたいとのこと。
思い出の着物を筥迫にリメイクするというのは、素敵な有効利用活用ですね。
この出来上がった筥迫を見せたら、お祖母様はどんなに喜ばれることでしょうね。
お若い方が筥迫を習いにくるというのも珍しいことですが、Tさんのお母様は着物に一切関心がないにも関わらず、成人式に筥迫をプレゼントしてくださったとのことで、その筥迫を身につけた写真を見せてくれました。
お母様がなぜ娘に筥迫をプレゼントしようと思ったのかが謎ですが(売っているところもあまりないのに!)、それによって彼女が今この場にいる訳ですし、ご縁というのは不思議なものです。
ただし、七五三で筥迫を身につけた時の記憶は残っているということだったので、あの時の筥迫!がフラッシュバックしたのかもしれませんね。
七五三の筥迫は幼い少女の琴線に触れる可能性が高いので、今時の写真館だけで七五三を済ませてしまうのはあまりにも勿体無い。
この年頃の女の子たちには、直接筥迫に触れる体験をさせてあげてほしいと思ってしまいます。
筥迫&懐剣 体験講座
開催日が飛び飛びの教室では遠方の方が参加しずらいことから、以前、連日開催で筥迫と懐剣の講習会をやってもらいたいというご依頼があり、お針子会で2日連続の単発の体験講座をしたことがあります。
そして最近、同じように二日連続の講習会を再び開催してもらえないかという遠方の方からのご依頼がありました。
お二人での参加希望ということもあり、会場はあくまで筥迫工房に来ていただくならという条件で、教室開催日とは別枠で二日連続の「縢襠筥迫」の体験講座をすることになりました。
今回は、体験講座の後に家に帰って自分でも筥迫を作ってみたい!ということなので、懐剣はつくりませんが、「玉縁」や「飾り房」の結びまでしっかり作ります。
通常の体験講座は教室開催日に行うため、通常の生徒さんたちもいるので付きっきりで面倒を見ることはできませんが、同じ物を全員で作るような講習会形式であれば効率的に作業が進みます。
二日集中で筥迫を作りたい!という方がいらっしゃいましたら、この機会に是非ご参加ください(あと2名だけの募集ですが)。
三連日にはなりませんが、懐剣を作りたければ、別の教室の日に3回講習で受講も可能です。
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臨時体験講座『縢襠筥迫&懐剣』
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3月15日(金)、16日(土)2日連続
縢襠筥迫(本式/玉縁付)
両日とも12:00〜17:00
※定員に達したので締め切らせていただきます。(2024.1.18)
筥迫講師資格C
通年開催の教室では、最近「筥迫講師資格」を取得したいという方が増えました。
何回のカリキュラムで取ることができますか?といったお問い合わせもいただくのですが、講師資格のカリキュラムはあっても、それを一定数こなせば取得できるようなものではなく、あくまで実技テストに合格するか否かなので、期間は人によってかなりの違いがあります。
筥迫工房の教本で筥迫を作れるようになったからといって、これなら人にも教えられる!と思う方が多いようですが(許可なく勝手にしないでね)、筥迫作りは同じ作業の繰り返しはあまりなく、工程ごとに要素が変わっていくので、それを複数人相手に、制限時間内に、失敗なく、最後まで作らせるのはけっこう大変です。
「筥迫講師資格C」は、筥迫数種と婚礼用和装小物に限っての資格ですが、筥迫は技能レベルを3種に分けているので、講師資格Cは一番簡単な筥迫の作り方を教えられるという資格になります。
私は今後も遠方まで行って講習会を開く気はないので、いつかは袋物全般を教えられる講師が増えて、その人たちが全国に散らばって教えてくれたらいいなぁと密かに願っています。
そして最近は「講師資格」の他に、「販売資格」や「職人資格」を目指して頑張っている人もいて、ありがたいことに今まで私一人がやっていたことを代わりにできる人が増えてきました。
おかげで今年からは、自分が本来やりたかったことに時間が注ぎ込めそうです。
こちらは、講師資格を目指して現在特訓中のHさん。
最近、毎回お着物を着ての参加です。
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新しい年の幕開けと共に大きな災害と衝撃的な事故が相次ぎ、なかなか頭が追いつきません。
今日に至っても強い余震に見舞われている被災地の方々のことを考えると、とにかくご無事であることを祈らずにはいられません。
新年のご挨拶として今回の「椿」の花独楽動画を用意していたのですが、さすがに元旦から投稿する気になれず、三日遅れとなってしまいました。
花独楽は「はなごま」と読み、字の如くお花の形をしたコマです。
以前「誰ヶ袖」を作る際に江戸時代の資料を調べていたところ、誰ヶ袖に関連して書かれていた細工物の一つに「花独楽」がありました。
当時は「花独楽って何よ?」と思ったぐらい、現代ではほとんど忘れ去られている物ですね。
その昔は着物に穴が空けば、それ解いて使える部分をはぎ合わせて襦袢や腰巻きにしたり、それがまた穴があけば細工物に使ったりと、布は最後の最後まで徹底的に使い倒すという文化でした。
江戸時代には、天秤棒をかついで売り歩く「はぎれ屋」なる商売もありました。
縮緬で作る「縫う」お細工物は現代でも伝承されていますが、「貼る」花独楽はすっかり消滅してしまったのが不思議です。
私の作る花独楽はあくまで現代版ですが、リアルな花型を目指しつつ、よく回るように重心を工夫しながら暇暇に楽しみながら作っています。
ある程度種類が増えてきたので、去年の夏に「朝顔」を公開するつもりでいたのですが、コマは画像にするより動画だよなぁと思うと、セッティングが面倒でついつい後回しにしてきた結果、気がつけば季節はすでに秋。
それなら「コスモス」にチャレンジ!と思ったものの、バタバタしているうちにまたしても季節外れに、、、。
ということで、新年こそは絶対「椿」を出す!と心に誓い、12月に用意していたものです。
さざんか、寒椿、椿
今回添えた蕾の枝は「寒椿」です。
以前から花独楽の動画には本物の花や葉っぱを添えようと考えていたのですが、街中を気にしながら見てみると「さざんか」は至る所に咲いているのに椿はなかなか見当たりません。
それにしても今まで椿を意識して見ることはなかったのに、無意識にも「さざんか」と「椿」を見分けている自分に気がつきました。
「さざんか」はヒラヒラとした薄い花びらが平べったく全開になった花型。
椿は花型がカップ状で花びらがやや厚くぽってり咲いている花型。
このぽってりした椿の花が見つからないのはなぜだ?と思って調べたところ、「さざんか」が咲く時期は10〜12月、椿は12〜4月頃とのことで、季節がずれていることがわかりました。
12月なら二種類ともダブっているはずですが、途中で固い蕾を付けた椿の葉っぱを見つけたので、このところ暖かい日が続いていたし、花が開くのが遅れているのかもしれません。
そんなことを知り合いに話したところ、「家の寒椿なら咲いているよ」と言うことで蕾を持って来てくれました。
しかし葉っぱの周囲にギザギザがあり(ギザギザが目立つのはさざんか)、花弁も一枚づつで散っているとのことで(椿は花ごと落ちる)、「寒椿」とはこれ如何に?ということで調べたところ、寒椿はさざんかと椿の交雑種とかさざんかの仲間だとかで、椿というよりはさざんかの花に近いように思います。
開花の時期もさざんか→寒椿→椿という順番で咲くそうで、これを目で見て区別するのは難しそうです。
ただ花独楽にするには、カップ状の花型の山椿(やぶ椿)よりも全開になるさざんかの花型の方が安定感があるので、無理に区別しなくてもいいかも(笑)。
ちなみに、俳句では、椿は春の木と書くように春の季語で、寒椿は冬の季語だそうです。
椿は縁起が良いか悪いか?
私が子供の頃には庭木に椿を植えている家をけっこう見かけたような気がするのですが、まだ季節ではないにせよ、やはり減ったような気がします。
東京は狭い庭に植えられているからか、子供心に葉の色が濃く鬱蒼とした椿の木に何となく陰気な雰囲気を感じたものですが、こうやって椿が減っている状況に何だか郷愁さえ感じてしまいます。
もしかしたら椿が見なくなったのは「チャドクが」の影響があるかもしれませんが。
地域によって椿は「忌木」で庭に植えることを嫌う地方がけっこう多いということを知りました。
武士の時代に椿が花ごと落ちることから縁起が悪いとか、さざんかを売り出すためにそんな噂を流したなどの俗説があるようですが、「梅」が中国から渡来する遥か昔の日本では、「松竹梅」ではなく「松竹椿」といわれほど縁起のよい植物とされていたそうです。
また古事記には、椿が呪術的な霊木として扱われています。
神棚に飾るのは「榊」ですが、榊の生育しにくい土地では椿やさざんかの葉が代用されているそうです。
このように椿は「魔除け」として庭に一本植えておくと「結界樹」になったり、生垣にして魔の侵入が防ぐという話もあるので、一体どこで「忌木」に切り替わってしまったんでしょうね?
椿の学名はCamellia japonica(カメリア・ジャポニカ)ですが、日本の固有種というわけではなく、日本や中国、朝鮮半島、台湾に渡って原産地とされています。
対して、さざんかの学名はCamellia sasanqua(カメリア・サザンカ)で、これこそ日本の固有種であり、和名がそのまま学名になっているのだそうです。
ちょうど先ほど知人が開花している寒椿の画像を送ってくれたので、私も近所に咲いていたさざんかを撮影したので追記します。(2024.1.3 15:50)
ほぼ同じ、、、ということで調べた結果、寒椿の方が少しだけ花弁の枚数が多く、寒椿は低木が多いようですが、ししがしらという品種は背丈が高くなるなど、品種も色々あるので結局は専門家でも見分けるのは難しいらしいです。
街にはさざんかばかり!と思っていましたが、実際には寒椿もたくさん咲いているようですね。
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]]>こちらは2016年に開催された中山きよみ先生の日本刺繍教室(金沢)の生徒さんたちによる『飾り筥展(中山きよみ+13)』の中の作品で、筥迫工房がお仕立てさせていただいたものです。
クリスマスなので、何かプレゼント的なイメージの画像はないものかと探して、こちらの華やかな『鳳凰あしらい』を選んでみました。
こちらは背面です。
定家文庫は前面に大きな飾り房がかかるので絵が隠れてしまう部分があるのですが、こちらの作品では前面、背面とも同じ刺繍が施されています。
友禅の着物地に日本刺繍をあしらった作品なので、柄合わせはされていませんが、奇跡的にも定家文庫にジャストサイズに配置sがすばらしい。
定家文庫は現代ではなくなってしまった文化ですが、以前どうしてもこれを現代に再現したいとの思いから、桐箱などの材料を全て特注で調達しました。
桐箱もただの箱ではなく、化粧箱仕立てになっています。
この当時は私がつたない飾り房を作りましたが、現在では専門の職人さんに協力していただき、かなり立派な房になっています。
在庫が全てはけた時にこれで終わりにしようと思ったのですが、需要があり最近また復活しました。
定家文庫と筥迫は似て非なる物です。
定家文庫は京阪の古風を残す文化のひとつで、江戸では従来よりこれは用いていないそうです。
他方、筥迫は江戸文化と東西にはっきりと分かれます。
筥迫もすたれつつあるとはいえ現代でも愛好者は少なからずいますが、定家文庫は関西固有の文化であるにも関わらず、当地の人たちから完全に忘れ去られている文化です。
こんな素敵な飾り箱なので、是非関西の刺繍愛好家の方達に作っていただきたい。
材料が全て特注品なので仕立てはお安いとは言えないのですが、他にはない古風な定家文庫を作りたい方は是非お問い合わせください。
大谷選手にみる江戸人からのDNA
最近の大きな話題といえば、大谷選手のトレードで盛り上がりましたね。
その入団会見で、大谷選手が身につけていた「時計」がグランドセイコーの「SBGM221」だったことが海外の人たちの間で話題になりました。
あれだけの契約金を手にするのに、その価格である60万5000円はあまりにもささやかということのようですが、大谷選手が日常生活でも全く「物欲」がないことは有名で、さもありなんという感じで好意を持って伝えられています。
なぜ今回この話題を出したかと言えば、ちょうど今私が読んでいる「逝きし世の面影」(渡辺京二著)という本の中で、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人によって伝えられた当時のリアルな日本人像と、今回の大谷選手に対する外国人の評価に似たものを感じて、ちょっと和んでしまったからです。
今回はこの本から、第三章の「簡素とゆたかさ」の内容を少しご紹介致します。
現代に生きる私たちにとって、封建社会の中で生きていた当時の日本人は、圧制的な支配に苦しめられていたというイメージを持っていると思います。
当時の外国の人々も同様の情報を持って日本にやってきたのですが、実際に彼らが見た日本は、それが事実であると同時に、全く反対の印象を持って不思議の国日本を観察しています。
それは、重税で貧乏を余儀なくされている民衆が、それにも関わらず豊かな環境の中で満ち足りた生活をし繁栄していたことでした。
中でも当時の外国人が共通して書いていることが、世界のあらゆる国で貧困に付き物の「不潔さ」というものが、日本には少しも見られないということが驚きを持って伝えられています。
気候よく、豊かで肥えた農地は美しく整備されてはいるものの、収入に対し不相応なほどの重税が課せられているため、人々は余剰がなく一様に貧しい生活である。
しかし日本の貧困には、当時の欧米における貧困が誘発する不潔さ野卑や犯罪がないことが驚愕であったようです。
ロンドンのスラム街といえば、市場では腐った野菜や果物が平然と売られ、肉屋からは不快な臭気が漂っている。
住人の家には完全な窓ガラスはほとんどなく、壁は砕け、戸柱や窓枠は壊れてガタガタの荒廃した有様である。
それに対して日本では、貧民ですら衣服や住居は清潔で、人々は小屋まがいの家に住んではいるものの、壊れた家や農作業小屋は見当たらず、家の中は汚れた長靴で立ち入るのをはばかるほど清潔だと書います。
イザベラ・バードに至っては、日光の町の街路があまりにも清潔に掃き清められているので、泥靴でその上を歩くのが気が引けたとさえ言っています。
また貧富の差に関わらず、総じて日本の家には自分たちが「家具」と呼ぶような物が一切ない、ということもよく書かれています。
上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人々とさほど違った食事をしている訳ではない。
日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
外国人からすれば家具のない家は全く快適には思えないのに、日本人はと言えば、自分たちには雨露をしのぐ屋根もあるし、食べる米ぐらいは持っているぞ!と至って満足な様子です。
「たしかに、これほど厳格であり、またこれほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」。
幸福より惨めさの源泉となり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲にもとづく競争がここには存在しない。そして彼は 「幸福な農民生活」についての或る詩句を、まさに日本にふさわしいものとして引用する。
「気楽な暮らしを送り、欲しい物もなければ、余分な物もない」。
このように、当時日本を訪れた外国人たちは一様に「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」「生活が容易で単純な国ではほとんどすべての者が貧しいが、悲惨なものは一人もいない」「日本人は要求が低くて、毎日の生活が安価に行われている」と言っています。
当時の欧米人が到達した物質文明の基準からみた「豊かさ」ではなく、日本人のそれは次元の異なる「豊かさ」であり、「彼らの全生活に及んでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかがある」と述べています。
大谷選手をこの時代の貧しい人々とは比べようもありませんが、「他の東洋諸民族と異なる日本人の特性」として「奢侈贅沢に執着心を持たない」「スパルタ的な習慣の簡素さ」には大いなる共通性を感じてしまいます(笑)。
世界最高峰のメジャーリーグで野球選手として活動できることが彼にとっての望みの全てであり、その他は「欲しい物もなければ、余分な物もない」ただただシンプルな生活(有り余るお金は銀行に預けておけば邪魔にもならない)。
贅沢さが欠如しているがための豊かさ。
大谷選手は、現代にあって江戸人のDNAを誰よりも強く引き継いでいる人なのかもしれません。
最後に、高貴な方のシンプルな住居で思い出すのがこの一枚の画像(2016年の平成天皇)です。
海外「これが日本との差だ!」 皇居で行われたご会見の光景にアラブ社会が衝撃
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守り袋の第二弾は「白麻」についてお話ししたいと思います。
地味な内容ですが私的には大好きなテーマの一つです。
このブログをご覧の方は布や着物に興味のある方が多いと思うので、日本文化のちょっとしたウンチクとして楽しんでいただければ幸いです。
かつて守り巾着には「裏には必ず白麻を用いる」というお約束がありました。
今回はその由来と、日本文化に深い関わりのあった「麻」という存在が、現代でなぜここまで遠い存在になってしまったのかについて詳しく書いてみようと思います。
「日本嚢物史(大正八年)」には、守り巾着と白麻のことがこのように書かれています。
茲に注意すべきことは此種の守巾着は表は如何なる高償な帛地でありましても裏には必ず白麻を用ひることであります。
此風習は古くから存在して居るものでありますが、何の爲めに特に麻の帛を用いるのでありますか、その研究をいたして見ますと、斯う云ふ所から起つて居るものであることが解りました。
我が國太古に於きまして麻布を織り之を着用しまして、その精巧に織ったものを神に供物として捧げましたことが、太古より行はれました神事の一として傳はつた事に基いたのであります。
井戸文人「日本嚢物史」, 大正八年 , P.69-70
昔の文章は読みづらいですね。
要約すれば、守り巾着で注意すべきことは、表にいかなる高尚な布を使ったとしても裏には必ず「白麻」を用いるということ。
この風習は古くから存在しているもので、麻の布を用いる理由は、太古より麻布で織ったものを神に供物として捧げたことが神事の一つとして伝わったと書かれています。
日本人と「麻」の関係
皆さんは「布帛(ふはく)」という言葉をご存知でしょうか。
布帛はいわゆる「布」の総称です(対する言葉は「編み物=ニット」)。
布帛の「布」は綿や麻などの「植物」を素材とした織物のことで、「帛」は「絹」を素材とした織物を指します。
明治以降に「化学繊維」が登場してからは、レーヨンの「人絹」に対し絹を「正絹」と呼ぶようになったと思いますが、江戸時代までの織物は「布」と「帛」しかないんですね。(ウールも明治以降)
しかし日本人が「綿」を着るようになったのは近世(ほぼ江戸時代)になってからで、対して「麻」は人類最古の繊維として、我が国においても綿よりもずっと古い歴史があります。
「絹」も古い歴史がありますが、絹などというものを着用できたのは上流階級のみで、一般の民衆は歴史の長きに渡って「麻」を着用していたのです。
麻は衣服の他にも和紙や油などにも用いられ、古くから日本の衣食住に深い関わりを持っていました。
特に「白の麻布」は、清浄、潔白、穢れを祓う神聖な植物として、古来より日本の「神事」に深い関わりを持っています。
この神事に欠かせない白麻の素材となる植物こそが「大麻」です。
そう、現代においてニュースなどでお騒がせの、あの「大麻(たいま)」から作られた布こそが本来の日本の「麻」なのです。
麻であって麻でない?
皆さんは「麻」というと何を連想するでしょう。
私は夏に用いるリネンの服や布巾とかですかね。
「リネン」はフラックス(またはリナム)という植物を素材にした織物で、和名は「亜麻(あま)」といいます。
「亜麻色の髪の乙女」は、このフラックスを紡いだ糸が薄い栗色の髪のような美しい色をしていることに例えられています。
フラックスの種子は亜麻仁油となります。
もう一つ、着物を着る人であれば、宮古上布や越後上布などの上等の麻布を連想されるかもしれません。
上布の素材となる「苧麻(ちょま/からむし)」は、海外では「ラミー」と呼ばれています。
ただし日本における「亜麻」の登場は明治以降からであり、太古の昔から日本に自生していた麻こそ「大麻(たいま)」と「苧麻(ちょま)」なのです。
しかし現代では、大麻の繊維から加工された製品は「ヘンプ」と表記しなければなりません。
麻には他にも色々な種類があり、麻袋などに用いられる黄麻は「ジュート」、洋麻は「ケナフ」と呼ばれます。
これらは全て同じ「麻」なのですが、日本の家庭用品品質表示法において「麻」と表記していいのは、なぜか「リネン」と「ラミー」の2種類に限られています。
多分多くの方は「麻」が採れる植物は全て「アサ科」の仲間だと思っているかもしれませんが、日本における「麻」の定義は「植物から採れる繊維全て」なのです。
つまり「麻布=植物布(セルロース布?)」ということですね。
実際の画像を見ていただければおわかりになるかと思いますが、フラックス(リネン)は「アマ科」、ラミーは「イラクサ科」、ジュートは「シナノキ科」と、全て見た目も異なる植物です。
そして、本来の「アサ科」に属する植物こそが「大麻(ヘンプ)」なのです。
法律上「麻」の一文字表記で販売できるのがリネンとラミーの2種に限定されるのは、結局のところ大麻からはあの違法薬物が取れてしまうことがやっかいな問題なのでしょうね。
実際に大麻を使った産業用製品は、ヘンプのアクセサリー、お盆の際に使うオガラ、大麻布として一般に流通されており、これらは「合法」とされています。
しかし「麻」の一文字で表記することは「違法」ということなんです。
日本で太古より「アサ」と呼ばれ親しまれてきた大麻が、現代では「アサ」として扱ってはいけないというあまりにもセンシティブな扱いにより、現代人から「大麻=麻」というイメージが完全に消え去ってしまいました。
布もできれば、薬物(医療用も含め)も抽出できるとなると万能な植物とも言えるのですが、事実、大元の「大麻草」から派生する用語はその部位ごとに異なり、合法、違法が分かれます。
日本では「草」「花穂」「根」は違法で「茎」「種子」は合法ですが、その栽培には特別な免許が必要です。
「麻」=植物から採れる繊維の総称。
「大麻草」=大麻という植物のこと。
「大麻」=法律で規制されている大麻草の部位(葉と花穂)を加工した薬物の総称。
「マリファナ」=葉と花穂を乾燥させてタバコにしたもの。
「ヘンプ」=茎の皮を加工した繊維。産業の分野でマリファナと区別するために使う単語。
「麻の実(ヘンプシード)」=大麻草の種子。食用となる(鳥のエサ、油等)。
(根)=茶、製剤、土壌改良。
「麻の実」は身近なところでは「七味唐辛子」に含まれています。
七味の中の一番大きな粒が麻の実です(あれ邪魔だったなぁ)。
この麻の実は、必須アミノ酸9種が全て含まれている食材として近年注目されているスーパーフードなのだとか。
種なので植えれば大麻が育ってしまうわけですが、そこは発芽しないように加熱処理されているそうなのでご安心を。
日本の文化・生活に身近だった大麻
日本人に大麻が身近だったのは、雑草よりも成長が早く、少量の水で育つためどんな土地でも栽培でき、害虫や病気にも強く、肥料も必要ないことから、日本の風土に適した植物だったからです。
丈夫で成長が早く放っておいても元気に育つという特徴から、縁起物として乳児の産着に「麻の葉模様」が使われますが、その模様をよく見てみれば特徴的なあの大麻の葉がデザインされていることがわかります。(実際の葉は7枚に割れているのに、模様になると全て6枚なのはなぜ?)
忍者は毎日大麻草を飛び越して跳躍力をつけたなんて話があるのも、いかに大麻の成長が早いかを示したものです。
扱いの難しい大麻でありながら完全に排除できなかったのは、日本の文化の中に深く根付き、象徴的に使われているものが多いからなんですね。
特に欠かせないのが「神事」です。
その代表格はお祓いの際に用いるお祓い棒で、そのままの名称で「大麻(おおぬさ=ぬさは麻の古称)」と呼ばれます。(太古の昔は麻布が使われていた)
伊勢神宮のお札「神宮大麻(じんぐうたいま)」も有名です。
神社の鈴縄、しめ縄、まわしの綱、お盆の際に使う「オガラ(アサガラ)」など、私たちの身近にある物にも使われています。
お札やお守りを数える単位は「体」で、一体、二体、と数えます。
そのような理由から、神聖な物が当たる守り巾着の内側に「真っ白な麻布」を用いるという慣わしが出来たのでしょう。
ちなみに、白麻がないときは「白のさらし」を使っても良いそうです。
以前ご紹介した「真向き兎の守り巾着」は裏に耳中と同じ鹿の子柄を用いていますが、名称をただの「巾着」にすれば一般的な手提げバッグのイメージが強くなってしまうので、綿を詰めて形を作った「お飾り巾着」は守り巾着の属にしました。
実際に中にお守りを入れるならば裏布を「白麻」にすれば良いでしょうし、でも裏布には柄物を使いたい!ということであれば、口周りから下を麻布に切り替える、または護符を白麻に包んで入れてみてはいかがでしょうか(←あくまでクリスチャン的思考)。
袋物は外観の違いで名称が変わりますが、中の使用はさまざまだったので、裏に白麻を使うかどうかはそれぞれの判断でいいのではないかと思います。
ただ本来の文化を知って楽しむのも袋物細工の醍醐味なので、守り袋のお約束「本当はこうなのよ」という感じで伝承して欲しいとは思います。(ただし、お願いだから守り巾着警察にはならないで!)
大麻ではないですが、Instagramにインドでのジュート布(黄麻)加工の動画がありました。
動画では水に浸して発酵させていますが、その昔のリネンの加工も、同じように水に漬けたり自然な環境で腐らせてから叩いて加工するという工程だったようです。
何やら原始的にも思えますが、栽培に大量の水と農薬を必要とする「綿花」は環境破壊が問題視されているので、水も農薬も最小限で育つ大麻の栽培は、資源として海外でも見直される傾向にあります。
いつか日本でも法律が改正される日が来るかもしれませんね。
守り袋(1)腰提げ守巾着とは
守り袋(2)守巾着と「白麻」
守り袋(3)守袋と守刀
守り袋(4)懸守りとは
守り袋(5)懸守り「勇肌の銀鎖」
守り袋(6)守袋「近代常用」
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こちらはご存知の方も多いかと思いますが『秋乃ろーざ』さんです。
ろーざさんが懐中されている筥迫は正真正銘、江戸時代の筥迫なんですよ、すごくない?
それも同じ時代のびら簪付き!
当時のびら簪はこんなに大きく、下りもやたらと長かったんです。
江戸時代の筥迫は美術館などで見る機会はありますが、びら簪はあまり出てきません。
美術館が江戸時代の筥迫に近代サイズのびら簪を合わせているのを見ると、それ違うからやめて!と言いたくなります。
近代のものとは間違えようもないほど、時代の物とはあまりにも大きさが違うからです。
そもそも筥迫がこんなに大きいのですから、びら簪だってそれに比例して大きくなければバランスが取れません。
画像だと筥迫もびら簪もそこまで大きく見えないですけどね。
こちらの画像の方が筥迫の大きさがわかりやすいかな?
写真も美しいですが、ろーざさんのような方が着物を着て、見たこともないような奇妙な装身具を懐中した姿は、ちょっと現実離れした雰囲気があります。(森の中に閉ざされたお姫様みたい!)
当時の筥迫は正装をする際に付ける物だったので、実際はこれにボリュームのある「打掛」を着用していましたが、それがどれだけ威厳に満ちた姿だったか、この画像から想像してみてくださいね。
大奥ではこのような筥迫を身につけることができたのは「お目見得以上」ですが、詳しくはその中の「中臈(ちゅうろう)以上」といわれています。
つまり極限られた上位の人々であって、一目でその位がわかるという出立ちです。
テレビドラマで使われている筥迫なんて、将軍の正室であろうとも薄っぺらな(胴締めさえ付いていない)ただの紙入れを懐中しています。
お目見得以上でそんな紙入れを懐中していたら、一目で「格下」ということがわかります。
私はね、江戸時代の筥迫は相手を威嚇するための道具だと思っているんですよ。
風俗博物館の「箱迫」の解説にも「一種の威儀具のような贅沢品へと紙入を脱皮させた」とあります。
威儀具というのは権力を誇示するために使う道具のことなので、今時の婚礼サイトで説明されているような化粧ポーチなんて生優しいものなんかじゃないってことです。
こんな筥迫を付けて怖い顔をした人が目の前から歩いて来たら、反射的に平伏してしまいそうだと思いませんか?
しかしこのように派手派手しいびら簪は、大奥では「軽薄」といって用いられませんでした。
つまりこのびら簪の出所は、江戸城下の武家屋敷に住んでいた各藩大名家の姫君たちの持ち物ということになります。
大名家とは私ら格が違うの!と示したいがために、篤姫の筥迫は懐中できないほどの大きさにして差別化を図ったようです。
でも実際は羨ましかったんじゃないでしょうかね、だってびら簪がついている筥迫の方がずっと素敵だと思いますもの。
私がこの画像を見て何よりびっくりしたのは、江戸時代に作られたこの大きな筥迫を、現代で実際に懐中しようなどと試みる人がいたということです。
現代で着物好きな人たちは襟元を絶対に崩したくない!という人がほとんどなので、近代の筥迫の厚みでさえ許容されずに筥迫は薄く小さくなるばかりです。
最近はこれが極まり、花嫁さんの筥迫からその象徴ともいうべき胴締め(+巾着)が取り払われ、小さな紙入れが花嫁の胸元に鎮座しているのが現実です。
しかしそんな私でさえ、この4〜5cmもの厚みがある筥迫を現代の着物に懐中しよう(させてみよう)なんて発想すらなかったです。
日本という国で子供の頃から自然に植え付けられた、着物とはこうあるべきという認知バイアスから免れることはできなかったようです(汗)。
多分、母国の違うろーざさんだからこそ、そんなバイアスにとらわれない発想ができたのだなとしみじみ思いました。
もちろん現代の花嫁さんがこんな大きな筥迫を懐中したら、花婿さんは上下(かみしも)ぐらいのスタイルにしないとバランスが取れそうもないので(笑)、せめて近代の本式筥迫を身につけて、胸元を立派に飾ることが美しいという価値観に立ち戻って欲しいです。
それにしても、ろーざさんあっぱれです。
今後も懐中物を身につけた美しい画像をInstagramで拡散していただけると嬉しいです。
秋乃ろーざさんのInstagramはこちら→ @akinoroza
ブログはこちら→ 秋乃ろーざofficial blog
アメリカのマニアックな人たち
ろーざさんとは、数年前に「携帯化粧道具入れ」についてお問い合わせをいただいたことで知り合いになり、このブログでもご紹介させていただきました。
その後もメールで何度かやり取りがあり、いつか直接お会いしてお話ししたいと言われていたまま実現することなく現在に至っていました。
しかし今回ろーざさんがInstagramにこの画像をポストされていたのをきっかけに、急遽工房でお会いする運びとなりました。
そして、Instagramに一緒に写っているアメリカのお友達が来日しているので、「筥迫好き」だから是非連れて行きたいということでご紹介いただいたのがこちらのベッキーさんです。(アメリカ人の筥迫好きってどーゆうこと??)
お二人はアメリカの、日本の着物文化好きな人が集まるSNSのグループで知り合ったそうで、着物の「胴抜き」について議論しあうような、なんでアメリカ人がそんな言葉知っているの?というようなやたらマニアック人々の集まりに属しているようです。
そして、今回の筥迫に付けられた「びら簪」こそベッキーさんのコレクションだったということで、このびら簪を工房にも持ってきてくださいました。(筥迫はろーざさん所有のもの)
私自身、この時代の筥迫びら簪を触ったのは初めてだったのでとても嬉しかったです。
現代のびら簪が下にちょっと映り込んでいいるので何となく対比がおわかりになるかと思いますが、こちらは平打ち部分が約4x5cm、足の部分が約12cm、下りの鎖部分が金具を含めて16cmという大きさです。
対して現代のびら簪は、平打ち部分が直径約3cm、足の部分だけで約7.5cm、下りの鎖部分がびらびら金具を含めて9cmです。
日本人でさえ見る機会のない江戸時代の筥迫びら簪を、なぜにアメリカの方が持っているのか謎すぎますが、これはベッキーさんのご主人からお誕生日にプレゼントされたものなのだそうです。(そんなダンナ様羨ましすぎる)
下りの金具も色が違ったり、形が違ったりが可愛い♡
ベッキーさんと蘇った花嫁衣装のこと
ベッキーさんは、アメリカで入手した日本の古い着物の復元をされている方なのだそうです。
彼女のブログには着物のクリーニングや汚れの除去、金彩と顔料の交換、縫製と修理、という内容が書かれていました。
ろーざさんの通訳を介してだったので間違って理解している部分があるかもしれませんが、彼女が修復したという赤い婚礼衣装のお話を書きたいと思います。
ベッキーさんのご主人は日系3世で、この着物はご主人のお祖母様が日本から持ち込んだ花嫁衣装なのだそうです。
こんなに立派な花嫁衣装を用意されたお祖母様のご両親は、どんな思いで娘をアメリカに送り出したのでしょうね。
時は第二次世界大戦、日系人や日本人移民は強制収容所へ収監されることになり、お祖母様はこの花嫁衣装を手放さざるを得なかったそうです。
ベッキーさんはそのお話を聞いて、何とかその着物を取り戻したいと、年月をかけてご主人の家の「家紋」と「白い鳥」を頼りにこの花嫁衣装を見つけ出しました。
広大なアメリカの中から一枚の婚礼衣装を探し出すとは、気の遠くなるようなお話ですね。(あれ?ebay入手と言っていたかな?)
やっと出会えたお祖母様の花嫁衣装でしたが、年代物なりのダメージがあり、これを一年以上かけて修復されたそうです。
こちらは鳩のシミ取り。
こちらは金彩(銀)の修復のようです。
薄くなった鳩のお目目も書き足したり刺繍を施したりしたそうです。
すでにお祖母様は亡くなられているそうですが、大事な花嫁衣装が無事取り戻され、更には孫嫁によって美しく見事に蘇ったその姿に、天国からどんなに喜んで見ていることでしょうね。
最後はこちらのベッキーさんの着物姿。
刺繍の筥迫に江戸時代の筥迫びら簪を合わせた写真が面白かったので、こちらの画像もお願いしていただきました。
このびら簪の大きさがよくわかるというものです。
さすがに前面部は邪魔だったのか背面部に差し込んでいるようですが、ここには入らないはずなので少し剥がしたのかな?
筥迫を入れた姿を見てアメリカの人には何と言われたのかお聞きしたところ、「そのお財布なに?」だったそうです(笑)。
ベッキーさんのInstagramはこちら→ @soulsatzer0
ブログはこちら→ Silk & Bones
ろーざさん、ベッキーさん、画像を快く使わせていただき、本当にありがとうございました。
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]]>折りしも時は七五三シーズン、教室の生徒さんが「男児の七五三の袋物細工が作りたい!」といったことから「懐剣&守り巾着」を作ることになりました。
現在、生徒さん向けに公開している巾着は「真向兎の守巾着」と「柿型巾着」なのですが、柿型巾着と子供用懐剣をセットにして作りたいとのこと(画像の物は柿型巾着に非ず)。
柿型巾着の作り方はとても単純なのですが(綿入れ造形というよりも折り紙!)、これを本来の「守り巾着」とするために、古式に則った作り方で拵え書を作ることにしました。
その流れで本来の守り巾着について調べたこともあるので、今回はこの「守り巾着」について、またしても連載で書こうと思います。
私の袋物制作は、すでに失われてしまった文化を現代に再現することを目的としています。
この時代の袋物を作っていた職人はすでにこの世に存在しないので、私にとっての「袋物を作る」ことは、同時に「その時代を調べる」ことも意味します。
古い物を作っていると、その時代ごとの日本人固有の感性の中で作られてきたと感じることが多く、同時に現代の私たちの感性がかなり西洋に偏っていることを思い知らされます。
アンティークの袋物を入手すれば現代でも似た物を作ることはできるとは思いますが、現代の感性にどっぷり染まった人間が作ると、見た目だけを真似した簡易版を作る羽目になってしまいます。
事実、現代の袋物は昔の名称を使った劣化版に溢れています。
「私の作りたいのはそれじゃない!」という思いから、自ずとそれらが使われていた時代背景から調べていことが常となりました。
今回の「守り巾着」は「懸守り」からの系譜なのですが、わかりやすく「守り袋」でまとめてみました。
最終的には「銀鎖の懸守り」まで行きつくことになると思うので、飛び飛びになるかもしれませんが少しずつ区切りながら書いていこうと思います。
腰提げ「守巾着」
画像の巾着は以前にもブログにアップしたものですが、かつて講習会をしていた「お針子会」のフリーマーケットで入手したものです。
「こんなものを欲しがる人なんて、あなたぐらいしかいないから」と事前に連絡をいただいたのですが、絶対に売れ残るから責任を持って引き取って欲しいということらしい(苦笑)。
確かにこんな物は需要がないどころか、何に使うものかさえ知らない人がほとんどだと思います。
これは子供の腰(帯)に提げることを目的とした「守り巾着(まもりきんちゃく)」という物です。(表題の場合は送り仮名の「り」を省略します)
以下は大正八年に発行された「日本嚢物史」(井戸文人)に書かれた守り巾着からの引用です。
宮詣とか、七五三の祝などに、氏神詣をする際、必ず之を帯ぶるものでありますから、親戚知己からこれを祝ひますが、これには随分数奇を凝らしたものもあります。(P.68)
七五三と云うのは、子供が七五三の年に氏神に無事を長久を祈る為に参詣するのでありますが、綺羅を飾るものは其子の衣装に数千金を抛(なげう)つこと往々あります。
従って守り巾着の如きも其祝には親戚等からも之を贈るを例とするのであります。
従って其需要も夥(おびただ)しく御座いますから、遂に巾着ばかりを裁縫する一の職業が分離したのであります。(P.69)
お宮参りや七五三などの儀式用に親戚知己からお祝いとして贈られるものがあり(常用の守り巾着とは別)、大正時代はその衣装に贅をこらす人が多かったので、このような守り巾着にも豪華な装飾(多分刺繍)を施したものが作られました。
この時代には子供のお祝いとして定番の物で需要が高かったことから、それだけを専業とする職人がいたということですね。
それを考えると、上の巾着は晴れ着用に販売された上等品のようです(三越謹製)。
生まれたばかりの赤ん坊の産着の紐に、守り巾着が付けられた画像を見たことがあります。
帯解き前(七歳前)なら兵児帯に通したのでしょうが、古い守り巾着には根付が付いているものもあるので、このような物は帯に通したと思います。
本来は守り巾着の中に社寺で授与された守札や護符を入れますが、この巾着の口には「封じ帯」が付いたままです。
以前巾着の封じは、それが開けられていないこと(新品)の証なのか、守札や護符を入れた後に封じたものなのかわからない状況でした。
しかし今回いくつかの封じを解いてみたところ、護符の類は入っていなかったこと、また一般人が処理するには難しいしっかりとした封じ方だったので、今では封が開けられていない証だと確信しています。
今回ご紹介している古い守り巾着のほとんどに封じ帯が付いていますし、こちらの守り巾着が入っている桐箱の蓋はガラス張りになっているので、時代が下がるにつれ、中に護符は入れることなく、ただの風習として飾って楽しむ物になって行ったのでしょう。
現代の七五三男児の小物に使う「懐剣セット」にも「お守り」が付いています。
かなり存在感ないので気がつく人も少ないかとは思いますが(実際に羽織の下に隠れてしまうので)、あれはこの守り巾着の名残りなのでしょう。
あの懐剣セットを販売する際に、お守り袋の中に護符を入れて販売することはあり得ないと思いますが、買った人もわざわざあの袋を開いて護符を入れることは稀だと思いますので(知っていればいれるでしょうが)、こちらも完全に形だけの物と思います。
ちなみに袴姿の場合は、守り袋は袴の紐に通すそうです。
すでにこの時代、儀式用のものは装飾を目的とした物になっていたのかもしれませんが、日常的に使う守り袋もあったようで、そのような物には確実に護符は入っていたと思われます。
「七歳前は神の子」を唱えたのは柳田国男だそうですが、満足な医療もなく運命だけに頼っていたその昔、子供が生を受けた瞬間から「死」は身近なものでした。
江戸時代中・後期における濃尾地方の調査では、一歳未満の乳幼児の死亡率は10パーセント台後半というデータがあるそうで、二歳になるまでに約2割の子供が死亡しただろうと書かれています。
このことからも、どれだけ「守り巾着」に大人たちの切なる思いが込められていたのかを実感します。
現代では子供が生まれてすぐに心配するのは「教育費」といえるほど高度な医療に守られ、守り巾着の存在さえ知る人が少なくなったことは大変喜ばしいことですが、子供の命の重さに対する認識の違いを感じずにはいられません。
関東と関西で違う守り巾着
上の守り巾着の中身は「籾殻(もみがら)」が詰められています。
これが上等品になると「お茶の葉」で肉入れ(中に詰め物をして膨らませること)されていたそうです。
日本嚢物史には
普通のものになりますと、大概、木型を用います。
茶肉で作り上げたものは、其形の崩れるということは殆どありませんが、木型で作ったものは、暫くしますと皆、崩れるのであります。
この「木型」を用いるというのは、多分木型で形を作ってから「綿」を詰めたという意味ではないかと思われます(綿は経年でへたる)。
単に綿を詰めただけではこのような美しい丸みのあるフォルムには作れないので、これは専門の職人が専門の道具を使って作ったと思います。
ただ、お茶の葉然り籾殻然り、中でカビやダニが湧いたりないんだろうか?などと考えると、中の詰め物にはそれなりの加工がされているのか?とも思いますが、私はこれらの古い守り巾着を触ると痒くなるので、ジップロックできっちり封をしていてビニール越しに可愛い♡と愛でております。
現代ではさすがに木型を使って作るようなことはできないので、目下私は詰め物や綿の使い方を工夫して、経年でもへたらないような作り方を考案中です。
ちなみに、筥迫巾着と違って緒の紐は2本足で通しているので、封じを外すと巾着の口が開きますが、そのまま紐だけで締めても口が開くことはありません。(根付を使う場合は必然的に緒締め玉を使っていたとは思いますが)
これもまた別の守り巾着ですが、左の赤の巾着は大きさや形状といい羅紗地であることから、ちょっと古い時代(明治以前?)のものだと思います。
このように家紋(これは七宝に花菱?)を入れたものもよく見かけますが、このような物は当然特注で作られたのでしょう。
青の巾着は小さいものですが、時代が古いほど様々な形状が作られ、時代が下がるにつれ右上(寿柄)のような形状が増えているので、ある程度形は統一されて行ったように思います。
(現代に見られる一般的なお守りの形は印籠型といい、この形状はまた別の系譜があるので別項でご紹介します)
これらの腰提げの「守り巾着」は、主に関東や東北地方で盛んに用いられていたそうです。
関西地方ではこの形の物は用いられず、代わりに「守り袋」が用いられていたそうです。(どちらも守り巾着と表記されることもある)
守り巾着のように肉を膨らませない作りで、縮緬で押し絵などの細工を施し、周りにはヒダが付けられています。
大正八年に発行された「日本嚢物史」には、関西でも「最近は関東の腰提げ巾着が流行してきた」とあるので、大正以降は関西でも腰提げ守り巾着は使われていたようです(ただし東京で作られたものが出回っていたらしい)。
画像のような守り巾着は完全に専門の道具を使ってプロの手で作られたフォルムなので、当時の嚢物教科書に作り方が載っていたとしてもその出来上がりは雲泥の差があったと思います。
かたや関西の「守り袋」は(日本嚢物史的に言えば)「玩具風」に出来ていることから、手先の器用な家庭の主婦によって作られていたようです。
これは江戸時代の筥迫と同じで、関東の武家で用いられていた絢爛豪華な筥迫は専門の職人によって作られ、関西では手作りの紙入れが用いられていたので、傾向として同じだなと思いました。
また、以前に私は守り巾着の中に「迷子札」を入れたと書いたことがありますが、実際にはこれは中に入れたのではなく、巾着とは別に提げていたそうです。(間違えていました、ごめんなさい)
関西の守り袋の形状、迷子札については、日本玩具博物館のブログに詳しく書かれているのでこちらをご参照ください。
日本玩具博物館ブログ「迷子札の意匠」
※「守り袋」は筥迫工房の研究対象ではないので、詳しく知りたい方は以下の日本玩具博物館監修の本をご参照ください。
次回は、守り巾着に使われる「白麻」について書きたいと思いますが、シリーズ物として以下のように続きます。
昔の事柄を調べながら昔の袋物を作っていると、その一つ一つに深い意味や思いがあり、私たちの祖先が築き上げてきた豊かな文化を知ることになります。
それらが今は語られなくなってしまったことが余りにももったいない、という思いからシリーズの項目がどんどん増えてしまいました。
本当に最後まで辿り着くのだろうか?
とりあえず今はあまり深く考えないでいよう、、、(遠い目)
守り袋(1)腰提げ守巾着とは
守り袋(2)腰提げ守巾着と「白麻」
守り袋(3)守袋と守刀
守り袋(4)懸守りとは
守り袋(5)懸守り「勇肌の銀鎖」
守り袋(6)守袋「近代常用」
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]]>東京は雨天だったようですが、京都はおかげさまで晴天でした!
今回は、かねてよりInstagramでフォローさせていただいていた「きものトータルプロデュースはなを」(以下「はなを」)でお世話になりました。
カメラマンが撮影したデータは納品に時間がかかると言われていたので、ブログはゆっくり上げればいいかと思っていたのですが、「はなを」のアカウント( @ohanahanao )で早々にリールを上げていただいたので、焦ってブログを書いている次第です。
今回のブログには「はなを」のリールを埋め込ませていただくことにして、画像は私が撮影したデータを使って顛末記を書かせていただきます。
娘の七五三も十三祝いも私が撮影したので、さすがに成人式ぐらいはプロに撮影してもらおうと思っていましたが、ハナからスタジオ撮影する気はなく、あくまで地元(東京)でのロケーション撮影を考えていました。
しかし、諸事情により撮影が一年後に延期されたことで娘のテンションがダダ下がりだったこともあり(何で今更〜)、何とか気持ちを上げてもらうために、娘が行きたがっていた「京都」での撮影に切り替えました。
しかし予約は取ったものの、その後に延期が続き(申し訳ない)、やっとのことで撮影が実現したのは娘が22歳の誕生日を迎えた10月末のことでした(汗)。
「きものトータルプロデュースはなを」については、Instagramを始めた頃から無意識にフォローはしていたのですが、筥迫関係者でフォローしている方が多く、よく話題が出るので段々と意識し出したように思います。
特に「はなを」のクラシカルなヘアスタイルと、象徴的なリボン使いに惹かれたというのもあります。
「はなを」のアカウントに登場するお嬢さんたちは花のように可愛くて、もしかしてうちの娘でもあんなに素敵に変身させてくれるのかしら?という期待もありました(笑)。
そして一番に引っかかっていたのは、ある方が言われた「あそこは着付けが上手いというよりも、何というか、いい着付けなんですよね」という一言でした。
2年前の成人式の際は、娘が振袖を着てくれるかが一番の問題だったので、着付けは何も考えずホテルの美容院を予約。
ヘアメイクは娘と担当の美容師さんにおまかせで、私は筥迫が適正に懐中に収められているかを確認するのみ。
今回の筥迫は成人式に間に合わせようと毎日必死に刺繍していた物でしたが、「そんな大層な筥迫をしていたら気軽に成人式に行けない」の一言で、当日はありきたりな筥迫、適当な帯留めを使ったため、自分的には思い入れのないスタイルでした。
そんなわけで、成人式の時と今回の「はなを」でのスタイルがどれだけ違うものになるかにも興味がありました。
京都での撮影
「そうだ、京都へ行こう!」と思ったものの、一年中工房に閉じ籠り生活の私にとって、京都はあまりにも遠い地だったので、予定の時間に果たして行き着けるのだろうかという心配がありました(とりあえず前泊)。
「はなを」は、京都駅から電車で10分、タクシーで10分という場所にあり、住所を元にタクシーで辿り着いたものの、そこは完全に住宅街のど真ん中。
娘と二人でそれっぽい家はないかとウロウロしていると、一軒の家からスタッフが出てきてくれました。
プライベートサロンのため看板の類はどこにも出ていないので、きっと皆さん迷うんでしょうね。
中に入ればいつもInstagramで見ている「はなを」のあの玄関先で、やっと半年の緊張がほぐれた瞬間でした。
着物と筥迫は先に宅急便で発送していました。
着付けに使う小物類や髪飾りは貸してくださるとのことだったので、全部送らなくてもいいというのはありがたかったです。
帯揚げは紫と赤を用意しましたが、これでいいのか自信がなかったので、伊達襟や帯揚げの差し色は当日「はなを」でコーディネートしていただくことにしました。
そしてオーナーが選んでくれたのは「鶯色」の伊達襟と「白」の帯揚げ。
私の中では帯揚げの「白」という発想はなかったのですが、結果ベストなチョイスでした。
私は自分が作った筥迫だけが目立って欲しいので(笑)いつもは余計な飾りは使いたくない派ですが、それでも成人式は少し華やかに準主役の飾りを添えようと考えました。
教室の生徒さんは「つまみ細工」に携わる方が多いので、その縁でつまみを添えることを考えましたが、あの華やかな簪を使ったら筥迫が霞んでしまうので、小さな「帯留め」に留めることにしました。
(私が筥迫至上主義なだけで、筥迫につまみの簪が合わないと言っているわけではありませんのであしからず)
私がイメージした帯留めは桜居せいこ先生のデザインだったので、桜居先生のもとで習っていたrajohさんにお願いして同じような雰囲気のものを作っていただきました。
この筥迫と帯留めが引き立たつように、淡い色味のアンティークの「丸帯」を合わせました。(下の画像の色味が近い)
ここに派手なアクセントカラー(帯揚げ)を使わなくてホント良かった。
1時間半でヘアメイクと着付けを終え、そこからまたタクシーで20〜30分離れた撮影場所に向かいます。
場所はあえて書きませんが、徒歩圏内に撮影スポットがたくさんあるような場所です。
こんなフォトジェニックな場所が至る所に存在するのが京都の凄さですね。
撮影場所に着くとカメラマンさんが待っていました。
挨拶も早々、ウチの娘、自然な笑顔を作るのが苦手なんです(カメラを向けられて喜ぶタイプではない)と私が言うと、優しく笑って入り口でポーズや目線の作り方をレクチャーしてくださいました。
「はなを」では主に振袖のお嬢さんを担当しているとのことだったので、素人娘を自然な笑顔にすることに慣れているであろうことを期待して後はお任せするのみです。
この場所で撮影できるのは今日がぎりぎりと言っていましたが、どうやら11月に入ると紅葉シーズンで激混みとのことで、ここではもう撮影できないのだそうです。
特にこの日は日曜日で、観光客が一気に増えたということもあり、今日は撮影に時間がかかるかもと言われました。
緑と少しの紅葉が混じった屋外で撮影しつつ、敷地内にあった茶店を見つけた娘が「お団子食べたい!」と言い出しました(はぁ?)。
しかし店先のお客さんはまだまばらで、何か注文すれば赤い毛氈で撮影ができるということになり、とりあえずお団子を注文。
緊張しいだった今さっきと打って変わり、カメラの存在を忘れてひたすらお団子に食いつく姿に、「一気にテンションあがったねぇ!」とカメラマンさん爆笑。
今回の撮影では、事前に娘から「顔出しするのは絶対にイヤ!」と言われたので、私もブログでは顔をぼかすつもりでいました。
しかし、ヘアメイクをしてもらった時点で娘が一言「いつものメイクと全然違う!」。
それはメイクに対する拒否感というよりも、こんなメイクの仕方が存在するんだ!というカルチャーショックだったようで。
私は知らなかったのですが、今時女子は「涙袋」を強調するメイクがお約束のようで、それ以外のメイクはしたことがなかったようです。
(確かに成人式の着付けの後も化粧室に閉じこもって目元バキバキに直していましたっけ)
あまりにもいつもの自分の顔と違う上、非日常的なヘアスタイルも相まって、ネットに画像が上がっても誰も自分だとは気が付かれないだろうということで顔出しOKしてくれました。
こんな姿は友達には絶対に見られたくないそうです。やれやれ。
娘の幼馴染たちをブログに載せた時は、今時は年頃のお嬢さんを顔出しするのは危ない!という思いがあったのですが、もしかして「はなを」のアカウントで、運が良ければあの花のように可愛いお嬢さんたちと一緒に我が娘がポストされるかもしれないかと思うと、つい自分の中のミーハー心が優ってしまい、その時は顔出ししてもいいんじゃない?とお勧めする気満々だったので、別人に変えてくれた「はなを」の着物メイク様々でした。
優雅にこんなポーズをしているなんて、どれだけ人気のない場所なのかと思われるかもしれませんが、実際はかなりの観光客がそばを行き来しています。
その通行の合間をぬって、すかさず撮影するんですね。
もしくは、ここに写らない位置から大勢の人(特に外国人)に激写されています。
初めは娘もNo!と断っていましたが、あまりの人の多さに最後は完全に諦めモードでした。
その親(私)は何をしていたかといえば、その中に混じって一緒に激写している始末(笑)。
境内は基本撮影禁止ですが、それは室中のことであって、このような廊下は大丈夫なのだそうです。
それでも撮影のために観光客を足止めするような行為は禁止です。
私が撮影ダメ!と言い張っていたら、それならこんなところで個人撮影するな!と言われるでしょうし、観光地でロケーション撮影する限り、大勢の人に激写されても文句は言えません。
あくまで周りの迷惑にならないように十分に配慮しながらの撮影なので、この場所を熟知しているカメラマンでないと出来ない撮影だなと思いました。
「はなを」ではオーナーが着付けをされるのですが、以前この着物を着た時の写真を見せてくださいと言われました。
そして、これは花嫁さんのような帯幅なのでもう少し狭くしますね、と言われました。
私は振袖の時も帯幅は広くするものだと思っていたので、ちょっとびっくりしました。
(ちなみに、私は昔に着付けはを習ったぐらいで、その後はほとんど自分で着物は着ていませんので、着付けに関してはその程度の知識しかありません)
着物と筥迫を送った際に、今回の筥迫とは別に厚み取り用のダミーの筥迫を同梱していました。
以前、あるお嬢さんの振袖の着付けに立ち会った際に、着付けが終わってから筥迫を入れてくださいと言われたのですが、強固に締め付けられた襟元に筥迫が太刀打ちできず、何とか入れてもすぐに飛び出してしまう状況に閉口したことがあります。
筥迫が入らないと胴締めや懐紙を全て取り除かれる恐れもあります。
そのため、着付けの際の厚み取りにダミーの筥迫を使ってくださいと説明しました。
するとオーナーは、自分は胸元をスッキリ見せたいので帯は少し下目に締めるし、このぐらいの厚みならちょっと襟を引けば入るはずですよと言われました。
確かに筥迫は適度な圧迫感の中に押し込むだけで、そのまま安定して収まっていました。
これなら落とし巾着を使わなくても大丈夫かもしれない(怖いから一応は帯の中に入れましたけど)。
振袖の着付けは帯幅を広く高くというイメージがあり、最近は足長効果を狙ってなのかやたらと帯を高い位置に締めるスタイルを見かけますが、帯位置が高くなるということは懐中が狭くなるということ。
その狭い胸元に筥迫を入れるのは本人も苦しいでしょうし、見ている人も苦しくなる。
そして帯と襟合わせが近くなることで、筥迫が中央に位置するのも見た目によろしくない。
びら簪もあまり上の方から下がっていると何だか七五三か市松人形みたいなので、私は今回ぐらいの帯位置(もしくはもう少し上ぐらいでも)に筥迫が入っていた方が見た目にも無理がないように思います。
また、このぐらいの位置から長いびら簪が下がっている方が、しっとりとした大人の雰囲気が感じられて素敵だと思います。
「はなを」スタイルは、このクラシカルな髪型とシンプルなリボン(左右のバランスを変えている)だけという組み合わせが何とも可愛い。
オーナー曰く「お客様が髪飾りを沢山持ち込まれても、私はあまり使いたくないんです」
だからこのようなリボンを考案されたのでしょう。
私は袋物を作るのに古い丸帯を使うことが多いので、丸帯は身近な存在でこのレトロな雰囲気がとても好きです。
ただ丸帯は短いので「立て矢」か「ふくら雀」ぐらいしかできないと言われたので、成人式で周りの友達が今時のデコラティブな帯飾りをしているのに、その中で娘だけが古臭い帯結びでは可哀想かと思い、わざわざ袋帯に仕立て直しました。
成人式では無事今時の派手な帯結びにしてもらえたのですが、この時の画像を見たオーナーは「今回は上品な帯結びにしましょう」。
それがこれです。
本来の「丸帯」は表裏とも同じ織り地なので、袋帯にすると2本取れるというボリュームです。
そのまま使っていたらいかにも昔の帯結びですが、袋帯にしたことによってコンパクトに収まり古っぽさは感じませんでした。
その上で本来の丸帯の雰囲気を残しつつ、清楚に可愛い結びにしてくれました。
このスタイルにはこれが正解なのでしょう。
お昼を過ぎて観光客が一段と増え、人に見られながらの撮影が耐えきれなくなった娘がここでギブアップ。
「もう笑顔が作れない、、、(泣)」
親がこのような仕事をしているので自分には着物を着る義務があると思っているようで、着物を着て欲しいと言っても決して拒否することはありませんが、自分の綺麗な姿をカメラに撮られて喜ぶような娘ではないので(どちらかと言えば苦手)、よくここまで頑張ったと思います。
苦手なことなのに協力してくれてありがとうね。
でもその前に、筥迫単体で撮影してもらいました。
緑の中の着物や筥迫はとても映えます。
やっぱりロケーション撮影はいいわ。
こうやって画像になって初めて気がつく「房」のヨレ、、、。
箱に入れて運んでいる間にクセがついてしまうのですが、当日は色々なことに夢中になり、房にまで気が回らない。
人には注意するけれど、自分でもついやってしまう。
気がついたら、少し湿ったテッシュなどで湿り気を与えるだけでも直りますよ。
最後に「はなを」でのスタイリングは、私にはとても勉強になりました。
今時の流行りよりも、その着物や帯の持つ良さを考えながらのスタイリング。
決められた物事よりも、あくまで自分がいいと思うスタイルが確立されている。
「はなを」が人気がある理由がよくわかります。
そして度重なる延期にご迷惑をかけたにも関わらず、毎回親切な対応をしていただいたオーナーに心から感謝いたします。
カメラマンさんは物腰柔らかく、撮影しながら観光案内までしてくれるサービス精神が素晴らしい(笑)。
これ以上ない記念の1日にしていただいたスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
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]]>すでに懐かしい存在となってしまった筥迫です。
私が娘の成人式のために頑張った刺繍筥迫で、Instagramを始めた時に何からあげていいかわからず、そうだ刺繍の経過を載せて行こうと思い、始めの頃にポストしていたものです。
しかし、実際に娘の成人式ではこの筥迫は使われておりません。
けっこう細かい刺繍だったので、成人式に間に合わせるために毎日根を詰めて刺繍していたのですが、娘にとってはそれがかなり重荷だったようで、「成人式は気楽に楽しみたいから、その筥迫間に合わせなくていいよ」と言われてしまいました。
筥迫作りの娘なんてそんなものです(苦笑)。
ということで、成人式はそこら辺に飾ってあった適当な筥迫を使い、繊細なつまみの帯留も気軽に壊されるのは怖かったので適当な帯留めで代用するという、なんともあっさりとした出立ちで成人式に臨んだ娘でした。
ちょうどその年の5月に刺繍教室の作品展があったので、筥迫はそれまでに仕上げることを目標に切り替え、その後にゆっくり成人式の後撮りをしようということになりました。
それなのに、いつまで経ってもその正式な写真がブログにアップされていないということは、そうです、未だに後撮りというものが行われていなかったんですねぇ(遠い目)。
実はその成人式をきっかけ、娘が一大決心をする出来事があり、そこからの一年間は、華やかに振袖を着て撮影するなどということも言い出せないような状況でした。
そんな状況も今年になってやっと落ち着いたので、ここでやっと一年遅れの後撮りをすることになったのですが、しかし成人式から一年も経ってしまうと私も娘も気持ちが上がらない。
後撮りは気が楽な一方、やはり前撮りよりもテンションが下がるのは否めないですね。
そこで意を決して「京都」でロケーション撮影することにしました(これならお互い気持ちが上がるはず!)。
そして今年5月に予約を取ったものの、雨で延期となり、次の予約で私が圧迫骨折になって延期、さらに次の予約で撮影場所のお祭りと重なることが発覚して延期、そしてやっと来週末に決行となったのでした。ふ〜っ。
もうここまで来たら、雨でも絶対撮影してやるわ。
しかし、当の娘はすでに22歳。笑っちゃいますね。
久々の浅草
先日病院で、来週京都に行くけれど大丈夫かと先生に聞いたところ、経過もよく、コルセットしていれば大丈夫でしょうとお許しが出るほどに回復はしているので、今日は浅草まで出かけました。
私は元々インドア人間なので、フリーランスになってからというもの基本的に地元以外のところに出かけることはほとんどなくなりました。
ネットで簡単に物が買える世の中になってからはよけいですね。
そんなわけで、東京に住んでいても浅草に行けば立派なお上りさん状態です。
だから雷門の大提灯を見ればつい撮影してしまいます(笑)。
穏やかな季節なので流石の人混みですが、やはり外国人率はかなり高かったです。
今日の目的地は、観音通りにある「桐生堂」です。
実は成人式の時点でこの筥迫は出来上がっていなかったので、始めのイメージだけで帯留めの色は「黒」で用意していました。
ところが今回、撮影が直前に迫って慌てて半衿を付け、実際の筥迫や帯留めを当ててみたところ、房の色が「紫」ということに気がつきました。
成人式の後に筥迫が出来上がったので、実際の振袖に合わせることを考えず、筥迫のイメージだけで房を染めてしまったんですね。
これを黒の帯締めに合わせたところ、なんか違う!ということに一週間前に気がつくという、、、(汗)。
成人式の筥迫は無難に「白」を使ったので気がつきませんでしたが、実は筥迫のコーディネートでは、筥迫以上に房の色というのは大事なんですね。
筥迫より房の方が目立つと言っても過言ではありません。
房は帯締めに掛かるので、ここで色が調和しないとチグハグな感じになってしまいます。
刺繍の筥迫も、つまみの帯留めも、以前コーディネートしたものよりボリュームがあるので、全体的な印象が変わってしまったこともあります。
これはまずいと思ったものの、今更ネットで探しても色味は実際に手に取ってみないとよくわからないですし、一週間しかないのに配送にかかる時間もある。
これはもう実際に目で見て探しに行かなければならないということになり、「桐生堂」ならお手頃価格でいい物が見つかるはず!と睨んで行くことにしました。
これまで桐生堂のネットショップでは、打ち紐やコキなどを買ったりしていたので、私の中では帯締めやその他の紐を扱う専門店というイメージがあったのですが、実際に行ってみたらまぁこんなお店だったのね。
奥が帯締めや紐を扱うところで、ご主人が作業をしていました。
今時の成人式の子たちが使うようなデコラティブな帯締めなどはありませんが、通常の帯締めの他にもお値打ち価格の帯締めなども置いてあります。
運良くお値打ち品の中からちょうどいいものを2色買って、あとは当日着付けの際にいい方を使うことにします。
体が万全な時に企画したこととはいえ、浅草だって私には遠出なのに、京都に行くなんてちょっと気が遠くなる思いですが、当日はせめて大雨にならないことを、どうか皆さん祈っていてください。
筥迫以外の袋物細工を習いたい方はこちら!
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筥迫工房のInstagram(@hakoseko_studio)
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