3月の花独楽は『花一華(はないちげ)』です。
これは和名で、皆さんにお馴染みの名称は「アネモネ」です。
その他「牡丹一花(ぼたんいちげ)」「紅花翁草(べにばなおきなぐさ)」等の和名があるようですが、日本には明治時代に輸入されました。
今年は冬が暖かいので、「桜」と「アネモネ」どちらを3月に出すか悩んでいましたが、結局は桜の開花状況次第ということになりました。
しかし工房近くの桜並木は今になってもまだ蕾は小さく硬い状況で、東京で桜が満開になるのは3月末との予想が出たので、今月はアネモネをアップして、桜は4月早々を目指してアップしようと思います。
花独楽のおかげで、今年一年は花の開花や花屋の流通に一喜一憂しそうです。
今年初めに、毎月一回花独楽の動画をアップしようと目標を立てたものの、現在出来ている花独楽は10種のみ。
やっているうちに2個ぐらい増えるだろうとの安易な考えで見切り発車しました。
しかし花の種類は多種あれど、全てが花独楽に適した形とも言えず、PCのデスクトップは花画像にまみれる毎日。
今ある花独楽を月別に分けて、空欄の一つが3月でした。
3月は早い春、ということで目についた花がアネモネでした。
赤、ローズピンク、紫のカラフルな色が印象的なアネモネは、この季節になると花屋でも目立った存在でしたが、いつからか私の記憶の彼方へと消え去っていました。
しかし季節は早春の今が盛りのはず。
それなのに、花屋をいくら探し回っても、どこもアネモネを置いている店がない。
ある花屋さんで言われたことは、こんな陽気じゃ仕入れてもすぐ咲いちゃうから仕入れられないとのこと(東京で2月中旬に気温が20度にもなった頃)。
更には、最近の花屋の傾向として、アネモネが減ってラナンキュラスが増えたらしい。
アネモネを作る農家さんも減ったことから、市場にあまり出回らなくなったのだそうです。
確かにアネモネは花持ちも悪いし、花びらの多いラナンキュラスはゴージャスで花持ちも良さそうだし。
巡ること数軒、やっとアネモネが置いてある花屋さんを見つけたものの、それは八重のアネモネ(写真手前)。
う〜ん、アネモネというより矢車草みたい。
これじゃない感を抱えながらも、妥協してこの八重のアネモネで撮影するかと思っていたところ、最後に訪れた花屋でやっと見つけた私の記憶の中のこれぞアネモネ(写真後方)。
ああ、懐かしい、やっと出会えた。
しかしながら、その昔は束になって売られていたアネモネも、今時は3本(300円)がまとめられているだけだったので、アネモネ特有のカラフル感に欠けるというか、何だか普通の花に紛れてアネモネの特別感がないのがちょっと残念。
これではラナンキュラスに負けちゃうよなぁと思いながらも、とりあえず今の目的は動画撮るだけなので、2束買ってミッションクリア。
花独楽動画は自然光で撮影しているのですが、工房の自然光が入る窓は北向きのため、天気のいい日でないと撮影できません。
そこで天気を見ながらアネモネが完全に開かないように暗い部屋に置いていたのですが、いざ撮影しようという段になってまだ半開き状態のまま(汗)。
慌ててエアコンのそばにおいてみると、あっという間にのけぞるがごとく開き過ぎている。
急いで撮影!と何回か撮り直しをしている間に、みるみる枯れていくアネモネに焦る焦る、、、。
結局、半分枯れかけぐらいの状況なんですよ今回のアネモネは(泣)。
ということで、花集めの舞台裏の奮闘を交えつつ、どうぞ雰囲気だけ味わってください。
でも私としては、記憶の彼方に消え去っていたアネモネに再会できて満足です。
アネモネはカラフルな組み合わせが印象的なので、今回はまとめて3色作ってみました。
(白のアネモネも好きなのですが、白だけは単色でまとめた方が可愛い気がする)
もうちょっと本物のリアル感を追求しても良かったんですが、あまり凝った作りにすると生徒さんたちが作る時に大変なので、それなりのデフォルメに留めておきました。
要は一目見てアネモネ!とわかればいいのよ。
風の花(Wind flower)
アネモネは、クリスマスローズ、ラナンキュラス、クレマチスなどと同じキンポウゲ科の植物です。
(ちなみに、同じキンポウゲ科の「秋明菊(シュウメイギク)」は、「ジャパニーズ・アネモネ」と呼ばれているそうです)
アネモネの語源はギリシャ語の「風(アネモス)」で、英名は風を意味する「Wind flower」。
つまり「風の花」ということで、春風が吹き始めると咲く花で、花の妖精とも呼ばれています。
これは花が風に揺れる様というよりは、その種が綿毛になって風に運ばれる様にちなんでいるのだそうです。
カラフルなアネモネの花は、実はガクが変化したもので、あれは花びらではないそうですよ、びっくりですね。
また草全体に毒を持っているので、花を手折った時の汁が肌に触れると、皮膚炎などを引き起こすことがあるそうです。
(ますますラナンキュラスに軍配が上がりそうな、、、)
そして、光や温度に敏感に反応するそうで、動画撮影するまで暗い暖房のない部屋に置いたときは半開きのままだったのも、暖房のそばで一気に開いたのも、これが原因だったということですね。
アネモネにまつわる神話は色々とあるのですが、古代ギリシアではアネモネは悲しみと死の象徴とされてきました。
キリスト教時代になっても、受難の血の色としてマリアの悲しみの象徴とされました。
反対に毎年咲く多年生植物であること、十字軍殉教者の墓地から血のような赤い花が咲いたことによる「血」と「復活(蘇り)」にからめて「奇跡の花」「Easter flower(復活祭の花)」として、復活祭には欠かせない花なのだそうです。
私はクリスチャンなので、教会では「野の花」という言葉がよく使われますが、今までそれはポピーのことだと思っていたのですが、実はガリラヤの地に自生するアネモネの花だということを今回初めて知りました。
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]]>「ままねこ」さんは以前よりこのブログで何度か作品を掲載させていただいていますが、講習会から通年開催の教室になっても、静岡から東京まで年に数回通われて、今回めでたく工芸科に進級することになりました。
工芸科進級テストは、実技課題1点(左下)、提出課題2点(縢襠筥迫玉縁付、四ツ襠紙入)で採点します。
実技課題は認定Cと同じ時間で仕上げますが、扱う素材が違うので、より高度な仕立てになります。
「筥迫講師認定」に求められるレベルは、現代で通用する仕立てであり、「工芸科」に求められるレベルは、その昔の筥迫職人によって作られていた古き良き技術に基づいた仕立てなので、採点もより厳しくなります。
このレベルで筥迫や紙入れが作れるようになると、工芸科では本仕立ての筥迫や江戸型筥迫、定家文庫などの仕立てをする資格が得られます。
貼り込みで作る袋物教室では、入門、初級、中級、上級までを「教科」として袋物細工を学び、「工芸科」になると本格的に嚢物工芸を学ぶ技能修練コースと、職人コースに分かれます。
「教科」では、ある程度のステップはあるものの、基本的には自分が作りたいものを作ります。
C認定だけを取りたければ、他の袋物は作らないでひたすら筥迫だけを作り続ける人もいます。
講師認定だけを取りたければ、それに必要なカリキュラムのみをこなしていく人もいます。
自分の楽しみとして全ての型を制覇していく人もいます。
数をこなせば技術は自然に身についていくので、無理なくその人のレベルで純粋に袋物細工を楽しんでいただきたいというのが「教科」です。
「貼り込みで作る袋物細工」は、専門用語が多かったり、処理の仕方も一連のルーティーンを覚えなければならないので、初心者は何をやっているかわからないうちに出来上がっていた、と感じるようです。
工程が難解に感じられるのは、洋裁脳に染まった現代人にはその切り替えが難しいだけで、慣れれば布を使ったただの工作物ということがわかるはずです。
ただ実際に作ってみると、手の掛け方や細部の処理に、日本的な繊細さがふんだんに詰まっていることが感じられると思います。
そんな趣味で作る袋物細工から、一歩目覚めて本格的に工芸の世界に進んで行きたい人たちのために数年前に「工芸科」を作りました。
工芸科で作るような高度な袋物は色々な素材を用いて作るため、使うものによって作り方を変えざるを得ません。
私もアドバイスはしますが、最終的には自分で考えて悩んで修練を重ね、作品作りをしていく段階に入ります。
そのため、貼り込みの基礎が完全に身についている必要があり、テストというものが存在します。
急がなくても一定の時間で筥迫を仕上げられるようになるまで筥迫の作り込みをするのはC認定と同じです。
できれば綺麗な柄のある布を使わないでと言っていますが、これは仕立ての精度に集中するためです。
筥迫作りは考えなくても手が動くというレベルにならないと、工芸として本来気を使わねばならないところに集中できないですから。
私自身は意図せず工芸的な物作りの道に入りましたが、現代では貼り込みの袋物が作れる職人がいなくなったことから、ニッチな需要に迫られたということがありました。
現代で専業の職人として成り立つかは疑問ですが、作れる人がいなければそれも困るというニッチにありがたがられる世界なので、私には職人や作家を育てるという使命もあります。
今回、工芸科進級をされたままねこさんは日本刺繍がご専門なので、自身の刺繍で提出課題の作品を作りました。
工芸科の提出課題は自分の好きな布を使って作品を作るというものですが、日本刺繍で提出課題を作ったところで作品点が数点あがるぐらいですよと言ったところ、ボツにした刺繍が残っていたのでそれを使って仕立てただけとのことでした。(なんて贅沢な使い方)
ままねこさんはこれまでは教科での型を中心に作品作りをされてきましたが、今後は江戸型筥迫や定家文庫などの本格的な型で筥迫作家、袋物作家として活躍して行く姿が見られると思います。
ままねこさんはInstagramでも作品を発表されています。(@eastglen110)
緻密な刺繍は袋物作品を作るにはぴったりですが、今後は更に華やかな作品が増えていきそうで楽しみです。
四ツ襠紙入れもふっくら丁寧に作られています。
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]]>先日「筥迫講師認定C」と「工芸コース進級テスト」にそれぞれ合格された方がいたので、今回と次回でそのお二人の作品をご紹介させてただきます。
筥迫講師認定C
まずは「筥迫講師認定C」に合格されたT.Mさんの作品。
試験課題は、縢襠筥迫(基本型)の実技課題(左)と提出課題(右)の二つです。
実技課題は、支給された布を含めた材料一式を使い、事前の準備(自宅で行う)をしてきた上で工房に来て試験を受けます。
試験の内容は、指定時間内に作ること、そしてそこで出来上がった作品を点数化して技術判定します。
認定を受ける人に試験内容を説明すると皆一様に顔を曇らせるのですが、教本を見なくても楽々作ることができないで認定を取ろうと思う方が無謀というものです。
各種認定を受ける人には、試験の前にかなりの作り込みをさせます。
毎回目の前に時計を置いて、工程ごとに時間を測っていきます。
試験でこの「時間」というものを重視しているのは、筥迫を作る時間を競うためではありません。
全ての工程で迷うことなく作り切ることができれば、一定の時間内に仕立てられるようになるものなので、工程ごとに時間がかかっているところは、どこでつまづいているのかを確認して、そこを更に詰めていきます。
合計時間が平均して規定内に達するようになると、そろそろ試験をしようという段階になります。
そして、その頃にはほとんどの人が技術も一定のレベルに達しています。
筥迫というのは、出来上がりは同じに見えても、仕立ての仕方によって大きな差があります。
「筥迫講師C認定」というのは、筥迫工房が販売している教本で使われている型紙を使った筥迫で、最も難易度の低い仕立て方です。
以前講習会で教えていた筥迫もこの基本型になりますが、お客様に商品として出すような筥迫は、もう少し難易度の高い「B認定」での仕立てになります。
講師認定に合格すると、自動的に「技術認定C」と「筥迫講師認定C」の両方が認定されます。
「技術認定C」というのは、対面での販売が可能となる認定で(ネット販売不可)、この「技術認定C」のみを取る人もいます。
テストはこの技術認定に対するものなのですが、それにプラスして講師認定の特別カリキュラムを受講することで「筥迫講師認定C」の両方が認定されます。
C認定で作る筥迫は着物地が限界ですが、画像のようなレベルにはきっちり仕立てられるようになります。
(T.Mさん、よく頑張りました!)
初心者に帯地で筥迫作りを教えるようなことはないので、筥迫講師認定はこれで十分だと考えています。
提出課題(右)は、完全に自宅で作り上げてくるものですが、玉縁仕立てで飾り房までを作った作品を提出します。
作品点も加わるので、好きなだけ凝って作ることができますが、あまり楽しんで作ると細かな技術が疎かになってしまうので、あくまで冷静に仕立てましょうねと言っています(教室の人は筥迫作っていれば幸せな人が多いので)。
筥迫の仕立ての技術は側面にほぼ集約されているので、ここを見ればどのぐらいのレベルかはすぐにわかります。
あともう一つありますが、それはここでは書きません(笑)。
私が筥迫工房を始めたきっかけは、当時販売されていた筥迫と、昔の職人が作った筥迫のあまりのレベルの違いにショックを受けたことからでした。
筥迫専門の職人が作った「高度な仕立て」の筥迫が流通していたのは、昭和20年代ぐらいまでです。
その頃は専門の筥迫職人たちが腕を競い合っていたので、基本的に仕立ての技術が高いものが多いです。
(ただし、アンティークのものには、たまに女学生が作ったであろう素人っぽいものもかなり混ざっています)
その職人たちがいなくなって、筥迫の生きる道が婚礼業界に移ってから筥迫の劣化が始まります。
工芸的な「美しさ」が筥迫に求められていた時代から、「着付けしやすい」筥迫に価値観が変わってしまったからなんですね。
私が筥迫作りを始めた頃は、市販の筥迫もまだそれらしい外観はしていましたが、現代では筥迫としての概念さえ覆されてしまいました。
胴締めのない紙入れを筥迫扱いするのは、白熊をパンダと呼ぶようなものです。(飾り房、びら簪は、時代やスタイルによってあったりなかったりではある)
筥迫工房の認定は、よくあるカリキュラムをこなせば認定されるような商業的なものではなく、本来の技術を問うためのものです。
長く時間がかかる人もいれば、最短で取る人もいます。
昔の職人が作った筥迫を見て「私もこんな美しい仕立ての筥迫が作れるようになりたい!」と願ったように、本来の美しい筥迫を多くの人々に普及させる講師たちが世の中に増えていくのは大変喜ばしいことです。
できれば日本中に筥迫の作り方を教えられる講師の方が増えて、かつての美しい筥迫が巷で見られるようになる日が来ることを願わずにはいられません。
次回は「工芸コース進級テスト」に合格された、ままねこさんの作品をご紹介します。
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]]>2月の花独楽(はなごま)は『梅』です。
前回、花独楽の動画を撮影するにあたり、ただコマを回すだけはつまらないので、本物の生花と共演させよう!と思い立ちました。
そして2月になったら「水仙」の動画を撮ろうと決めていたのですが、時は確定申告真っ盛り。
早々に申告を終わらせ、いざ水仙!と花屋に直行したところ、どこを回っても水仙の花がない!
ちょっと前までは見かけたのに、、、(泣)。
用意していた花独楽は一般的な房咲きの白の水仙(日本水仙)で、今年は早々に出回らなくなっていたとのことでした。
ということで、気持ちを切り替えて2月の花独楽は「梅」に変更。
梅の方が時期的にはちょうどいいと思ってはみたものの、すでにある梅の花独楽は教室では一番初めに作る基本型で、デフォルメされすぎて本物の梅と並べてもほとんど同一には思えない(下の赤鹿の子)。
ということで、もう少しリアルを追求した形に変更したのが今回の花独楽です。
リアルでありながらもしっかりと回るというのが私が考える現代の花独楽なのですが、思いの他可愛い仕上がりと安定した重心に、自分としてはかなり満足。
(動画は見た目重視なので回し方が甘くなってしまいますが、うまく回せばもう少し長く回るのよ〜)
さて、無事梅の花独楽も出来たし、次は花木の梅を入手しに行こうと花屋に出向くも、またしても梅がない!
今は梅が盛りの時期なので、一般家庭を探すしかない。
そこで、教室の生徒さんの中からFさん方に目星を付けて連絡したところ、庭には白梅も紅梅もあるのですが、運悪く先月庭木の剪定をしたばかりで、花が残っているのは地上5〜6mで手が届きません(泣)と言われてがっかり。
しかし翌朝に一転して、「先生、朗報です!」というFさんからのメールには白梅の画像が貼り付けられていました。
日が登ってから庭に出てみたところ、手の届きそうなところに少しだけ花が咲いていたのを見つけて、ご実家から高枝切りばさみを借りてきてなんとか採取できたのだとか。
連絡をした翌日には梅の花を入手することができ、花独楽の2月のミッションを無事クリアすることができました。
そして届けてくれた「白梅」の中に、なんと「紅梅」も一枝入れてくれていたので、急遽紅梅も作ったという次第です(少し濃すぎた?)。
それにしても、今時の東京で白梅、紅梅の大木があるお宅、、、なんてステキ♡
Fさん、本当にありがとうございました。
しかし、今年一年は花探しに苦労しそうだわ(汗)。
時代は梅から桜へ
日本人として、花の象徴といえば当然の如く「桜」を連想すると思うのですが、対して「梅」はどうしても古典的なイメージになってしまいます。
しかし「万葉集」に取り上げられた花のランキングでは、1位はダントツの「萩」で141首、2位の「梅」が118首、そして現代に人気の「桜」はなんと8位の40首しかないそうです。
(出典元によりこの数は違うのですが、梅に対して桜は約1/3ぐらいしかないと思ってください)
梅の枝を届けてくれたFさん曰く「思いがけず白梅の枝を届けるなんて、今話題の源氏物語みたいで結構楽しかったです(電車でだけど)」
Fさんなんて素敵なこと言うのかしら、と思いながら「源氏物語」も梅の話題は多そうなので調べてみたところ、万葉集(奈良時代)のツートップである「萩&梅」から、源氏物語(平安時代)になると「梅&桜」がツートップになっているのだとか。
匂い袋の「誰ヶ袖」でお世話になったこちらの歌、
「色よりも かこそあはれと おもほゆれ たが袖触れし やどの梅もぞ」
の古今和歌集(平安時代)でも「梅」の29首に対し「桜」は53首と逆転しています。
「梅」は「桜」と同じく日本的な雰囲気がありますが、実は古くは中国から渡来した外来種で、奈良時代以前は貴族社会で行事などの際に好まれて使われるような花でした。
それに対して「桜」は日本に元々ある在来種なので、庶民には桜の方がずっと身近な木だったようです。
そんなことから庶民により馴染み深い「桜」を愛でようという機運が高まってきたのが平安時代ということですね。
また、梅は花の姿より「香り」が重視されたのに対し、「観賞」を目的にした花見と言えば桜!が庶民の間でもてはやされるようになったのは江戸時代になってからなのだそうです。
歳寒三友
これは中国が起源の言葉で「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と読み、冬の寒さに耐える3種の植物をパターン化したものです。
「歳寒」は厳しい冬のことで、その中で常緑である「松」「竹」、花を咲かせる「梅」を「三友」とし、この三友には「梅」「水仙」「竹」というパターンもあるそうです。
これは、逆境でも耐える理想の人、ためになる友だち、清廉潔白、節操を表す絵のテーマとして用いられていましたが、それが日本に渡って「松竹梅」とされ、吉祥の象徴(また等級を表すもの)に変化したそうです。
「四君子(しくんし)」は「蘭」「菊」「梅」「竹」の4種の植物をですが、ここでも梅は登場します。
その昔、梅は原産国の中国で愛された名高い花として、堂々と日本に渡ってきたんでしょうね。
花独楽と貼り込み
梅のシベは長く不安定なので、うねうねしてしまうのはご愛嬌ということで。動画や画像ではあまりよくわかりませんが、実際には回すとシベがキラキラ光って綺麗です。
花独楽は袋物じゃないと思う方もいらしゃることとは思いますが、紙に布を貼って作る物という意味においては「貼り込み」です。
そして、糊、紙を駆使して物を作るのが、誰よりも得意なRom筥です。
私は対外的には筥迫の専門家を名乗っていますが、実際には完成された綺麗な作品を作るよりも、中の構造を考えたり型紙を作っている時間が一番好きです。
見たこともない袋物を見つけたりすると、一瞬で頭の中に展開図が浮かびます。
それを図面に起こして、どこまで自分がイメージした通りの物に仕上げることができるか、試作をしている間が何より楽しい。
試作を作るときはできるだけつまらない柄の生地を使うのですが、これは柄に惑わされると本来の仕立ての誤差が見えずらくなってしまうからなんですね。
教室の生徒さんたちにも、筥迫の作り込み(筥迫特訓みたいなもの)をさせるときは、できるだけ柄のないもので練習した方がいいというのですが、ほとんど却下されます(もちろん無理強いはしませんが)。
いつも綺麗な物を作っていたいということのようです。
私は仕事柄、綺麗なものを見る機会は普通の人より多いと思いますが、綺麗なものなんて感動するのはその一瞬だけなんですけどねぇ。
そんな私が花独楽にハマってしまうのは、「コマ」という構造が好きなんですね。
造花は飾って「綺麗」なだけですが、花独楽はそこにプラス「回る」という動作が付くんです。
花の形によって重心と遠心力が変わってしまうので、微妙に形状を直しつつ、それぞれの部品の重さを調整しながら作っていきます。
最近は道に咲く花を見ると、これは回る形状か否かを考えるのがクセになってしまいました(笑)。
机の上にはいつも花独楽が置いてあって、PC仕事に疲れると花独楽を回してリラックスするという、私にはとても楽しいおもちゃです。
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]]>昨日、東京は久しぶりの大雪でした。
午前中は雪が降るような天気ではなかったものの、テレビでは帰宅時間あたりに大雪になりそうとのことだったので、ちょうど教室の日ということもあり、全員に確認して急遽教室はお休みということになりました。
雪国の方から見れば積雪8cmで大騒ぎするなんて失笑ものでしょうが、東京でこのぐらい降るのは2年に一度ぐらいしかないので、そりゃ交通網もマヒしますわ。
しかし昨日はショップからの注文が相次いだので、私は通常通り工房に行って遅くまで仕事をしておりました。
家から工房までは自転車で20分ぐらいなので、雪でも歩いて帰れるわぐらいに高を括っていたのですが、気がつけば夜の8時、、、。
外は一面の雪景色でした。
雪に雷も珍しかったですよねぇ。
真夜中かと思うほど、人も歩いていなければ車もまばら。
雪の中ヒーヒー言いながら自転車を押しつつも、珍しい降雪に心ウキウキで(子供か!)1時間以上かけて家に帰りました。
家に帰ると、家人は早期退社で在宅、娘はたしか春休みで今日は在宅のはず、なのにいない、、、?
家人曰く「雪の夜の街が見たいと散歩に行った」。
ただただ雪が珍しい、これが東京人です(笑)。
母と雪かきの思い出
そして今日、外はどんな状態でも工房には行かねばならぬのです。
なぜかといえば、急いで「雪かき」しなければならないからです。
工房の前は人通りの多い歩道です。
実家の母が生前、雪が降った後はとにかく「急いで雪かきをしないと!」と言っていたのを思い出します。
雪かきをしないと通行人が通れない!というのは表向きで、家の前の雪かきが少しでも遅くなると、隣の家の人に雪かきされてしまうからです。
工房(実家)のあたりは家幅の狭い家が長屋のように連なっているので、自分のところだけやるとそこだけポツンと嫌味ったらしく目立ってしまうし、自分の家の前だけだと距離も短いのですぐに雪かきが終わってしまう、だから隣の家の分までやってしまおう!という感じになるのですが、そうするとやってもらった家の人は、雪かきもしないだらしない家と見られて恥ずかしい(母談)思いをするわけです(めんどくさいなー)。
そんなワケで、母は隣の家の雪かきの音に耳を澄ませ、その音が始まると急いで外に飛び出して雪かきをするので、そこからは近所中で一斉に雪かきに発展します。
こんなに狭いところなんだから2〜3人が代表してやればいいのにと思うのですが、狭い道を大勢の人が大騒ぎしながら雪かきしている様はなかなか笑えるものがありました。
自宅のマンションでも雪かきは住人総出でやるのですが、皆が一斉に出てくるので雪かきスコップ(マンション用)が足りない。
どうしても自分用のスコップが欲しい!と言ったところ、家人から東京なんて2年に一度ぐらいしか雪かきするほどの雪なんて降らないんだから、そんなもの必要ない!と却下されていたのですが、内緒でマイスコップを買ってしまいました(笑)。
それがこれ。
雪国の人が見たら笑われるぐらいささやかな大きさ(笑)。
今は工房に持ってきているので、誰にも文句を言われずに雪かきスコップが使えます。
しかしそんな私でも、さすがに去年圧迫骨折をしたので、雪が硬かったら雪かきはあきらめようと思っていたのですが、今年の雪は10時時点で半分以上溶けていたので、それほど無理なく周辺の雪かきを終えることができました。
今は昔と違って、住人は雪かきなどできない年寄りが増えてしまったので、隣のおじさんと二人で手分けして静かな雪かきでした。
こんな雪かきも楽しいと思えるほど、たま〜にしか雪が降らない東京の雪の日事情でした。
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]]>言わずと知れた、コクヨの定番品『ドットライナー』。
文具の大人気商品として、お仕事などでお使いの方も多いことと思います。
実は貼り込みでも、3種の糊のうちの一つ「留糊」としてお世話になっている糊です。
留糊というのは、ちょこっとだけ仮止めしたいときに使うのですが、ドットで糊が出てくるため「5mmだけ出したい」という調整がしやすいのが利点です。
また水分を含まないので、ヨレヨレ、ベタベタを気にすることなく、手軽にすぐに接着できるのもうれしい。
私は酸を含まない「アシッドフリー」と説明していますが、正確にはコクヨ独自の基準で「写真や紙の変色の原因となる酸を抑えたのり」という言い方をしています。
慣れた人こそ使い方に注意が必要
「でんぷん糊」や「サイビノール」は「水性」なので、どちらも使い方には注意が必要です。
糊で作る物はうまく出来ないという方は、ほとんどの場合その正しい使い方がわかっていないだけで、それらの特性をよく理解して使うと、貼り込みでの物作りはとても楽しいものになります。
でんぷん糊やサイビノールと比べると、ドットライナーはそれほど注意をしなくても使える大変優秀な糊なのですが、使い慣れた人に限ってダメにしやすい。
私は最近、新たに詰め替えたテープを2回続けてダメにしました(涙)。
私のようなハードユーザーは、「スタンダードタイプ(16m)」(画像下)ではなく、「ロングタイプ(36m)」(画像上)を使っていると思います。
スタンダードタイプと比べるとかなり大きいですが、慣れてしまえば安定感があってなかなか良い。
これだけあってもすぐに使い切ってしまうので、もちろん詰め替えも常にストックしてあるのですが、最近、詰め替えて間も無くにテープが動かなくなることが2回続きました。
テープが引けなくなってしまった場合は、後ろのコアの側面にある溝にペン先をかませてテープを動かすのですが、そのうちコアを巻いても動かなくなることがあります。
こうなったら、残念ながらもう元には戻らない、、、(泣)。
これを36mの1/3も使っていない状態でやらかすと、やたらと悔しい。
その原因を色々と考えたのですが、テープを勢いよく引くと「糊飛び」してついてしまい、フィルムに残ったドット糊を巻き取ることにより、巻き取り側のコアに糊が付いてが動かなくなるのだろうと思いました。
そこでコクヨのカスタマーに問い合わせたところ、やはりそれが原因の一部とのこと。
こうなってしまうと何をしても直りません。
これは慣れているがためのハードユーザーあるあるです。
普通に使っていても本体の劣化により同症状は出やすくなるので、10回程度詰め替えたら本体も変えましょう(コクヨ推奨)。
リニューアルされたロングバージョン
ところが、今回ドットライナーを改めて調べたところ、ロングタイプの新バージョンが発売されていたことを知りました!
2023年の1月発売ということなので、ちょうど一年前です。
今月従来バージョンの詰め替えをAmazonで箱買いしたばかりなのに、、、悔しい(でも新しいの買ったよ)。
上が従来型で、下がリニューアルされた「LONG50」です。
従来品の白部分がなくなってツルんとした印象ですが、大きな目玉の付いたずんぐりむっくりした形状です。
従来品は青部分をそのまま詰め替えますが、リニューアル版はブルー部分が被せになっていて、これを右側にカパッと開いて、詰め替え用を入れるという構造になっています。
従来品に比べると、詰め替えが骨格だけになった感じです。
従来品と値段はそれほど変わらないので、テープの増量分は、この青色カバー部分が無くなったことと引き換えなのかも?
ドットライナーの発売は2005年ということなので、すでに20年近くも経っているわけで、考えてみれば、そのぐらい長い間使われていれば、リニューアルの一度や二度あるだろうと思いますが、あまりにも目が慣れてしまっているので、デザインが変わるだけでやたらとびっくりしてしまいます。
本体の交換目安も10個から20個になったそうなので、耐久性も増したようです。
フタのバネがやたらと頑丈になったのはわかる。
ちなみに、コクヨの説明によると、
「たっぷり使えてつめ替えの手間を削減する大容量タイプ。ヘビーユーザーにおすすめです。」
くすぐるコピーだわ(笑)。
コクヨではすでに従来品は生産終了しているようです。
リニューアル版が発売されて一年も経つというのに、ほとんど従来品しか目立たないのは、多分、どこも従来品在庫が残っているからなのだと思います。
だって、こちらの「LONG50(50m)」は従来品(36m)と比べて断然長いのに、価格がほとんど変わらないので、誰も在庫の従来型を買わなくなるからですね。
今現在、従来型のロングを使っている方は、リニューアル版は従来型と構造が違うため、詰め替えの互換性はありません。
なくなったら詰め替えを買わずにリニューアル版を買ってくださいね。
更に言うなれば、スタンダードタイプ(16m)とも、ほとんどお値段かわりないですからね。
家ではロング50を使い、持ち運びにはスタンダードを使うのがお勧めです。
Amazonは色々な販売業者が出品しているので、常に値段が変動していて、まとめ買いより単品で買った方が安いということもよくあることなので要注意です。
Amazonの「LONG50」を貼っておきますが、なぜか本体のカートが出てこない。
(そのうち出てくるのでリンクは貼っておきます)
ということで、Amazonプライムのようなものもなく、全品送料無料の「ヨドバシネット」が絶対お勧めです。
そしてAmazonより安い。
野菜は頭で食べる
上記とは全然関係ない話ですが、最近面白いと思った「野菜」の話題を。
我が家の娘は、家族揃って食卓を囲むときは「野菜」を食べるのですが、私がいないときに、各自が小皿に分けて用意しておいたものを食べるという時は、決まって「野菜」の小皿には手をつけません。
完全な野菜嫌いということでもなく、ただ野菜を食べるのは「面倒臭い」のが理由のようです。
小さい頃は野菜を食べなくても、ある程度の年齢になると、美容のため、もしくはダイエットのためなど、体に必要な栄養素と思って食べ始めると思うのですが、二十歳を過ぎても状況はあいも変わらず。
どんなに言っても野菜を無視するので、最近はワンプレートにしているのですが、その時は野菜だけ分けるのも面倒ということもあり、しかたなく食べているようです(その代わりレタスだって一緒にチンすることになるぞ!)。
ところが最近、作り過ぎた野菜のおかずを配膳してもらった時に「多い分は明日に回すから、全部盛り付けなくていいよ」と私が言うと、
「昨日から外食続きでほとんど野菜を食べていないから、自分が全部食べるわ!」
と言い出したのでびっくり!
どういう心境の変化か?と聞いたところ、現在バイトをしているチェーンの喫茶店で、「サラダ」を注文する人は元気なお年寄りだったり、快活に受け答えするようなお客が多い反面、サラダを注文しない人は、相対的に愛想が悪かったり、わがままな客が多い、ということがわかったからだそうです。
最近は入店したお客の様子を見て、この人はサラダを注文する、しない、の予測を立てて楽しんでいるそうです。
実体験に勝る理解なしですね。
ということで、最近とても感心した笠原シェフのサラダをご紹介。
単純なのに美味しい、そんなレシピが好きです。
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]]>『貼り込みで作る袋物細工』を教える、という活動は、2012年の講習会を皮切りに、コロナ以降は筥迫工房での月6回の通年開催の教室に落ち着きましたが、すでに10年以上続けているということで、まさかこんなに長く続くとは思わなかったです。
現在は小さな工房での開催なので、定員は4名までしか入らないのですが、大荷物を抱えて移動していた講習会はかなり大変だったので、今後あのやり方に戻るのは難しい。
現在の教室は、通年で通いたいという方を対象にチケット制で基礎から教えていますが、筥迫だけを作りたいという方も多いので、同じ教室開催日の中で単発の「体験講座」を受講される方も多いです。
かつて開催していた「講習会」は、受講後に自宅でも作れるように全ての工程を作業するという、あくまで「教える」ことを前提とした内容でしたが、教室の「体験講座」では、厚紙のカットやトレースなどの「事前作業」と、時間がなければ「結び」は私が作るのをお手伝いするという、あくまでメインの貼り込みに絞っての「体験」という違いです。
参加できる日程によって1日〜3日で作れる内容に分けています。
先日この体験講座(2回で筥迫を作る)に参加されたTさんは、大学で日本文化関連の研究をされているという方でしたが、普段、手芸をするような趣味は一切やっていないとのことでした。
筥迫作りはお手軽に作れるとは言い難いのですが、手芸というよりは工作に近く、教本を見て一人で作ることにためらいがある方や、手芸や洋裁経験がない方でも、ここに来ればどなたでも最後まで作り上げることができます。
その人のレベルによって進行具合は違うのですが、Tさんが来られた日は教室の参加人数が少なかったこともあり、二日で玉縁から飾り結びまでを作業することができました。(えらい!)
ただし表布だけはご自分でお持ち込みいただきますが、多少であれば工房にハギレも置いていますし(別料金)、ネットショップでの選び方もご相談に乗ります。
Tさんはお祖母様の若い頃のお着物をお持ちになりました。
刺繍部分にアクが出ていて着ることができないということから、これで筥迫を作りたいとのこと。
思い出の着物を筥迫にリメイクするというのは、素敵な有効利用活用ですね。
この出来上がった筥迫を見せたら、お祖母様はどんなに喜ばれることでしょうね。
お若い方が筥迫を習いにくるというのも珍しいことですが、Tさんのお母様は着物に一切関心がないにも関わらず、成人式に筥迫をプレゼントしてくださったとのことで、その筥迫を身につけた写真を見せてくれました。
お母様がなぜ娘に筥迫をプレゼントしようと思ったのかが謎ですが(売っているところもあまりないのに!)、それによって彼女が今この場にいる訳ですし、ご縁というのは不思議なものです。
ただし、七五三で筥迫を身につけた時の記憶は残っているということだったので、あの時の筥迫!がフラッシュバックしたのかもしれませんね。
七五三の筥迫は幼い少女の琴線に触れる可能性が高いので、今時の写真館だけで七五三を済ませてしまうのはあまりにも勿体無い。
この年頃の女の子たちには、直接筥迫に触れる体験をさせてあげてほしいと思ってしまいます。
筥迫&懐剣 体験講座
開催日が飛び飛びの教室では遠方の方が参加しずらいことから、以前、連日開催で筥迫と懐剣の講習会をやってもらいたいというご依頼があり、お針子会で2日連続の単発の体験講座をしたことがあります。
そして最近、同じように二日連続の講習会を再び開催してもらえないかという遠方の方からのご依頼がありました。
お二人での参加希望ということもあり、会場はあくまで筥迫工房に来ていただくならという条件で、教室開催日とは別枠で二日連続の「縢襠筥迫」の体験講座をすることになりました。
今回は、体験講座の後に家に帰って自分でも筥迫を作ってみたい!ということなので、懐剣はつくりませんが、「玉縁」や「飾り房」の結びまでしっかり作ります。
通常の体験講座は教室開催日に行うため、通常の生徒さんたちもいるので付きっきりで面倒を見ることはできませんが、同じ物を全員で作るような講習会形式であれば効率的に作業が進みます。
二日集中で筥迫を作りたい!という方がいらっしゃいましたら、この機会に是非ご参加ください(あと2名だけの募集ですが)。
三連日にはなりませんが、懐剣を作りたければ、別の教室の日に3回講習で受講も可能です。
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臨時体験講座『縢襠筥迫&懐剣』
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3月15日(金)、16日(土)2日連続
縢襠筥迫(本式/玉縁付)
両日とも12:00〜17:00
※定員に達したので締め切らせていただきます。(2024.1.18)
筥迫講師資格C
通年開催の教室では、最近「筥迫講師資格」を取得したいという方が増えました。
何回のカリキュラムで取ることができますか?といったお問い合わせもいただくのですが、講師資格のカリキュラムはあっても、それを一定数こなせば取得できるようなものではなく、あくまで実技テストに合格するか否かなので、期間は人によってかなりの違いがあります。
筥迫工房の教本で筥迫を作れるようになったからといって、これなら人にも教えられる!と思う方が多いようですが(許可なく勝手にしないでね)、筥迫作りは同じ作業の繰り返しはあまりなく、工程ごとに要素が変わっていくので、それを複数人相手に、制限時間内に、失敗なく、最後まで作らせるのはけっこう大変です。
「筥迫講師資格C」は、筥迫数種と婚礼用和装小物に限っての資格ですが、筥迫は技能レベルを3種に分けているので、講師資格Cは一番簡単な筥迫の作り方を教えられるという資格になります。
私は今後も遠方まで行って講習会を開く気はないので、いつかは袋物全般を教えられる講師が増えて、その人たちが全国に散らばって教えてくれたらいいなぁと密かに願っています。
そして最近は「講師資格」の他に、「販売資格」や「職人資格」を目指して頑張っている人もいて、ありがたいことに今まで私一人がやっていたことを代わりにできる人が増えてきました。
おかげで今年からは、自分が本来やりたかったことに時間が注ぎ込めそうです。
こちらは、講師資格を目指して現在特訓中のHさん。
最近、毎回お着物を着ての参加です。
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新しい年の幕開けと共に大きな災害と衝撃的な事故が相次ぎ、なかなか頭が追いつきません。
今日に至っても強い余震に見舞われている被災地の方々のことを考えると、とにかくご無事であることを祈らずにはいられません。
新年のご挨拶として今回の「椿」の花独楽動画を用意していたのですが、さすがに元旦から投稿する気になれず、三日遅れとなってしまいました。
花独楽は「はなごま」と読み、字の如くお花の形をしたコマです。
以前「誰ヶ袖」を作る際に江戸時代の資料を調べていたところ、誰ヶ袖に関連して書かれていた細工物の一つに「花独楽」がありました。
当時は「花独楽って何よ?」と思ったぐらい、現代ではほとんど忘れ去られている物ですね。
その昔は着物に穴が空けば、それ解いて使える部分をはぎ合わせて襦袢や腰巻きにしたり、それがまた穴があけば細工物に使ったりと、布は最後の最後まで徹底的に使い倒すという文化でした。
江戸時代には、天秤棒をかついで売り歩く「はぎれ屋」なる商売もありました。
縮緬で作る「縫う」お細工物は現代でも伝承されていますが、「貼る」花独楽はすっかり消滅してしまったのが不思議です。
私の作る花独楽はあくまで現代版ですが、リアルな花型を目指しつつ、よく回るように重心を工夫しながら暇暇に楽しみながら作っています。
ある程度種類が増えてきたので、去年の夏に「朝顔」を公開するつもりでいたのですが、コマは画像にするより動画だよなぁと思うと、セッティングが面倒でついつい後回しにしてきた結果、気がつけば季節はすでに秋。
それなら「コスモス」にチャレンジ!と思ったものの、バタバタしているうちにまたしても季節外れに、、、。
ということで、新年こそは絶対「椿」を出す!と心に誓い、12月に用意していたものです。
さざんか、寒椿、椿
今回添えた蕾の枝は「寒椿」です。
以前から花独楽の動画には本物の花や葉っぱを添えようと考えていたのですが、街中を気にしながら見てみると「さざんか」は至る所に咲いているのに椿はなかなか見当たりません。
それにしても今まで椿を意識して見ることはなかったのに、無意識にも「さざんか」と「椿」を見分けている自分に気がつきました。
「さざんか」はヒラヒラとした薄い花びらが平べったく全開になった花型。
椿は花型がカップ状で花びらがやや厚くぽってり咲いている花型。
このぽってりした椿の花が見つからないのはなぜだ?と思って調べたところ、「さざんか」が咲く時期は10〜12月、椿は12〜4月頃とのことで、季節がずれていることがわかりました。
12月なら二種類ともダブっているはずですが、途中で固い蕾を付けた椿の葉っぱを見つけたので、このところ暖かい日が続いていたし、花が開くのが遅れているのかもしれません。
そんなことを知り合いに話したところ、「家の寒椿なら咲いているよ」と言うことで蕾を持って来てくれました。
しかし葉っぱの周囲にギザギザがあり(ギザギザが目立つのはさざんか)、花弁も一枚づつで散っているとのことで(椿は花ごと落ちる)、「寒椿」とはこれ如何に?ということで調べたところ、寒椿はさざんかと椿の交雑種とかさざんかの仲間だとかで、椿というよりはさざんかの花に近いように思います。
開花の時期もさざんか→寒椿→椿という順番で咲くそうで、これを目で見て区別するのは難しそうです。
ただ花独楽にするには、カップ状の花型の山椿(やぶ椿)よりも全開になるさざんかの花型の方が安定感があるので、無理に区別しなくてもいいかも(笑)。
ちなみに、俳句では、椿は春の木と書くように春の季語で、寒椿は冬の季語だそうです。
椿は縁起が良いか悪いか?
私が子供の頃には庭木に椿を植えている家をけっこう見かけたような気がするのですが、まだ季節ではないにせよ、やはり減ったような気がします。
東京は狭い庭に植えられているからか、子供心に葉の色が濃く鬱蒼とした椿の木に何となく陰気な雰囲気を感じたものですが、こうやって椿が減っている状況に何だか郷愁さえ感じてしまいます。
もしかしたら椿が見なくなったのは「チャドクが」の影響があるかもしれませんが。
地域によって椿は「忌木」で庭に植えることを嫌う地方がけっこう多いということを知りました。
武士の時代に椿が花ごと落ちることから縁起が悪いとか、さざんかを売り出すためにそんな噂を流したなどの俗説があるようですが、「梅」が中国から渡来する遥か昔の日本では、「松竹梅」ではなく「松竹椿」といわれほど縁起のよい植物とされていたそうです。
また古事記には、椿が呪術的な霊木として扱われています。
神棚に飾るのは「榊」ですが、榊の生育しにくい土地では椿やさざんかの葉が代用されているそうです。
このように椿は「魔除け」として庭に一本植えておくと「結界樹」になったり、生垣にして魔の侵入が防ぐという話もあるので、一体どこで「忌木」に切り替わってしまったんでしょうね?
椿の学名はCamellia japonica(カメリア・ジャポニカ)ですが、日本の固有種というわけではなく、日本や中国、朝鮮半島、台湾に渡って原産地とされています。
対して、さざんかの学名はCamellia sasanqua(カメリア・サザンカ)で、これこそ日本の固有種であり、和名がそのまま学名になっているのだそうです。
ちょうど先ほど知人が開花している寒椿の画像を送ってくれたので、私も近所に咲いていたさざんかを撮影したので追記します。(2024.1.3 15:50)
ほぼ同じ、、、ということで調べた結果、寒椿の方が少しだけ花弁の枚数が多く、寒椿は低木が多いようですが、ししがしらという品種は背丈が高くなるなど、品種も色々あるので結局は専門家でも見分けるのは難しいらしいです。
街にはさざんかばかり!と思っていましたが、実際には寒椿もたくさん咲いているようですね。
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]]>こちらは2016年に開催された中山きよみ先生の日本刺繍教室(金沢)の生徒さんたちによる『飾り筥展(中山きよみ+13)』の中の作品で、筥迫工房がお仕立てさせていただいたものです。
クリスマスなので、何かプレゼント的なイメージの画像はないものかと探して、こちらの華やかな『鳳凰あしらい』を選んでみました。
こちらは背面です。
定家文庫は前面に大きな飾り房がかかるので絵が隠れてしまう部分があるのですが、こちらの作品では前面、背面とも同じ刺繍が施されています。
友禅の着物地に日本刺繍をあしらった作品なので、柄合わせはされていませんが、奇跡的にも定家文庫にジャストサイズに配置sがすばらしい。
定家文庫は現代ではなくなってしまった文化ですが、以前どうしてもこれを現代に再現したいとの思いから、桐箱などの材料を全て特注で調達しました。
桐箱もただの箱ではなく、化粧箱仕立てになっています。
この当時は私がつたない飾り房を作りましたが、現在では専門の職人さんに協力していただき、かなり立派な房になっています。
在庫が全てはけた時にこれで終わりにしようと思ったのですが、需要があり最近また復活しました。
定家文庫と筥迫は似て非なる物です。
定家文庫は京阪の古風を残す文化のひとつで、江戸では従来よりこれは用いていないそうです。
他方、筥迫は江戸文化と東西にはっきりと分かれます。
筥迫もすたれつつあるとはいえ現代でも愛好者は少なからずいますが、定家文庫は関西固有の文化であるにも関わらず、当地の人たちから完全に忘れ去られている文化です。
こんな素敵な飾り箱なので、是非関西の刺繍愛好家の方達に作っていただきたい。
材料が全て特注品なので仕立てはお安いとは言えないのですが、他にはない古風な定家文庫を作りたい方は是非お問い合わせください。
大谷選手にみる江戸人からのDNA
最近の大きな話題といえば、大谷選手のトレードで盛り上がりましたね。
その入団会見で、大谷選手が身につけていた「時計」がグランドセイコーの「SBGM221」だったことが海外の人たちの間で話題になりました。
あれだけの契約金を手にするのに、その価格である60万5000円はあまりにもささやかということのようですが、大谷選手が日常生活でも全く「物欲」がないことは有名で、さもありなんという感じで好意を持って伝えられています。
なぜ今回この話題を出したかと言えば、ちょうど今私が読んでいる「逝きし世の面影」(渡辺京二著)という本の中で、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人によって伝えられた当時のリアルな日本人像と、今回の大谷選手に対する外国人の評価に似たものを感じて、ちょっと和んでしまったからです。
今回はこの本から、第三章の「簡素とゆたかさ」の内容を少しご紹介致します。
現代に生きる私たちにとって、封建社会の中で生きていた当時の日本人は、圧制的な支配に苦しめられていたというイメージを持っていると思います。
当時の外国の人々も同様の情報を持って日本にやってきたのですが、実際に彼らが見た日本は、それが事実であると同時に、全く反対の印象を持って不思議の国日本を観察しています。
それは、重税で貧乏を余儀なくされている民衆が、それにも関わらず豊かな環境の中で満ち足りた生活をし繁栄していたことでした。
中でも当時の外国人が共通して書いていることが、世界のあらゆる国で貧困に付き物の「不潔さ」というものが、日本には少しも見られないということが驚きを持って伝えられています。
気候よく、豊かで肥えた農地は美しく整備されてはいるものの、収入に対し不相応なほどの重税が課せられているため、人々は余剰がなく一様に貧しい生活である。
しかし日本の貧困には、当時の欧米における貧困が誘発する不潔さ野卑や犯罪がないことが驚愕であったようです。
ロンドンのスラム街といえば、市場では腐った野菜や果物が平然と売られ、肉屋からは不快な臭気が漂っている。
住人の家には完全な窓ガラスはほとんどなく、壁は砕け、戸柱や窓枠は壊れてガタガタの荒廃した有様である。
それに対して日本では、貧民ですら衣服や住居は清潔で、人々は小屋まがいの家に住んではいるものの、壊れた家や農作業小屋は見当たらず、家の中は汚れた長靴で立ち入るのをはばかるほど清潔だと書います。
イザベラ・バードに至っては、日光の町の街路があまりにも清潔に掃き清められているので、泥靴でその上を歩くのが気が引けたとさえ言っています。
また貧富の差に関わらず、総じて日本の家には自分たちが「家具」と呼ぶような物が一切ない、ということもよく書かれています。
上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人々とさほど違った食事をしている訳ではない。
日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
外国人からすれば家具のない家は全く快適には思えないのに、日本人はと言えば、自分たちには雨露をしのぐ屋根もあるし、食べる米ぐらいは持っているぞ!と至って満足な様子です。
「たしかに、これほど厳格であり、またこれほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」。
幸福より惨めさの源泉となり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲にもとづく競争がここには存在しない。そして彼は 「幸福な農民生活」についての或る詩句を、まさに日本にふさわしいものとして引用する。
「気楽な暮らしを送り、欲しい物もなければ、余分な物もない」。
このように、当時日本を訪れた外国人たちは一様に「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」「生活が容易で単純な国ではほとんどすべての者が貧しいが、悲惨なものは一人もいない」「日本人は要求が低くて、毎日の生活が安価に行われている」と言っています。
当時の欧米人が到達した物質文明の基準からみた「豊かさ」ではなく、日本人のそれは次元の異なる「豊かさ」であり、「彼らの全生活に及んでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかがある」と述べています。
大谷選手をこの時代の貧しい人々とは比べようもありませんが、「他の東洋諸民族と異なる日本人の特性」として「奢侈贅沢に執着心を持たない」「スパルタ的な習慣の簡素さ」には大いなる共通性を感じてしまいます(笑)。
世界最高峰のメジャーリーグで野球選手として活動できることが彼にとっての望みの全てであり、その他は「欲しい物もなければ、余分な物もない」ただただシンプルな生活(有り余るお金は銀行に預けておけば邪魔にもならない)。
贅沢さが欠如しているがための豊かさ。
大谷選手は、現代にあって江戸人のDNAを誰よりも強く引き継いでいる人なのかもしれません。
最後に、高貴な方のシンプルな住居で思い出すのがこの一枚の画像(2016年の平成天皇)です。
海外「これが日本との差だ!」 皇居で行われたご会見の光景にアラブ社会が衝撃
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守り袋の第二弾は「白麻」についてお話ししたいと思います。
地味な内容ですが私的には大好きなテーマの一つです。
このブログをご覧の方は布や着物に興味のある方が多いと思うので、日本文化のちょっとしたウンチクとして楽しんでいただければ幸いです。
かつて守り巾着には「裏には必ず白麻を用いる」というお約束がありました。
今回はその由来と、日本文化に深い関わりのあった「麻」という存在が、現代でなぜここまで遠い存在になってしまったのかについて詳しく書いてみようと思います。
「日本嚢物史(大正八年)」には、守り巾着と白麻のことがこのように書かれています。
茲に注意すべきことは此種の守巾着は表は如何なる高償な帛地でありましても裏には必ず白麻を用ひることであります。
此風習は古くから存在して居るものでありますが、何の爲めに特に麻の帛を用いるのでありますか、その研究をいたして見ますと、斯う云ふ所から起つて居るものであることが解りました。
我が國太古に於きまして麻布を織り之を着用しまして、その精巧に織ったものを神に供物として捧げましたことが、太古より行はれました神事の一として傳はつた事に基いたのであります。
井戸文人「日本嚢物史」, 大正八年 , P.69-70
昔の文章は読みづらいですね。
要約すれば、守り巾着で注意すべきことは、表にいかなる高尚な布を使ったとしても裏には必ず「白麻」を用いるということ。
この風習は古くから存在しているもので、麻の布を用いる理由は、太古より麻布で織ったものを神に供物として捧げたことが神事の一つとして伝わったと書かれています。
日本人と「麻」の関係
皆さんは「布帛(ふはく)」という言葉をご存知でしょうか。
布帛はいわゆる「布」の総称です(対する言葉は「編み物=ニット」)。
布帛の「布」は綿や麻などの「植物」を素材とした織物のことで、「帛」は「絹」を素材とした織物を指します。
明治以降に「化学繊維」が登場してからは、レーヨンの「人絹」に対し絹を「正絹」と呼ぶようになったと思いますが、江戸時代までの織物は「布」と「帛」しかないんですね。(ウールも明治以降)
しかし日本人が「綿」を着るようになったのは近世(ほぼ江戸時代)になってからで、対して「麻」は人類最古の繊維として、我が国においても綿よりもずっと古い歴史があります。
「絹」も古い歴史がありますが、絹などというものを着用できたのは上流階級のみで、一般の民衆は歴史の長きに渡って「麻」を着用していたのです。
麻は衣服の他にも和紙や油などにも用いられ、古くから日本の衣食住に深い関わりを持っていました。
特に「白の麻布」は、清浄、潔白、穢れを祓う神聖な植物として、古来より日本の「神事」に深い関わりを持っています。
この神事に欠かせない白麻の素材となる植物こそが「大麻」です。
そう、現代においてニュースなどでお騒がせの、あの「大麻(たいま)」から作られた布こそが本来の日本の「麻」なのです。
麻であって麻でない?
皆さんは「麻」というと何を連想するでしょう。
私は夏に用いるリネンの服や布巾とかですかね。
「リネン」はフラックス(またはリナム)という植物を素材にした織物で、和名は「亜麻(あま)」といいます。
「亜麻色の髪の乙女」は、このフラックスを紡いだ糸が薄い栗色の髪のような美しい色をしていることに例えられています。
フラックスの種子は亜麻仁油となります。
もう一つ、着物を着る人であれば、宮古上布や越後上布などの上等の麻布を連想されるかもしれません。
上布の素材となる「苧麻(ちょま/からむし)」は、海外では「ラミー」と呼ばれています。
ただし日本における「亜麻」の登場は明治以降からであり、太古の昔から日本に自生していた麻こそ「大麻(たいま)」と「苧麻(ちょま)」なのです。
しかし現代では、大麻の繊維から加工された製品は「ヘンプ」と表記しなければなりません。
麻には他にも色々な種類があり、麻袋などに用いられる黄麻は「ジュート」、洋麻は「ケナフ」と呼ばれます。
これらは全て同じ「麻」なのですが、日本の家庭用品品質表示法において「麻」と表記していいのは、なぜか「リネン」と「ラミー」の2種類に限られています。
多分多くの方は「麻」が採れる植物は全て「アサ科」の仲間だと思っているかもしれませんが、日本における「麻」の定義は「植物から採れる繊維全て」なのです。
つまり「麻布=植物布(セルロース布?)」ということですね。
実際の画像を見ていただければおわかりになるかと思いますが、フラックス(リネン)は「アマ科」、ラミーは「イラクサ科」、ジュートは「シナノキ科」と、全て見た目も異なる植物です。
そして、本来の「アサ科」に属する植物こそが「大麻(ヘンプ)」なのです。
法律上「麻」の一文字表記で販売できるのがリネンとラミーの2種に限定されるのは、結局のところ大麻からはあの違法薬物が取れてしまうことがやっかいな問題なのでしょうね。
実際に大麻を使った産業用製品は、ヘンプのアクセサリー、お盆の際に使うオガラ、大麻布として一般に流通されており、これらは「合法」とされています。
しかし「麻」の一文字で表記することは「違法」ということなんです。
日本で太古より「アサ」と呼ばれ親しまれてきた大麻が、現代では「アサ」として扱ってはいけないというあまりにもセンシティブな扱いにより、現代人から「大麻=麻」というイメージが完全に消え去ってしまいました。
布もできれば、薬物(医療用も含め)も抽出できるとなると万能な植物とも言えるのですが、事実、大元の「大麻草」から派生する用語はその部位ごとに異なり、合法、違法が分かれます。
日本では「草」「花穂」「根」は違法で「茎」「種子」は合法ですが、その栽培には特別な免許が必要です。
「麻」=植物から採れる繊維の総称。
「大麻草」=大麻という植物のこと。
「大麻」=法律で規制されている大麻草の部位(葉と花穂)を加工した薬物の総称。
「マリファナ」=葉と花穂を乾燥させてタバコにしたもの。
「ヘンプ」=茎の皮を加工した繊維。産業の分野でマリファナと区別するために使う単語。
「麻の実(ヘンプシード)」=大麻草の種子。食用となる(鳥のエサ、油等)。
(根)=茶、製剤、土壌改良。
「麻の実」は身近なところでは「七味唐辛子」に含まれています。
七味の中の一番大きな粒が麻の実です(あれ邪魔だったなぁ)。
この麻の実は、必須アミノ酸9種が全て含まれている食材として近年注目されているスーパーフードなのだとか。
種なので植えれば大麻が育ってしまうわけですが、そこは発芽しないように加熱処理されているそうなのでご安心を。
日本の文化・生活に身近だった大麻
日本人に大麻が身近だったのは、雑草よりも成長が早く、少量の水で育つためどんな土地でも栽培でき、害虫や病気にも強く、肥料も必要ないことから、日本の風土に適した植物だったからです。
丈夫で成長が早く放っておいても元気に育つという特徴から、縁起物として乳児の産着に「麻の葉模様」が使われますが、その模様をよく見てみれば特徴的なあの大麻の葉がデザインされていることがわかります。(実際の葉は7枚に割れているのに、模様になると全て6枚なのはなぜ?)
忍者は毎日大麻草を飛び越して跳躍力をつけたなんて話があるのも、いかに大麻の成長が早いかを示したものです。
扱いの難しい大麻でありながら完全に排除できなかったのは、日本の文化の中に深く根付き、象徴的に使われているものが多いからなんですね。
特に欠かせないのが「神事」です。
その代表格はお祓いの際に用いるお祓い棒で、そのままの名称で「大麻(おおぬさ=ぬさは麻の古称)」と呼ばれます。(太古の昔は麻布が使われていた)
伊勢神宮のお札「神宮大麻(じんぐうたいま)」も有名です。
神社の鈴縄、しめ縄、まわしの綱、お盆の際に使う「オガラ(アサガラ)」など、私たちの身近にある物にも使われています。
お札やお守りを数える単位は「体」で、一体、二体、と数えます。
そのような理由から、神聖な物が当たる守り巾着の内側に「真っ白な麻布」を用いるという慣わしが出来たのでしょう。
ちなみに、白麻がないときは「白のさらし」を使っても良いそうです。
以前ご紹介した「真向き兎の守り巾着」は裏に耳中と同じ鹿の子柄を用いていますが、名称をただの「巾着」にすれば一般的な手提げバッグのイメージが強くなってしまうので、綿を詰めて形を作った「お飾り巾着」は守り巾着の属にしました。
実際に中にお守りを入れるならば裏布を「白麻」にすれば良いでしょうし、でも裏布には柄物を使いたい!ということであれば、口周りから下を麻布に切り替える、または護符を白麻に包んで入れてみてはいかがでしょうか(←あくまでクリスチャン的思考)。
袋物は外観の違いで名称が変わりますが、中の使用はさまざまだったので、裏に白麻を使うかどうかはそれぞれの判断でいいのではないかと思います。
ただ本来の文化を知って楽しむのも袋物細工の醍醐味なので、守り袋のお約束「本当はこうなのよ」という感じで伝承して欲しいとは思います。(ただし、お願いだから守り巾着警察にはならないで!)
大麻ではないですが、Instagramにインドでのジュート布(黄麻)加工の動画がありました。
動画では水に浸して発酵させていますが、その昔のリネンの加工も、同じように水に漬けたり自然な環境で腐らせてから叩いて加工するという工程だったようです。
何やら原始的にも思えますが、栽培に大量の水と農薬を必要とする「綿花」は環境破壊が問題視されているので、水も農薬も最小限で育つ大麻の栽培は、資源として海外でも見直される傾向にあります。
いつか日本でも法律が改正される日が来るかもしれませんね。
守り袋(1)腰提げ守巾着とは
守り袋(2)守巾着と「白麻」
守り袋(3)守袋と守刀
守り袋(4)懸守りとは
守り袋(5)懸守り「勇肌の銀鎖」
守り袋(6)守袋「近代常用」
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こちらはご存知の方も多いかと思いますが『秋乃ろーざ』さんです。
ろーざさんが懐中されている筥迫は正真正銘、江戸時代の筥迫なんですよ、すごくない?
それも同じ時代のびら簪付き!
当時のびら簪はこんなに大きく、下りもやたらと長かったんです。
江戸時代の筥迫は美術館などで見る機会はありますが、びら簪はあまり出てきません。
美術館が江戸時代の筥迫に近代サイズのびら簪を合わせているのを見ると、それ違うからやめて!と言いたくなります。
近代のものとは間違えようもないほど、時代の物とはあまりにも大きさが違うからです。
そもそも筥迫がこんなに大きいのですから、びら簪だってそれに比例して大きくなければバランスが取れません。
画像だと筥迫もびら簪もそこまで大きく見えないですけどね。
こちらの画像の方が筥迫の大きさがわかりやすいかな?
写真も美しいですが、ろーざさんのような方が着物を着て、見たこともないような奇妙な装身具を懐中した姿は、ちょっと現実離れした雰囲気があります。(森の中に閉ざされたお姫様みたい!)
当時の筥迫は正装をする際に付ける物だったので、実際はこれにボリュームのある「打掛」を着用していましたが、それがどれだけ威厳に満ちた姿だったか、この画像から想像してみてくださいね。
大奥ではこのような筥迫を身につけることができたのは「お目見得以上」ですが、詳しくはその中の「中臈(ちゅうろう)以上」といわれています。
つまり極限られた上位の人々であって、一目でその位がわかるという出立ちです。
テレビドラマで使われている筥迫なんて、将軍の正室であろうとも薄っぺらな(胴締めさえ付いていない)ただの紙入れを懐中しています。
お目見得以上でそんな紙入れを懐中していたら、一目で「格下」ということがわかります。
私はね、江戸時代の筥迫は相手を威嚇するための道具だと思っているんですよ。
風俗博物館の「箱迫」の解説にも「一種の威儀具のような贅沢品へと紙入を脱皮させた」とあります。
威儀具というのは権力を誇示するために使う道具のことなので、今時の婚礼サイトで説明されているような化粧ポーチなんて生優しいものなんかじゃないってことです。
こんな筥迫を付けて怖い顔をした人が目の前から歩いて来たら、反射的に平伏してしまいそうだと思いませんか?
しかしこのように派手派手しいびら簪は、大奥では「軽薄」といって用いられませんでした。
つまりこのびら簪の出所は、江戸城下の武家屋敷に住んでいた各藩大名家の姫君たちの持ち物ということになります。
大名家とは私ら格が違うの!と示したいがために、篤姫の筥迫は懐中できないほどの大きさにして差別化を図ったようです。
でも実際は羨ましかったんじゃないでしょうかね、だってびら簪がついている筥迫の方がずっと素敵だと思いますもの。
私がこの画像を見て何よりびっくりしたのは、江戸時代に作られたこの大きな筥迫を、現代で実際に懐中しようなどと試みる人がいたということです。
現代で着物好きな人たちは襟元を絶対に崩したくない!という人がほとんどなので、近代の筥迫の厚みでさえ許容されずに筥迫は薄く小さくなるばかりです。
最近はこれが極まり、花嫁さんの筥迫からその象徴ともいうべき胴締め(+巾着)が取り払われ、小さな紙入れが花嫁の胸元に鎮座しているのが現実です。
しかしそんな私でさえ、この4〜5cmもの厚みがある筥迫を現代の着物に懐中しよう(させてみよう)なんて発想すらなかったです。
日本という国で子供の頃から自然に植え付けられた、着物とはこうあるべきという認知バイアスから免れることはできなかったようです(汗)。
多分、母国の違うろーざさんだからこそ、そんなバイアスにとらわれない発想ができたのだなとしみじみ思いました。
もちろん現代の花嫁さんがこんな大きな筥迫を懐中したら、花婿さんは上下(かみしも)ぐらいのスタイルにしないとバランスが取れそうもないので(笑)、せめて近代の本式筥迫を身につけて、胸元を立派に飾ることが美しいという価値観に立ち戻って欲しいです。
それにしても、ろーざさんあっぱれです。
今後も懐中物を身につけた美しい画像をInstagramで拡散していただけると嬉しいです。
秋乃ろーざさんのInstagramはこちら→ @akinoroza
ブログはこちら→ 秋乃ろーざofficial blog
アメリカのマニアックな人たち
ろーざさんとは、数年前に「携帯化粧道具入れ」についてお問い合わせをいただいたことで知り合いになり、このブログでもご紹介させていただきました。
その後もメールで何度かやり取りがあり、いつか直接お会いしてお話ししたいと言われていたまま実現することなく現在に至っていました。
しかし今回ろーざさんがInstagramにこの画像をポストされていたのをきっかけに、急遽工房でお会いする運びとなりました。
そして、Instagramに一緒に写っているアメリカのお友達が来日しているので、「筥迫好き」だから是非連れて行きたいということでご紹介いただいたのがこちらのベッキーさんです。(アメリカ人の筥迫好きってどーゆうこと??)
お二人はアメリカの、日本の着物文化好きな人が集まるSNSのグループで知り合ったそうで、着物の「胴抜き」について議論しあうような、なんでアメリカ人がそんな言葉知っているの?というようなやたらマニアック人々の集まりに属しているようです。
そして、今回の筥迫に付けられた「びら簪」こそベッキーさんのコレクションだったということで、このびら簪を工房にも持ってきてくださいました。(筥迫はろーざさん所有のもの)
私自身、この時代の筥迫びら簪を触ったのは初めてだったのでとても嬉しかったです。
現代のびら簪が下にちょっと映り込んでいいるので何となく対比がおわかりになるかと思いますが、こちらは平打ち部分が約4x5cm、足の部分が約12cm、下りの鎖部分が金具を含めて16cmという大きさです。
対して現代のびら簪は、平打ち部分が直径約3cm、足の部分だけで約7.5cm、下りの鎖部分がびらびら金具を含めて9cmです。
日本人でさえ見る機会のない江戸時代の筥迫びら簪を、なぜにアメリカの方が持っているのか謎すぎますが、これはベッキーさんのご主人からお誕生日にプレゼントされたものなのだそうです。(そんなダンナ様羨ましすぎる)
下りの金具も色が違ったり、形が違ったりが可愛い♡
ベッキーさんと蘇った花嫁衣装のこと
ベッキーさんは、アメリカで入手した日本の古い着物の復元をされている方なのだそうです。
彼女のブログには着物のクリーニングや汚れの除去、金彩と顔料の交換、縫製と修理、という内容が書かれていました。
ろーざさんの通訳を介してだったので間違って理解している部分があるかもしれませんが、彼女が修復したという赤い婚礼衣装のお話を書きたいと思います。
ベッキーさんのご主人は日系3世で、この着物はご主人のお祖母様が日本から持ち込んだ花嫁衣装なのだそうです。
こんなに立派な花嫁衣装を用意されたお祖母様のご両親は、どんな思いで娘をアメリカに送り出したのでしょうね。
時は第二次世界大戦、日系人や日本人移民は強制収容所へ収監されることになり、お祖母様はこの花嫁衣装を手放さざるを得なかったそうです。
ベッキーさんはそのお話を聞いて、何とかその着物を取り戻したいと、年月をかけてご主人の家の「家紋」と「白い鳥」を頼りにこの花嫁衣装を見つけ出しました。
広大なアメリカの中から一枚の婚礼衣装を探し出すとは、気の遠くなるようなお話ですね。(あれ?ebay入手と言っていたかな?)
やっと出会えたお祖母様の花嫁衣装でしたが、年代物なりのダメージがあり、これを一年以上かけて修復されたそうです。
こちらは鳩のシミ取り。
こちらは金彩(銀)の修復のようです。
薄くなった鳩のお目目も書き足したり刺繍を施したりしたそうです。
すでにお祖母様は亡くなられているそうですが、大事な花嫁衣装が無事取り戻され、更には孫嫁によって美しく見事に蘇ったその姿に、天国からどんなに喜んで見ていることでしょうね。
最後はこちらのベッキーさんの着物姿。
刺繍の筥迫に江戸時代の筥迫びら簪を合わせた写真が面白かったので、こちらの画像もお願いしていただきました。
このびら簪の大きさがよくわかるというものです。
さすがに前面部は邪魔だったのか背面部に差し込んでいるようですが、ここには入らないはずなので少し剥がしたのかな?
筥迫を入れた姿を見てアメリカの人には何と言われたのかお聞きしたところ、「そのお財布なに?」だったそうです(笑)。
ベッキーさんのInstagramはこちら→ @soulsatzer0
ブログはこちら→ Silk & Bones
ろーざさん、ベッキーさん、画像を快く使わせていただき、本当にありがとうございました。
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]]>折りしも時は七五三シーズン、教室の生徒さんが「男児の七五三の袋物細工が作りたい!」といったことから「懐剣&守り巾着」を作ることになりました。
現在、生徒さん向けに公開している巾着は「真向兎の守巾着」と「柿型巾着」なのですが、柿型巾着と子供用懐剣をセットにして作りたいとのこと(画像の物は柿型巾着に非ず)。
柿型巾着の作り方はとても単純なのですが(綿入れ造形というよりも折り紙!)、これを本来の「守り巾着」とするために、古式に則った作り方で拵え書を作ることにしました。
その流れで本来の守り巾着について調べたこともあるので、今回はこの「守り巾着」について、またしても連載で書こうと思います。
私の袋物制作は、すでに失われてしまった文化を現代に再現することを目的としています。
この時代の袋物を作っていた職人はすでにこの世に存在しないので、私にとっての「袋物を作る」ことは、同時に「その時代を調べる」ことも意味します。
古い物を作っていると、その時代ごとの日本人固有の感性の中で作られてきたと感じることが多く、同時に現代の私たちの感性がかなり西洋に偏っていることを思い知らされます。
アンティークの袋物を入手すれば現代でも似た物を作ることはできるとは思いますが、現代の感性にどっぷり染まった人間が作ると、見た目だけを真似した簡易版を作る羽目になってしまいます。
事実、現代の袋物は昔の名称を使った劣化版に溢れています。
「私の作りたいのはそれじゃない!」という思いから、自ずとそれらが使われていた時代背景から調べていことが常となりました。
今回の「守り巾着」は「懸守り」からの系譜なのですが、わかりやすく「守り袋」でまとめてみました。
最終的には「銀鎖の懸守り」まで行きつくことになると思うので、飛び飛びになるかもしれませんが少しずつ区切りながら書いていこうと思います。
腰提げ「守巾着」
画像の巾着は以前にもブログにアップしたものですが、かつて講習会をしていた「お針子会」のフリーマーケットで入手したものです。
「こんなものを欲しがる人なんて、あなたぐらいしかいないから」と事前に連絡をいただいたのですが、絶対に売れ残るから責任を持って引き取って欲しいということらしい(苦笑)。
確かにこんな物は需要がないどころか、何に使うものかさえ知らない人がほとんどだと思います。
これは子供の腰(帯)に提げることを目的とした「守り巾着(まもりきんちゃく)」という物です。(表題の場合は送り仮名の「り」を省略します)
以下は大正八年に発行された「日本嚢物史」(井戸文人)に書かれた守り巾着からの引用です。
宮詣とか、七五三の祝などに、氏神詣をする際、必ず之を帯ぶるものでありますから、親戚知己からこれを祝ひますが、これには随分数奇を凝らしたものもあります。(P.68)
七五三と云うのは、子供が七五三の年に氏神に無事を長久を祈る為に参詣するのでありますが、綺羅を飾るものは其子の衣装に数千金を抛(なげう)つこと往々あります。
従って守り巾着の如きも其祝には親戚等からも之を贈るを例とするのであります。
従って其需要も夥(おびただ)しく御座いますから、遂に巾着ばかりを裁縫する一の職業が分離したのであります。(P.69)
お宮参りや七五三などの儀式用に親戚知己からお祝いとして贈られるものがあり(常用の守り巾着とは別)、大正時代はその衣装に贅をこらす人が多かったので、このような守り巾着にも豪華な装飾(多分刺繍)を施したものが作られました。
この時代には子供のお祝いとして定番の物で需要が高かったことから、それだけを専業とする職人がいたということですね。
それを考えると、上の巾着は晴れ着用に販売された上等品のようです(三越謹製)。
生まれたばかりの赤ん坊の産着の紐に、守り巾着が付けられた画像を見たことがあります。
帯解き前(七歳前)なら兵児帯に通したのでしょうが、古い守り巾着には根付が付いているものもあるので、このような物は帯に通したと思います。
本来は守り巾着の中に社寺で授与された守札や護符を入れますが、この巾着の口には「封じ帯」が付いたままです。
以前巾着の封じは、それが開けられていないこと(新品)の証なのか、守札や護符を入れた後に封じたものなのかわからない状況でした。
しかし今回いくつかの封じを解いてみたところ、護符の類は入っていなかったこと、また一般人が処理するには難しいしっかりとした封じ方だったので、今では封が開けられていない証だと確信しています。
今回ご紹介している古い守り巾着のほとんどに封じ帯が付いていますし、こちらの守り巾着が入っている桐箱の蓋はガラス張りになっているので、時代が下がるにつれ、中に護符は入れることなく、ただの風習として飾って楽しむ物になって行ったのでしょう。
現代の七五三男児の小物に使う「懐剣セット」にも「お守り」が付いています。
かなり存在感ないので気がつく人も少ないかとは思いますが(実際に羽織の下に隠れてしまうので)、あれはこの守り巾着の名残りなのでしょう。
あの懐剣セットを販売する際に、お守り袋の中に護符を入れて販売することはあり得ないと思いますが、買った人もわざわざあの袋を開いて護符を入れることは稀だと思いますので(知っていればいれるでしょうが)、こちらも完全に形だけの物と思います。
ちなみに袴姿の場合は、守り袋は袴の紐に通すそうです。
すでにこの時代、儀式用のものは装飾を目的とした物になっていたのかもしれませんが、日常的に使う守り袋もあったようで、そのような物には確実に護符は入っていたと思われます。
「七歳前は神の子」を唱えたのは柳田国男だそうですが、満足な医療もなく運命だけに頼っていたその昔、子供が生を受けた瞬間から「死」は身近なものでした。
江戸時代中・後期における濃尾地方の調査では、一歳未満の乳幼児の死亡率は10パーセント台後半というデータがあるそうで、二歳になるまでに約2割の子供が死亡しただろうと書かれています。
このことからも、どれだけ「守り巾着」に大人たちの切なる思いが込められていたのかを実感します。
現代では子供が生まれてすぐに心配するのは「教育費」といえるほど高度な医療に守られ、守り巾着の存在さえ知る人が少なくなったことは大変喜ばしいことですが、子供の命の重さに対する認識の違いを感じずにはいられません。
関東と関西で違う守り巾着
上の守り巾着の中身は「籾殻(もみがら)」が詰められています。
これが上等品になると「お茶の葉」で肉入れ(中に詰め物をして膨らませること)されていたそうです。
日本嚢物史には
普通のものになりますと、大概、木型を用います。
茶肉で作り上げたものは、其形の崩れるということは殆どありませんが、木型で作ったものは、暫くしますと皆、崩れるのであります。
この「木型」を用いるというのは、多分木型で形を作ってから「綿」を詰めたという意味ではないかと思われます(綿は経年でへたる)。
単に綿を詰めただけではこのような美しい丸みのあるフォルムには作れないので、これは専門の職人が専門の道具を使って作ったと思います。
ただ、お茶の葉然り籾殻然り、中でカビやダニが湧いたりないんだろうか?などと考えると、中の詰め物にはそれなりの加工がされているのか?とも思いますが、私はこれらの古い守り巾着を触ると痒くなるので、ジップロックできっちり封をしていてビニール越しに可愛い♡と愛でております。
現代ではさすがに木型を使って作るようなことはできないので、目下私は詰め物や綿の使い方を工夫して、経年でもへたらないような作り方を考案中です。
ちなみに、筥迫巾着と違って緒の紐は2本足で通しているので、封じを外すと巾着の口が開きますが、そのまま紐だけで締めても口が開くことはありません。(根付を使う場合は必然的に緒締め玉を使っていたとは思いますが)
これもまた別の守り巾着ですが、左の赤の巾着は大きさや形状といい羅紗地であることから、ちょっと古い時代(明治以前?)のものだと思います。
このように家紋(これは七宝に花菱?)を入れたものもよく見かけますが、このような物は当然特注で作られたのでしょう。
青の巾着は小さいものですが、時代が古いほど様々な形状が作られ、時代が下がるにつれ右上(寿柄)のような形状が増えているので、ある程度形は統一されて行ったように思います。
(現代に見られる一般的なお守りの形は印籠型といい、この形状はまた別の系譜があるので別項でご紹介します)
これらの腰提げの「守り巾着」は、主に関東や東北地方で盛んに用いられていたそうです。
関西地方ではこの形の物は用いられず、代わりに「守り袋」が用いられていたそうです。(どちらも守り巾着と表記されることもある)
守り巾着のように肉を膨らませない作りで、縮緬で押し絵などの細工を施し、周りにはヒダが付けられています。
大正八年に発行された「日本嚢物史」には、関西でも「最近は関東の腰提げ巾着が流行してきた」とあるので、大正以降は関西でも腰提げ守り巾着は使われていたようです(ただし東京で作られたものが出回っていたらしい)。
画像のような守り巾着は完全に専門の道具を使ってプロの手で作られたフォルムなので、当時の嚢物教科書に作り方が載っていたとしてもその出来上がりは雲泥の差があったと思います。
かたや関西の「守り袋」は(日本嚢物史的に言えば)「玩具風」に出来ていることから、手先の器用な家庭の主婦によって作られていたようです。
これは江戸時代の筥迫と同じで、関東の武家で用いられていた絢爛豪華な筥迫は専門の職人によって作られ、関西では手作りの紙入れが用いられていたので、傾向として同じだなと思いました。
また、以前に私は守り巾着の中に「迷子札」を入れたと書いたことがありますが、実際にはこれは中に入れたのではなく、巾着とは別に提げていたそうです。(間違えていました、ごめんなさい)
関西の守り袋の形状、迷子札については、日本玩具博物館のブログに詳しく書かれているのでこちらをご参照ください。
日本玩具博物館ブログ「迷子札の意匠」
※「守り袋」は筥迫工房の研究対象ではないので、詳しく知りたい方は以下の日本玩具博物館監修の本をご参照ください。
次回は、守り巾着に使われる「白麻」について書きたいと思いますが、シリーズ物として以下のように続きます。
昔の事柄を調べながら昔の袋物を作っていると、その一つ一つに深い意味や思いがあり、私たちの祖先が築き上げてきた豊かな文化を知ることになります。
それらが今は語られなくなってしまったことが余りにももったいない、という思いからシリーズの項目がどんどん増えてしまいました。
本当に最後まで辿り着くのだろうか?
とりあえず今はあまり深く考えないでいよう、、、(遠い目)
守り袋(1)腰提げ守巾着とは
守り袋(2)腰提げ守巾着と「白麻」
守り袋(3)守袋と守刀
守り袋(4)懸守りとは
守り袋(5)懸守り「勇肌の銀鎖」
守り袋(6)守袋「近代常用」
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]]>東京は雨天だったようですが、京都はおかげさまで晴天でした!
今回は、かねてよりInstagramでフォローさせていただいていた「きものトータルプロデュースはなを」(以下「はなを」)でお世話になりました。
カメラマンが撮影したデータは納品に時間がかかると言われていたので、ブログはゆっくり上げればいいかと思っていたのですが、「はなを」のアカウント( @ohanahanao )で早々にリールを上げていただいたので、焦ってブログを書いている次第です。
今回のブログには「はなを」のリールを埋め込ませていただくことにして、画像は私が撮影したデータを使って顛末記を書かせていただきます。
娘の七五三も十三祝いも私が撮影したので、さすがに成人式ぐらいはプロに撮影してもらおうと思っていましたが、ハナからスタジオ撮影する気はなく、あくまで地元(東京)でのロケーション撮影を考えていました。
しかし、諸事情により撮影が一年後に延期されたことで娘のテンションがダダ下がりだったこともあり(何で今更〜)、何とか気持ちを上げてもらうために、娘が行きたがっていた「京都」での撮影に切り替えました。
しかし予約は取ったものの、その後に延期が続き(申し訳ない)、やっとのことで撮影が実現したのは娘が22歳の誕生日を迎えた10月末のことでした(汗)。
「きものトータルプロデュースはなを」については、Instagramを始めた頃から無意識にフォローはしていたのですが、筥迫関係者でフォローしている方が多く、よく話題が出るので段々と意識し出したように思います。
特に「はなを」のクラシカルなヘアスタイルと、象徴的なリボン使いに惹かれたというのもあります。
「はなを」のアカウントに登場するお嬢さんたちは花のように可愛くて、もしかしてうちの娘でもあんなに素敵に変身させてくれるのかしら?という期待もありました(笑)。
そして一番に引っかかっていたのは、ある方が言われた「あそこは着付けが上手いというよりも、何というか、いい着付けなんですよね」という一言でした。
2年前の成人式の際は、娘が振袖を着てくれるかが一番の問題だったので、着付けは何も考えずホテルの美容院を予約。
ヘアメイクは娘と担当の美容師さんにおまかせで、私は筥迫が適正に懐中に収められているかを確認するのみ。
今回の筥迫は成人式に間に合わせようと毎日必死に刺繍していた物でしたが、「そんな大層な筥迫をしていたら気軽に成人式に行けない」の一言で、当日はありきたりな筥迫、適当な帯留めを使ったため、自分的には思い入れのないスタイルでした。
そんなわけで、成人式の時と今回の「はなを」でのスタイルがどれだけ違うものになるかにも興味がありました。
京都での撮影
「そうだ、京都へ行こう!」と思ったものの、一年中工房に閉じ籠り生活の私にとって、京都はあまりにも遠い地だったので、予定の時間に果たして行き着けるのだろうかという心配がありました(とりあえず前泊)。
「はなを」は、京都駅から電車で10分、タクシーで10分という場所にあり、住所を元にタクシーで辿り着いたものの、そこは完全に住宅街のど真ん中。
娘と二人でそれっぽい家はないかとウロウロしていると、一軒の家からスタッフが出てきてくれました。
プライベートサロンのため看板の類はどこにも出ていないので、きっと皆さん迷うんでしょうね。
中に入ればいつもInstagramで見ている「はなを」のあの玄関先で、やっと半年の緊張がほぐれた瞬間でした。
着物と筥迫は先に宅急便で発送していました。
着付けに使う小物類や髪飾りは貸してくださるとのことだったので、全部送らなくてもいいというのはありがたかったです。
帯揚げは紫と赤を用意しましたが、これでいいのか自信がなかったので、伊達襟や帯揚げの差し色は当日「はなを」でコーディネートしていただくことにしました。
そしてオーナーが選んでくれたのは「鶯色」の伊達襟と「白」の帯揚げ。
私の中では帯揚げの「白」という発想はなかったのですが、結果ベストなチョイスでした。
私は自分が作った筥迫だけが目立って欲しいので(笑)いつもは余計な飾りは使いたくない派ですが、それでも成人式は少し華やかに準主役の飾りを添えようと考えました。
教室の生徒さんは「つまみ細工」に携わる方が多いので、その縁でつまみを添えることを考えましたが、あの華やかな簪を使ったら筥迫が霞んでしまうので、小さな「帯留め」に留めることにしました。
(私が筥迫至上主義なだけで、筥迫につまみの簪が合わないと言っているわけではありませんのであしからず)
私がイメージした帯留めは桜居せいこ先生のデザインだったので、桜居先生のもとで習っていたrajohさんにお願いして同じような雰囲気のものを作っていただきました。
この筥迫と帯留めが引き立たつように、淡い色味のアンティークの「丸帯」を合わせました。(下の画像の色味が近い)
ここに派手なアクセントカラー(帯揚げ)を使わなくてホント良かった。
1時間半でヘアメイクと着付けを終え、そこからまたタクシーで20〜30分離れた撮影場所に向かいます。
場所はあえて書きませんが、徒歩圏内に撮影スポットがたくさんあるような場所です。
こんなフォトジェニックな場所が至る所に存在するのが京都の凄さですね。
撮影場所に着くとカメラマンさんが待っていました。
挨拶も早々、ウチの娘、自然な笑顔を作るのが苦手なんです(カメラを向けられて喜ぶタイプではない)と私が言うと、優しく笑って入り口でポーズや目線の作り方をレクチャーしてくださいました。
「はなを」では主に振袖のお嬢さんを担当しているとのことだったので、素人娘を自然な笑顔にすることに慣れているであろうことを期待して後はお任せするのみです。
この場所で撮影できるのは今日がぎりぎりと言っていましたが、どうやら11月に入ると紅葉シーズンで激混みとのことで、ここではもう撮影できないのだそうです。
特にこの日は日曜日で、観光客が一気に増えたということもあり、今日は撮影に時間がかかるかもと言われました。
緑と少しの紅葉が混じった屋外で撮影しつつ、敷地内にあった茶店を見つけた娘が「お団子食べたい!」と言い出しました(はぁ?)。
しかし店先のお客さんはまだまばらで、何か注文すれば赤い毛氈で撮影ができるということになり、とりあえずお団子を注文。
緊張しいだった今さっきと打って変わり、カメラの存在を忘れてひたすらお団子に食いつく姿に、「一気にテンションあがったねぇ!」とカメラマンさん爆笑。
今回の撮影では、事前に娘から「顔出しするのは絶対にイヤ!」と言われたので、私もブログでは顔をぼかすつもりでいました。
しかし、ヘアメイクをしてもらった時点で娘が一言「いつものメイクと全然違う!」。
それはメイクに対する拒否感というよりも、こんなメイクの仕方が存在するんだ!というカルチャーショックだったようで。
私は知らなかったのですが、今時女子は「涙袋」を強調するメイクがお約束のようで、それ以外のメイクはしたことがなかったようです。
(確かに成人式の着付けの後も化粧室に閉じこもって目元バキバキに直していましたっけ)
あまりにもいつもの自分の顔と違う上、非日常的なヘアスタイルも相まって、ネットに画像が上がっても誰も自分だとは気が付かれないだろうということで顔出しOKしてくれました。
こんな姿は友達には絶対に見られたくないそうです。やれやれ。
娘の幼馴染たちをブログに載せた時は、今時は年頃のお嬢さんを顔出しするのは危ない!という思いがあったのですが、もしかして「はなを」のアカウントで、運が良ければあの花のように可愛いお嬢さんたちと一緒に我が娘がポストされるかもしれないかと思うと、つい自分の中のミーハー心が優ってしまい、その時は顔出ししてもいいんじゃない?とお勧めする気満々だったので、別人に変えてくれた「はなを」の着物メイク様々でした。
優雅にこんなポーズをしているなんて、どれだけ人気のない場所なのかと思われるかもしれませんが、実際はかなりの観光客がそばを行き来しています。
その通行の合間をぬって、すかさず撮影するんですね。
もしくは、ここに写らない位置から大勢の人(特に外国人)に激写されています。
初めは娘もNo!と断っていましたが、あまりの人の多さに最後は完全に諦めモードでした。
その親(私)は何をしていたかといえば、その中に混じって一緒に激写している始末(笑)。
境内は基本撮影禁止ですが、それは室中のことであって、このような廊下は大丈夫なのだそうです。
それでも撮影のために観光客を足止めするような行為は禁止です。
私が撮影ダメ!と言い張っていたら、それならこんなところで個人撮影するな!と言われるでしょうし、観光地でロケーション撮影する限り、大勢の人に激写されても文句は言えません。
あくまで周りの迷惑にならないように十分に配慮しながらの撮影なので、この場所を熟知しているカメラマンでないと出来ない撮影だなと思いました。
「はなを」ではオーナーが着付けをされるのですが、以前この着物を着た時の写真を見せてくださいと言われました。
そして、これは花嫁さんのような帯幅なのでもう少し狭くしますね、と言われました。
私は振袖の時も帯幅は広くするものだと思っていたので、ちょっとびっくりしました。
(ちなみに、私は昔に着付けはを習ったぐらいで、その後はほとんど自分で着物は着ていませんので、着付けに関してはその程度の知識しかありません)
着物と筥迫を送った際に、今回の筥迫とは別に厚み取り用のダミーの筥迫を同梱していました。
以前、あるお嬢さんの振袖の着付けに立ち会った際に、着付けが終わってから筥迫を入れてくださいと言われたのですが、強固に締め付けられた襟元に筥迫が太刀打ちできず、何とか入れてもすぐに飛び出してしまう状況に閉口したことがあります。
筥迫が入らないと胴締めや懐紙を全て取り除かれる恐れもあります。
そのため、着付けの際の厚み取りにダミーの筥迫を使ってくださいと説明しました。
するとオーナーは、自分は胸元をスッキリ見せたいので帯は少し下目に締めるし、このぐらいの厚みならちょっと襟を引けば入るはずですよと言われました。
確かに筥迫は適度な圧迫感の中に押し込むだけで、そのまま安定して収まっていました。
これなら落とし巾着を使わなくても大丈夫かもしれない(怖いから一応は帯の中に入れましたけど)。
振袖の着付けは帯幅を広く高くというイメージがあり、最近は足長効果を狙ってなのかやたらと帯を高い位置に締めるスタイルを見かけますが、帯位置が高くなるということは懐中が狭くなるということ。
その狭い胸元に筥迫を入れるのは本人も苦しいでしょうし、見ている人も苦しくなる。
そして帯と襟合わせが近くなることで、筥迫が中央に位置するのも見た目によろしくない。
びら簪もあまり上の方から下がっていると何だか七五三か市松人形みたいなので、私は今回ぐらいの帯位置(もしくはもう少し上ぐらいでも)に筥迫が入っていた方が見た目にも無理がないように思います。
また、このぐらいの位置から長いびら簪が下がっている方が、しっとりとした大人の雰囲気が感じられて素敵だと思います。
「はなを」スタイルは、このクラシカルな髪型とシンプルなリボン(左右のバランスを変えている)だけという組み合わせが何とも可愛い。
オーナー曰く「お客様が髪飾りを沢山持ち込まれても、私はあまり使いたくないんです」
だからこのようなリボンを考案されたのでしょう。
私は袋物を作るのに古い丸帯を使うことが多いので、丸帯は身近な存在でこのレトロな雰囲気がとても好きです。
ただ丸帯は短いので「立て矢」か「ふくら雀」ぐらいしかできないと言われたので、成人式で周りの友達が今時のデコラティブな帯飾りをしているのに、その中で娘だけが古臭い帯結びでは可哀想かと思い、わざわざ袋帯に仕立て直しました。
成人式では無事今時の派手な帯結びにしてもらえたのですが、この時の画像を見たオーナーは「今回は上品な帯結びにしましょう」。
それがこれです。
本来の「丸帯」は表裏とも同じ織り地なので、袋帯にすると2本取れるというボリュームです。
そのまま使っていたらいかにも昔の帯結びですが、袋帯にしたことによってコンパクトに収まり古っぽさは感じませんでした。
その上で本来の丸帯の雰囲気を残しつつ、清楚に可愛い結びにしてくれました。
このスタイルにはこれが正解なのでしょう。
お昼を過ぎて観光客が一段と増え、人に見られながらの撮影が耐えきれなくなった娘がここでギブアップ。
「もう笑顔が作れない、、、(泣)」
親がこのような仕事をしているので自分には着物を着る義務があると思っているようで、着物を着て欲しいと言っても決して拒否することはありませんが、自分の綺麗な姿をカメラに撮られて喜ぶような娘ではないので(どちらかと言えば苦手)、よくここまで頑張ったと思います。
苦手なことなのに協力してくれてありがとうね。
でもその前に、筥迫単体で撮影してもらいました。
緑の中の着物や筥迫はとても映えます。
やっぱりロケーション撮影はいいわ。
こうやって画像になって初めて気がつく「房」のヨレ、、、。
箱に入れて運んでいる間にクセがついてしまうのですが、当日は色々なことに夢中になり、房にまで気が回らない。
人には注意するけれど、自分でもついやってしまう。
気がついたら、少し湿ったテッシュなどで湿り気を与えるだけでも直りますよ。
最後に「はなを」でのスタイリングは、私にはとても勉強になりました。
今時の流行りよりも、その着物や帯の持つ良さを考えながらのスタイリング。
決められた物事よりも、あくまで自分がいいと思うスタイルが確立されている。
「はなを」が人気がある理由がよくわかります。
そして度重なる延期にご迷惑をかけたにも関わらず、毎回親切な対応をしていただいたオーナーに心から感謝いたします。
カメラマンさんは物腰柔らかく、撮影しながら観光案内までしてくれるサービス精神が素晴らしい(笑)。
これ以上ない記念の1日にしていただいたスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
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]]>すでに懐かしい存在となってしまった筥迫です。
私が娘の成人式のために頑張った刺繍筥迫で、Instagramを始めた時に何からあげていいかわからず、そうだ刺繍の経過を載せて行こうと思い、始めの頃にポストしていたものです。
しかし、実際に娘の成人式ではこの筥迫は使われておりません。
けっこう細かい刺繍だったので、成人式に間に合わせるために毎日根を詰めて刺繍していたのですが、娘にとってはそれがかなり重荷だったようで、「成人式は気楽に楽しみたいから、その筥迫間に合わせなくていいよ」と言われてしまいました。
筥迫作りの娘なんてそんなものです(苦笑)。
ということで、成人式はそこら辺に飾ってあった適当な筥迫を使い、繊細なつまみの帯留も気軽に壊されるのは怖かったので適当な帯留めで代用するという、なんともあっさりとした出立ちで成人式に臨んだ娘でした。
ちょうどその年の5月に刺繍教室の作品展があったので、筥迫はそれまでに仕上げることを目標に切り替え、その後にゆっくり成人式の後撮りをしようということになりました。
それなのに、いつまで経ってもその正式な写真がブログにアップされていないということは、そうです、未だに後撮りというものが行われていなかったんですねぇ(遠い目)。
実はその成人式をきっかけ、娘が一大決心をする出来事があり、そこからの一年間は、華やかに振袖を着て撮影するなどということも言い出せないような状況でした。
そんな状況も今年になってやっと落ち着いたので、ここでやっと一年遅れの後撮りをすることになったのですが、しかし成人式から一年も経ってしまうと私も娘も気持ちが上がらない。
後撮りは気が楽な一方、やはり前撮りよりもテンションが下がるのは否めないですね。
そこで意を決して「京都」でロケーション撮影することにしました(これならお互い気持ちが上がるはず!)。
そして今年5月に予約を取ったものの、雨で延期となり、次の予約で私が圧迫骨折になって延期、さらに次の予約で撮影場所のお祭りと重なることが発覚して延期、そしてやっと来週末に決行となったのでした。ふ〜っ。
もうここまで来たら、雨でも絶対撮影してやるわ。
しかし、当の娘はすでに22歳。笑っちゃいますね。
久々の浅草
先日病院で、来週京都に行くけれど大丈夫かと先生に聞いたところ、経過もよく、コルセットしていれば大丈夫でしょうとお許しが出るほどに回復はしているので、今日は浅草まで出かけました。
私は元々インドア人間なので、フリーランスになってからというもの基本的に地元以外のところに出かけることはほとんどなくなりました。
ネットで簡単に物が買える世の中になってからはよけいですね。
そんなわけで、東京に住んでいても浅草に行けば立派なお上りさん状態です。
だから雷門の大提灯を見ればつい撮影してしまいます(笑)。
穏やかな季節なので流石の人混みですが、やはり外国人率はかなり高かったです。
今日の目的地は、観音通りにある「桐生堂」です。
実は成人式の時点でこの筥迫は出来上がっていなかったので、始めのイメージだけで帯留めの色は「黒」で用意していました。
ところが今回、撮影が直前に迫って慌てて半衿を付け、実際の筥迫や帯留めを当ててみたところ、房の色が「紫」ということに気がつきました。
成人式の後に筥迫が出来上がったので、実際の振袖に合わせることを考えず、筥迫のイメージだけで房を染めてしまったんですね。
これを黒の帯締めに合わせたところ、なんか違う!ということに一週間前に気がつくという、、、(汗)。
成人式の筥迫は無難に「白」を使ったので気がつきませんでしたが、実は筥迫のコーディネートでは、筥迫以上に房の色というのは大事なんですね。
筥迫より房の方が目立つと言っても過言ではありません。
房は帯締めに掛かるので、ここで色が調和しないとチグハグな感じになってしまいます。
刺繍の筥迫も、つまみの帯留めも、以前コーディネートしたものよりボリュームがあるので、全体的な印象が変わってしまったこともあります。
これはまずいと思ったものの、今更ネットで探しても色味は実際に手に取ってみないとよくわからないですし、一週間しかないのに配送にかかる時間もある。
これはもう実際に目で見て探しに行かなければならないということになり、「桐生堂」ならお手頃価格でいい物が見つかるはず!と睨んで行くことにしました。
これまで桐生堂のネットショップでは、打ち紐やコキなどを買ったりしていたので、私の中では帯締めやその他の紐を扱う専門店というイメージがあったのですが、実際に行ってみたらまぁこんなお店だったのね。
奥が帯締めや紐を扱うところで、ご主人が作業をしていました。
今時の成人式の子たちが使うようなデコラティブな帯締めなどはありませんが、通常の帯締めの他にもお値打ち価格の帯締めなども置いてあります。
運良くお値打ち品の中からちょうどいいものを2色買って、あとは当日着付けの際にいい方を使うことにします。
体が万全な時に企画したこととはいえ、浅草だって私には遠出なのに、京都に行くなんてちょっと気が遠くなる思いですが、当日はせめて大雨にならないことを、どうか皆さん祈っていてください。
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]]>それがなぜ今頃生徒さんたちが作っているのかといえば、これまで生徒さん用の拵え書(マニュアル)と完成された型紙が出来ていなかったからです。
私は元々仕事でマニュアル作りに携わっていたこともあり、どうしてもマニュアルに重点を置いてしまいます。
つまり、より精密に作らせたい(再現させたい)と思ってしまうので、自分が形にしたからといってすぐに他の人に教えることはしません。
筥迫工房ではマニュアルのことを「拵え書(こしらえしょ)」と言っていますが、それと同時に精密な「型紙」がセットで作られることによって、教室の人は初めて型を作ることができるのです。
やっと仕事復帰できた始めの手慣らしとして簡単な物から始めようと思い、この巾着の完成版の型紙と拵え書を作っていました。
物を作る人の時代的素養の違い
これは「江戸・明治のちりめん細工(雄鶏社2009年発行)」に掲載されていた「裁縫おさいくもの(明治42年発行)」の中の挿絵から型紙を起こしたものなので、実際の本に掲載された作り方や型紙で作ったものではありません。
大正時代には女学校の教科書として、このような袋物細工の本がたくさん出版されました。
当時の本には実物大の型紙も付いていますが、この本の内容と型紙だけで挿絵と同じイメージの物が作れたら大間違いというぐらい大雑把な内容なので、これを現代の人が見て作ることは困難です。
この時代の袋物の本は和裁の知識があることが大前提で、単語も100年前の状況に基づいた使われ方なので、それらの知識がないと根本的に理解しずらいという内容です。
現代の手芸本のように、洋裁和裁の知識が全くない初心者でもわかりやすいように、写真が多く使われ、細かく時系列で解説された内容に慣れていると、この時代の本を見てもまず作れません。
この兎の巾着が掲載された「裁縫おさいくもの」には出来上がりの挿絵があるのですが、「江戸・明治のちりめん細工」には、多分それを見て作ったであろう実際の写真が載っています。
これがとても残念な仕上がりで(苦笑)。
こちらのブログに画像有→『真向兎の守巾着』2023.1.2
でも実際の本の内容を見ると、実物大型紙を使ったとしても多分この写真と同じような仕上がりになる可能性は高い。
この挿絵には挿絵師のイメージに変換されて描かれている部分も多いからです。
このように、いくら袋物細工の本や実物大型紙があっても、袋物をこれだけ作っている私でさえ本の内容を完全に理解することは難しいので、筥迫工房の型紙は当初から元の型紙に頼らず独自に起こしたものばかりです。
そのおかげで、今では袋物のビジュアルさえ提示してもらえばほとんどの物を正確に作れるようになりました。
ということで、本来の作者の作った兎の巾着がどのような作品であったかはわかりませんが、私はあくまでのこの挿絵を参考にした「真向兎の守巾着」を作りました。
私は実家が仕立て屋という環境で育ったため、小さい頃からほんのお遊びで洋服を作る真似事をしていました。
高校は私服の学校だったので「ドレスメーキング」や「装苑」などの服作りの本を見ながら服を作り洋服代を節約していました(今は買った方がずっと安いですけどね)。
この時代は、ドレメ式や文化式などの「原型」を使い、そこから製図して服を作るというのが常でした。
袋物の作り方でも原型を取ってそこから製図していくということも教えたりするのですが、世の中には製図をするという概念のない人がけっこういることにびっくりすることがあります。
貼り込みには時々は「縫う」という作業が出てきますが、巾着系の型ではがっつり縫いの作業が入るものがあります。
「貼り込み」は一般的なものではないので、初心者は一律に知識は0として考えればいいのですが、「縫い」に関しては基礎知識をどのレベルで設定して拵え書を作ればいいのかわからず、身近にいた和裁の先生にお聞きしたことがあります。
「昔は初心者で入ってきた人でもある程度縫えたけれど、今の初心者は全く何もできないレベルと思った方がいい」と言われました。
確かに、私の中学時代は家庭科でブラウスやパジャマを作っていた記憶があるので、自分で布を買いに行き、ミシンで縫うということは、女子であれば誰もが経験していると思います(高校は家庭科がなかったので、浴衣を作る経験をしていないのが残念)。
それが我が家の娘の時代になると、中学生の時に家庭科で「手提げバッグ」を作るという課題がありましたが、完全にキット化された材料で(自分で選んだ物を買いにいくことさえない)、材料の中から自分でデザインしたアップリケを付けること、縫うのはミシンを使わない荒い手縫作業のみでした。
昔は「物の作り方」を学びましたが、今は「物作りを体験する」だけという違いなんですね。
物を作ることの基礎的な知識が万人になくなり、そのレベルでも作れる物作りへと単純化されていく世の中を批判するわけではありません。
そのような状況の中で、昔の袋物の考え方や職人の作り方を再現するために、より精密の高い型紙と拵え方が必要と考えています。
この巾着は単純な型紙ではありますが、表情を作るという意味では個性が出やすい細工物です。
現代では兎というと「かわいい」というイメージで表情が作られていますが、昔の兎の絵って表情がけっこう怖いんですよね。
私はあれが好きなので、今回の兎もできるだけ可愛らしさは排除し、ちょっと能面チックに仕上げています。
しかしこのように「顔」のあるものは、技術や慣れよりもそれぞれのセンスに頼ることが大きく、作り方は上手くても、なんだか残念な仕上がりになることも多い。
そこで今回の兎の表情は、それぞれのセンスに頼る部分をなくし、できるだけ同じ仕上がりになる工夫をしています。
これなら多分100年先の人でも同じ表情に作ることができるはずです。
私は昔作られた袋物細工を、できるだけ本来の形に近い状態で再現することを目標にしています。
ある程度時代に合わせることは大事なので、完全に同じである必要はないと思いますが、できるだけその真髄は残して行きたい。
それが自分の物作りにとって最も大切なことです。
生徒さんが作った兎も同じ表情に仕上がりました。
たかが兎の巾着に、またしても大袈裟に語ってしまった、、、は〜。
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]]>これは前回納品済みの筥迫の試作ですが、依頼品なのではっきりした画像が出せないのですがどうかご了承ください。
これは舞台で使う江戸型筥迫です。
代々使われている数種のデザインの筥迫があり、その時代ごとの職人が複製を制作し続けてきました。
現代では筥迫工房が担当しております。
江戸時代に使われていた筥迫は、明治以降は使われなくなってしまったので、基本的にはそのノウハウは引き継がれることなく、その時代時代の職人たちの知恵と工夫によって作られてきたのだと思います。
ですから、同じデザインなのに職人ごとの個性がかなり出ます。
私も前任者が亡くなられた後にこの仕事を引き継いだので、これを作るためのノウハウは一切ありません。
私が縢襠筥迫を作り始めた十数年前でさえ、筥迫の作り方を教えてくれる先生も、貼り込みの技法が書かれた本など何もない状況で始めたので、初めの数年はかなり苦しみましたが、それでも諦めず経験を積んできたことにより、今ではこんなニッチな物が来てもそれほどビビらなくなったことが最大の進歩です(笑)。
モックアップ
江戸型筥迫は基本的には一ツ口なので、作るだけならそこまでの難度はないのですが、何より大変なのは刺繍との連携や、合わせる素材の扱いの難しさです。
2面柄合わせ(被せ+胴締め)の縢襠筥迫と違い、江戸型筥迫は全面刺繍の5面柄合わせで、刺繍がないのは底面だけという恐ろしさ、、、。
使われる布もある程度の厚みがあり、刺繍もぼってりとした高肉なので、これらの厚みを全て加味した上で柄合わせ用の雛形を作ることが何より難しい。
今はPCがあるからまだ楽だとは思いますが、この雛形の難しさを考えると、江戸時代の人はこんな複雑なものをどうやって作ったのだろうかと思ってしまいます。
一歩間違えば柄が合わず刺繍がやり直しなんて可能性もあるので、この雛形を刺繍師に渡す時が一番緊張します(きっと大丈夫だ!と自分に言い聞かす)。
そんなことから、私は必ず柄合わせのためだけのモックアップを作ります。
普通の縢襠筥迫ならコピー用紙を組み立てる程度でイメージできるのですが、さすがに江戸型はもう少し正確な型に作り込まないと柄の出方がわからないので、出来上がりのイメージを作るためだけに画像のような簡易なモックを作るというワケです。
出来上がりは布や刺繍の厚みが入ってくるので、それを考慮した上で、モックの段階ではかなりゆるゆるな状態で仕上げます。
でも私の目には出来上がりのきっちり仕上がった筥迫が頭の中に見えているのです。
「モックアップ」というのは通称「モック」とも言い、要はハリボテのようなものです。
私は工業製品の設計やデザイン段階で試作される実物大の模型のことだと思っていたのですが、印刷物やWebサイトなどでも使われるらしいですね。
私はその昔、企業でデジカメのテクニカルイラストを描く仕事をしていたのですが、実際に新発売されるカメラというのは販売直前にならないと出来上りません。
しかし実際のブツがないとライターはマニュアルが書けないですし、私は絵が描けないので、塗装もされていないプラスチックのモックを渡されるわけです。
それを見ながら塗装された絵を想像して描くので、思えばこれらも今やっていることに繋がっているのだと感じます。
私がなぜこんなモックの話を書いているかといいますと、以前はこのような試作品を「サンプル」という言い方をしていました。
私が新しい型を作る際にはサンプルを山ほど作るとブログに書いていたため、そのサンプルを販売してくれないかというお問合せをいただいたことがあります。
多分販売するための製品サンプルと思われたのだと思いますが、私が作るサンプルは型紙を作ったり、作業工程を確認するためのもっと大元のサンプルであり、実際には適当な余り布で作る画像のようなものばかりなので、とても製品とは言い難いシロモノです(苦)。
多分皆さんは、私がブログやInstagramなどにアップするような綺麗な筥迫ばかり作っていると思われていると思われているかもしれませんが、そんな「よそ行きの筥迫」(笑)なんて、極たまにしか作りません。
そんなことから、現在はこれをモック(モックアップ)という言い方をするようになりました。
古い袋物を作るということ
昔の袋物職人は、出入りの業者が来る時は全ての道具や材料を仕舞い込むと聞いたことがあります。
どこぞの職人はこんな道具や材料を使っていたなどが知れると、それだけでどんな作り方をしているのか想像できるぐらい貪欲な探究心を持っていたのでしょう。
そのような職人は弟子が独立してしまうと自分の商売のライバルになるわけですから、弟子でさえ事細かには教えることはしなかったと思います。
ですから歴代の江戸型筥迫に関わってきた職人たちが、孤独に一人で悩み研究してきたことを考えると、時代を超えてシンパシーを感じずにはいられません。
私の父は注文紳士服の仕立て職人でしたが、小学校卒業で奉公に入り19歳で独立したそうです。
「親方に作り方を教えてもらったことなんてないよ」と言っていました。
横で親方の作業を見て覚え、親方がこいつは見込みがありそうだと思うと少しずつ任せるというようなやり方だったので、いいも悪いも自分で判断して、見て盗むことが修行だったのでしょう。
確かにスジの良い職人しか生き残れませんね。
昭和48年に発行された「袋もの作り方全書」という本があります。
著者は勝村左右治(かつむらそうじ)氏で、「あとがき」にこんなことを書いています。
私は明治以前より続いた古代袋もの師の家に生まれ、祖父、父、私と三代続いて、古代袋ものの製作を業としてきました。
真の意味の職人であったわけです。
私の習ったそのころは、職人であるがゆえに、秘伝というものはけっして口外せず、かたくなに代々受け継がれてきたものです。
このような技術伝達の方法をとっていたなら、跡を継ぐものがなければ、伝統的工芸ともいえる技術がそこで絶えてしまいます。
私はやはりこの技術を残したいと思うようになり、製図による寸法の出し方の研究を重ね、昭和十四年に『茶器仕覆の枝折』として
一冊の本にまとめ発刊しました。この本は、多くの同業者のかたから、職人の秘伝を公にするとは、とひんしゅくをかいました。
かつて隆盛を誇った「職人」という人種も、あらゆる業界で希少種になってきました。
あらゆる方法で作り方を残していかないと、どこかで完全に途絶えてしまうような文化が世の中には山ほどあると思います。
以前、和裁のお針子さんに聞いた話ですが、どこかに独自の技術を持った仕立てをするところがあって、今までそれは問題不出の技術とされていたのですが、気がつけばそれを引く継ぐ職人がいなくなり、このままではその技術が途絶えてしまうとの危機感を持った途端、門外の人問わず積極的に講習会などを開き、広く技術伝達を行うようになったそうです。
今時はYouTubeやSNSで事細かい作業動画などを気軽に配信していますが、昔の職人が見たらどんなに目を丸くすることかと思いますが、それは競合する職人が多く、技術を抱え込むことが大事だった時代のこと。
引き継ぐべき職人が専業で生きられない今の時代にあっては、その技術を誰かに少しでもいいから引き継いで残してほしいというのが、現在に残った職人の大きなテーマになってきたのだと思います。
筥迫は現代でも作られていますが、私が目指す筥迫は、現代の簡易に作られた筥迫ではなく、昭和20年代ぐらいまでは存在していた専門の職人によって作られていたという高度な仕立てで作られた筥迫です。
そんな正統派筥迫は、私が筥迫を作り始めた頃には絶滅して久しいという状況でした。
しかし江戸型筥迫というのは、それより更に100年ぐらいは前のものなので、そのようなものは例え型を作れたとしても、当時の装飾の仕方で再現するということは非常に困難なことです。
ブログやInstagramでも江戸型筥迫の画像はあげていますが、これらはいわゆる現代の刺繍で作られたものであり、本来の江戸型筥迫の刺繍というのはかなり特殊なものです。
これを再現するために、長年の刺繍経験のある人たちが集まって議論を交わしながら、去年やっと筥迫工房としての初号機を作り上げることができました。
刺繍師、仕立師、それをとりまとめるコーディネーターという面々が揃って、やっと完成した本来の江戸型筥迫でした。
私もこの文化の一端を担う者として、次の型からは別の職人に技術を受け継ぐべく準備を始めているところです。
現代で筥迫を作っていると、なぜ作品を売る作家にならないのかなどと言われますが、私はそれより技術や文化を伝達する人になりたい。
同じように、このメンバーがいなくなっても後世に残るように、しっかりとノウハウを残していきたいと思います。
今では作られなくなった江戸型筥迫ですが、ニッチなニーズでも文化として残して行くべきものだと思っているので、このような物を作れる職人が一人でも増えてくれることを願いながら、日々その伝達に情熱を注いでいます。
古い漢字のこだわり
この江戸型筥迫が作られていた時代は袋物文化真っ盛りの頃で、当時の技巧を凝らして作られた袋物は、現代人がブランドバッグを持つ以上の価値がありました。
このような物を総称して「袋物」というのですが、この時代の袋物を収集する愛好家たちは「嚢物」という字を好んで使います。
今時のミシンで簡単に縫った袋物なんぞとは違うんでぃ!こちとら美術工芸の嚢物よ!てな感じですかね。
言ってみれば「箱迫」と「筥迫」も同じようなもので、愛好家たちの一線を画したいという思いがこのような漢字に表現されています。
実はこの「嚢」は「袋」の旧漢字というわけではなく、意味は同じですが別の表外漢字(当用漢字ではないもの)です。
「袋」も「嚢」も訓読みは同じ「ふくろ」ですが、「袋」の音読みは「たい(またはテイ)」、嚢の音読みは「のう」です。
袋を数える単位には、この「袋(たい)」が使われます。
「一袋=ひとふくろ」「二袋=ふたふくろ」ではなく、「一袋=いったい」「二袋=にたい」です。
「十袋」は「じったい」と読むそうです。なんかかっこいい。
これは業界で使われる単位なので、一般的には「ひとふくろ」でも間違いではないそうです。
対して嚢の音読みは「のう」なので、今でも「土嚢(どのう)」「氷嚢(ひょうのう)」にはこの字が普通に変換で出てきます。
そしてこの「嚢」にも二種類あって、PCで変換されるのは左の中が「ハ」で現された漢字です。
以前ブログで、左に対して右を「旧漢字」と書いたことがあったかもしれませんが、正しくは右の口口が「正字」で、左のハが「略字」なのだそうです(略すならもっと大胆に略せんかい!)。
そしてPCで変換されるのは左の「略字」の方です。
最近気がついて、どこかで訂正しておかねばと思っていましたが、今回江戸型筥迫のことを書いたので乗せてみました。
ちなみに、こちらの有名な「嚢物の世界」ですが、ちゃんと「ロロ」の正字が使われています。
(「ハ」なんて使おうものなら、本の価値が下がる!とかコレクターに言われそう)
ちょっとしたウンチクでした。
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]]>先日NHK朝ドラ『らんまん』で、主人公万太郎の娘の千歳が花嫁姿で登場しました。
朝一番に、ある方から「今朝の朝ドラやはり筥迫に目がいってしまいました!」と連絡をいただきました。
日頃の私の教育が行き届いているようで何よりです(笑)。
その日の教室でも朝ドラの花嫁姿が話題となったので、遅ればせながら今回のブログではこの話題を取り上げたいと思います。
朝ドラの設定が近代の時代物(戦争挟む)である場合、高確率で「黒振袖」の花嫁衣装が出てきます。
この時代は花嫁といったら黒振袖一択なので、筥迫は必須アイテムです。
母である寿恵子の花嫁姿は約2〜3ヶ月前に登場しましたが、あの時に懐中していたのは「紙入れ」という話題で書きました。
(というかサイズ的にはただの懐紙挟みか?)
しかし千歳が着た振袖に何となく見覚えあるような?と思っていたら、寿恵子が着た婚礼衣装だということがネットにも取り上げられていましたね。(画像は松の青色が潰れてしまいますが同じものです)
母から受け継いだ着物を娘が着るという設定ですが、意味深にも懐中物だけが紙入れから筥迫に入れ替わりました。
これは時代考証なのか?と思いましたが、明治16年の花嫁が筥迫を用いないにしても、あえて懐中物を用いたかのかは不明です。
しかし千歳の場合は、息子の年齢や「関東大震災(大正12年)」が起こるという時代を考えると、近代化した筥迫がリバイバルヒットした時代真っ盛りなので、筥迫だけは新たに買い揃えたと解釈しておきます。
しかし今回の話題の中心は、やはり「びら簪がない!」ことでしょう。
確か以前もブログで「マッサン」での相武紗季さんの花嫁姿について書きましたが、あのときも直前までびら簪は登場しているのに、実際の花嫁姿には「びら簪」は付けていないんですよね(怒)。
まさかお金をケチって「びら簪」を買わなかったなんてありえないでしょうし(この時代はびら簪は別売り)
マッサンでは「懐剣」を用いていますが、らんまんとも時代は被りますし、この時代の婚礼衣装に懐剣は使われていないはずです。
それよりも、この時代は「花嫁が使う筥迫はびら簪を外す!」などという今時の謎ルールは適応されていないのですから、花嫁の筥迫に「びら簪」は付けるべきです(飾り房を付けているのにびら簪がないのは片手落ち)
黒振袖全盛の頃の花嫁姿を登場させるなら、「びら簪」を用いた本来の筥迫にこだわってくださいよ、NHKさん!
↑すでに9年前の内容なので、私の解釈も変わっている部分がありますがご了承ください。
「飾り房」も「びら簪」もあってこそ
花嫁の筥迫から「びら簪」を取り外す傾向はかなり昔からあったと思います。
以前より、筥迫の厚みをなくすために紙入れ部分に収められた「懐紙」を抜くと言う力技が用いられてきましたが、確かに厚みは減るにしても、懐紙によって支えられていた「簪挿し」が天面部から崩れ落ち、筥迫は完全にひしゃげた状態になってしまいます。
以前はこのような状態のものがよくヤフオクなどで売られていたのですが、私もそれを知らない頃は「使い終わったら中の懐紙は使うのね」などと考えていました(大笑)。
こんなひしゃげた筥迫をハレの日の花嫁の胸元に入れるなんてどうかしてると思いますが、着付師さんにとっては筥迫を綺麗な状態で入れることよりも、花嫁の襟元を崩さないことの方が重要ということなのでしょう。
こんな状態で「びら簪」まで入れたら、その重さでどうにも不安定ですし、それで「びら簪を使わない」というルールが出来上がったのかもしれませんが。
今では邪魔な簪挿しも胴締めも取り去った、すっきりとしたつまらない紙入れが、筥迫然として花嫁の胸元に収められているというのが実情です。
この画像の飾り房が付いたパーツが「簪挿し」です。
茶道で使う「楊枝入れ」と同じ形状で、ここに「びら簪」を挿し込みます。
「簪挿し」があれば、本来は「飾り房」も「びら簪」も付属します。
近代型の筥迫では「簪挿し」を固定するための部品が本体中央の「胴締め」であり、胴締めがあればストッパーの「巾着」もそこに繋がれています。
このように、紙入れ本体にバラバラの付属品をセットして初めて「筥迫」の形となるのです。
(ただし江戸時代の筥迫はびら簪は必須ではありません)
「びら簪」消滅の危機
実は今年の春頃に、ネットショップで販売している「びら簪」の在庫が残り少なくなったので仕入先に発注したのですが、そこでも在庫がなく、これから新しく作るとのことで納品が2〜3ヶ月先になると言われました。
これまでそんなことはなかったし、2〜3ヶ月も供給が滞れば婚礼業界でも支障をきたすはずなのにと思いましたが、結局それが困らないほどに需要がなくなったのだと思い知らされました。
最近教室の体験講座に来られる方の中には、婚礼に携わるお仕事をしている方も多く「びら簪」の話題はよく出ます。
やはり花嫁の筥迫では「びら簪」は外すというのが共通のルールになっているようです。
「びら簪」を使わないという流派があってもいいかとは思いますが、「びら簪を使うことは間違い」という、それこそ間違った認識が主流なっている昨今の婚礼事情を考えると、暗鬱な気持ちにならざるを得ません。
しかし中には、上に従わざるを得ないような年齢を脱したので、これからは「びら簪」を使いたい!という強者もいらっしゃいました(頑張ってくれ!)。
筥迫と同色で、襟に挟み込む赤い帯揚げのいりく結びにするあたり、ホント筥迫が目立たない。
せめてこの胸元にジャラジャラとした派手な「びら簪」が見えていたら、もっと立派な花嫁姿になると思うのになぁ。
NHKの朝ドラで筥迫にびら簪を付けてくれたら、視聴者も「あれは何だ?」と気が付く人も出てくると思うんですよ。
業界にとって不都合なことを、私が声を大にして叫ぶことで気まずい思いをする方がいるかもしれません。
それでも筥迫に関わる私が声を出し続けていかないと、近い将来、細々とびら簪(筥迫専用)を作っている業者がいなくなってしまうでしょう。
一旦消滅してしてしまった文化を再び蘇らせることは容易なことではありません。
それを何よりも憂いているrom筥です。
今後も折りに触れ、しつこくびら簪の話題は続きますよ、どこまでも!
ちなみに、七五三の筥迫から「びら簪」が外されるという話は聞いたことがありません。
七五三がびら簪の消滅を死守してくれているのはありがたい限りです。
関東大震災
「らんまん」では、昨日、今日と「関東大震災」の回になりました。
これは袋物文化にとっても大きな転換期でした。
第一の転換期は「明治維新」です。
明治維新を機に、日本人の中に「手提げ」という概念が芽生えました。
それまで懐中していた物が手提げに移行する一方、筥迫だけは武家の「格」社会から、婚礼の「ハレ」文化へと舞台を移行して生き延びました。
第二の転換期がこの「関東大震災」です。
何もかも燃えてしまった中から、新しい文化が芽生えます。
明治の後半から大流行した「巾着型の手提げ(信玄袋)」が、一気に「ハンドバッグ」に切り替わったのです。
かたや男性社会では、一世を風靡した「キセル」から「巻き煙草」に需要が移り変わり、一気に「煙草入れ」が衰退します。
歴史ドラマに関東大震災が出てくると、私は「ここで袋物文化が切り替わるんだなぁ」という感慨に浸ってしまうのです。
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]]>こちらの布も使う場合はいくつかの注意点がありますのでご参照ください。
子供用の筥迫といったら、私はぱっきりとした赤、黄、緑というイメージです。
そこで前回が「赤」だったので、今回は「黄」をチョイスしてみました。
こちらの素材はポリエステルなので手洗いは可能なようです(筥迫用だから関係ないけどね)。
パリッとノリが効いているので、薄手なのに伸びにくく、型紙も修正なしで使えます。
もちろん子供用に縮小はしてくださいね。
裏打ち芯を貼らなくても良さそうですが、初心者は貼らないと作れませんので絶対に貼ってください。
都香庵>友禅>合繊金彩友禅>京・金彩友禅 光悦垣文(花葉色)
前回の「手芸用ちりめん」の生地幅は70cmありましたが、今回の「金彩友禅」は反物幅なので35cmです。ご注意ください。
子供用の着物は柄が小さいから適していると思うかもしれませんが、いくら子供とはいえ人間が着るサイズなので、筥迫には柄が大きくて柄取りはけっこう難しい。
それならばこのような「小紋」を探した方がいいですね。
都香庵で扱っているこの金彩友禅は、細工に適した小さめの柄が使われているので筥迫にはちょうどよいサイズです。
前出の手芸用ちりめんは柄が小さく柄出しの必要がなかったので、最低用尺の30cmで購入しました(幅もあるし)。
しかし今回の布のように明らかに「柄出し」の必要があるものは、布の全体画像を見ながらご自分の判断でそれよりも長い用尺をご購入ください。
この柄行きなら「柄合わせ」ができれば最高にいいのですが、柄合わせは同じ柄の所で被せと胴締めの部品を取らなければなりません。
ショップの全体柄画像を見る限り同じ繰り返し柄が出てくる間隔はかなり長そうなので、柄合わせには1mぐらい買わないとできないかもしれません。(実際に計っていないのであくまで仮定)
そこまでいらないので必要な分量だけ買おうとすると、どこの柄が切られてくるかは運次第ということになります。
今回私は運任せで「40cm」注文してみましたが、これと同じものが作りたいと思っても、同じ用尺で同じ柄が来るとは限りませんのでご注意ください。
35cm幅で40cmというのはこのぐらいの長さです。
筥迫を作るには十分なサイズですが、柄取りするにはちょっと心許ない大きさです。
でも運良く柄が取れそうな所があったので、これで作ってみることにしましょう。
私が柄取りする際は、下図のように型紙をマジックでクリアファイルに写し取った物を使います。
まずは「被せ」の柄出しから行いますが、裏に回り込む部分と、胴締めが上から被さって見えない部分を目隠しして、左右の柄の出方だけを見ます。(柄合わせをするときは上部分だけを目隠しする)
この型をいいなと思うところに乗せ、次に「胴締め(前)」部分に柄を当てます。
これは全面の四角部分だけなので、目隠ししなくてもイメージはしやすいと思います。
筥迫は着用すると斜めに左半分しか見えないので、被せの左枠と、胴締めの斜め半分の上側にどれだけの色柄が出るかで判断するとを良いと思います。
これらの場所が決まったら裏に型を貼り、余った部分でその他の部品(胴、簪挿し、巾着2枚)を貼ります。
金彩が入った布の扱い方
「貼り付け」の工程が終わり、それぞれの部品が出来上りました。
このとき注意してほしいのが、「金彩」が付いている表面にアイロンを当ててしまうと、金が溶けてアイロンにくっついてしまうということです。
貼り込みは常に裏向きで作業するのですが、折りしろ(表布)にはアイロンを当てなければなりません。
ここで金彩がアイロンにくっついてしまうので、必ず「クッキングシート」などでカバーしながら作業してください。
「当て布」や「コピー紙」ではくっついてしまうのでご注意ください。
手芸用の金彩ちりめんは、金が入っている部分が細かく、シボ(凹凸)になっているのでそれほど金彩を気にしなくて大丈夫だとは思いますが、もし広い範囲に入っているものがありましたら同様にしてください。
私は手に入れやすい「クッキングシート」を使っていますが、貼り付けの際は布と一緒に折り返しながら貼るといいと思います。
細工用の小型アイロン(80w)なら、離型紙を使ってもそのまま「高温」で作業できます。
しかしご家庭用のアイロンを使う場合は、高温にすると1000W以上になるので要注意です。
作業する前に使わない部分にアイロンを当てて、必ず金が溶けない温度設定を確認してから作業してくださいね。
赤の玉縁
今回は玉縁を「赤」にしてみました。
白い玉縁は清楚な感じでどんな布にも失敗がない。
対して赤の玉縁は何にでも合うわけではありませんが、配色が合えばパッキリしていて何とも可愛く効果的です。
赤の玉縁は「内布」と共布です。
ここで使っている赤の内布は、筥迫工房のショップで販売しているものです。
筥迫で使われる赤というのは、現代ではあまり反物として扱われないパッキリと発色の良い赤なので、筥迫専用に染めてもらっているものです。筥迫内布用 精華パレス<赤>10cm単位
子供用の筥迫を作るためには、この赤布が30cmあれば足りますが、玉縁は40cm以上の長さが必要なので、玉縁用にカットした細布をご利用ください。
(大人用の筥迫&懐剣を作るなら内布は50cm必要なので、その場合は玉縁分の細布を取ることができます)
ちなみに白の玉縁を使う場合の布ですが、比翼などに使われる羽二重などを使う方がいらっしゃいますが、羽二重は糊のシミが出やすく、また扱いづらいのでおすすめできません。
使うなら八掛の白をお使いください(ショップでは赤と白の玉縁用細布を販売しています)。
細くしか出ないので綿を使ってもいいですが、綿ローンかTCブロードぐらいの番手までに留めてください。
綿ブロード以上の番手は玉縁が太くなりすぎます。
はい、完成しました。
いかにも筥迫らしい色合いで可愛いですね。
今回は薄手の布なので、胴締めは型紙のままの長さを使っています。
その他の布
都香庵では同じ「友禅」カテゴリーに「合繊 金彩友禅パネル柄」というのがありますが、こちらは柄が大きく、初心者が柄出しするのは難しいと思いますのであまりお勧めできません。
また、都香庵では前回と同じ手芸用ちりめんも扱っています。
こちらは「金彩ちりめん」という区分けですが、金彩のないものもありますので、全柄をまとめて見たいなら「柄物ちりめんから選ぶ」を見ると良いと思います。
前回「金欄」は初心者には扱いが難しいと書きましたが、都香庵の「緞子(どんす)」や「正絹 錦裂」は薄手の正絹の織物で、昔から袋物に使われていたことから、大変作りやすくお勧めです。
仕覆などに使われる布なので、金キラの金襴に比べて基本的に地味な色合いが多いのですが(明るい色も少しはある)、薄手で作りやすいのに高級感が出るので、気に入ったものがあれば大変おすすめです。
正絹なので値段はそれなりにお高いですが、緞子の方が少しお安めです。
結局は、どんな布を使ってもそれぞれに注意点はあります。
筥迫作りの難しさは布を扱うことの難しさでもあります。
それで教本には「薄手の布をお使いください」と書いています。
それでも自分が使いたいと思えば、器用な方は金欄でも何でもご自分で工夫しながら作る方もいらっしゃいます。
でも自分一人で作るのは自信がないという方は、どうぞ教室の「体験講座」にいらしてください。
簡易型であれば1回、本式の折り返し仕立てであれば2回、本式の玉縁仕立て&懐剣であれば3回で出来ます。
また「刺繍半衿」や「金欄」を使いたいということであれば、物によりプラス1回(ワンデーチケット)で対応できます。
七五三の思い出に筥迫作りしてみませんか?
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]]>ショップを再開してすぐに注文が相次いだのが「子供用の材料セット」です。
ああ、もう七五三の時期なんだなぁと思いながら、今から材料を買えば11月までに余裕をもって作れるはず!と安心します。
私が筥迫作りを始めたのも、娘が七歳の七五三がきっかけでした。
初めて作った筥迫は稚拙なものでしたが、娘の七五三に何かしてあげたいという気持ちが詰まっているので今でも大切にしています。
婚礼用の筥迫はハードルが高くても、七五三の筥迫ならちょっとぐらい失敗してしまってもそこはご愛嬌。
そして小さい子供は「お母さんが作ってくれた」というシュチュエーションが大好きなんです。
子供たちの記憶に残る筥迫
現代は七五三の衣装を写真館のレンタルで済ませてしまうご家庭が増えました。
一つ場所で衣装から着付け、写真まで全てパックになっていれば便利でしょうが、子供達が筥迫というものに触れる機会がないことがとても残念です。
親が七五三の衣装を誂えたり、親戚から借りたりしていたその昔は、とりあえず着物や小物一色が自分の手元にやってきます。
その時に子供が一番興味を惹かれるのが筥迫なんですね。
あのジャラジャラとした「びら簪」や「飾り房」は女の子の大好きな物です。
ちいさな「巾着」も気になる存在です。
何より「本体」の中に何が入っているのか気になってしょうがありません。
そこで胴締めを外そうとするとお母さんに怒られてしまうんですね(笑)。
七五三は日本における小さい子供たちの通過儀礼です。
特に筥迫はその時にしか使わない特別な装身具なのですから、是非子供たちにそれを触らせて、この特有の日本文化を五感で感じて欲しいと思っています。
筥迫をセットし直す自信がなかったら「撮影が終わったら好きなだけ触ってもいいよ」と伝えてください。
そして「あなたが次に筥迫をつけるのはお嫁さんになる時なのよ」なんて話をすれば、子供たちに通過儀礼に対する特別な思いや決意を心に焼き付けることができるのではないでしょうか。
手芸用縮緬で作る筥迫
手作りがお好きなお母さんでしたら、是非七五三の思い出に筥迫を作ってあげて欲しいと思います。
着物一式がレンタルでも、筥迫だけでもお母さんの手で用意してあげられれば七五三の記憶は全く違うものになるでしょう。
最近ご注文で多いのは、筥迫材料セットC<筥迫飾り房と巾着結びセット>です。
面倒な飾り房と巾着結びは出来上がり品を使うので、筥迫作りだけに集中できるのでお勧めです。
そして筥迫作りで最も苦労するのが、筥迫を作ることよりも実は「布選び」なんです。
筥迫というのは面積が小さいので、この大きさを意識した柄選びをしないと、思うような筥迫ができません。
着物解きはあくまで人が着るのに適した柄の大きさなので「柄取り」が難しいですし、この色、この柄というイメージを持って布を探すのもなかなか大変です。
そこで七五三という時節柄、今回は子供用筥迫向けの「布選び」を特集することにしました。
そこでオススメしたいのが、カット販売されている「手芸用縮緬」です。
これならまず布選びに失敗することがありません。
手芸用縮緬の良いところは「小さい柄が多い」「厚みが一定」といったところです。
筥迫作りが初めてでも布選びに失敗しないコツは、とにかく「小さい柄」を選ぶことです。
布の「地色」がしっかり見えた方が、メージ通りの筥迫に仕上がりやすいです。
今回の画像で使った布は、和生地・手芸通販の「布がたり」で購入したものです。
ちりめん生地>手芸用ちりめん(鬼ちりめん)>花柄 金彩入り>かすみ桜に手まり(赤)
生地幅が70cmで10cm単位のカット販売なので、子供用なら「30cm」で2個の筥迫を作ることができました。
※「カット販売(すでにカットされているもの)」ではなく、「切り売り」(10cm単位)のものを選んでください。
今回は「布がたり」で販売されている「縮緬(ちりめん)」を例にして、布の選び方をご説明します。
縮緬というのは、布全体にシボという細かい凹凸が付いた布です。
昔から細工物作りにはこの縮緬が好まれ使われてきました。
一越、二越というのはシボの細かさの違いで、数が少ないほど細かいシボになります。
鬼縮緬というのは大きな荒いシボのことですが、絹か化繊によってもそれぞれ風合いは大きく異なります。
布がたりの縮緬の種類は、
・手芸用一越ちりめん
・手芸用鬼ちりめん
・ポリちりめん
・正絹ちりめん(シルク)があります。
「手芸用ちりめん」とあるのはレーヨン素材で作られた縮緬生地で、対して「ポリちりめん」はポリエステル素材です。
これは単に「レーヨン=洗えない=手芸用」「ポリエステル=洗える=衣装用」という区別ですが、筥迫の場合はどちらを使ってもかまいません。
レーヨンの方がゴワゴワとしてシボが硬い感じで、ポリエステルはもう少し滑らかな手触りです。(ポリの方が少しお高め)
筥迫の作りやすさに限って言えば、薄手で作りやすいのが「一越ちりめん」「ポリちりめん」、
色数、柄の種類が多い、柄が小さめ、シボが大きい分厚みがあるのは「鬼ちりめん」です。
子供用の筥迫は大人用の型紙をそれぞれ縮小して使います(縮小率は型紙をご参照ください)。
今回は七歳用を玉縁仕立て(白い縁有)、三歳用を折り返し仕立てにしています。
今回使った「手芸用ちりめん(鬼ちりめん)」はどうしても厚みが出やすい。
教本で薄い布を使ってくださいと言っているのは、薄いほうが初心者には作りやすいということもありますが、もう一つには胴締めが寸足らずになってしまうことが理由です。
胴締めは両端が底でくっ付いているのが理想ですが、今回の筥迫では7〜8mmほど開いています。
無理に締めているのでキツイという感じですが、正面から見ればそれほど目立たないと思うので、底が開いていても構わないという方はそのままお使いください。
筥迫は厚紙や布が何層も折りたたまれているので、布のちょっとした厚みの差が出来上がり時には大きな差になってしまいます。
私自身は胴締めの長さは素材によって変えますが、教本に添付の型紙は仕立て方によって種類が異なるので、それぞれ調整方法を解説することはできないので、ご自分でできると思う人は、胴締めの型紙(部品としては三種類)を「前+3mm、山+1mm、背+1mm」を目安に調整してみてください。
この場合、始めて作る方が型紙から作り直すのは難しいと思うので、布に余分がある場合は一度基本の型紙で作ってみて、後で胴締め耳だけ作り直す方がいいと思います。
実は今回はいつものクセで「本仕立て(縫い玉縁)」で作ってしまいましたが、教本では「挟み玉縁」で解説しています(本仕立ては失敗するリスクが高いので)。
ということで、挟み玉縁で胴締めの長さを調整して作り直したのがこちらです。
胴締めが寸足らずだと無理やり締め上げてしまいますが、サイズが合っているとゆったり綺麗に見えます。
ところで、教本には書いていませんが、子供用の筥迫は紙入れの中の「懐紙」の数を減らします。
大人用は5枚重ねを5セット入れますが、今回の七歳用は4セット、三歳用は3セットにしています。
あまり減らしすぎると筥迫がひしゃげてしまうので、あくまでバランスを見ながら減らしてみてください。
筥迫は仕立て方によっても出来上がりの厚みはかなり違ってます。
仕立てに慣れていないと更に厚みは出やすくなるのですが、もし胴締めの調整に自信がないなら、イレギュラーですが、あえて中の「鏡」を入れない(使わない)で作るという手もあります(これだけで2mm薄くなる)。
こちらは「一越ちりめん」です。
一越縮緬はつまみ細工などにも使われる薄めの生地なので作りやすいと思います。
この厚みなら、玉縁を付けても基本の型紙のサイズで収まると思います。
ちりめん生地>手芸用一越ちりめん>古布再現柄・伝統柄>切売り>花と折鶴(青)
「柄合わせ」するのにもちょうどよい大きさなので、こちらは68cm幅で「40cm」買ってみました(柄合わせする場合は多めに買う)。
この布では「手鞠」で柄合わせをしようと思ったので、先のものより10cm長い「40cm」で買ってみました。
しかしこのように、40cmでも繰り返し柄が出てきません。
50〜60cm買って柄出しできたとしても、一つの筥迫を作るのに余分が山ほど出てしまうということですね。
また柄合わせが出来たとしても、手鞠や花だけで筥迫の面を埋めてしまうとこの綺麗な生地の色(青)があまり出ないので、作ってみたら思っていたような色にならなかった、、、という可能性もあります。
ということで、初心者の場合は先のような小さな柄で作った方がイメージ通りの筥迫になりやすいと思います。
こちらのピンクの小花模様は先の「鬼ちりめん」と同じ物ですが、より柄が細かいのでどこを取っても失敗のない柄出しができます。
ちりめん生地>手芸用ちりめん(鬼ちりめん)>花柄 金彩入り>おぼろ桜(ピンク)
画像では金彩がうまく映らないのですが、どちらも金がキラキラして綺麗ですよ。
他の生地について
今回は「布がたり」さんをご紹介しましたが、和柄の布を扱うネットショップは多々あり、私は「都香庵」さんもよく使います。
都香庵は人形衣装、和装小物など用に染め上げた「友禅生地」もたくさん扱っています。
次回はこの都香庵さんの友禅生地で作った七五三筥迫を掲載したいと思います。
これらのお店では「金襴」なども扱っていますが、金襴はものによって鬼ちりめんよりもっと厚みが出ますし、処理の仕方からして異なります。
どうしても「金襴」で作りたい、こってりとした「刺繍半衿」で作りたいという方は、どうぞ教室の体験講座においでください(あまりにも厚みのある物はお断りすることもありますが)。
一人で筥迫を作る自信のない方は、体験講座であれば確実に作り上げることができます。
簡易式の薄い筥迫を作ることもできます。
筥迫で使う「内布(裏地)」は基本的に「赤」を用います。
かといって内布に赤の縮緬なんて間違っても使わないで下さいね。
内布にシボのある縮緬を使うと、とんでもない分厚さになってしまうので要注意です。
この内布についても次回詳しくご説明いたします。
子供用の筥迫を作ると、つい共布で「花独楽(はなごま)」を作りたくなってしまいます。
下の三つはコスモス、梅、桜です。
花独楽の数も増えたので、そのうちこちらの画像もあげますね。
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]]>前回は「近代筥迫の功労者」の続きで、現代の筥迫の元祖となった「東小町」を開発した「佐竹商店」の話を書きましたが、今回はその「東小町」が一体どんな形をしていたのかを検証して行きたいと思います。
今回は私が持っている筥迫の中から、謎の一品をご紹介いたします。
私はコレクターではないので、きれいな刺繍の入った筥迫には目もくれず、常に変わった袋物を探して収集しています。
江戸型筥迫も近代型筥迫も山ほど見てきましたが、これは未だかつて見たことがない「奇妙」な筥迫です。
私はこれを「東小町」か、それに最も近い、明治維新以降に改良(縮小)された最も古いタイプの筥迫、近代筥迫の元祖ではないかと考えています。
近代型筥迫も初期の物は色々な形がありましたが、それでも共通の特徴を持つ物がほとんどです。
しかしこの筥迫ほど、それらの共通点から外れた仕様を見たことがありません。
「本体」は黒の繻珍、箱襠の一ツ口型で、後部の紙入れは縢りのない紙挟みタイプ。
「簪挿し」は挟み式で、打ち紐は薄黄緑色、結びは総角結びの連段で、房は撚り房で頭は一体型。
「巾着」のラインに膨らみがない。
※実はセットの「びら簪」もあるのですが、どこかに紛れてしまって見当たらず、、、こちらも一般的なびら簪との違い有り。
本体は完全に江戸時代の筥迫のミニチュア版であり、小物周りもモロその時代の影響を受けて作られています。
あえてその違いを言えば、被せのR部分が直線で角丸、玉縁なし、大幅にサイズに縮小されているという程度です。
そして、この「大幅にサイズが縮小された」という点が、近代型筥迫の最大の特徴です。
江戸型も近代型も、基本の構造は、前部、後部からなる「二層式」で作られています。
私たちが目にする現代の筥迫は、前部の三ツ折りに鏡と段口のみが付いた簡易な作りとなっていますが、近代型の初期にはここに「折り襠」が付いた型が多く作られました。
「紙入れ」は別名「襠物」といわれるように必ず襠(まち)が付き、初期の筥迫も元はこの「紙入れの一種」として作られたので、当然のように襠を付けたのでしょう。
被せに「綿」を入れて膨らみを出す造形も近代型筥迫の特徴ですが、これは初期の筥迫には見られません。
被せに綿を入れるとそこに厚みが取られてしまうので、それと引き換えに「襠」を外し、実用としての意味をなくした三ツ折りのみ(あがき)が残ったと考えられます。
つまり近代筥迫の「綿入れ装飾」は、紙入れとしての実用性を放棄し、完全に装飾品としての形に振り切った証なんですね。
(江戸時代の筥迫も被せに綿は入っていませんが、刺繍が立体の肉盛り)
後部の紙入れには縢り(かがり)がなく、ただ懐紙を挟むだけになっていますが、これは江戸時代の筥迫と同じ仕様です。
前部は上に口の付いた箱型です。
この「簪挿し」は最も特徴的です。
美術館に展示されているような江戸時代の筥迫には「房」が付いた付属品は見当たりません。
この時代の「びら簪」は、単体で被せの折り掛け(被せの天面の折り曲がり部分)の間に差し込むか、または「懐中物」という精巧な切嵌や押絵などが施された細工物があって、その上口に簪を差し込んで、それを懐紙部分に挟んで使っていたようです。
この懐中物とこの筥迫の簪挿しが同じ形なんですね。
この懐中物には華やかな飾り房が付いているのですが、あくまで筥迫の付属品ではないので、飾り房は下図のように天面で止められています(筥迫の飾りに見せたくないのか、ただ邪魔だったからなのか?)。
今回の筥迫でも簪挿しは後部の紙入れに挟む仕様になっていますが、本体と共布で作られた完全に筥迫の付属品になっています。
これが最終的に現在の細長い楊枝入れのような形になり、筥迫の天面部分に収める構造に変化して行ったと思われます。
(この「懐中物」は、栞や箸差しと書かれている物もあり、これについても色々と書きたいことがあるので、いつかまた機会を改めて書こうと思います)
それではここで、明治29年に発行された「風俗画報」から、今時東京に流行るもの>袋物>紙入れ、から「東小町」の詳細を抜き出してみます。
1)帛は大概繻珍
2)鴇色水色などの房を附けたるが多し
3)此の紙入の中の拵へは鏡付にて七ッ道具杯入るゝにも便利
4)外側には鼻紙を入るゝ様になり居れり
1)帛は大概繻珍
「繻珍(しゅちん)」というのは、繻子(しゅす)地に多色の緯糸(横方向の糸)を織り込んで模様を作る織物で、明治時代に作られた丸帯などの多くがこの繻珍で作られています。
下の紙入れニ種と、奥の帯地も多分繻珍だと思われます。
(古布を扱っているお店に聞きに行ければいいのですが、まだ体が万全でないので遠くまでは出歩けず、今は「多分」としか言えなくて申し訳ない)
特に明治の20年代ごろは繻珍の小文様が全盛で、それも一般に茶系統が好まれたので、どんより暗い色の丸帯を見ると「ああ、明治の帯だな」と思ってしまいます。
現代人にはやたらと辛気臭い色に感じてしまうと思いますが、当時は婚礼衣装にもこの色合いの帯が使われました(さすがに柄は大きく派手な感じですが)。
本シリーズ第二弾の「貴顕の兒嬢と筥迫」でも、白牡丹の筥迫に出てくるお美代ちゃん(多分7〜8歳)の筥迫が、紫紺の塩瀬に緋色と金で紅葉を縫い取りした渋い筥迫を身に付けているので、いかにも明治の趣味という感じです。
ちなみに、アンティークの婚礼筥迫ではよく「塩瀬」が使われていますが、N.Nさんによると塩瀬が使われ出したのは明治の後期頃からとのことです。
アンティークと言われる筥迫のほとんどは「赤」か「白」なので、このように「黒系」「繻珍」というだけで、極めて古い時代の筥迫ということがわかるわけです。
この筥迫の内布は「赤」ですが、江戸時代の筥迫にはそれほど使われていないと思います(中までは数を見たことがないのですが、私が見たものはほぼ別の色)。
そして素材は「繻子」が多かったと思います。
現代でお約束の「赤い塩瀬の内布」や「埋め込みの鏡」というのは、近代型筥迫に限っての特徴です。
2)鴇色水色などの房
しかし、私がこの筥迫から何より奇異な印象を受けたのは、この「飾り房」の存在でした。
アンティークと呼ばれる筥迫で使われている房は「紅白金」一択で、こんな微妙な色の房を見たことがないからです。
東小町に使われた房の色は、「鴇色(ときいろ)水色などの房」とあります。
日本の伝統色で「鴇色」はこのような色です。
これが「水色」。
こちらは今回の房色に近いところで探した「薄柳」という色です。
「鴇色水色などの房」ということで、少しくすんだパステルカラーという系統では似ています。
簪挿しの「ち」(ループ)の色が赤になっているので、房の色は好きな色を選べたということも考えられます。
いずれにせよ、私たちに馴染み深い「赤」とはベクトルの違う配色です。
ところで、近年海外のある科学サイトに「英語には存在しない日本独自の色名」として「水色」が取り上げられ、本来色のない「水」に色名をつける日本独自の感性として多くの反響を呼んでいました。
しかし水色の古い色名は、万葉集で使われている「水縹(みはなだ・みずはなだ)」で、江戸時代には「水色」という言い方が主流となったそうです。
「縹」は藍染で染められた青色のことで、これを水で薄めたような色を「水縹」としたので、水に無理やり色の概念を付けたワケではないということですね(笑)。
もう一つ、この詰め詰めの連段の結びも江戸時代の影響です。
房の頭がぺちゃんこの造形も、昔ながらの日本の房の特徴です。
3)鏡付にて七ッ道具杯入るゝにも便利
3番目は「七ツ道具を入れるにも便利」ですが、現代の筥迫では三ツ折り部分に鏡と段口しかないので、七ツ道具が入るイメージは全くありません。
しかし今回の筥迫は「箱襠」なので七ツ道具は入ります。
ところで、いくら箱襠があるとはいえ、こんな小さな筥迫に七ツ道具が入るのかと思われたかと思いますが、それは懐中物に入るようなサイズで作られた下のような物です(これは紙入れなので筥迫ではありません)。
また、東小町が現在のような埋め込み式の鏡だったかどうかは分かりませんが、下のように古い物ほど鏡は付属品として単体で差し込む使い方がされていました。
多分、江戸時代の銅鏡の名残りと思います。
左から、刷毛、ハサミ、櫛、楊枝、小刀、爪ヤスリ
その他、耳掻き、毛抜きなど、時代によっても内容は変わりますし、自分の好きなものを入れればいいので、厳密に七つという数が決まっていたわけではありません。
これらは懐中用にミニチュア化されたもので、実際に江戸時代の筥迫にも多分同じような物が納められていたと思います。
現代人から見ればオモチャを入れているようにも思えますが、一昔前の日本人だって携帯用の「お裁縫セット」などを持ち歩く人は多かったじゃないですか、あんな感じだと思いますよ。
そんな頻繁に使わなくてもいいんです、懐中物はただの飾りじゃないのよ、と気を使う女に見せるところがオシャレなんでしょうね。
これが大正期に近くなるとガラス瓶などが加わってくるので、そうなるともう懐中はできないので「化粧道具入れ」に変わり、その頃には手提げバッグが主流になっているので、これらの七ツ道具は懐中から遠ざかっていきます。
4)外側には鼻紙を入るゝ様になり居れり
今回の筥迫は後に懐紙を挟むだけという「紙挟み」タイプで作られていて、これは江戸型筥迫と同じ構造です。
実用を考えれば、ここには縢りがあるよりも、挟むだけの方がずっと使いやすいです。
近代型の筥迫は紙入れ部分に縢りがしてあるので、胴締めを外してもそのまま筥迫本体を使うことはできますが、江戸時代の筥迫はこのように紙を挟むだけの仕様なので、筥迫本体を単体で使うことはできません。
ですから胴締めは筥迫に絶対に必要な「留め具」であり、それを共布で装飾の一部にしていることが筥迫の定義なんですね。
ですから、私が常日頃から「胴締めがなかったら筥迫じゃない!」と主張しているのはこれが理由です。
まとめ
昔の袋物の型紙を再現している私としては、明治維新で江戸型筥迫が消えて、明治の世に再び筥迫が復活したときに、一気に現代の形になったとはとても思えないんです。
今回の筥迫が本当に「東小町」なのかどうか確証はありませんが、ただ「江戸型筥迫」と「近代型筥迫」の中間地点にこのような筥迫を挟んでいると、現代の筥迫につながる工程がよくわかるので、佐竹商店が開発した東小町を他の袋物商が真似をして、現代の形に統合されていったと考えられます。
明治の初めは筥迫の迷走期なので結構色々な形が出てくるのですが、そういうものを見ながら、当時の職人たちがどのような考えでこれらの筥迫を作ったのか、その時代背景と照らし合わせながら妄想するこの時間が私にとっては1番楽しいひと時です。
圧迫骨折になり、絶対安静状態から始まった自宅療養生活でしたが、2ヶ月半ほど経ってやっと教室を再開するに至りました。
まだ完治には時間がかかるので、人数を減らして座って指導できるように調整しながら焦らずやることにしています。
先日久々に病院で行ったところ「あんな酷い状況で、よくここまで悪化させないでこれたねぇ」と先生に感慨深げに言われました。
今は圧迫骨折ぐらいでは病院も入院させてくれないのだそうで、ひたすら自分で自制するしか術がない。
おかげで、有り余る時間を有効利用して今回のシリーズを書き上げることが出来ました。
(バレーボールにも慰められました。男子の46年ぶりの銅メダルおめでとう!)
皆さまには、長いシリーズにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
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]]>巌谷小波, 沼田藤次 編『最新日本少女宝典』,誠文館,明45.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1169041
当初「明治期における筥迫復活」は3回で完結するつもりでしたが、書いているうちにもう一つ有用な資料が見つかってしまったので、追加で「<4>近代筥迫のパイオニア」と、この続編の「<5>東小町」を追加したいと思います。
やっと理屈っぽくて長いレポートが終わった!と思ってた方には申し訳ない、更にパワーアップしてしまいました(笑)。
今回のお話は、明治維新で姿を消した筥迫が再び明治の世に復活した影に、実は近代筥迫のパイオニアとなる功労者がいたという内容になります。
これ、筥迫フリークにとっては大事なことですよね。
さらに次回へ続く内容ができてしまったのは、今回の引用文をじっくり調べていたところ、ここに出てくる筥迫ってもしかして自分が持っているあの謎の筥迫では?ということにふと気付いてしまい、この文章の中に混ぜ込んでしまうのはちょっともったいない気がしたので、こちらは次回別件でご紹介したいと思います。
今回のトップ画像は資料部で探してくれた物で、年代としてはギリギリ明治(45年)ということ、筥迫は描かれていませんが、絵の中で女性の持っている手提げ巾着の元となる「信玄袋」の話も今回出てきますし、ちょっと変わった「帯結び」もこの時代ならではということで、こちらの萌え感満載のイラストにしてみました。
(私はこのイラストがすごく好きなんですが、着物に白エプロンの少女って反則級に可愛くないか?)
本の内容も大変面白いので、ご興味のある方は是非デジタルコレクションの方でご覧ください。
まず初めに取り上げたいのは、以前にも何回か引用している明治29年発行の「風俗画報」の、今時東京に流行る物>袋物>紙入の引用文から。
こちらは、第一弾の家庭雑誌の2年後に発行されているもので、キーワードとなるのは「東小町」と「佐竹」です。
先つ女持の中にても令嬢向きとも言ふ可は殆ど昔のハコセコの如きものを當世風に作りし物にて東小町と云ふが流行す代價は七八十銭以上三圓止り位なるが帛は大概繻珍にし鴇色水色などの房を附けたるが多し此房をは紙入を帯の間に挟みし時外に垂れ居る様出来たれば優美なるを好む人々には至極よし、然れば好む人も昨今甚だ多く發賣元なる金六町の佐竹方にては仕込み方に追はるほどなりと云へり
風俗画報(112号)明治29年
相変わらず句読点なすぎて読みずらいですが、100年前の文章なんてこんなもんです。
でもこの中で一番大事なのは初めの一文です。
「まず女持ちの中でも令嬢向きというべきは、ほとんど昔のハコセコのようなものを今時風に作った物で「東小町」というものが流行している」と書いています。
ここでの筥迫は、あくまで「紙入」という種の中の新参者という扱いです。
それにしても「東小町」という名称は、ここで取り上げている資料以外、後にも先にも私は見たことがありません。
明治で初めて筥迫を取り上げた「家庭雑誌」は明治27年発行で、この「風俗画報」(明治29年)より2年前ですが「はこせこ」表記です。
前回の「團團珍聞」(明治35年)は「箱せこ」表記です。
この時代の筥迫の表記は、函狭子など色々な当て字が使われていましたが、いずれも読み方は「はこせこ」です。
「東小町」は明治で初めて登場した筥迫なのか、数ある筥迫の中の1つのデザインが「東小町」なのか、という疑問を私はずっと抱えていました。
そして今回注目したいのは最後の一文です。
「最近はこれを好む人がかなり多く、発売元の金六町の佐竹方では製造に追われるほどだ」
とにかくこの東小町を作り出したのが「佐竹」という店だということです。
筥迫復活のパイオニア「佐竹商店」
そして今回、この「佐竹」という製造元が出ている本を探すことができました。
これがこのシリーズ一番の収穫でした。
明治30年の「東京新繁昌記」で、上の記事の翌年に発行されたもので「金六町」(現在の銀座一丁目)も同じですね。
佐竹商店(京橋区南金六丁目)
物品は重に上中に屬すれども、平民的の物も数多し、されば何人来るも其需用を充たすの便あり、價格も安廉なり、常に流行を案出する事に工夫を凝らし箱せこを復古させしも、信玄袋を博めしも同店なり
金子佐平 (春夢) 編『東京新繁昌記』,東京新繁昌記発行所,明30.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764130
「商品は上中物が主なれど、庶民的なものも多く、あらゆる人の需要を満たし価格も安価である」
そして大事なのは次の「常に流行を生み出す事に工夫を凝らし、箱せこを復活させたのも、信玄袋を広めたのも同店なり」ですよ!
つまり「東小町」は明治の世に創出された筥迫第一号であり、それを開発した佐竹商店は筥迫復活のパイオニアだったということなんですね。
しかしここでも「東小町」ではなく「箱せこ」と表記されています。
ではなぜ佐竹商店が開発したこの「東小町」の名は歴史の影に消えてしまったのでしょうか。
江戸時代のあの大きな筥迫を、当時の一般の人々が使うにはかなり小さく改良しなければならなかったので、佐竹商店ではそのまま「はこせこ」という名称にすることは憚(はば)かられると考えたのではないでしょうか。
私も初めて江戸時代の筥迫を見た時は、現代の筥迫との大きさの違いにびっくりしたのを覚えています。
当時はその逆で、江戸時代の筥迫を知っている人たちから「こんなの筥迫じゃない!」などと言われることを避けて、あくまで紙入れという属の中の「東小町」という商品名にしたのではないかと考えられます。
しかし実際に東小町を販売したところ、それを見た人々からは、胴締め、飾り房、びら簪なんて物が付いたらそれは紙入れじゃなく「はこせこ」だろ!と圧倒的な支持を得たのかもしれません。
以降、あらゆる袋物製造業者によって筥迫が作られるようになったことは周知の事実です。
あくまで私の推測でその経緯を書いてみますが、明治35年の白牡丹ですでに「箱せこ」として販売していることをみると、この5〜6年ほどの間で、他の袋物製造業者がこぞって東小町の模倣品を作り出したと考えられます。
しかし、明らかにヒットしたデザインを他社がそのままの形で真似するとは思えないので、形は少し変えたと思います。
そして佐竹商店が「東小町」という商品名にしたのをいいことに、競合他社は都合よく「はこせこ」を名乗ってしまったということです。
これが事実であれば何とも皮肉な話ですが、この競合他社が作った筥迫こそが、現在私たちが目にしているアンティークの筥迫ではないかと私は考えいています。
その理由はまた次回で詳しく書きます。
このように、江戸時代の筥迫を、明治の人々のニーズに合わせて小さく改良して販売するという佐竹商店のアイデアは、今日の花嫁衣装に欠かせない伝統的な装身具になりました。
佐竹商店が「東小町」という新しい商品名を付けても、人々からは「はこせこ」で通されてしまうのですから、筥迫は名称そのものにも強烈なインパクトが残っていたのだと思います。
現代の婚礼業界で、胴締めも飾り房もびら簪も取り払った紙入れを「はこせこ」と言ってしまうのも、この時代と逆の意味で同じとも言えますが、あくまで「胴締め」のないものはただの「紙入れ」なのでお間違えなく。
いずれにせよ「はこせこ」という名称には、いつの時代も日本人の琴線に触れるような魅力があるということでしょう。
明治初期の信玄袋
今回の文章で、「信玄袋」を明治の世に広めたのも同店だったことを知り、私はこちらにもびっくりしました。
信玄袋の出現は明治元年(約150年前)で、日本の袋物を研究している人間にとってはかなりの新参者という扱いです。
明治維新以前までの日本人には「手に袋を提げる」という文化がありませんでした。
江戸時代以前、庶民は徒歩での移動が基本だったので、活動範囲は家からの徒歩圏内に限られ、携帯品はそれほど必要なかったはずです。
反対に遠くへの移動は登山をするのと同じようなスタイルになるので、荷物は全て帯に提げるか体に密着させて携帯せざるをえませんでした。
しかし明治に入ると東京の鉄道網は飛躍的に発達し、女性たちは外出する機会が増えます。
遠くに移動することで携帯品が増え、おのずと懐中や袂だけでは収まらなくなります。
つまり「手に袋を提げる」という行為は、日本が近代化したことを象徴する袋物の転換期を意味し、その元祖となったのがこの「信玄袋」なのです。
しかし、明治元年にこの「信玄袋」が登場した当時は、人々からほとんど見向きもされないという状況でした。
特に当時の「若者」に受け入れられなかったと「日本嚢物史」(大正8年発行)には書かれています。
どんな時代でも若者の方が新し物好きだは思うのですが、そんな若者に拒否されるぐらい、手に袋を提げたスタイルは異様に見えたのかもしれません。
現代の私たちからすれば、信玄袋は非常に古典的で日本らしい袋物に思えますが、当時としてはそのぐらい斬新な袋物だったということですね。
そんな見向きもされなかった「信玄袋」が、明治の20年代後半になると老若男女がこぞって持つほどの流行を引き起こし、一気に日本の風俗に浸透して行きます。
これと「筥迫」が流行するのがほぼ同時期なのですが、今まで消えていた二つの袋物が、同時に復活して大ヒットを飛ばすなどという偶然があるものなのでしょうか?
私はそこにはきっと何かのトリガーがあったはずだと以前から考えていました。
それが今回の資料で、この二つの袋物のヒットは佐竹商店が仕掛けた事がわかったのです。
多分その時の信玄袋は、東小町と同じように、この時代の人に受け入れやすいようなちょっとしたアイディアを加えていたと思いますが。
その昔、一世を風靡した「煙草入」や「紙入れ」が姿を消してしまった現代で、佐竹商店が作り出した「近代型の筥迫(東小町)」と「信玄袋」が、現代の着物文化に定着していること考えると、この佐竹商店が後世に及ぼした影響とその功績を讃えずにはいられません。
さて、この信玄袋ですが、皆さんは多分男性が持つ細長い巾着を思い浮かべるかと思いますが、これはかなり時代が下がってからのデザインであって、佐竹商店が広めた頃の信玄袋はちょっと違う形をしていました。
それはどんな形かといえば、この画像の少女が持っているものが、多分佐竹商店が流行らせた頃の物かと思います。
(明治元年頃の信玄袋は資料がないのでわからない)
幕末・明治美人帖 ポーラ研究所:著
これは折りたたみ式の巾着に紐を通していますが、紐を通すところに横長の板が付いていますね。
これは「緒締板」と呼ばれるものです。
筥迫の巾着や煙草入れの緒締め玉と同じような役割ですが、紐を通した穴を補強する役目も兼ねています。
この「緒締板」が付いているものはかなり初期の信玄袋で、私もこの形の袋を持っていたのですが、当時は何か変な板が付いた巾着だなぁという程度の認識しかありませんでした。
今回探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした(もっと大事に取っておけばよかった、、、)。
この後にも「四季袋」や「千代田袋」などの形が続々と出てきますが、この信玄袋のように時代によって形状が大きく変化したり、製造元によって違う形で作ったりすることもあったようなので、この時代の手提げ巾着をその名称で定義つけるのは正直難しいです。
しかし大正12年の「関東大震災」を機に、婦人用の「手提げ巾着」は一気に「ハンドバック」に切り替わります。
同じくこれをきっかけに、喫煙文化の需要は「刻み煙草」から「巻き煙草」に切り替わり、江戸時代から栄華を極めた「煙草入れ」が時代の波に消えて行きます。
この震災は、手提げ袋の登場以降に起きた、袋物業界の第二次転換期となりました。
明治時代の子供の帯結び
この画像をどこかで使おうと思ったのですが、使いそびれてしまったので、最後に掲載させていただきます。
「稚児髷」「三つ襲」「筥迫」のお子さま向けクラシックスタイルですが、この時代特有のスタイルがもう1つあります。
それはこの「帯結び」です。
絵葉書資料館蔵
この写真をはじめ見たときに、帯の幅がそのまま上に出たような変な結び方だなと思っていました。
よく考えると、このトップ画像の後ろ姿の女の子も同じような結び方をしています。
それにしても、この後ろ姿の女の子の帯に巻かれているのは何でしょう?志古貴??
そこで稚児髷の女の子の帯を前から見ると、兵児帯のように見えていたものの下に立派な帯が見えます。
しかしこれは帯揚げでもないようなので、やはり志古貴か?志古貴をこんな上で結ぶ???
私は当初、昔の結び方である(通称)「昆布巻き結び」に、その上から「志古貴(しごき)」を巻いているのではないかと思ったのですが、着付けを仕事にしている関係者たちに聞いても誰もこの正体を知る人はいませんでした。
そこで、大正、昭和初期の着物カルチャーを研究されている @mayunabeee さんにお伺いしたところ、これは昆布巻き結びとは別物で、明治大正時代に流行ったお子様向けの当時の定番結びだということがわかりました。
帯に巻かれているのはやはり志古貴とのことで、帯の上からワイルドに結んでいるそうです(笑)。
上の信玄袋の少女も、よく見ると帯の上に巻いているのは帯揚げではなく志古貴のようです。
この三点の画像が同じ帯結びをしているということは、確かに当時の定番のお子様向け帯結びだということがわかります。
明治の早々にお引きずりのスタイルがなくなったときに、同時に志古貴帯も一旦消えて、七五三に筥迫が使われ出した時に志古貴も復活したものと思っていましたが、意外にもお子様向けスタイルで志古貴は日常的に使われていたんですね。
@mayunabeee さん、どうもありがとうございました!
今回の結びは「昆布巻き帯結び」ではなかったようですが、こちらも度々話題に上る昔々の面白い帯結びなので、ご興味がある方は是非 @mayunabeee さんのポストをご参照ください。
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]]>明治時代の新橋芸者
今回のシリーズ「明治期における筥迫復活」の第三弾として「芸者と筥迫」を取り上げたいと思います。
第二弾で引用しました「白牡丹の箱せこ」に引き続き、今回はその一ヶ月後に同じ『團團珍聞』に掲載された「白牡丹の紙入」を引用させていただきます。
ただ、「芸者と筥迫」の画像はどうしても見つけることができませんでした。
今回の資料にも、ほんの少しだけ筥迫という単語が出てくる程度です。
当時の芸者の間で筥迫が流行ったとしても、それは極限られた時期だけだったのかもしれません。
そんなことで、今回の筥迫度はかなり薄めですが、袋物を足がかりにこの時代を知るというのも面白いものです。
今回の「白牡丹の紙入」は、第一弾でご紹介した「はこせこ」から8年後のものになりますが、両者には不思議な共通点があり、これらを組み合わせて考えると色々なことがわかってきます。
そこから見えた芸者と遊女の関係を通して、花魁は筥迫を用いたのか?と、なぜ芸者が流行り始めの筥迫を使い出したのか?という二つのテーマで深掘りして行きたいと思います。
今回のキーワードとなるのは、第一弾の「はこせこ」から「目下貴顕の兒嬢の間に行はれ且つ藝人風情に至りてもワザと野幕がりて此般の流行品を携帯するに至りし」と、今回の「白牡丹の紙入」から「日本橋や葭町の半玉さんは着物も髪も総てがじみなもンですから、箱せこなどは買って下さらないヨ」です。
「白牡丹の紙入」
「姉さんチョイと御覧なさい、喜(きい)ちゃんが昨夜御客様から貰った紙入の綺麗なのを「オャ左様喜ちゃん見せて下さいナ」と言へば「姉さん是なんです」と帯の間より取出せし亀甲形の紙入は、浪に千鳥の模様を出せる塩瀬無双仕立優美の品に、暫く打眺めたる揚句「喜ちゃん斬な結構な紙入を買って戴くとは豪い景気だね、妾しも一つ喜ちゃんに類似て見たいワ、だがもう、少し派手だと尚いゝね「デモ姉さん日本橋や葭町の半玉さんは着物も髪も総てがじみなもンですから、箱せこなどは買って下さらないヨ」「喜ちゃん其御客様とは屹度遠州屋の旦那でせう」「アラ厭ですヨ、姉さん『眞實に喜ちゃんは腕があるから頼母しいと、 我家の春(はー)ちゃんなどは身丈許り大きくなって、からもう生意気で致方がないのヨ、先日も金六(新橋の鳥料理)へ御客様と御飯を喫べに行った戻り、尾張町の白牡丹で、簪を買て遺るから一緒にお出と、親切に言て下さるのを、菅なく断って家へ帰ってから、彼なイケ好ない人と歩行と笑はれるなんて、呆れて物が言が言えないのヨ、其癖時時團珍の表紙に出て居る櫛や指輪の写真を見ては、欲しがっ居るのヨ「姉さん此の紙入は猶且尾張町の白牡丹なのヨ、彼家は品物がよくって直段が廉(やす)いって、皆さんが買いに行くとヨ春ちゃんも来年は箱セコをやめて、紙入にをしなさいナ御勅題の新年の海やら、荒浪に松の縫模様だの、今朝の團珍に出て居るのも、金銀泥に花鳥等の模様でも、好なのが二円三、四十銭から五円位奮発すると買へますヨ、としきりに勧め居るこそ日頃仲よしの徳なるべし
『團團珍聞』(1403),珍聞館,團團珍聞社,1902-12-20. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/11210923
<本文解説>
舞台となるのは、明治中期の東京のとある花街のようです。
登場人物は「芸者A」「芸者姐さんB」「半玉喜ちゃん(
半玉の「喜ちゃん」は多くのお客さんたちから可愛がられていて、最近「
「紙入」というのは、懐紙に限らず、色々な小物を入れて懐中するお財布のようなものです。
亀甲型というのは角を斜めに落とした形で、表は浪に千鳥の模様で、内も同じ塩瀬を使った大層上品な物でした。
芸者姐さんBはそれを見て羨ましいと言いつつも「
しかし、お客さんにとっては着物も髪も総て地味なのが日本橋や葭町(よしまち)の「粋」と思っているらしく、落ち着いて上品な紙入れを買ってくれたようです。
本当は筥迫が欲しい春ちゃんでしたが、そんな素振りは微塵も見せない如才のなさが、お客さんに可愛がられる要因なんでしょうね。
それに比べ、ここには出てこない噂の春ちゃん(半玉)は、
そのくせ團珍(まるちん)の表紙に出ている白牡丹の櫛や指輪を見て欲しが
今回喜ちゃんが買ってもらった紙入れも、どうやら白牡丹で購入した物のようです。
あそこは品物が良くて値段も安いからみんな買いに行くのよ、春ちゃんにも来年は筥迫ではなく紙入を勧めなさいな、と芸者Aは勧めます。(今時女子の春ちゃんは、すでに流行りの筥迫を持っているのか?)
白牡丹には、
・御勅題の新年の海やら(勅題(ちょくだい):新年の歌会初めのお題)
・荒浪に松の縫模様だの
・今朝の團珍(まるちん)に出て居る金銀泥に花鳥等の模様でも
好きなのが二円三、四十銭から五円ぐらい奮発すれば買えるわよ、としきりに勧める様子に、仲良きことは良いことだで締められています。
前回も白牡丹の宣伝を兼ねた内容になっていましたが、今回の文章はより宣伝強めの内容となってるようですね(笑)。
筥迫を使ったのは芸者か花魁か
まず初めに取り上げたいのは、家庭雑誌の「はこせこ」から「藝人風情に至りては」の部分です。
「芸人」とは今回取り上げる芸者のことだと思いますが、それを更に見下して「芸人風情」という言葉を使うことに私は引っ掛かりを感じていました。
ごく初期の遊里に於いては、「遊女」は芸を披露しつつ体を売るというところから始まりましたが、その中には「芸のできる遊女」と「芸のできない遊女」がいて、次第に「芸者(芸妓)」と「遊女(娼妓)」とに分業されるようになりました。
江戸時代の遊里では、主役はあくまで遊女であり、芸者はその前座と言う扱いだったので、芸者が遊女の領分を侵すことは許されないことでした。
特に江戸幕府公認の吉原では、客と芸者が深い仲にならないよう、宴席の芸者は必ず二人一組とし、お互いを見張らせるようにました。
ただし、吉原以外の多くの岡場所ではその限りではなかったので、両者の境界はかなり曖昧なものでした。
両者は長い間同じ領域で仕事をしていましたが、明治33年の「娼妓取締規制」を機に、「娼妓は遊郭」「芸者は花街」と働く場を別にすることことになりました。
このことから、この規制ができる以前に書かれた「家庭雑誌」の頃(明治27年)は、遊女も芸者も同じような人種と見られていたのかもしれません。
「目下貴顕の兒嬢の間に行はれ且つ藝人風情に至りてもワザと野幕がりて此般の流行品を携帯するに至りし」
この「芸人風情」には、誰もが一目置くような貴顕の世界に住む令嬢と、そんな娼婦まがいの者が同じ筥迫を使うなんて、という思いが込められているようです。
(昭和22年には公娼制度が完全に禁じられたため、現代とこの時代の花柳界は完全に別物です、あしからず)
「芸は売っても体は売らぬ」は一流芸者の心意気でもありますが、裏を返せば枕に転ぶ芸者に対する戒めの意味もあったでしょう。
しかしこの規制によって両者の領域が隔てられてからは、遊女と芸者の地位が逆転します。
芸者は人気アイドルのように絵葉書や美人コンテストでもてはやされ、三越の商品カタログのモデルとなり、自らの芸によって生活する芸者に対する憧れさえ生まれました。
更には政界人の妻になる芸者まで出てくるのですから、この時代の変化恐るべしですね。
そして、私が以前から気になっていたことの一つに「花魁が筥迫を使った」と書いている文章があることです。
江戸時代、武家の高位の女性が持つ装身具として発展した筥迫を、どうして花魁が持つに至るのか、繋がりがなさすぎて疑問を感じずにはいられませんでした。
古い文献のどこにそのソースがあるのか長い間探し続けてきましたが、未だにそれを見つけることができません。
しかし今回色々なことを調べているうちに、もし後世のどこかで「藝人風情」と「遊女」を同列に考えて、ならば最も位の高い「花魁」が使ったのだろうと曲解した人がいたのではなかろうかと考えました。
以前のブログ(筥迫じゃないけど)で、ドラマの花魁がシステム手帳のようなものを懐中している〜と書きましたが、あれは十二単に懐中する帖紙(たとうがみ:色紙を折りたたんだ物)でした。
実際の花魁が懐中していたのは、歌舞伎で使われているような分厚く巻いた懐紙だと思います。(花魁に帖紙を使うから異質なものに見えてしまう)
いずれにせよ、どちらも「袋物」ではなく「紙」です。
胸に何かを懐中していれば、それは全て筥迫!と思ってしまうのが現代人の困ったところです。
(もし本当に昔の花魁が筥迫を持ったという記述が見つかれば、またその時に考えることにしますが、、、)
新し物好きの新橋芸者
次に、なぜ芸者という階層が出始めたばかりの筥迫を使い始めたのか、その動機となったことについて考えたいと思います。
まず初めに明治の花街の移り変わりを説明致します。(ここに出てくる花街の「柳橋」は現在の浅草橋周辺で、「新橋」は銀座8丁目周辺です)
明治初期、東京の花街で最も栄えていたのは、深川は辰巳芸者の流れを汲む「柳橋」でした。
柳橋芸者の心意気は、客に媚びることがない江戸文化の「粋」そのもので、明治に入る以前より一流とされていた花街でした。
明治に入り、新興の「新橋」が頭角を現し「柳新二橋(りゅうしんにきょう)」と称されるに至りますが、その繁栄は徐々に新橋に流れていきます。
新橋近くに官庁街ができ、日本初の鉄道の始発が新橋という地の利に加え、新たな客層である新政府の官員を新橋芸者が積極的に取り込んだことが要因でした。
それに対して、江戸の頃より日本橋界隈の旦那衆に支持され、古き良き江戸の情緒や伝統を重視していた柳橋の芸者たちは、新政府の官員たちをなかなか受け入れることができなかったようです。
こうして明治後期には、新しい時代の波に乗った「新橋」と、それができなかった「柳橋」の序列は完全に逆転していました。
「日本橋や葭町の半玉さんは着物も髪も総てがじみなもンですから、箱せこなどは買って下さらないヨ」
「日本橋」や「葭町(よしまち)」も「柳橋」と同じように、江戸趣味からくる渋さを好む下町気風の花街でした。
対して新興の花街である「新橋」の芸者たちは新し物好きで、この頃登場した化学染料で、浅葱色より少し明るめの新しい色を好んで使ったため、この色は「新橋色」と名付けられ大流行しました。
こちらが「浅葱色」で、
こちらが「新橋色」です。(洋色名はターコイズブルー)
この新橋色は当時の画壇でも好んで使われ、鏑木清方の代表作「築地明石町」にも使われています(モデルの女性は芸者に非ず)。
また、新橋の花街は「金春通り(こんぱる通り)」にあり、江戸時代にここで働く芸者たちは「金春芸者(こんぱる芸者)」と呼ばれていましたが、明治に入り「新橋芸者」と改められました。
このことから、この色は別名「金春色」とも呼ばれています。
「こんぱる色」なんて、ついつい口ずさみたくなる感じが個人的にはすごく好きなんですが。
ちなみに「ゆりかもめ」の新橋駅はこの「新橋色」が、テーマかなんだそうですよ(ホントに新橋色だ!)。
これに対して「深川鼠」という色もあるんですよ。
これは江戸「深川」の、華美を嫌い、渋さを好んだ芸妓衆が愛用したことが由来だそうです。
喜ちゃんが「地味」と言うのもよくわかりますが、この深川鼠が江戸の「粋」であるならば、新橋色はそりゃ「野暮」ってものでしょう。
半玉さんのように若いお嬢さんのスタイルが「総てが地味」なのも可哀想に思いますが、こんな色目が美徳の世界では、お客さんも筥迫を買うのはためらいますよねぇ。
ところで、浅葱色は袋物の内布にもよく使われますが、時代劇好きな生徒さんがこれを見るたびに「この浅葱裏が!」と口にします。
勤番で江戸に出てきた田舎武士の羽織が時代遅れの浅葱色の羽裏を使っていたことから、色町に通じていない「野暮の骨頂」を意味する隠語として「浅葱裏(あさぎうら)」が使われたのだそうです。
その後「新選組」のギザギザ模様の羽織の登場で、浅葱色の名誉は挽回したとかなんとか。
更に明治に入って浅葱色系の「新橋色」がハイカラな色にイメージアップしてくれたわけですが、明治政府を樹立した薩長の武士たちこそがそもそも「浅葱裏」だったわけで、江戸情緒を重んじる柳橋芸者にとって、そんな彼らを受け入れることができなかったのも致し方ないことだったのかもしれませんね。
結局のところ、江戸時代の「野暮」は、新しい時代の文物を積極的に取り入れていくパワーそのものだったようです。
「野暮でもお客様は神様!」という新橋芸者の心意気もまた、柔軟に発想を転換して新しい世界を切り開いていく強さだったかもしれません。
このような背景を考えると「ワザと野幕がりて此般の流行品を携帯するに至りし」の意味するところは、素晴らしい江戸の伝統を顧みず、あえて今時の流行品(筥迫)に走った、という感じですね。
そして、そんな筥迫に先陣を切って飛びついた者こそ、新し物好きな「新橋芸者」だったのではないかと考えます。
明治維新で消え去った筥迫が、明治の新しい物好きによって息を吹き返すというのも面白いですが、一瞬にして価値感が変わるこの時代の面白さですね。
ネットショップ再開
私の近況として、圧迫骨折の完治にはまだ遠いのですが、気をつけながらであれば家のことは一通りできるようになりました。
今は5日に一度ぐらいのペースで工房に通っています。(ただし短時間だけ)
そんなわけで「ネットショップ」を再開することに致しますが、まだ頻繁に工房に通うことはできないので、発送までにある程度時間がかかることをご承知おきください。
クリックポストなら小まめに発送出来ると思いますが、大きい荷物の場合は一週間ほど猶予をいただければ幸いです。
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]]>こちらの御令嬢のことは後ほどご説明いたしますが、さて、どなただと思いますか?
今回はかなり長くなります。
こんな内容に興味を持って読む人がいるのか甚だ疑問ですが、自分の忘備録として、また未来で筥迫に携わる人がいるならば、その人たちに向けてできるだけ詳しく書き留めておこうと思います。
明治期における筥迫復活(1)では、明治27年の「家庭雑誌」に掲載された記事をもとに、当時の筥迫が主に「貴顕の兒嬢」と「藝者」と言う全く違う階層の間に流行していたことを書きました。
では、これらの人々がどのように筥迫を用いたのか。
それがわかる2つの文章を明治期に発行された團團珍聞の中に見つけたので、今回と次回に分けて掲載したいと思います。
「白牡丹本店」と「團團珍聞」
本文の前に、まずはタイトルの「白牡丹本店」と、掲載された「團團珍聞」について説明させていただきます。
「白牡丹本店」は、明治の銀座を語るには欠かせない化粧品と和装小物の名店です。
創業は1790年(寛政2年)、白粉を販売したのが始まりで、明治に入ると本店のほか「白牡丹中西」「大西白牡丹」と暖簾分けしていった人気店で、化粧品、貴金属製品、紙入れ、髪飾り、時計などが取り扱い商品でした。
銀ブラをするおしゃれな奥様方が必ず立ち寄るようなお店で、親に連れられて行ったことがあるという話もよく聞きます。
ちなみに「しろぼたん」ではなく「はくぼたん」と読みます。
下の画像は、この時代の白牡丹本店の写真です。(現在の銀座4丁目)
吉田工務所 編『東京銀座商店建築写真集 : 評入』,吉田工務所出版部,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1142921 (参照 2023-06-11)
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「團團珍聞(団団珍聞)」の読み方は「まるまるちんぶん」で「マルチン」とも呼ばれました。
イギリスの漫画雑誌『パンチ』を手本にした時局風刺雑誌で、藩閥政治を皮肉った内容は自由民権運動の機運をあおったとして、しばしば発売禁止や発行停止になったという、当時大人気にしてお騒がせの雑誌という感じでしょうか。
今回はそのマルチン1396号から「白牡丹本店の箱せこ」を引用させていただきます。
時代は前回の婦人雑誌から8年進んだ明治35年になります。
女中「奥様、竹田さんの奥様がお嬢様と御一緒にいらっしゃいました。」「あゝそうかい、それでは奥へご案内しておくれ、私はちょっと顔を洗って来るから」と受け答えつ、縁先の方へ静かに歩みを運びし垢抜のした品のいい美わしの夫人は、これぞ人に知られし麹町は隼町なる故陸軍少将若宮某の未亡人なるが、しばらくして身化粧を済まし、座敷へ入り来りて慇懃に挨拶をなしながら、逸早くも目につきたるは、竹田の令嬢が懐中に挿める箱せこなりき、この箱せこは、かつて尾張町の白牡丹本店にて購いたる当時流行の形にて、色は紫紺、切地は塩瀬を用い、緋の糸を縷金にて紅葉を縫い取りある高尚優美なる模様に、夫人はしばし凝視いたるが、やがて口を開いて、「お美代ちゃん、大層いい箱せこですこと、それに付いている簪が如何にも立派ですこと、我家の松代も今年は七歳のお祝いですから買てやりませう」と、その後は四方山の話に時を過ごして帰り行く後ろ姿を見送りて、直ちに電話を掛け、番頭が持ち来れる箱せこを見れば、いずれも流行の形のみにて、表布地は繻珍又は緞子、塩瀬等に古代模様の縫い取り、裏は概ね塩瀬なるが、代価は一圓以上、七、八圓以上までありて、附属用の簪は洋銀四十銭より、六十八銭ぐらい、純銀にては四圓より五圓止まりなるが、売れ行き良きところは一圓以上、二、三圓ぐらいの見当なりと番頭の話に、夫人はその内より一個を選びて、最愛の松代に購いやりたれば、嬉し喜びでひたすら十五日の来るのを楽しみ居りとぞ。近来各種の装飾品流行盛んなるが、ことさら箱せこは、子供の装飾に最も適当なりとて時節柄注文多きよし
『團團珍聞』(1396),珍聞館,團團珍聞社,1902-11-01. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11210916 (参照 2023-06-
女中が「竹田夫人」とその「お嬢様」が訪れたことを女主人に告げるところから話が始まります。
客人を奥に案内するよう告げ、縁先を歩くその姿に目をやると、そこには垢抜けていかにも品の良い美しい婦人の姿がありました。
「これぞ人に知られし麹町は隼町なる故陸軍少将若宮某の未亡人」と長ったらしい説明がありますが、これは今回のテーマの「貴顕」に当たる部分で、辞書には「貴顕(きけん):身分が高く、名声のあること。また、そういう人や、そのさま。」とあります。
「兒嬢(じじょう)」(兒は児の旧字)は小さな女の子なので、ここでは竹田夫人のお嬢さんに当たります(現代的に言うなら「名家の令嬢」ってとこですね)。
また、この女主人も同じような階級であろうことから、このお話の登場人物は上流階級の奥様方とその令嬢ということになります。
しばらくして座敷に入り、形式的な挨拶をしながらも「逸早くも目につきたるは、竹田の令嬢が懐中に挿める箱せこなりき」ということで、すかさず女主人の筥迫チェックが入ります。
・これは尾張町の白牡丹本店の最新流行の形
・布地は紫紺の塩瀬
・緋の糸を縷金(よりきん)にて紅葉を縫い取りある高尚優美なる模様
「しばし凝視して」刺繍の模様まで細かく観察するなんて怖いですね〜。
「お美代ちゃん、大層いい箱せこですこと。それに付いている簪が如何にも立派ですこと。我家の松代も今年は七歳のお祝いですから買ってやりましょう。」
どうやら、この時代の上流階級では、小さな子供の祝い着に筥迫を用いることは「よくある事」になっていることがわかります。
その後、帰って行く竹田夫人とお嬢さんの後ろ姿を見送ってから、女主人は「直ちに」電話を掛けます。
ここには書かれていませんが、タイトルからも「白牡丹本店」であることは間違いないでしょう。
そして「番頭」がすぐにやって来たところを見ると、この女主人はかなりのお得意様のようです。
そこに並べられた筥迫はいずれも流行の形ばかりです。
・表布地は繻珍(しゅちん)、l緞子(どんす)、塩瀬(しおぜ)等
・古典柄の刺繍
・裏は概ね塩瀬
・筥迫の価格は一円から七、八円
・びら簪は、洋銀で40銭から68銭程度、純銀は四、五円止まりで、売れているのは一円から二、三円程度
女主人はその中から一個を選んで可愛い松代に買い与えます。
筥迫を買ってもらった松代は喜んでひたすら15日が来るのを楽しみにしているという、あどけない少女の姿が描かれています。
最後は「近来各種の装飾品流行盛んなるが、ことさら箱せこは、子供の装飾に最も適当なりとて時節柄注文多きよし」で締めくくられています。
実はこの文章が掲載された團團珍聞の表紙には、白牡丹の筥迫の画像が掲載されています。
そして次回の「白牡丹の紙入れ」では、同じく表紙に白牡丹の紙入れの画像が掲載されています。
その紙入の刺繍は、本文に説明されている模様とそっくり同じです。
つまり、これら二つの文章は、白牡丹の商品広告を兼ねていることが考えられます(本来の白牡丹の広告も別に掲載されている)。
つまりスポンサーである白牡丹本店のその時期の売れ筋と客の傾向を、それぞれ「貴顕の兒嬢」と「芸者」をモデルにして、その取り扱い商品を話の中に細かく組み込んで宣伝しているというわけなんですね。
現在で言うところのステルスマーケティングというところでしょうか。
七五三と筥迫
「英国公使夫人の見た明治日本」(メアリー・フレイザー著)明治23年、華族の雛祭りにおける五歳の女の子。(ボケボケ写真でごめんなさい)
これがカラーでないのが残念ですが、説明には瑠璃色の縮緬の着物(濃い紫から裾は青)には可愛らしい模様の刺繡が金糸で施され、緋と金の帯が締められているとあります。
稚児髷、紋付の三つ重ねに扇子と筥迫を携えるという、五歳にしてなんと立派な出で立ちでしょうね。
そしてトップ画像の御令嬢ですが、この方こそ「久邇宮良子女王」のちの香淳皇后、つまり昭和皇后です。
この画像の年代がわからないのですが、前後の画像と比較してみて、多分10〜14歳ぐらいのお年頃ではないかと思われます。
このお年にして何とも高貴な佇まいですよね。
こちらは「良子女王」なので、「貴顕の兒嬢」という括りには入りませんが。
明治27年の一般雑誌に初めて「はこせこ」という言葉が登場しましたが、この少女はその5年前の明治23年ですでに筥迫を懐中しています。
小型化された筥迫は、当初から大人用も子供用も販売していたとは思うのですが、初期の頃は子供用の需要が高かったことがわかります。
武家の流れを引く華族の中には江戸時代からの筥迫を保管している人もいたでしょうが、急速に近代化して行く世の中でそのままの筥迫を使えば、あまりにも時代錯誤で陳腐に見えてしまいます。
しかし「ことさら箱せこは子供の装飾に最も適当なり」と書いてあるように、いっそのこと子供にも懐中できる形に縮小して女の子のハレ着に用いれば、それは武家的というよりも伝統的であり、子供の愛らしさをより引き立てると考えられたのではないでしょうか。
筥迫が七五三に使われるようになったこの時代は、娘を持つ母親たちにとって、七五三と嫁入り前の衣装にお金をかけるという傾向が強い時代でした。
特に七五三に対する熱狂ぶりは現代と比べ物にならないほど凄まじく、食べるものも我慢して娘の晴れ着を用意するということもあったようです。
今回の資料でも、母親の虚栄心に対する皮肉も暗に描かれていますよね。
上の令嬢のように五歳であっても筥迫を使うことはあったとは思いますが、七歳の「帯解き」は子供が初めて帯を締める儀式であることから、帯で胸元がしっかりする=筥迫を装着するきっかけとしては最適だったろうと思います。
七歳の祝いに熱狂する母親たちにとっては、筥迫の伝統的でありながら目新しいという特別感は、どんな年代よりも受け入れ易かったのだろうと思います。
今回の話では、これから七五三を迎える松代に対して、筥迫をしているお美代ちゃんはすでに七五三を終えた年齢ということがわかります。
七五三が終わった後も、よそ行きの着物で出かけるような時や、改まった写真撮影など事ある毎に筥迫は使われ、その娘たちの成長と共に大人用筥迫の需要も伸びていったことが考えられます。
明治期に「婚礼」で筥迫を使うことは七五三に比べればまだごく少数だったと思いますが、娘たちの祝い着熱が最も高まるのはこの後の大正時代です。
前回の「らんまんの婚礼衣装と袋物」で、大正期のある時期に結婚式を行うカップルが爆発的に増えた話を書きましたが、この時勢に乗って三越が「元禄ブーム」を仕掛けていくことにより、祝い着はより大きなマーケットに発展していきます。
関東中心だった七五三詣も、この頃から全国で行われるようになります。
このように「七五三」と「嫁入り前の娘」は呉服商のドル箱だったので、この二つのスタイルは互いに影響しあい、筥迫も花嫁に不可欠な装身具として定着していきました。
それにしても、「筥迫」と「志古貴帯(花嫁は抱え帯に変化)」という特殊な小物が、この時代の名残りとして七五三や花嫁衣装のみに引き継がれているのはとても興味深いですね。
栄華を極めた筥迫が時代の役割を終えて消滅し、新たな時代背景の中で再び復活するまでを探っていくと、時代を超えて尚その魅力を失わない筥迫は、日本人のアイデンティティーが詰まった装身具なのだということを改めて感じます。
そして、西洋化、近代化の大きな波の中で復古の傾向が高まり、日本の伝統的な物をその時代に巧みに適合させながら更に売り出していくという土壌があったからこそ、これだけ科学技術が発展した現代日本においても、伝統を失わずその価値観を保有し続けることができたのでしょうね。
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
次回は「明治期における筥迫復活(3)芸者と筥迫」を取り上げたいと思います。
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朝ドラは現代物と時代物の区別がありますが、時代物といっても江戸時代まで遡る事はほとんどなく、始まりはせいぜい明治・大正なので、私たちに身近な袋物を目にする楽しみがあります。
今放送中の「らんまん」は、「日本の植物学の父」牧野富太郎(ドラマでは牧野万太郎)をモデルとしたお話しですが、万太郎の誕生は江戸幕末の1862年で、ドラマが始まるのが万太郎が5歳の1867年、ギリギリ江戸!(翌年の1868年が明治元年)という設定です。
そして万太郎が亡くなったのが昭和32年の享年91歳!
この時代にして長寿なことにもびっくりですが、江戸時代に生まれた人が昭和32年まで生きているってすごくないですか?(もう少し頑張ったら東京オリンピックも観れたのに!)
とんでもないほどの時代の移り変わりを経験した方だったんですね。
寿恵子の花嫁衣装
先週は万太郎と寿恵子が無事婚礼を迎えました。
そして花嫁衣装といえば、筥迫フリークにはやはり胸元が気になるところですが、寿恵子ちゃんの胸元のこれは、、、薄っぺらな紙入れ?(汗)
(以下、テレビ画面を撮影したので画像は良くありません)
大奥のドラマでは、篤姫でさえこんな薄っぺらな紙入れを懐中しているので、江戸時代の懐中物に期待を持って見る事はないのですが、朝ドラは近代ですし、これまでの婚礼シーンでは必ず本式の筥迫を使っていたはずなのになぜ?と不満に思いつつ、もしやこの時代は?ということで調べてみました。
ドラマの設定では、この時の万太郎は21歳で、寿恵子は18歳、時は明治16年とのこと。
今回のシリーズ「明治期の筥迫復活」の中では、まだ筥迫消滅の空白期間に当たります。
だからあえて筥迫を使わなかったのか?
なんて筥迫に限って細かい設定をするはずはないと思うので(苦笑)、多分前のドラマで使った筥迫が見つからないとか、壊れちゃったとかで、小道具さんが懐紙サイズに合わせて簡易に作ったというのが正解かもしれません。
それにしても、寿恵子ちゃんの「白無垢」と「黒の引振袖」姿は素敵でしたね。
明治維新を挟んで明治30年代までの日本は、このような「花嫁衣装」を着ることができたのは極一部の上流階級のみでした。
しかし、明治30年代のある出来事をきっかけに、日本全国で結婚式を行う階層が一気に拡大して行きます。
それに伴い、それぞれの経済力に応じた婚礼衣装の選択肢が増え、婚礼衣装はより簡略化されて行きます。
古式では、式三献(現代の三々九度)は必ず白無垢で行い、その後に黒に着替えるものでしたが、明治後半には黒の振袖を式三献から着用する人が増え、大正に至っては白無垢はすでに「特殊な婚礼衣装」となり、白、赤、黒、青と分けられていた婚礼の色も、完全に黒一択になります。
つまり、寿恵子ちゃんの婚礼衣装は江戸文化の影響が色濃く残る旧スタイルなんですね。
大正から昭和初期の人々がこのドラマを見れば、白無垢を着ているだけでかなりの時代感を感じたことと思いますが、現代では白無垢は一般的すぎて、目にありがたみを感じられないのは寂しいところです。
裾模様だけの「黒振袖」から袖を切って「留袖」にするようになったのは、明治後期に入ってからの特徴で、結婚式を行う階層が増えたことで、中間層でも婚礼衣装を着ることができるようにとの工夫からだったそうです(これぞSDGs)。
肩まで総模様の婚礼衣裳は、留袖は別に誂えることができるという富の証ですね。
中間層に至っては、留袖を婚礼衣装に用いていたそうで、その家の経済力に合わせてうまく簡略化ができていたようです。
現代人なら、花嫁が留袖を着るなんてかわいそうと思うかもしれませんが、ある意味、結婚した後も花嫁衣装を着る機会があるのですからお得ですよね(笑)。
また、寿恵子ちゃんの「丸帯」のように、明るく華やかな色合いのものは昭和初期頃に流行ったもので、それ以前はかなり地味な色合いの丸帯が使われていました。
万太郎の姉の綾さん(左)が、そのような帯を締めていますね。
明治の帯はもっと渋い色目なので、これはもう少し後の大正時代ぐらいの丸帯でしょうか。
私はこの時代の帯がすごく好きなので、よく紙入れなどに活用しますが、大正時代といえば100年前でもあるので、ちょっと力を加えただけで簡単に裂けてしまうので扱いは要注意です。
懐中物ならそれほど負荷のかかる使い方はしないので問題がありませんが、手提げバックのように布全体に負荷のかかるものに使うと、物を入れた途端にバラバラになってしまう恐れがあるのでお勧めできません。
胴乱
そしてこのドラマの(袋物視点での)目玉は、万太郎が植物採集に出かけるときに持ち歩いているブリキの肩掛けカバンです。
面白い形のカバンなので、小道具さんがそれっぽい道具を見つけてきたのかなと感心して見ていたのですが、ちょうど万太郎の結婚式が行われた回でその正体が明らかになりました。
竹雄が採集した草花の扱いを寿恵子に説明するシーンで、「土はなるべく取り除いて?どうらん?に入れます」と言ったのです。
「どうらん」は「胴乱」と書きます。
こんなところで胴乱来た〜!と嬉しくなってしまいました。
胴乱はれっきとした袋物なのですが、形状も様々で、ウェストポーチのような形もあり、肩掛けバッグのような形もあり、それが煙草入れのようにして使っただの言われるとあまりにも定義が曖昧すぎて、イメージが湧かない袋物の一つでした。
以下は大正時代発行された「日本嚢物史」に記載された胴乱の項です。
胴乱と申します名は何処の國の話でありますか解りません。 和蘭の銃の弾丸入れだと申し手ます説もあります。 これに従へば和蘭船の通商あつてから出来たものであります。 別に手提げものでテイランといふものもあります。
何れも腰へ提げるもので革製のものも、帛製のものもあります。 多くは閑清縫と称する方法によつて縫ひあげたものであります。
形は一體に腰提煙草入風のものであります。又、印籠の様に緒〆、根付などを付物として腰へ提げるものもあります。
印籠などと同じ様な目的を以て作られましたのですが、煙草の流行につれて煙草なども入れて歩いた様であります。
井戸文人 著『日本嚢物史』,日本嚢物史編纂会,1919. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1869703 (参照 2023-07-02)
この胴乱についての説明が理解不能で調べることさえしてこなかったのですが、今回、このドラマをきっかけに改めて「胴乱」を調べてみることにしました。
以下コトバンクには、かなり理解しやすい内容で書かれています。
袋物の一種。江戸時代初期、鉄砲足軽の早合(はやごう)という火薬入れにこの名称をつけたのに始まるといわれる。
のち胴乱はたばこ入れ、銭入れとして用いられた。形態は小形の長方形の革製品であったが、これが大形化してなんでも入れられる携行具となり、これを大胴乱といった。
江戸末期になって、仏教思想の影響から四つ足動物を殺すことが非道とされ、胴乱の材料にも、木材、経木、コリヤナギ、織布などが用いられた。
明治に入ると、外来文化の影響を受けて鞄(かばん)類が注目されるようになり、手提げ鞄を手胴乱、肩に掛けるものを肩掛け胴乱とよんだ。[遠藤 武]
コトバンク「胴乱」https://kotobank.jp/word/胴乱-104327#:~:text=袋物の一種%E3%80%82,入れとして用いられた%E3%80%82
私は当初、大日本帝国海軍の弾薬盒のようなものに胴乱のイメージを持っていたのですが、これはいかにもウエストポーチという感じです。
早合は今回初めてその存在を知ったのですが、小さな箱型の袋物を根付によって腰に巻いた紐に固定しているので、なるほどこれは腰提げ物です。
かつて日本に初めての鉄砲が伝来した際に、弾丸と一緒に西洋の弾丸入れのような物も入ってきたでしょうし、早合はそれを日本の袋物に合わせて改良されたものなのかもしれません(つまり西洋的なニュアンスが少なからず入っている)。
煙草入れなどは「根付によって腰に提げる」というイメージが強く、あまりにも日本的なデザインなので今まで考えもしませんでしたが、これが西洋の影響を受けて胴乱になっていくあたり、最終的にはウエストポーチに収まって行くんですねぇ。
そしてこの万太郎が使っているブリキの肩掛けカバンこそ、本来植物採集に使われている専用の「胴乱」と呼ばれているものだということを知りました(それもこれは多分牧野式というタイプ!)。
この胴乱を持っていると、いかにも植物、採集を知っている人に見られてしまうので今は使われなくなったとのことですが、いかにもレトロな雰囲気で素敵なので、ドラマをきっかけにまた使い出す人が増えてくるかもしれませんね。
その他に、昔の車掌さんが切符を切りに回ってくる際に肩に掛けていたがま口バックがありますが、あれもかつては胴乱と呼ばれていたそうです。
確かに「ガマ口」という形状も明治の初めに入ってきたもので、この時期に合致することから、胴乱として扱われたのかもしれません。
参考になる画像が見つけられなかったので、現在、松山市内を走る「坊っちゃん列車」から、専用の制服に身を包んだ乗務員さん画像があったのでリンクを貼らせていただきます。
ちょっとは雰囲気がわかるかもしれません。
201510神戸・四国へ(31)「坊ちゃん列車」に乗ってみた
元々が西洋的なニュアンスのある物なので、箱型の腰下げ物を胴乱と定義するよりも、幕末から明治初期にかけての日本はまだ手に袋を提げて持つ文化はなかったので、この西洋的な概念の袋物(バッグ)全般を「胴乱」というイメージに当てたのかもしれませんね。
たとえドラマで正確な時代考証がされていなくても、それをきっかけに色々なことがわかってくるので、いつもそんな発見がないかと目を凝らしてドラマを見ている私です。
多分、万太郎はドラマの終わりまでこの胴乱を掛けていると思うので、機会があったらどうぞご覧になってください。
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(東京名勝)情緒をそそる銀座の柳:絵葉書資料館蔵
あまり体を動かせないという状況になってから、ほぼ見なくなっていた映画やドラマ、読書などで時間を潰していましたが、そんな穏やかな時間の過ごし方にも飽きてきた今日この頃。
最近は積極的に「物を調べる」ことに時間を使うことが増えてきました。
もちろん私が調べることといったら袋物関連になりますが、調べるのに時間がかかりそうで放置していたテーマが1つあります。
それは、明治維新を機に一時姿を消していた筥迫が「花嫁の小道具」として日本の風俗に定着するまでの、約30年ほどの空白の期間にどのような動きがあったかについて。
それは突如として沸き上がったブームではなく、「筥迫」という言葉が世間一般に再び定着する以前に、そのブームのはしりを担った人たちがいたのです。
その頃の状況はおぼろげながら知ってはいたのですが、こんなマイナーなカルチャーをピンポイントで取り上げている書物はなく、地道に小さな記事を探していかなければならなかったので、このテーマを探るには今この時しかありません。
今回は国立国会図書館のデジタルコレクションの資料を元に、筥迫工房資料部の面々の協力を得ながら当時の様子をまとめたので、3回のシリーズに分けて書いていきたいと思います。
しかしこんな昔の資料を、国会図書館に行かなくても家で調べられるというのもありがたい世の中ですが、どうしても現物の資料を手にしたい時もあり、そんな時は自転車で10分程度で行ける近所の図書館にタクシーで往復することもありました(苦笑)。
今回取り上げるのは、1894年(明治27年)発行の「家庭雑誌」に掲載された記事です。
明治以降の一般雑誌に初めて「はこせこ」という単語が出てくるので、以前のブログでも部分的には引用していますが、今回は全文を掲載させていただきます。
かなり古い文体で読みにくいとは思うので、この後に現代語に訳しながら詳しく解説して行きます。
はこせこ
今時の若き婦人は「はこせこ」といふ名は其品物と共に知らざる人多かるべし、 「はこせこ」は維新前各藩の大名小名の奥御殿に奉行せる女中等が外出の折など懐中をふくらす婦人の附属品にして、今日の紙人なれども、其形大なれども(竪三四寸横五六寸)実用とならず僅に鼻紙を挿むに止み、瓔珞附ける平打の簪(但し耳掻なし)を添えて飾りて御殿女中の持物中の重なるものなりしが維新以来全く廃れたり。
然るに此頃流行社会が復古の傾向となりしより平打の簪と共に復活したり、 然しながら其形は維新前のものに比し五分の一位に縮め(布帛地は錦類其形は挿圖の如し)勿論鼻紙入るゝ用なれども、懐中鏡、紅筆などを添え、平打の簪(矢張り耳掻なし)を片側に挿み成程優美なるものに相違なければ、目下貴顕の兒嬢の間に行はれ且つ藝人風情に至りてもワザと野幕がりて此般の流行品を携帯するに至りしという、流行は益々古代に傾きぬ。『家庭雑誌』(42),家庭雑誌社,1894-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11206276 (参照 2023-06-14)
冒頭の「今時の若い婦人は「はこせこ」という名を見たことも聞いたこともない人が多い」は、現代人からするとかなりインパクトのある言葉です。
筥迫は江戸時代から連綿と続く伝統的な装身具と思っている方も多いかと思いますが、明治27年時点ですでに人々に忘れられた過去の遺物になっていたということですからね。
明治維新からたかだか27年と思うかもしれませんが、この時代は一気に近代化が推し進められた日本の大転換期です。
激動の時代を生きた明治の人々にとって数十年前の江戸という時代は、遥か遠い「外国のような過去」であったとどこかで読んだことがあります。
20数年で世の中がどれだけ変わったかが良くわかる一節です。
「筥迫は維新前の各藩の大名小名の奥御殿に奉行する女中等が外出の際に懐中する女持ちの装身具で、それは今日の紙人と同じようなものだが、形は大きくともせいぜい鼻紙を挿む程度で実用にはならず、瓔珞の付いた平打の簪(ただし耳掻なし)を添えた筥迫は 御殿女中にとって重要な持ち物ではあったが、維新以降は完全に廃れてしまった」
瓔珞(らくよう←間違い!正しくはようらく)というのは「びら簪」の下がり部分を意味しますが、江戸時代の筥迫がいくら大きくて物が入りそうに見えても、そんなビラビラした簪を紙入れに挟んだら、鼻紙を取り出すぐらいしかできないだろう、だから実用で使えるはずがない、というのはあくまで著者の主観とは思いますが、実際に物を収めるスペースがあったとしても、当時の筥迫をどこまで実用として使ったかは私も疑問に思うところなので、あながち間違いでは無いかもしれません。(メインの化粧道具は部屋に置いたものを使い、筥迫にはただ七つ道具を入れて楽しむ程度で、あくまで飾りとして使うのがメインではないかと)
筥迫復活の先陣を切った人々
維新以降にその役目を失い表舞台から姿を消した筥迫ですが、時代は急激な西洋化、近代化による反動から、日本の文化全体に復古趣味に対する大きな流行(日本の伝統的な趣味に対する回帰の動き)が巻き起こります。
このような時勢が、日本趣味が凝縮したような「筥迫」が「びら簪」と共に見直され、再び息を吹き返す動力となったのです。
しかしそれは「維新前のものに比べて五分の一ほどの大きさとなり、そこに懐紙や鏡、そして紅筆が納められた」形状(初期の本体は箱襠か?)に変化しました。
打ち掛けや裾を引くスタイルは明治早々に消滅し、女性が気軽に外に出て行ける着装が主流となったので、筥迫もそれに合わせたサイズ感に改良する必要がありました。
そんな筥迫であっても、そこに添えられた「びら簪」の装飾的効果は絶大で、著者に「確かにこれは優美であると言わざるを得まい」と言わしめるほど、小さく改良されても筥迫がその魅力を失うことはなかったのですね。(よかった、よかった)
一つ面白いのは「平打ちの簪」について、(維新前)耳掻きなし、(維新後)矢張り耳掻きなし、と二カ所も注釈を入れていることです。
江戸時代に奢侈禁止令から逃れるために簪に「耳かき」をつけて、これは贅沢品ではなく実用品だとしていたので、びら簪にこの耳かきがないのがよほど不思議に見えたのでしょうね。
このように明治のスタイルに合わせて改良された筥迫ですが、当時の人々にとってそれは既に「懐かしいもの」ではなく、かといって西洋的雰囲気を微塵も感じさせない「古典にして新しいもの」という感覚だったと思います。
ただし、それはまだ一般の人たちに広く流行したという段階ではなかったようです。
最後の一文はそのままの文体で引用します。
「目下貴顕(きけん)の兒嬢(じじょう)の間に行はれ且つ藝人風情に至りてはワザと野幕がりて此般の流行品を携帯するに至りしという、流行は益々古代に傾きぬ。」
明治に復活した筥迫を初めに用いていたのは「貴顕(上流階級)の兒嬢(女の子)」と「藝人(芸者)」で、どうやらこの時点ではまだ限られた人たちが持つ物だったということがわかります。
芸者に至っては「ワザと野暮がりて此般の流行品を携帯する」とは面白い言い方ですが、「粋」に価値を求める花柳界で、その世界以外の人たちにも流行しているような物を取り入れることを「野暮」としたのかもしれません。
著者はそれに対して「ワザと」を入れたのかもしれませんが、私のイメージとしては、ただ目新しくて可愛いものにキャーキャー言って使っているような感じがしますけどね(笑)。
それにしても、「貴顕の兒嬢」に対して「芸人風情」呼ばわりする、この対比が面白いですね。
交わることもない対極にある種族の人々が、どのような状況で筥迫を受け入れたのか、私はここに興味を惹かれました。
今回、その当時の様子がわかる資料を見つけたので、次回はそれらを引用しながら「上流階級の女の子」と「芸者」に分けて、当時の筥迫の使い方を深掘りして行きたいと思います。
しかし、最後の「流行は益々古代に傾きぬ」ですが、流行の時間軸は未来でも、その対象物は益々過去に向かっている、という終わり方がまたいいですね。
近況
前回、ネットショップは6月いっぱいお休みとお伝えしましたが、現段階で医師からはまだ本格的に仕事に復帰するのは無理と言われたので、7月早々の再開は難しい状況です。
完治までにはかなり時間がかかりそうですが、工夫してやれることもあるとは思うので、8月までに何らかの形でショップを再開できるようにしたいとは思っています。
現在は自宅と工房とを完全に切り離しているので(一駅分離れている)、良くも悪くも今は仕事をする環境にありません。
自家用車もない、自転車にも乗れない、最寄り駅まで遠いという、都会の閉ざされた環境にいることを良しとして、今はただひたすらじっとしている生活です。
ただ、体を動かさない生活だと夜なかなか寝付けないので、せめて頭を疲れさせるものを見つけようとしているのですが、最近、調べ物とはまた別に、最適なその対象を見つけてしまいました。
それは今話題の男子バレーボールで、ネーションズリーグの日本代表の活躍に胸熱くしている今日この頃です。
数十年前に一時、女子バレーボールにハマっていた時期があります。
江上、三屋、廣瀬時代で、あの頃は女子もまだ強かったんですよね。
しかし男子バレーは外国人選手との圧倒的なパワーと長身差が埋められない壁となっていて、日本人の体型では今後も世界で活躍することはないだろうという気持ちで見ていたような気がします。
しかし、このところ頻繁に男子バレーボールの活躍がニュースに上がることに興味を惹かれ、久々にそのプレーを見てびっくり。
見た目に垢抜けて爽やかな選手たちが、長身の外国人選手をものともしない攻撃力でキメまくり、どこの漫画かと思うような変幻自在のプレーが、あまりにも非現実的に思えてなりません。
数十年前に見ていたあの男子バレーが、まるで「外国のような過去」に思えるほどです。
更にこの流れから、アマプラで「ハイキュー!」を一気見までして、通常ではありえない生活をそれなりに楽しんでいます。
そういえば、10年前に腹膜炎で手術をした後の自宅療養していた時期が、ちょうどフィギュアスケートの羽生くんが大ブレークしたシーズンにあたり、グランプリシリーズから伝説のニースのロミジュリまで、テレビに釘付けになっていたのを思い出しました(暴れ馬だった頃のあの羽生くんが懐かしい)。
普段スポーツなどほとんど見ない私ですが、療養の時に限ってエネルギーをもらえるようなスポーツに出会えることがありがたいです。
とにかく、がんばれニッポン!
おまけ
最後に「紫陽花の水揚げ」動画のご紹介。
少し前にバズったので見た方も多いかと思いますが、すごくびっくりしたのでリンクを貼らせていただきます。
(なぜか動画を埋め込めないのでURLのみ)
https://www.instagram.com/reel/CtjfnQEBZTz/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
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654
]]>それがとても印象的だったので、ご本人の了解を得て今回はそのお話を書きたいと思います。
ある日の朝早く、教室に通うMさんからメールが入りました。
その日の教室に飛び入り参加して、どうしてもその日中に仕上げたい筥迫がある、ついては先生の力をお借りしたいとの内容でした。
急に知り合いに結婚式の写真撮影が入り筥迫が入り用になると言うのはよくあることですが、それにしてはかなり切羽詰まった状況に感じました。
「簡易式」であれば1日で作る事は可能ということでMさんにお勧めしました。
教室に来たらすぐに作業を開始できるようにこちらも意気込んでいたのですが、いつまでたってもMさんはやってきません。
1時間、2時間と過ぎていき、ついには4時間経ってもこないので、これは不慮の事故にでもあったのか?と教室の人たちとも気を揉んでいたのですが、結局Mさんがやってきたのは他の人たちが帰り支度を始めた教室の終了間際のことでした。
これは完成間際まで家で仕上げて遅くなったのかと思いきや、事前作業どころか何も手をつけていない、材料も持ってきていないと聞いて開いた口が塞がらないとはこのことです。
そして、Mさんがおもむろに広げたのは一枚の「留袖」でした。
母の留袖
それはMさんのお母様の留袖でした。
この留袖で筥迫を作り、母の「棺」に入れてあげたいというのがMさんの願いでした。
そう、Mさんのお母様はその2日前に旅立たれ、今は葬儀が始まる前のあの慌ただしい準備の真っ最中だったのです。
その中で棺に入れるためのお母様の着物探していた時に、ふとこれで筥迫を作って母を見送りたいと言う気持ちがMさんの心に芽生えたのでしょう。
教室の時間を延長したとしても、可能なのはせいぜい2時間です。
肝心のMさんは、この2日あまり寝てないというほぼ戦力にならない状態、私がフルに手伝いをしてどこまで作れるかが勝負です。
こんなに急いで筥迫を作ったことがないほどの急ピッチで作業することになりました。
急ぐのであれば、綿を入れないで「平仕立て」にすればかなり時間短縮できるとアドバイスしたところ、
Mさん「でも綿を入れた方がやっぱり可愛いし、、、」
作ってすぐに荼毘にふされてしまう筥迫であっても、Mさんにとってはできるだけ可愛い筥迫を母に身に付けさせたいという思いに、ちょっと心が熱くなりました。
2時間で何とか貼り付け作業までを終えたので、簡易式なら抱き合わせは簡単に終わります。
残りの縢りだけなら後は自分1人でできるでしょう。
このような目的で筥迫を作るのは初めてだったので、これは私にとっても非常に印象的な出来事になりました。
そして後日、出来上がった写真を送ってくださいました。
留袖は何枚かあったようですが、筥迫用に小さめの柄のものを選んでくれたので、柄出しは収まり良く出来上がりました。
この後、筥迫の中に六文銭とご家族様からのお手紙を入れて納めるとのこと。
内布はお母様がお好きな色だったという薄紫の綸子を用意されました。
簡易式なので、被せを開いたところがそのまま懐紙入れになっているので、ここにお手紙と六文銭を入れます。
この日出来上りを見届けることができませんでしたが、この画像にて無事筥迫が出来上がったことを知り、私も安堵いたしました。
実は白装束に懐中された画像もあったのですが(あくまで衣装部分のみ)、不謹慎かなと思い掲載は見送らせていただきました。(Mさん、ごめんね)
そしてこの教室の翌日から、私はベッド生活に突入したのでした、、、(汗)。
その後
前回、寝たきりの絶対安静と書いたので、痛みで起き上がれないと思われた方が多かったようですが、更なる連鎖骨折が起こりやすい状態なので(すでに2カ所やっているので)絶対安静にするよう言われただけで、じっとしていればそれほど痛みはありません。
今はコルセットでガチガチに体を固定しているので慎重に動く事は可能ですが、30分もするとすぐに痛くなってしまうので、家族曰く「ウルトラマンのような生活」で何とか乗り切っています。
あとはほぼ横になってできるようなことしかできませんが、ブログを書こうにも寝ながらiPhoneやiPadで長文を打つのは疲れるので、他に良い方法は何かないものかと考えて「音声入力」を使うことを思いつきました。
ということで、このブログは自分がしゃべった言葉をそのまま文章化しています。
OSに備わっている音声入力なのでさほど精度が高いとは言えませんが、手直ししながらでも打つよりは楽なので助かっています。
なんで今まで気がつかなかったんだろう。
近年ブログに使う参考書籍の引用文を「OCR」を使って自動書き起こしできるようになったことも画期的に楽になった出来事です。
OCRとは、カメラで撮影した活字をそのまま文字起こししてくれるアプリのことです。
袋物の資料は旧漢字が多く、通常の変換では出てこない文字も多い。
以前は一文字一文字ネットで検索しながら書き起こしていたのですが、OCRはそんな古い漢字も一瞬で文字に起こしてくれます。
スクラップしなくても、テキストにできれば場所もとりません。
どちらも一般的なものだとは思いますが、デジタルの世界は次々に新しいものが出てくるので、自分に合ったツールを見つけられた時は、しみじみと便利な時代の恩恵を感じてしまいます。
ChatGPTについて思うこと
音声入力に気をよくして、この際だからと今話題の「ChatGPT」を試してみることにしました。
ChatGPT(チャットジーピーティー)とは、質問したことに何でも答えてくれる(文章化してくれる)対話型AIのことですね。
自分にはまだ遠い世界のツールと思っていましたが、最近教室の生徒さんに勧められたり、娘が大学で使っているという話を聞いていたので、今この暇な時間を活用しない手はないと早速登録。
手始めはやはり筥迫についての質問です。
しかし初めに返ってきた答えは、筥迫は茶道で使うもの、着物を収納するために使うもの、さらには「はこぶくろ」と読むあたり、ツッコミどころ満載の内容でした。
そこから正確な読み方や、その他の情報を少しずつ与えながら回答の精度を上げていきます。
ちょっとした単語の選び方1つで大きく回答の内容が変わってくるので、質問の仕方いかんで最良の回答が返ってくるか、とんでもない回答が返ってくるかは紙一重のようです。
私は文章を書くのは好きですが、スラスラまとめられるほどの構成能力はないので、下手をするとブログが書き上がるまで何日もかかるときがあります(それも楽しくはある)。
しかしChatGPTはものの数秒で完璧な文章を生成してくれるので、私のような労力を払いたくない人は絶対使いたくなるでしょうね。
そしてそれがとてつもなく間違った内容でも、完璧な文法と論理的な構成で作られた文章は、それだけで読む人を信じ込ませてしまう恐ろしさがあります。
今後は真偽のわからない情報がネットに氾濫し、それに振り回される世の中がやってくるということですね。
でも文章がうまくまとめられない時は、時々は手伝ってもらおうかなと思えるぐらい正直便利なものだと思います。
どんな時代であっても、便利なツールを使いこなすのはそれをうまく使いこなす「知恵」が必要ってことですね。
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先月、父の車椅子介助の際に、ずり落ちそうになった父を咄嗟に後ろから持ち上げようとして腰を痛めてしまいました。
病院でMRIで調べた結果「脊椎圧迫骨折」と判明いたしました。
背骨を固定して絶対安静!ということで、日常生活にドクターストップがかかってしまいました。
前日まで教室も開いていたのですが、一夜明けてベット生活に、、、(涙)。
当分の間は鎧のようなコルセットをして安静に寝ているしかないので、教室、ネットショップともにとりあえず6月いっぱいは「全休」とさせていただきます。
とはいえ、治るまで何ヶ月かはかかるようなので、どんな状況で再開できるかは今の段階では何とも言えません。
ネットショップは完全に閉鎖することも考えたのですが、いつか必ず再開する(!)の意思を込めて、カートの表示のみ消すことにしました。
つまりカートが表示されるまでは、注文は受けられないということでご了承ください。
ただしそれをすると「お問い合わせ」のフォームも使えなくなってしまうので、お問い合わせはメールか、InstagramのDM(メッセージ)を使ってご連絡ください。
ありがたいことに安静にさえしていれば痛みはそれほどなく、ひたすら骨が固まるのを待つという忍耐生活に入ります。
しかし、常日頃から家でのんびり過ごすということができない性分なので、このダラダラとした生活がどこまで耐えられるのかすでに憂鬱になりかけています。
目下、Amazon prime で映画を見まくる毎日です。
今はスマホやタブレットさえあれば、こうやって寝ながらでもブログやSNSはできるし情報発信もできます。
良い時代になりました。
十数年前に腹膜炎で入院した時はまだガラケー時代だったので、友人に頼んで山ほど小説を持ってきてもらい貪るように本を読んで入院生活を乗り切っていたことを思い出しました。
本はどんなジャンルが好きなの?と聞かれて、あなたが面白いと思った本もしくは書店に陳列されている中からあなたが面白そうだと思う本!という注文をつけて持ってきてもらいました。
人それぞれ全く違う本が届くので、それがまた面白かったのを覚えています。
この機会に韓流にハマることになるのか、さすがにゲームには手を出さないとは思いますが(汗)、皆さんも何かおすすめの本があったら是非ご紹介ください。
落ち込んでなければ、ブログも時々更新致します。
自分で作ることはできないので、皆さんが作ったもので掲載させていただけるような写真ありましたら是非送っていただけるとありがたいです。
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今回は「こんなの出来ない」とか「もう無理」という単語は封印して、焦らなければ「いつか出来る」がテーマです。
Appleサポート様いつも本当にお世話になっています(猛烈感謝)。
このような作業は待ち時間が付きものなので、今回はその待ち時間を利用して何か新しい型でも作ろうと思い立ちました。
そこで手近に作業台を見渡したところ、以前入手していた「カゴ巾着」が目に止まりました。
小さなカゴと布のバランスが可愛くて、作るでもなく倉庫にしまうでもなく、机の上に置いて愛でていたものでした。
これを入手したときに、中におまけの懐中物が3点(ラッキー♡)。
売主の方はカゴの中身には何の価値も感じていなかったようです。
こういうことは度々ありまして、袋物細工が廃れていった要因がわかるような気がします。
その中の一つを参考にして作ったのが今回の「タトウ付鏡立」です。
「鏡立て」はいつか作ろうとは思っていましたが、巷によくある折りたたみ式しか思い浮かばず、あれをそのまま作るとただのカルトナージュになってしまいます。
袋物細工なのだからもっと古風な趣味で作られたものはないかと思っていましたが、これは「たとう」を付けた「鏡立て」でいかにも日本趣味です。
デジタル作業をしながら、古い古い袋物細工を作るのもこれまた一興。
この鏡立ては仕立ても良く、ディテールに対するこだわりもあるのでプロの職人さんが作ったものであろうことは明らかですが、重心の位置が悪くすぐ倒れてしまうのが難です。
(左手前がオリジナル、右奥が今回のタトウ付鏡立)
何でこんな中途半端な鏡立てを作ったんだろう、、、とこれまでずっと不思議に思っていましたが、今ふと気がついた!もしかしてこれはただの回転式鏡入れで、立てる用途ではないのかもしれない!
ということで、オリジナルのいい所を残しつつ改良したのが今回の『タトウ付鏡立』です。
たとうの一部をストッパーにして鏡立てにしてみました。
本日の教室に来られた生徒さんにさっそく見せたところ「可愛い〜♡」と言われたので、ちょっと作ってみない?ということで急遽作業していただきました。
私としては事前作業有りで1日で作れる初心者向きかと思ったのですが、生徒さん曰く「初心者には無理!初級後半か中級前半です」との意見をいただきました。
作られたお二人はけっこうベテランなので、事前作業を含めて1日で作ってはいましたが、アイロンを使わず全て手貼りで作る立体造形なので、そこらへんが慣れていないと難しいということでした。
生徒さんが作った作品。
オリジナルの鏡立てのたとう部分には、ほんのり「丸み」が付けられています。
これがとてもいい感じなんです。
昔の袋物には小さな工夫がけっこうあって、それを見つけるたびやたらと萌えてしまうんですよねぇ。
ということでこの型にも丸みを入れてみました。
これは綿を入れるでもなく、木型を使うでもなく、型として丸みを付けています。
このような立体感を作れるのが貼り込みの良さですね。
小さな美意識なんですが、それがなんともいえない愛おしさを感じさせてくれます。
私はこのような型を設計する作業が一番好きです。
昔の袋物細工はまだまだ色々な形が残っているはずです。
自分が死ぬまでに徹底的に再現型を作って未来に残したいという思いがあるので、皆様のお手元にちょっと変わった昔の袋物細工が残っていましたら、是非画像をお送りいただけると嬉しいです。
たとう形
この鏡立てのポイントは、中が「たとう形」になっているところですね。
「たとう」というのは着物を入れる「たとう紙」のように、平面状の物を折り畳んだり巻き込んで使う構造のものを言います。
筥迫工房オリジナルの「携帯裁縫用具入」のように巻いて道具を納めるような形も「たとう」で、これを古い言い方にすれば「針たとう」ですが、連濁で(発音しやすく)「針だとう」となります。
「能楽用語辞典」では「針畳」と書いています。
こちらは能楽タイムズから、能の必需品「針だとう」についての記事が出ています。
今回作った鏡立ても、かつてはたとう部分に薄型の櫛や小さな7つ道具などを入れていたかもしれません。
古い袋物の本に「櫛ダトウ」というものがあり、当時は櫛入れのことを「ダトウ」と呼んだのだろう(専門用語?)と勝手に解釈していましたが、よく考えてみたらただの「櫛たとう」のことでした(苦笑)。
連濁+カタカナなんて、外来語かと思っちゃいますよね。
現代なら何を入れるかな?
ちょっとした裁縫道具なら入るかな?
上記のものは「布」で作られた物ですが(「櫛ダトウ」は紙でも作られる)、一枚の「紙」を折って「袋」を作る折り方は「たとう折り」「畳折り」「多当折り」と表記されます。
「折り紙」のようでいてただの折り紙でないのは、「物が入れられる」という実用的な要素が入るからですね。
皆さんが最もよく使う「たとう折り」の代表格は、お金を包む「祝儀袋」や「不祝儀袋」でしょう。
「たとう」は古い言葉のようにも思えますが、現代でも薄物の郵便物を送るときに使う段ボールの形は「タトウ式」(多倒式)と呼ばれますし、印刷業界でも風呂敷のように折り畳む形状や、二ツ折りのポケットファイルでさえ「タトウ」と呼ぶそうです。
このように日本の伝統的な袋物の「たとう」形は、現代にもしっかり根付いているんですね。
この「たとう」がもう少し複雑な折り方に展開されたものを「たとう包み」といいます。
きれいな形に折られた(畳まれた)紙を立ち上げると「物入れ(箱)」になることから、「花たとう」というような呼び方もされるようです。
包み結び作家の須田直美さんのブログ
SAKURAのyayaさんはInstagramで「変わり折りの折据」を組み合わせて作った裁縫道具入(!)を紹介しています。
※茶道や香道では「折据(おりすえ)」と呼ばれる。
最後に、この型が「鏡だとう」でないのは、鏡を包むためのものではないからです。
「鏡」と「たとう」の二層構造であり、メインは鏡なので、「たとう」はそれに付属したものとという扱いになりました。
そして私が「何だ?」と思った「櫛ダトウ」のネーミングを狙って、「タトウ」はカタカナにしてみました(笑)。
今時のミシン
話は全く変わりますが、先日教室に来たEITOMANさんが、最近注文したミシンの話をしてくれました。
そのミシンメーカーとは「AXE YAMAZAKI(アックス山崎)」。
JUKIとかブラザーとかジャノメなら聞いたことがありますが、それってどこ?と思っていたら、通販生活の「山?範夫さんのミシン」の会社なんですね。
EITOMANさんは洋裁学校を出ているので職業用ミシンを持ってはいるそうですが、もっと軽くて気軽に出し入れできるミシンが欲しいということで「山?範夫の電子ミシン」を買われたそうです。
それが意外に使い勝手がよかったので、別のミシンも探したところ「TOKYO OTOKOのミシン」に惹かれてつい注文してしまったとのことでした。
「東京 男のミシン」って一体どんなメーミングよ(笑)と思いましたが、厚物対応でデニムやレザーなどが縫えるとのことで、予想以上の売れ行きのため、現在予約待ちなんだと嬉しそうに話してくれました。
ちなみに、ここのミシンのネーミングが面白い。
「山?範夫の電子ミシン」なんて個人名がミシンに付けられているなんて、「マツモトキヨシ」という店名を初めて見た時に大爆笑したほどのインパクトがあります(もう何十年も昔のことよ)。
これに続くラインナップのネーミングが全て面白い。
・毛糸ミシンふわもこHugラベンダー(子供用ミシン)
・子育てにちょうどいいミシン
・子育てにもっといいミシン
・大人のための、気分がアガるミシン
・孫につくる、わたしにやさしいミシン
・TOKYO OTOKOのミシン
ファストファッションなんてない時代は、和裁や洋裁、編み物などができるお母さんたちは多かったですが、今は洋服は安く簡単に手に入るので、学校でも洋裁や和裁は教えなくなりましたね。
このような時代に育った若いお母さんたちには、子供が幼稚園に入るときの「巾着作り」は相当にハードルが高いことでしょう。
ものを作らない人にはミシンなんてあったって邪魔ですし、必要最低限のものを作るためだけのミシンはいかにも時代の需要という感じですね。
ご興味のある方はアックスヤマザキのHPへ
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先日、ついに恐れていたことが起こりました。
それは愛用のiMacが急に動作不安に陥ってしまったのです。
私は一台のMacのみを使っているので、これがダメになるとパニックに陥ってしまいます。
購入から3年を過ぎると、PCが不安定にならないように祈る毎日。
「(PCに何事も起こらないのは)毎日神様にお祈りしているおかげだね!」そんなCMがありますが、あれ私のことです(苦笑)。
以前はPCが不安定になると、PCに強い人にひたすら頼っていたのですが、それはそれで結構屈辱的な目にあうので、次第にそれが大きなストレスになってきました。
PCのメンテナンスができないヤツがPCを使ってんじゃねーよってな感じです。
PCという大きな家には、作業ごとに専門の部屋がいくつもあり、そこで作った膨大な作品を入れるための倉庫があります。
ただの事務作業であればそれほど大きな家は必要ありませんが、作品を作るようなモノづくりがメインになると、設備も倉庫も大きなものが必要となるので、それらがどんどん家を圧迫していきます。
そしてその重さで家が倒壊しそうになった時に、雨漏りを探したり、補強の柱を追加したり、倒壊したらすかさず立て直せるよう、日頃から小まめに「DIY」の知識を備えておくというのがメンテナンスということです。
自分の仕事の他にDIYの勉強なんて出来ない!という私のような人間が、人に頼らず、仕事道具や大事な作品を守るための手立ては一つ、倒壊する前に新しい家に引っ越すことです。
しかしデジタルの世界は常に新しい環境に変化していくので、新しいPCを買っても以前と同じ状況でセットアップできるわけではなく、これまたわからないことだらけ。
PCが壊れる+新しいPCの設定に悩む、という一連の作業がトラウマになっていました。
しかし今回新しいMacを買って、意を決して自分でセットアップしてみたのですが、なんというかもう、、、簡単、、、で唖然。
PCが使えなくなった状況で、翌日の午前中にApple Storeに駆け込みiMacを買ってそのまま持ち帰り、夕方には使えるようになっているという夢のような状況。
top画像はセットアップのため作業台で行っていたのですが、別の作業をしながらでもあっという間に終わってしまった。
そして改めていつもの作業場所にMacをセットして壁紙変えて、やっと落ち着いたところ。
Macのデスクトップに何もないのが新鮮ですが、自分の机周りは相変わらずの混雑状態。
(でも穴蔵のような中で仕事をする方が落ち着くのよ)
Macの設定も簡単になって、バックアップも自動でMacがやってくれるし、データもアプリもほぼクラウド上で管理できるようになったことが大きいのですが、それに加えて自分自身の変化というのも少し影響しているような気がします。
苦手意識が大きいと、ちょっとした設定ミスが起こると過剰に自信を失い、ビクビクした思いは更なるミスを誘い、全ての自信を失墜して、やはり自分は出来ない人間なんだと烙印を押してしまうのですね。
それが最近、もしかしたら自分でも出来るかもしれないと思うようになったのです。
このちょっとした私自信の変化に、少なからず影響を及ぼしているのは我が家の「娘」の存在です。
デジタル世代
このところ我が家の娘については全く書いていなかったのですが、以前ブログでは「不思議ちゃん」と書いていたので、ここでも不思議ちゃんと呼ばせていただきます。
不思議ちゃんは絵に描いたような「Z世代」です。
いわゆるデジタル世代ですね。
彼らはインターネットやデジタル機器の受け入れ方があまりにも自然で何の障害もありません。
特に驚かされるのは「検索力」と「情報収取能力」の高さです。
欲しい情報にいかに早く辿り着けるかに長けているので、ネットとSNSを駆使してあっという間に情報を収集していきます。
SNSはTwitterがメインですが、フォロワーは何万人もいて(ケタが違いますね)、年齢不詳の見ず知らずの人たちや、外国の人たちとも極自然にコミュニケーションしています。
(その代わり自分を特定されないようにすごく慎重)
私が情報の渦の中で「できない」「わからない」ともがいて、自らが起こした波で溺れているその横を、スイスイと泳いで何事もなく対岸に辿り着いているような感じです。
私と似たような道に進んでいるようでいて、それが全てネットの世界で展開しているので、その概念も価値観もまるで異なります。
アナログ世代がまず壁ありきで頭に入れようとするのに対して、完全にバリアフリーでいとも簡単に自分の世界を構築している姿を見ていると、苦手意識にがんじがらめになっている自分がなんだか過剰に荷物を抱えているように思えて、もっと気楽に考えてもいいんじゃなかろうかと思えるようになりました。
人は昔に抱えたトラウマをずっと引きずってしまうものですが、実際にはものすごい勢いで時代も環境も変わってきています。
スマホ普及やChatGPTの出現で、万人が使いやすいようにデジタルの方から近づいて来てくれる世の中になったので、自分がちょっとリミッターを緩めるだけで、今まで端から無理だと思っていた情報に難なく辿りついていることに気が付きます。
特に年を取ると、よりリミッターはかかりやすくなりますからね。
ちなみに彼らは、witterで関わる人々の属性をほぼ文章だけで推測するそうです。
今まで気軽に会話していた人に、実は自分よりずっと年上の娘がいると知ってびっくりしたなんてことはよくあるそうですが、40代ぐらいでは文章で推測できないことはあっても、50代以上の人はどんなに若者っぽく振る舞っても絶対わかると言っていました。
いわゆるおじさん構文、おばさん構文のことなのでしょうが、私もつい「…」や「〜」は多用してしまいますが、我々世代の「…」は「余韻」を表すのに対し、若者たちは「疑問」に使うらしいですよ。
でもいくら古くても(笑)を「www」には変えられない〜
サーティーワン フレーバー総選挙
話は全く変わりますが、今日(5月9日)は「アイスの日」だとのことで、サーティーワンのフレーバー総選挙の結果が発表されましたね。
サーティーワンについては、もしかしたら以前ブログで同じ話題を出したことがあるかもしれませんが、私の鉄板ネタなのでもう一度出します(笑)。
それは私が20代初め頃の昔々のお話。
当時仲の良かった友達のKちゃんと原宿に行くと、ショッピング帰りにいつも立ち寄るのはサーティーワン。
注文するのはレギュラーの「ダブル」で、二人ともフレーバーは必ず決まった組み合わせでした。
rom筥 →チョコミント+バーガンディーチェリー
Kちゃん→ラムレーズン+ジャモカアーモンドファッジ
注文の列に並びながら「私たちいつも変わり映えしないね〜」なんて話をしていたところ、私たちの前に並んでいた太った外国のおじさんが「トリプル」を注文しました。
常に同じフレーバーしか頼んだことのない私たちは、おじさんがトリプルでどんな組み合わせを頼むのか興味津々。
それは、3段同じフレーバーでした(何だったか忘れた)。
衝撃を受けた私たちは、その日初めてトリプルというものを注文したのでした。
しかし完璧な組み合わせにプラスしたフレーバーはそれぞれとても残念な味で、大好きな二つの味が汚されるようでとても悲しい思いをしました。
やはり次はよく考えてから3段目を決めようね!ということでその日は別れました。
そして後日、Kちゃんに「3段目のフレーバーを決めた!」と言われたのが次の組み合わせでした。
それは、、、
ラムレーズン(!)+ジャモカーモンドファッジ(!)+ラムレーズン(!)
そんなKちゃんに嬉しいお知らせ。
Kちゃんの好きな「ジャモカアーモンドファッジ」は2023年では「5位」です!(ラムレーズンは25位)
そしてrom筥の好きな「チョコミント→2位」、「バーガンディーチェリー→6位」(期間限定はなんと1位!)
パチパチ!!
PC祝いに、今日は「バーガンディーチェリー」のハンドパックをパイント(6人分)で大人買いして帰ろう。
バーガンディーチェリーは期間販売のため5月末までの販売ですが、なくなったらそれでおしまいのようなのでお好きな方はお早めにどうぞ。
ちなみに、2023年の1位は「ラブポーション」です。(食べたことない)
え?!「ポッピングシャワー」は???と思ったあなた。
ポッピングシャワーは無双すぎて殿堂入りになっているらしく、投票自体できないのだとか。
なるほどねぇ。
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今回は「指貫」のお話です。
指貫は「袋物」というカテゴリーには入りませんが、一切針と糸を使わずに作るので「貼り込み」というカテゴリーでは一緒です。
筥迫工房では貼り込みで作る物を「縫ったか貼ったかわからないような仕上がり」という言い方をしますが、この立体的な造形は縫いでは作れません。
厚紙、綿芯、糊三種のみで作ります。
この三種の糊をそれぞれの特性に合わせた使い方をするので、こんな小さな指貫でさえ、貼り込みの技法を駆使した作り方をしています。
もちろん革や金属の指貫に比べれば耐久性は劣るのですが、なくしてもそこらへんにあるハギレで数分で出来るので、弱ってきたら新しいものを作ればいい(ただちょっと慣れは必要)。
私はもっぱらこの布指貫を愛用しています。
貼り込みでも縫う場所はある
「貼り込み」は基本的に糊を駆使して造形するものなので、「縫い」とは対極にあるものです。
とはいえ、時々は縫いのお世話になるときもある。
貼り込みは「面」で接合するのいに対し、縫いは一辺で接合(縫う)して、引き合う(割る)ような状況で使うので、貼り込みでも時々は縫いが必要になるときもある。
このことから貼り込みでも「裁縫道具」は必須です。
教室の生徒さん用に「針セット」というものを用意しています。
・手縫い用 → (和針)四ノ二
・綴じ用 → (メリケン針)短針7
・縢り用 → (刺繍針)#5
この3本があれば、ほとんどの用は足ります。
和針とメリケン針(洋針)の違いがわからないと言われるのですが、和針は先端まで滑らかに細くなっている針で、運針などで針を進めやすい形状です。
メリケン針は針先が少しずんぐりしている感じで、厚めの布を縫う時や布地を綴じ付けるような時に用います。
貼り込みでは布に貼った芯材ごと縫うので、使う場所を間違えると、針を折るか、針が通らないことになるので、この違いはとてもわかりやすいです。
絹というのは番手(糸の太さ)が細いので布目が密になります。
筥迫の巾着は布に張りを出すためにホットメルト紙を貼るのですが、布目が密どころが完全に閉じている、、、。
この縫い合わせにメリケン針を使うと、針通りが悪くやたらと手が疲れるので、これは和針が最適です。
同じ巾着で、タックを重ねて畳んだものを一点留めするのですが、布を6枚まとめて留めるので最も力がかかるところです。
また、紙入れなどで開閉の際に力がかかるところを一点留め(力留め)するのですが、ここがは厚紙ごと縫うので細い和針を使うと針が折れてしまいます。
このような力をかけるところには短針のメリケン針が最適です。
縢り(筥迫の脇の千鳥掛け)のように太い糸を使うときは、刺繍針のような目処(めど=針穴)の大きいもの(#5)を使います。
指貫は友達!
このように貼り込みでも針と糸は使うのですが、上記のように特に厚紙を留めるような時に多く用います。
つまり力がかかる所に使うので、ここで「指貫」が必要となります。
私は実家が仕立て屋(テーラー)だったので、中学の時にはお小遣い稼ぎに裾のまつり縫いをさせてもらっていたのですが(この頃はまだ手作業だった)、初めて針を持った私に父が一言「指貫を使え」。
当時はなんでこんな面倒なものを使わなければいけないんだ!と思っていましたが、私が針を持ったときに指貫を使っていないと、すかさず「指貫を使え」と言われました。
絵に描いたように寡黙な職人だったので、手取り足取り教えてくれるなんてことはなく、ただ「指貫を使え」。
それでも指に付けてさえいれば自然と針が当たってくるようになるもので、いつしか指貫をしないで針を使うことは考えられなくなっていました。
筥迫工房の講習会や教室に来るような方は、経験を積んだ手芸関連の趣味をお持ちの方が多いのですが、針を持った時に指貫を使わない人のなんと多いことか。
昔は学校や生活の中で和裁や洋裁を習ったので自然に使えていたのかもしれませんが、現代では学校や先生について本格的に和裁や洋裁を習わない限り、指貫を使うことを習わないのかもしれませんね。
昔は生徒さんに「指貫を使った方がいい」と言っていたのですが、生まれてからずっとスプーンやフォークで食事をしていた人が、大人になって急にお箸で食事をするぐらい難しいことだとは思うので、最近はあまり言わないようになりました。
ところが、最近教室に入ってきたYさんは、これまでほとんど縫い物というものをしたことがない(!)ということで、玉止めさえおぼつかない様子。
縫うこと自体に慣れていないのであれば変なクセもついていないはず。
つまりこれは初めから指貫に慣れさせるチャンス!
折りしもその日は生徒さんが二人しかいない日だったので、手の空いた時間で私がささっと布指貫を作って差し上げました。
その人の指のサイズに合わせて作るので、ジャストサイズです。
針を持ったら必ず指貫は使うものと、今のうちから刷り込んでおくことにします(笑)。
初めから無理やり指貫を使うというよりは、とにかく指にはめて慣れること。
そのうち針が自然に当たってきます。
針が指貫に当たってきたら、もう指貫は針仕事のお友達!いや、大親友。
指貫に慣れてきたら、自分が使いやすい金属製でも革製でも使えばいい。
とにかく頑張れ!
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今回は教室に通われているgakoさんが作られた刺繍の筥迫をご紹介させていただきます。
二人のお嬢さんを無事嫁がせて、肩の荷を降ろしているであろうgakoさんですが、長女さんの結婚を期に筥迫と出会い、今回の次女さんの結婚式では、これまでの集大成ともいえる渾身の筥迫を作られたのでした。
長女さんのときからの道のりを交えレポート(青字)を書いてくださったので、私のコメント(黒字)を挟みながらご紹介させていただきます。
私が初めて筥迫を作ったのは、5年前(2019年)の長女の結婚式の時でした。
式場の貸衣装に付属していた筥迫は、
いくらなんでもこれなら自分で作ったほうがマシ!
gakoさん曰く「当時は筥迫がどのようなものかも知らなかった」のに、「自分で作ったほうがマシ!」と思わせてしまうなんて、いったいどんな筥迫だったのか興味津々です。
婚礼衣装を扱う専門店でも、どうせちょっとしか見えないものなんだから厚紙に布を巻いたもので十分!と自分達で「工作」してしまうこともあるでしょう(そんなものがネットにもたくさん出ていますし)。
そんな適当な筥迫でも、ほとんどの人は気が付かないかもしれません。
現代では胴締めがない簡易な紙入れを筥迫などと言っているぐらいなので、本来の筥迫がどういうものか知らない人の方が多くなってしまったからです。
それにも関わらず、「ちゃちな筥迫」に悪い意味で琴線が触れてしまったgakoさんは、きっとその時に筥迫の神様に呼ばれてしまったのでしょうね(笑)。
こちらの筥迫は教本を買って初めて作られた作品だそうです。
これは綿を入れない基本の筥迫ですが、それでもちゃちな筥迫よりはずっと存在感があります。
筥迫工房の教本はとても丁寧に細かく説明があり、
こちらが長女さんのために作った、結婚式のための筥迫(2作目)。
サラサラの切り房と清楚なピンクの小花が散りばめられた品の良い筥迫&懐剣のセットです。
試作、本番用ともに「金襴」をお使いですが、薄めの金襴を選ばれたのが成功の秘訣ですね。
派手な柄の金襴は厚みがあるものが多いので、筥迫が作れるかどうかは布選びにかかっているといって過言ではありません。
(ちなみに金襴は浅草橋の人形の田辺で購入されたとのこと)
お嬢様たちの顔出しOKいただきました。
こちらは長女さんの花嫁姿です。
花嫁さんの喜びに満ち溢れた笑顔は、見ている私たちも幸せにしてくれますね。
長女さんの結婚式のときにgakoさんが作られたのは、「ジャンボフラワー」、壁に飾った「切り絵」、花嫁の「つまみ簪」、「ボールブーケ」、そして「筥迫と懐剣」、これら全てを作られたそうです。
切り絵は、月本せいじさん、カジタミキさんの本を見て作ったものとのこと。
あまりにも頑張りすぎたせいで式後に体調を崩して大変だったことから、今回の次女さんの結婚式では「そこまでしてくれるな」と娘さんたちからストップがかかったとおっしゃっていました(笑)。
初めての筥迫作りがよほど楽しかったようで、その後gakoさんは筥迫工房の教室に通い出します。
そして長女さんの結婚式から早5年、次女さんの結婚式では「日本刺繍の筥迫&懐剣」に一点集中することになりました。
そして今年、2月に行われる次女の婚礼用筥迫を作ることになりました。
こうして無謀なチャレンジは始まったのでした…。
それもRom筥先生が作ったあの『牡丹の筥迫』が忘れられない!
筥迫を作っていると「日本刺繍」の作品を目にする機会が多くなるので、それに憧れを持つのは当然のこと。
私も生徒さんに刺繍作品を見せながら「日本刺繍やろうよ〜」と誘ったりもするのですが、筥迫を習いつつ日本刺繍を習うというのはかなりハードルが高いようで、なかなか刺繍の世界には入ってくれません。
そこでgakoさんは、あえて日本刺繍の先生にはつかず、中村刺繍さんの通信講座にチャレンジするところから始められました。
私は初めは直接先生について習った方が絶対にわかりやすいと思っているのですが、それはしっかりした台張りのやり方を習わないと細かい日本刺繍はできないからです。
しかし、gakoさんが通信で初めて作った作品はかなり丁寧な仕上がりで、通信でもここまでできるんだ!とびっくりしたのを覚えています(あくまで人によりけりだとは思います)。
その後、市販の刺繍の本を買ってもう1点作品を仕上げ、これらは金封袱紗に仕立てられています。
gakoさんから次女さんのために日本刺繍の筥迫が作りたいと持ちかけられたのは、多分お嬢さんの婚礼の半年ぐらい前のことだったと思います。
刺繍の素質はありそうなので、そのときは簡単に桜を散らせるぐらいなら、私が教室で少し面倒見ればいいかぐらいに思っていたのですが、gakoさんの要望は肉入れ盛り盛りの牡丹の筥迫、、、つい唸ってしまいました(苦笑)。
初歩的な2つの刺繍をやっただけでこの筥迫を作るなんて、日本刺繍をしている者から言わせると非常に無謀なことです。
しかし婚礼と関わりの深い筥迫の世界では、花嫁の筥迫というのは一種の花形。
それが婚礼を控えた娘を持つ母親であれば、無理なこととわかっていても自分の思い描く理想の筥迫を作りたくなる気持ちは理解できます。
日本刺繍の基礎的なこともRom筥先生に教わり、本やYouTubeを見まくり、刺してはほどきを何度も繰り返しました。
そしてこの3ヶ月、リビングのテーブルは私の筥迫コーナーとして占領されたのでした。
5年間の教室での様子から、gakoさんが物作りのための正確な手をしていることはわかってましたし、次女さんの結婚式まで時間は限られていること、途中で諦めて愛娘の婚礼に花を添えられなくなることはgakoさんの性格上ありえないので、私には必ずややり遂げるだろうという確信がありました。(不思議なほど心配はしていなかった)
また他の生徒さんたちも日本刺繍がどういうものなのか触れることができるので、これは教室にいい影響を与えてくれるかもしれないとの思いから、gakoさんに協力することにしたのです。
その代わり、できるだけこまめに教室に通うことが条件です。
私は江戸時代の、あの彫刻のような立体刺繍の筥迫に強く影響を受けているので、通常日本刺繍で習うような「肉糸」(しつけ糸を束ねたようなもの)は使わず、違う手法を用います。
しかしそれは人に説明できるようなやり方ではないので、gakoさんには通常の肉糸で厚みを出すやり方にしてもらいました。
これでも立体感はかなり出ていると思います。
筥迫の被せには娘の名前の杏の字をとった花、被せ下には娘の名前、そして背には妹と姉の名前から桃と杏の実を刺繍しました。
私が作った牡丹の筥迫は、その後も図案を使いたいという人に提供することがありますが、皆さん約束したかように牡丹の右側にオリジナルのデザインをアレンジされます。
そして披露された娘の晴れ姿は、まさに馬子にも衣装、
教室でも、刺繍をしながら次女さんが家を出ていくのが寂しいといつも言っておられました。
とても仲の良いご家族なんでしょうね。
お嬢さんたちも母の思いのこもった筥迫を胸に、きっと同じような仲良し家庭を築いていかれると思いますよ。
刺繍はもちろんのこと、筥迫の仕立てにもこれだけ緊張して慎重にやっているにも関わらず、玉縁の
しかし次回は孫の七五三、
今後は工芸科進級を目指して頑張るそうです。
愛の鞭は続くよどこまでも(笑)。
ぺたんこの筥迫で襟元すっきりの花嫁スタイルが今時の主流ですが、私はボリュームたっぷりの胸元で筥迫を際立たせた今回の花嫁さんのようなスタイルの方が素敵に思えて仕方ありません。
gakoさんのこれまでの作品はInstagramでも見ることができます。(アカウントは @hitomi1738 )
ちなみに、筥迫工房の教室で日本刺繍を教えているわけではありませんのであしからず。
教室で長く筥迫を習っている人には、筥迫装飾及び袋物装飾の勉強の一環として、希望があれば刺繍を教えることもあるという程度です。
初心者の方は日本刺繍は絶対専門の先生に習った方がいい。
ただし、筥迫の装飾の仕方、筥迫図案の作り方、日本刺繍をされている方であれば筥迫の肉入れの仕方などは、教室に来ていただければご指導いたします。
さぁあなたも、gakoさんのように徹底的に筥迫を作り込んでみませんか?
最後に、私が作ったオリジナルがこちらです。
ANAの機内誌に使ったいただいた物ですが、いかんせん7年前のものなので、刺繍も仕立ても上手くなくてかなり恥ずかしい。
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筥迫を作ってみたい方はこちら!
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まず初めはままねこさんの作品です。
なんという細かい刺繍!相変わらずお綺麗な刺繍でうっとりですね。
和の式部型にいちごモチーフとは、古典脳の私には発想がない組み合わせで新鮮です。
ままねこさんは式部型がお好きなようで、これまでも式部型の素敵な作品をポストされていますが(ミニ着物&式部型など)、いつか定家文庫や江戸型筥迫などの大作にも挑戦していただきたいです。
お次はあちはさんのお人形用筥迫から。
あちはさんも以前は一般的な袋物を作られていましたが(洋風の可愛い木綿のプリント柄などが多い)、最近はお人形筥迫にシフトされているようです。
今回はお人形用の江戸型筥迫をポストしておられたのでご紹介させていただきます。
あちはさんのInstagramでは、ご自分で作ったもの以外(コレクション品)はトップ画像を猫ちゃんにしているのだそうです(今回初めて知った、、、汗)。
タイムラインには多くの画像が流れてくるので、猫ちゃん画像で気が付かず通り過ぎていたようです。
今まで素敵なコレクションを見逃していたのですね。
ということで、みなさんもInstagramでこの猫ちゃんに気がついたら、是非2枚目以降をご覧ください。
(お次は江戸型の中の画像をポストしてくださるそうですよ、楽しみ♡)
他にも画像をいただいているので、こちらも掲載させていただきます。
このスタンドは筥迫工房で販売しているものですが、人形用の筥迫(上)と人間用の筥迫(下)を比較してみました。
お人形が付けると、、、
う〜ん、小さい、小さすぎる、、、、
こちらは煙草入れだそうです。
今後もお二方の活躍を楽しみにしております。
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散りかけの桜の中でまともなところを探すのに苦労した、、、。
4月になり、新学期、新入学、新入社と、新しい環境に入って行く人たちも多いこととは思いますが、筥迫工房でもこの度新たに「筥迫認定制度」を設けることとなりました。
協会でもないところが認定制度を作るというのもおこがましいことではあるのですが、筥迫工房では古い時代の型を扱っているとはいえ、伝承されているような型紙も技法も全くない状況から作り上げてきたというオリジナル性の高い型紙を扱っているので、これを守るためにはどうしてもルールは作っていかなければなりません。
初めの頃は、作った物を持て余しているのであれば、少しぐらいは売ってもいいですよと許可することもあったのですが、そのうち私が想像もしなかったような斜め上のことをする人たちが増えてきました(詳細は避けますが)。
私は常にネット上をパトロールしているわけではありませんが、袋物好きな人たちは小さな画像でも隈なくチェックしているものなので、自然と情報が集まるようになりました。
そのほとんどはクレームをつけても時間の無駄程度のものなのですが、中にはこれを放置しておくと後々大きな問題になりかねないというものがあります。
そのような時は嫌でも戦わなければならないのですが、これが一番精神を削られることです。
そんなことから、現在は利益を得るような販売は不可とし(材料費をもらうのは可)、型紙を渡す際は違法な使い方をしないよう必ず「同意書」を書いてもらっています。
しかし、同時にこの文化を広げていくためには、自分一人だけが抱え込んでいては先細りは誰の目にも明らかです。
このようなことから、その所属元をはっきりさせることで責任を持たせ、所属元はその人の技術を保証し、一定のルールの元でその財産を共有するという「認定」は必要なことと考えます。
筥迫講師認定
私が筥迫を始めた時点でも「袋物細工」というカテゴリーは消滅して久しかったのですが、筥迫の研究と同時に袋物の魅力にはまり、一つ一つ研究しながら再現してきました。
貼り込みの袋物細工は一度作ればその面白さはわかっていただけると思うのですが、私自身が活動できるのはあと10年ないかもしれません。(手作業はできたとしても、PCに付いていけなくなった時点でこの活動は終りという危機感がある)
その前に、後進を育て、再びこの文化が失われてしまわないようにすることが今の私の目標にもなっています。
認定ではなく「許可」という形で筥迫工房の資料を使って講師をすることを認めているケースもあるのですが、今まで公式な認定を出せなかった理由はあくまで私側の問題からでした。
それは、袋物細工は型ごとに「要素」が違うため、認定のための「基準」を設けることが難しかったからです。
しかしながら、最近講師を希望される方に一つの特徴があることに気が付きました。
それは、すでにご自分で教室や生徒さんを持っている方々で、そこに付随して「筥迫を教えたい」ということ。
袋物細工全般の基準を設けることは難しくても、とりあえず筥迫だけを教えることにターゲットを絞れば考え方はシンプルになります。
筥迫の技法を基準にして貼り込みの基本的なノウハウを詰め込めば、将来的にはそこに袋物細工の認定を積み重ねていくという方向に考えることもできます。
以前なら、筥迫は一個作ればお腹いっぱい(もう作らなくていい)という人が多かったので、なかなか筥迫だけを作らせていくことは難しかったのですが、現在では工芸科進級テストに加え、講師認定を目指して日々筥迫の作り込みに明け暮れる教室の人が増えてきました。
「筥迫講師認定」は、筥迫工房の教本「縢襠筥迫」と「婚礼用和装小物一式」を使って人に教えることができるという講師認定です。
登録会員(有料)になると、簡易式と古式の資料も使うことができ、教材の割引もあります。
ご興味のある方は、筥迫工房に直接お問い合わせください。
筥迫と相性のいいジャンル
筥迫や貼り込みの袋物細工に近いものとして「仕覆(しふく)」があります。
同じ「嚢物」をルーツに持つので、仕覆の中には糊を使って作るものも多くあります。
そんなことから、当初は仕覆を習っている人が筥迫に興味を持つのではないかと思っていたのですが、仕覆は茶道あっての文化なので、装飾性の高い筥迫は残念なことに興味外のようです。
厚紙に糊で布を貼るという作り方が同じものに「カルトナージュ」があります。
私も昔は筥迫を「和のカルトナージュ」と言っていたこともあるのですが、厚紙に布を貼るといってもやり方が全く違うので、今は和のカルトナージュという言い方はしなくなりました。
そしてカルトナージュの世界の人が筥迫に興味を持つことも少ないようです。
「日本刺繍」と筥迫は非常に相性がいいので、筥迫を作る人たちはいつかは日本刺繍をやってみたいと思う人が多い。
しかし日本刺繍をする人たちで筥迫に興味を示す人はかなり少なく、刺繍に関しては完全に筥迫の片思いという感じです。
最近は筥迫を作る人に刺繍を教える方が早いと思うようになりました(笑)。
筥迫を習いに来る人は基本的に「着物好き」が多いのですが、筥迫を実用にすることを目的にする人はすぐに夢破れるようです。
懐中物はある程度襟元が崩れることが前提ですが、襟元は絶対に崩したくない!という完璧な着付けを理想とする方には受け入れられないようです。
着物も好きだけど、物を作ることはもっと好きです!という人が最も相性がいいようです。
上記のように、私からみて筥迫が好きそうと思うジャンルの人たちからはことごとく興味を持たれませんでしたが、ここ最近びっくりするほど興味を持たれるジャンルの人々が現れました。
それは「つまみ細工」をする人たちです。
この人たちは高確率で筥迫に興味を持ってくださいます。
私としては非常に意外だったのですが、先に出したジャンルの人たちは、似てるようでいてベクトルが違う。
対してつまみ細工というジャンルは、筥迫と似ていないようでいてベクトルが同じだということです。
具体的には「綺麗なだけの飾り物」そして「未婚女性のハレの日にしか役に立たない」という意味で「同じ穴のむじな」仲間です(笑)。
筥迫の教室に通っている人たちも7割方つまみ細工と同時並行して習っているようです。
筥迫の未来は、以外にもつまみ細工と密接に関係して生きていくことになるのかも知れません。
筥迫の商用利用
筥迫工房の型紙で作った筥迫を身近な人に「売りたい」という声もあります。
これまでは上記の理由で不可としていましたが、今の世の中で完全に販売禁止にするは正直なところ難しいとも思っています。
ということで、ネット上の販売を除き「対面販売なら可」という認定を出すことにしました。
私が認定で望むところは、筥迫工房の型紙を使う以上は「下手なものを売らないでね」ということです。
レベルに分かれて、筥迫C認定と筥迫B認定というものがあります。
B認定は完全なプロ認定です。
こちらは本式の筥迫に見えますが、実は簡易式です。
見た目には全くわからないのに、前面層がないので頼りないほどの薄さ。
実はこの筥迫は、講師認定のために作った物なのでした。
教室であれば、ある程度の準備をしておいてあげれば初心者でも1日で作れるので、単発の講座にいいのではないかと思った次第です。
(飾り房はオプションにて購入可)
内定といえばコカ・コーラ!
今回はお堅い話になってしまったので、冒頭の4月からの入社にかけて、入社といえばその前に面接があり、面接といえば私がいつも思い出す話をご紹介したいと思います。
それは、大好きなコカ・コーラで内定を確定させたというスカッと夢のあるお話です(笑)。
元は10年以上前に2ちゃんねるに投稿されたもののようですが、あらゆるまとめブログに掲載されているのでご存じの方も多いかもしれません。
心底好きなものがあると延々と語れるものですが、単なるオタクとの違いは、コーラに絡めた機転の良さと、好きなものがあれば辛いことがあっても乗り切れそうなポジティブさが採用のポイントだったのでしょうね。
見やすそうなまとめブログのリンクを貼っておきます。ご興味のある方はどうぞ。
私の知り合いで大手企業で面接を担当している人がいるのですが、「今時の学生の自己PRってスタバでバイトしてたってやつ多い。もうスタバ飽きた」と申しておりました(笑)。
10年前はスタバ(スターバックス)はなかったかもしれませんが、スタバの中にこんなコーラの話題が入ってきたらそりゃ目立つわ(笑)。
今後面接がある方、スタババイトのPRはやめとき。
コーラとくれば以前もブログに載せたことがありますが、このCM大好きなので再度掲載(佐藤竹善バージョン)。
まとめブログとこの動画を見れば、今日はすっきり眠れること間違いなし!
ちなみに、コーラ面接の話もコーラのCMも好きですが、私はコーラは不味くて飲めません(笑)。
しかし、今時の韓流スターとは違うカッコ良さがありますね。
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ユーザー名は「@296hagire」です。よろしくお願いいたします。
(後日「ハコセコハギレ」に改名予定←二週間は変更できないようなので、、、)
よく「筥迫を作ってみたいけれど、本当に作れるのか不安です」という声を聞きます。
筥迫はね、教本見れば作れると思うのですよ。
それより難しいのは「布を探せるかどうか」と私自身は考えています。
以前、講習会をしていた頃は「布は自分で用意する」ことになっていました。
当時参加されていた方々の傾向として、和布が好きで、ご自分ではぎれをたくさん持っているというのが共通点で、ストックしているお気に入りの布で筥迫を作ってみたい!という方がほとんどだったからです。
しかし、最近教室に体験講座を受けに来るような人たちは、ことごとく「布はおまかせで」と言われます。
さらには、オンラインや外部で時々行われている体験講座などをやるようになってからは、こちらで布を用意しなければなりません(それも同じ布を用意しなければならない)。
当初はカット販売されている縮緬を用意するつもりでいたのですが、考えてみればここは日本、ネットで古着の着物が格安で購入することができます(未着用の着物も山ほどあるという夢のような国)。
そして好きなだけ好みの柄を探すことができます。
このようにして私の着物を探す旅が始まりました(あくまではぎれに加工するための着物)。
しかし、ネットの画像を見るだけで袋物に適した着物を探すというのはかなりの慣れが必要です。
買っては失敗を山ほど繰り返し、最近はなんとか小さな画像だけで瞬時に判断できるようになってきました。
おかげで最近では着物を見ると「これは袋物にちょうどよいはぎれになる!」としか見えなくなりました(ほとんどビョーキ)。
着物は解くと一枚の布に戻るのがいいところですが、この工程というのは、水洗いして→糸を取り除く→アイロンかけ、とけっこう面倒な作業なんですね。
しかしこの面倒な作業が好きで、やたらと喜びを感じてしまう私のような人間もいる。
仕事が忙しいときでも、はぎれ用の着物が届くともう解体せずにいられない(笑)。
私は着物を着ることに対しての執着が全くないので、躊躇せず、ものの数分で着物を解体していく作業を見た人にびっくりされたことがあります(笑)。
でも私にとって、着物を解いて布に戻す作業は一種の癒しなんです。
すでにお役を終えた着物が、必要な人たちに喜んで使ってもらえる。
これでどんな素敵な袋物ができるだろうかと妄想の世界に入ってしまいます。
こういうことを書くと、自分もやってみようかしらと思う方もいらっしゃるかとは思いますが、一般の人がやるのはあまりお勧めできません。
なぜなら一枚の着物からできる布は大量だからです。
袋物なんてちょっとしか使わないので、ひたすら大量の布がたまっていくのでその管理も大変です。
私が着物をはぎれにしようと思ったのは、工房で教室をやるようになったからで、とりあえず場所はありますし、買ってくれる人たちもいるからです。
それでもはぎれを管理するのは大変です。
はぎれを売ったところでほとんど手数料にしかならないので、はぎれを売るというのはそれが好きな人でないければ成り立たない。
しかし最近、教室の需要とはぎれの供給が逆転したことで、この在庫をどうにかしなければと考えたのですが、はぎれの販売(&それに伴う管理)はかなり大変な作業で、できるだけ手間を抑えたやり方で持続可能な方法を考えました。
考えたのはInstagramとネットショップをリンクさせることです。
興味のある方にフォローしていただければ、新着のはぎれがすぐにわかるというものです。
画像ごとにタグ付けして、ダイレクトにネットショップのそれぞれのページにリンクさせればいいのですが、いかんせんデジタル苦手人間なので、今はプロフィールからはぎれのページにリンクしてもらい、自分で探してもらうというアナログなやり方に留まっている(そのうちタグ付けします)。
ネットショップはフリーのフォーマットを使っているので、画像の解像度が低く、ページの中の埋め込みも手間がかかるので、そのままInstagramのポストを埋め込むことで効率化しています。
筥迫というのはかなり小さなものなのですが、筥迫が埋もれてしまうような大きな柄の布を持って来られる方も多い。
初めて作る方にはサイズ感がわかりずらいですからね。
そこでInstagramの方には、それぞれのはぎれに筥迫や他の袋物の型を布に当てて、柄のサイズ感がわかるような画像も入れていますので是非ご参照ください。
筥迫を作ろうと思っても、布を探す段階でめげてしまう方も多いとは思うので、とりえずは筥迫工房のはぎれ販売で適当な布を購入できれば、それなりの筥迫には仕上がると思います。
まだまだたくさんあるので、様子を見ながら増やしていくつもりです。
筥迫以外でも、細工物やお人形さんの衣装にいかがでしょうか?
はぎれの名称は、探す時の目安に雰囲気で付けているだけのものです。
実際の紋様を示す名称ではありませんのであしからず。
単発レッスン
はぎれも揃ったことですし、次は袋物のレッスンです。
オンラインがすぐに出来ればいいのですが、その前にはぎれを揃えておこうという心算もありました。
ただ、オンラインはサクサクとはいかないので、その前に「単発レッスン」というものを設けました。
筥迫の教本を買っても、自分一人で作ってわからないところが出てきたらどうしよう、、、と思っている方はいらっしゃいませんか?
または使う布の相談がしたいという方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん教室で体験に来ていただくのが一番楽なことですが、それが難しい方のために、つまづいたときの「ワンポイントレッスン」をズームにてレクチャーすることにいたしました。
30分1,000円で、お申し込みの際にお好きな時間をご指定ください。
筥迫を初めから教えてもらいたいというなら「体験レッスン」で、1日でできる筥迫もあれば3日でできる筥迫もあります。
もう一つは「ワンデーレッスン」で、1日単位で教室に参加することができます。
例えば、教本で筥迫を作ってみたけれど仕上がりがうまくいかない、などで来られる方もいらっしゃいます。
玉縁がうまくできないという場合は、途中まで材料を用意してきてもらって、教室でできないところを習うということでもいいでしょう。
または、以前講習会に参加したもので、もう一度作ってみたいけれど不安なので復習したいときに利用してもいいでしょう。
「金封袱紗」を受講したことのある方であれば、初めての型でも1日でできるものもありますので、お気軽にお問合せください。
※ワンデーレッスンや体験レッスンは、料金に設備費が含まれます。
※ワンデーレッスンや体験レッスンは、教室開催日の空き枠に予約を取ってください。
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本日より販売の『アイロンマット制作キット』のご案内です。
貼り込みで作る袋物制作には、小さなアイロンマットを使います。
カッターマットと交互に使うのですが、カッターマットは敷きっぱなしで、その上にアイロンマットを乗せたり外したりしながら使います。
初心者の場合、夢中になるとカッターマットの上でアイロンを使ってマットを溶かし、アイロンマットの上でカッターを使ってマットを切るというのがお約束です(苦笑)。
そして糊を使う作業なので、アイロンのテフロン面は汚れ、カッターマットも汚れます(これはしょうがない)。
アイロンの場合は、過去ブログ「クロバー『パッチワークアイロン』情報再び!」にお手入れの仕方を書いているのでご参照ください。
ではアイロンマットのお手入れはどうするか。
これは布を張り替えればOKです。
アイロンマットの張り替えの仕方はこちらをご参照ください。
上記では土台に段ボールを使っているのですが、段ボールの場合は長く使っているとへたってしまいますので、布替えのときは一緒に段ボールも取り替えた方がいいでしょう(というか作り直し?)。
アイロンマット制作キット
工房ではひんぱんに教室もあり、アイロンマットを使う頻度も高いことから、土台には「コルクボード」を使っています。
これなら単に布を張り替えるだけで済みます。
コルクボードは自分で買って作ればいいのですが、指定サイズのコルクボードが手に入らないということから(ネットで買えば送料も高いしね)、ショップで販売して欲しいという声がありました。
そんなことから、今回「アイロンマット制作キット」を販売することにしました(22.5×30cm)。
上記の作り方ページでは大きめのサイズに作っていますが、実際にはこのぐらい小さいものの方が使い勝手は良いです。
(布のシワ伸ばしするときぐらいしか大きなサイズは使わない)
コルクボード、フェルト2枚、カバー用布のセットです。
汚れたら布を裏返して使って、それも汚れたらお手持ちの布で張り替えてください。
カバーする布は、講習会をやっていた頃はアルミコーティング加工のものを使っていましたが、これはマット自体に汚れがつくのを防ぐかもしれませんが、それは糊が乾くまで布に留まっているということ。
つまり作っている袋物の方に反対に汚れをつけてしまうということなので、今では綿素材一択で使用しています。
アイロンマットに適した布は、薄い布やストレッチ素材の布はNGで、シーチング以上の厚みのあるものの方が使いやすいと思います。
布は切りっぱなし状態でOK。
ホッチキスを180°に開いて、上から埋め込むように押さえ付けてタッカーのように使います。(外すのもカンタン)
「説明通りに作ったのですが、どうしてもホッチキスが刺さらないです(泣)」と言われたことがありましたが、よく聞いてみると土台に「板」を使っていたようです(苦笑)。
それじゃタッカーじゃないと止められないです。
ここでは事務用のホッチキスを使うので、段ボールかコルクボード程度の柔らかいものしか刺さりません。ご注意くださいね。
この「アイロンマット作成キット」単品であれば、クリックポスト(185円)でお安く発送することができます。
ご入用の方はこちらからどうぞ
マスキング用テープカッター
最近手に入れた文具をご紹介します。
それはマスキングテープ用のテープカッターです。
こちらはニチバンから発売されている「プッシュカット」です。
昔からマスキングテープを切るためのカッターを探し続けています。
筥迫を作り始めた当初は一般的なテープカッターを使っていましたが、切り口がギザギザなことが嫌でコクヨの「カルカット/クリックタイプ」に変更。
でも、これはカットした後にテープに巻きついてしまうので、次々にカットする場合はいちいち剥がさなければならないので面倒。
次に買ったのは同じく「カルカット」の小型のテープカッター。
これはつい最近まで愛用していました。
この時に、通常のテープカッター台もカルカットに変更。
うん、具合よし!
カルカットは使いやすいですよね〜。
そんなことでしばらくはカルカットを使っていたのですが、ある日、教室のH.Sさんが「先生〜最近こんなもの買ったんですよ〜」と見せてくれたのがmidoriの「クイックテープカッター」
なんとこちらは、スライドを引くとテープが「2cm」の長さに自動で出てくるので、それをひねってカットするだけ。
これ欲しい!とばかりにすぐにAmazonへ。
同じような押し出し式のテープカッターは、ニチバンからも「プッシュカット」が出ていたのでこちらを買ってみました。
私がこちらを選んだ理由は、とにかくマスキングテープを小さく切ることができるものが欲しい!という理由から。
クイックテープカッターが「2cm」で出てくるのに対して、プッシュカットは「1.2mm」という幅で出てくるという点。
本当はもっと細いのが欲しいので、テープに半分の切り込みを入れて半分ずつ使うかな〜と思っていました。
そして届いた後に喜んで遊んでいたところ(楽しくて意味もなくカットしてしまう)、スライドを最後まで引かないで止めると小さいサイズでカットできることに気がつき大喜び(笑)。
こちらは下のレバーで引いてテープを送り出し、上のレバーを押してカットします(2アクション)。
クイックテープカッターは1アクションなので、どちらがいいかはお好みです。
どちらも切り口は真っ直ぐきれいです。
小さくカットできると、型紙をトレースした後にホットメルト紙からテープを剥がしやすいということ。(テープを大きく使ってしまうと、ホットメルト紙が大きめに破けるのが嫌)
もちろん何度かスライドを引けば、長くテープを引き出すこともできます。
最後に、Instagramの方ではメイン画像をテープカッターにしたのは、ビジュアル的にアイロンマットよりテープカッターの方がいいだろうとの判断から。
Instagramにアイロンマットは地味すぎる〜(笑)。
(私的にはアイロンマットの方が大事なので、ブログではメインにしてみました)
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]]>私のPCには新旧自他問わない筥迫画像が無尽蔵に保存されているため、フトしたときに忘れていた物を見つけることが多々あります。
かなり前にご依頼いただいた筥迫&懐剣ですが、撮影したまま画像を補正もしない状態で置かれていたので、今回はこちらをご紹介させていただきます。
確か姪御さんの成人式のためにご依頼いただいたと思いますが、将来結婚式でも使えるようにと懐剣も一緒に作られました(成人式に懐剣はつけませんよ)。
講習会に参加されていた方だったのですが、筥迫を作る自信はないとのことで仕立ては筥迫工房へのご依頼でしたが、ちょっとは仕立てに関わりたいとのことで、懐剣だけご自分で仕立てられました。
振袖に筥迫を合わせる際のポイントは、「ボリューム」で合わせるか「色」で合わせるかになります。
「帯地」や「刺繍裂」で仕立てた筥迫は、振袖のボリューム感に対して負けない存在感があるので、それほど色柄を考えなくても筥迫は目立ちます(房の色は着物や小物とコーディネートした方がいいですが)。
対して友禅などの「着物地」で仕立てると、筥迫にボリューム感が出ないので、しっかりと「色」を出していかないと筥迫がアクセントになりません。
ただただ可愛い柄というだけでたくさんの色を出してしまうと、思いのほか効果がなかった、、、ということになりかねません。
着物地で筥迫を仕立てる場合は、ある程度「差し色」に割り切って色柄を考えた方がいいかもしれません。
刺繍筥迫の仕立て
こちらの筥迫は図案からのご依頼で、私は図案と仕立てを担当いたしました(刺繍はつるひめさん)。
筥迫のお仕立てをいただく場合、このようなフルオーダーはごく少数で、通常は刺繍をされている方からのご依頼が主です。
フルオーダーはそれなりのお値段を覚悟しなければなりませんが、刺繍をされている方なら一番手間賃のかかる刺繍はご自分でできるのですから、是非一度は本物の筥迫を作っていただきたいなと思っています。
筥迫のお仕立て依頼の手順としては、
1)筥迫の雛形と描き方の詳細をお渡しするので、それをもとに図案を描いていただく
2)1でできた図案を確認させていただき、刺繍範囲の打ち合わせをする
3)2を元に刺繍を始める
実際に筥迫を使う日が決まっているのであれば、打ち合わせ→確認→刺繍→仕立てとかなり時間がかかりますので、少なくとも半年前には打ち合わせが始まっていないときびしいです。
そして、日本刺繍をされる方は着物の刺繍には慣れているかもしれませんが、筥迫には立体ならではの仕立ての決め事があるので、特に初めての筥迫依頼にはできるだけ打ち合わせの時間を多く取った方が安心です。
例えば、筥迫工房では「胴締め」の天面から前耳までのスペースにフルに刺繍を施すことをお勧めしています。
近代以降の筥迫は、被せの範囲に合わせて胴締めに刺繍を施しているので、胴締めの途中で刺繍が切れています。
筥迫は装着してしまうと左半分しか出ませんから、少しでも見える胴締めの天面にスペースを空けておくのは勿体無い!
作品としても天面から胴締めの下までフルに刺繍が入っていた方が、筥迫の見栄えが良くいっそう華やかになるというものです。
江戸時代の筥迫なんて、底以外の全面刺繍なんですから。
(底にまで刺繍が入っているものも有り、どこを持つんだという感じです)
最近徐々に刺繍の筥迫が現代に蘇ってきてはいますが、まだまだ数は少ないです。
今時日本刺繍の筥迫なんて持っている方は本当に少ないですから(というかほぼいない)、結婚式の際に大絶賛されること請け合いです。
誰も持っていないような本式の筥迫をあなたも作ってみませんか?
本仕立て
こちらの筥迫は「本仕立て」で作っています。
筥迫工房では「縫い玉縁」で仕立てる筥迫を本来の玉縁として「本仕立て」と呼んでいます。
ショップで販売している教本や、教室でも教科の生徒さんたちには「挟み玉縁」で解説していますが、それは挟み玉縁は誰でも失敗なく細い玉縁ができる方法だからです。
ただ厚みが出やすいので、使う布の種類を選ぶということ、大型の筥迫の比率では挟み玉縁は細すぎるというデメリットがあります。
本仕立てにした方が素材や厚みに左右されずすっきりと仕立て上がるので、現在お仕立てのご依頼をいただく際は本仕立てを基本としています。
しかしながら、本仕立ては出来上がり線の1mm手前までを刺繍止まりとしているので、それを超えた縫い込みをされると本仕立てにすることはできません(さすがに刺繍を切ることはできませんから!)。
刺繍をされる方は着物の仕立てに慣れているからか、どんなに説明をしても縫い込みを入れてしまう方が多く、その場合は「挟み玉縁」で仕立てることになります。
挟み玉縁でも前から見れば綺麗な仕立てには出来るのですが、横から見ると裏に回った「布」+「刺繍の縫い込み」+「挟み玉縁」の厚みが加わるので、ぼてっとした仕上がりになるのは否めない。
そんなワケで、刺繍筥迫のご依頼をいただく際は、打ち合わせがとても大事だということをご理解いただけるとありがたいです。
筥迫工房の教室では、本仕立ては「工芸コース」のみで指導しています。
筥迫が完璧に仕立てられるようにならないと教えられないので、工芸コースに進級するための技術テストがあります。
玉縁は細さが命です。
硬いしっかりとした綿を入れて1mm強の細さに玉縁を付けるのは難儀です。
しかしこの本仕立てに憧れて工芸コースを目指す人も多い。
そして、その先に「江戸型筥迫」の仕立てがあります。
オフィーリア!
「筥迫」と「懐剣」は着物の胸元に装着した状態で写真を撮るのが一番いいのですが、私のように仕立てるだけの人間は、どうしてもブツ撮りするしかありません。
しかし筥迫と懐剣というのはあまりにも形状が違うので、これを見栄え良く撮影するのは実に難しい。
以前は筥迫をスタンドに立てて撮影していたのですが、同じように懐剣を立てるとバランスが悪く、この時はTOP画像のような感じで撮っていたようです。
展示会のときは、実際に懐中する時のバランスで壁に垂直に掛けるのが一番いいのですが、通常の撮影では都度そのようにセッティングするのが面倒で、ついつい机上で撮影する方法で妥協してしまいます。
そんないくつかある画像の中に、当時はこのような配置で撮ることもありました。
もう本当に笑っちゃうのですが、私はこの配置を見るたびに「オフィーリア!」と叫ばずにはいられません(笑)。
ラファエロ前派の代表的な画家ミレイの「オフィーリア」のあの場面のことです。
恋人のハムレットに父親を殺されたオフィーリアが溺死する場面を描いていますが、なんかね、この懐剣が水の中に横たわるオフィーリアに見えてしまうんですね。
そしてそれを見つめる筥迫(笑)。
実際の絵にはオフィーリア一人で、それを見つめる人はいません。
どちらかといえば白雪姫と王子様を連想するのが正しいのかもしれませんが、私はこのオフィーリアを描いたときのミレイと、モデルとなったシダルの逸話を連想してしまうのです。
そのお話とは、、、
ミレイはリアルな絵を追求する画家だったので、シダルにドレスを着せてバスタブに沈めた状態で絵を描いていたそうです。
お湯が冷めないようにバスタブの下に石油ランプを置いたまでは良かったのですが、夢中になって絵を描いていいるミレイには途中でランプの火が消えたことに気が付きません。
冷え切ったシダルはついに昏睡状態になり、病院に担ぎ込まれます。
肺炎になったシダルを見た父親が激怒し、ミレイを訴えて慰謝料を請求する事態にまで発展してしまいます。
つまり私が連想するのは、バスタブに浸かるシダル(懐剣)と、その姿を見ながら絵を描くミレイ(筥迫)の構図というわけです。
現代の日本であれば追い焚き機能があるので、シダルのお父さんに訴えられることもなかったのになぁ、などとくだらないことを思ってしまうのです(笑)。
閑話休題。
結局のところ、現在ではそのまま机に寝かせた状態で撮影するようになりましたとさ。
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もうお手々まで初々しさを感じさせるお写真ですが、昨年11月より教室に通われているC.Oさんから来月(2023年3月末)に行われる結婚式の前撮り画像をご提供いただいたので、今回はこちらをご紹介させていただきます。
C.Oさんはご自身の結婚式で、(挙式)白無垢→(披露宴)打ち掛け→引き振袖→(二次会)振袖、とオール和装を予定しているほどの着物好き。
更には、白無垢以外の3衣装それぞれに合わせた筥迫&懐剣を作りたい!という熱意を持って教室にやってきました。
体験講座で筥迫を作る方はよくいらっしゃいますが、袋物を習いに来るわけでもなく、結婚式に使う筥迫を作るためだけに教室のフルチケット(&追いチケット)を買う人も珍しい。
そんな筥迫愛に溢れる花嫁さんには、筥迫工房としてもできる限りの協力をさせていただきますとも!
しかし筥迫作りに慣れている方ならいざしらず、全くの初心者が約4ヶ月で筥迫&懐剣を3セット作るのはなかなかの強行スケジュールです。
現在はなんとか2セット目までを仕上げて、3月前半までに残りの1セットを仕上げる予定ですが、結婚式直前とあって、お仕事をしながらの作業にかなり疲労が溜まっているご様子。
なんとか体調にだけは気をつけて、結婚式に向けて心を込めた筥迫が出来上がることを祈るばかりです。
筥迫製作中のC.Oさん。
C.Oさんの筥迫デビュー作は、着物地で作った玉縁入りの筥迫&懐剣です。
実はC.Oさんにはご自身こだわりのテーマカラーがあります(そのために筥迫を手作りしているのかもしれない)。
それはパステル系カラー。
その中でもピンクと薄紫は、彼女にとって特別の色のようです。
とにかくこの色を身につけてさえいれば自分がhappyになれる!というお守りのようなカラーなんでしょうね。
ご自身もお花のようなパステル系女子(萌)。
挙式前の画像掲載に加え、ご主人ともども顔出しOKいただきました。感謝。
ああ、なんて可愛いのかしら♡
和装するために生まれてきたかのよう。
このような姿を見るだけで、自分が日本文化の中で生きていること、それを享受できることの幸せを感じます。
筥迫第一号『御所車』
筥迫工房では色々な形の筥迫をご用意しておりますが、ザ・筥迫ともいえる定番の「縢襠筥迫(かがりまちはこせこ)」だけでも「基本型3種類」「大型2種類」があります。(基本型の三種類は前回のブログでご紹介したものです)
基本型の筥迫(本式)はショップで販売している教本を使って作るものなので、初心者の方はこちらの型紙で作っていただきます。
教室で学んでいる上級者は、もう少し本格的な「大型」で作ります。(基本型より一回り大きめで本格的な仕立て)
大型の筥迫は、黒引き振袖が花嫁衣装の主流だった時代によく使われていた大きさですが、筥迫は大きいほどに存在感があり、見るからにとても立派です。
最近の筥迫は縮小傾向にあり、「差し色」的な使い方に振り切っているようですが、私は大きく存在感のある筥迫の方がいかにも主役の花嫁らしくて素敵だと思っています。
こちらのC.Oさんの筥迫は、そんな大型の筥迫をしているかのような立派な存在感なのですが、実は基本型の型紙を使っています。
これがとても大きく見えるのは、C.Oさんがとても小柄で華奢な方だからです(お顔も小さい)。
記念すべき筥迫第一号は、1月の前撮りに合わせて大急ぎで作ったものです。
柄は「御所車」ですが、実は御所車は筥迫にしにくい柄です。
筥迫仕立ての華といえば「綿入」「柄合わせ」「玉縁」です。
筥迫には中央に「胴締め」があるので、本体の被せの中央の柄が胴締めによって隠れてしまいます。
そのようなことから、この胴締めを本体の柄と同じにすれば(柄合わせ)、柄が分断されず一つの絵に繋がるということです。
この柄合わせは牡丹などの大きめの柄のときに使うととても効果的です。
ご自分で刺繍をされる方なら同じ柄を胴締めに入れるだけですむのですが、着物の柄をそのまま筥迫に生かそうとする場合は、「小紋」のように同じ柄が繰り返し染められていないとこの柄合わせはできません。
振袖や留袖の柄はとても華やかで筥迫に向いていそうに思いますが、残念なことにこの繰り返しがないので柄合わせにはできません。
まぁ柄合わせにしなくても、胴締めで色を多く出すことにより華やかな出来上がりになるので、あえて柄合わせしないこともあります。
しかし御所車の場合は胴締めで柄が分断されてしまうと、左半分の入口部分しか見えないことになり、なんの模様だかよくわからない柄になってしまいます。
その上、お花とかではないので可愛くもない。
しかし今回C.Oさんがご用意されたこちらの布は、筥迫にちょうどよいサイズで繰り返し模様もあったので「柄合わせ」することができました。
これなら誰が見ても御所車に見えるでしょう。
玉縁は通常「白」を使うことが多いのですが、御所車は黒の配色が強いので、お着物の色から差し色を加えることにしました。
筥迫に色が足りない場合は、このように玉縁を差し色使いすると華やかになります。
ただし玉縁に使う布は着物地では厚すぎるので、襦袢地や八掛地を使います(ツマミに使うような羽二重は薄すぎる)。
玉縁用の布が見つからない〜という場合は、筥迫工房のショップで玉縁用の細布を購入して、ご自分で染めるのも一案です。
こちらは全身の引き振袖姿です。
「花嫁」とはよくぞ言ったものだと思います。
人生で満開の花が咲き誇る瞬間ですね。
今回はC.Oさん作の筥迫&懐剣第一弾ですが、第二弾、第三弾はお式が終わって落ち着いた頃にいただけるのではないかと期待しています(もちろんご本人のレポートも)。
どうぞお楽しみに!
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同じ布で作ったので三点とも外観はほぼ同じように見えますが、本式(中央)を基準にして比べると、
・簡易式(左)→天面の簪挿しがない、本式の2/3の厚み
・古式(右)→被せが短い&本体の幅が気持ち長め、胴締めの幅が狭い、二層式で厚みは本式と同じ
ぐらいの違いです。
横から見ると、右の古式には「襠(マチ)」が付いていることがわかります。
中央の本式は「三ツ折り&紙入れの二層式」までは古式と同じですが、すでにマチはなくなっています。
そして左の簡易式に至っては「紙入れのみ」と、次第に簡略化されていることがわかります。
しかし中央の本式も元を正せば簡易式の一種なのです。
大正三年に発行された「嚢物教科書」には、ここで本式といっているマチの付かない型を「簡単箱迫」といっています。
第一節 簡單箱迫(小物一式付)
箱迫は其種類極めて多く、上巻に説明せし紙挿の如きは之の略したるものなり。此處には普通なる襠の付かざるものを説明すべし。
されども裁方仕立方共に複雜にて前の紙入鏡入の比にあらず。
細事に注意して造るべし。
「紙入れのようなものはこれ(筥迫)を簡略化したもの」と書いてありますが、紙入れの歴史の方がずっと長いので、「紙入れを複雑化したものが筥迫」というのが正しい。
筥迫の種類が極めて多いと書いているのも、筥迫前身である「東小町」がヒットしたことにより、それまでに多様な種類があった紙入れを二層式に改良して、そこに胴締めや小物一式を加えて筥迫としたものがたくさん出てきたのではないかと私は考えています。
ここでは2種類の筥迫が解説されていますが、「簡単(簡易)」ではないもう一つの筥迫がどんなものかといえば、それは今回「古式」としたマチ付き(マチ入)の筥迫です。
第七節 襠入箱迫
此箱迫は前に説明せしものに襠を入れたるものにて、従つて其仕上り、立派なり。されども裁方も、仕立方も、前のよりは稍(やや)複雑にして手際を要するものなり。
これが当時の「襠入筥迫」です。
ヤフオクやメルカリでもよく出てくるので、お持ちの方も多いのではないでしょうか。
(鏡の位置は、三ツ折りの被せ下側に付くものも有)
このスタイルのものは、基本的に「綿」は入っていません。
正直野暮ったい仕立てなので本当に職人が作ったんかしらんと思ってしまいますが、女学校の袋物の授業で習った人が内職するなんてこともあったようなので、それが現代で流れているなのかなと思ったりもしています。
「嚢物」というカテゴリーを扱っていると、つい古いものが正しいというバイアスがかかってしまいがちですが、私はこの時代の筥迫よりも、装飾性を極めた本式の仕立てが一番綺麗だと思っています。(大正後半から戦前までは、確実に専門の職人が作っていたと思いますし)
襠物(マチモノ)
筥迫の属性は、懐中物>紙入れです。
「紙入れ」というのは別名「襠(マチ)もの」と言われ、基本はマチが付くものです。
マチは物を入れるための「実用」を意味します。
現代の筥迫の原型は明治時代に派生した「東小町」ですが、これも何某かのマチが付いていたと思われます。
東小町の説明には、
此の紙入の中の拵へは鏡付にて七道具入るゝにも便利なる事言ふ迄もなく
疊みたる其の外側には鼻紙を入るゝ様になり居れり (風俗画報第 明治29年発行)
「七つ道具」が入って便利だというぐらいですから、さすがに「折り襠」ではなく「箱襠」ぐらいはあったかと思いますが、元々は実用品として考案されたものと考えられます。
左の「簡易式」は縢りマチにそのまま被せが付いていますが、右の「古式」は前面層を三ツ折りにはせず、あえて折り襠と持出口のみにしています。
本来の江戸型筥迫も前面層は三ツ折りではなく「箱襠」になった作りが基本なので、実際にこんな形もあったのではないかと思っています。
ちなみに、本式の鏡の付いた三ツ折り部分を「あがき」というのですが、マチがなく袋物の体を成さない形を蔑んでいったのか?などと考えてしまいます(あくまで私見)。
それならばこのマチが付いた古式スタイルを本式にすればいいと思われるかもしれませんが、マチが付いていた頃は筥迫多様化の時代であり、定型はありませんでした。
それでも筥迫であると認識されたのは、「胴締めと緒で繋がれた巾着」と「簪差し」「小物一式」が共通していたからです(だから筥迫には胴締めが必要なのね)。
最終的に「あがき」スタイル(簡単筥迫/ここでは本式)に踏襲され、これが一般化して100年ほど経過し現在に至ったことを考えると、あがき型が「本式」で、今回のマチ付きを「古式」にするのが妥当と考えました。
実用から形式的な装身具へ
マチが実用だとしても、あくまで懐中物なのでそれほど多くのものは入りません。
そもそも当時の人々はそれほど多くのものを持ち運びませんでした。
日本初の鉄道が開通したのが明治5年、それまで旅人は一日十里(約40km)は歩いたそうなので、箱根駅伝のスタート地点から戸塚中継所まで(1区間20kmで二区間分)の約10時間程度を1日で歩いていたと考えられます。
しかし、現代人のように大きな荷物を持っていてはこの長い距離を移動することはできません。
懐中物や提げ物、ちょっとの荷を風呂敷に入れて背負うというように、袋物を体に密着させてできるだけ負荷をかけないようにして荷物を持ち歩いたのでしょう。
日常生活でも徒歩で行ける範囲内で行動していたでしょうし、小さな懐中物に少しの七つ道具を入れるだけで実用と成り得たのだと思います。
日清戦争の頃に、江戸型筥迫からの再来である東小町と、新しい手提げスタイルの信玄袋が流行しますが、その後この二つは明暗が分かれます。
鉄道網の発達により大きな荷物を持って遠くまで移動することができるようになると、それほど体に密着せずとも袋は持ち歩けるようになります。
そして信玄袋型の手提げ巾着は女性にとっての必需品となり、それに比べちょっとの物しか入らない懐中物は一気に需要を減らしていったようです。
その中でなぜ筥迫だけが現代まで生き残り続けられたのか?
それは筥迫の三ツ折り部分から実用性(マチ)を取り除き、装身具としての美しさだけを追求することにより、時代に左右されない花嫁衣装のアイコンとしてその地位を勝ち得たからです。
ちなみに筥迫工房では現代の筥迫のことを「縢襠筥迫(かがりまちはこせこ)とよんでいますが、実は袋物の中で縢りはマチ扱いはされていません。
ただ筥迫の属性は紙入れなのにマチがないのはヘン!と考えて、この縢りをマチに見立て、他の筥迫型と区別するために付けた名称ででした。
古式は昔の筥迫を参考にしつつ、気持ち横長で、被せは短め、胴締めも幅が狭くその耳は半円形です。
(サンプル作りで山ほど試作したものなので、内布の柄向きは無視しています。許して、、、)
これだけ「襠(マチ)」を語って、できたものがこんな単純な折り襠型なのですが、そりゃあ厚みを気にしなくていいなら、いくらだって変わったマチの懐中物を作りたいですよ。
あ〜いつか厚みなんて気にしなくていい、マゾ的に凝りまくった変形マチの男物の紙入れを作ってみたい!(どこにも需要はないけれど)
厚みとの戦い
「古式」は実用を意識しつつ、何をどう入れるかを考えました。
まず、筥迫に付き物だった「鏡」を前面層に嵌め込むことができなかったので、懐紙を減らして「紙入れ」に入れることにしました。
幅の狭い紙入れから「鏡」を取り出すのは難儀なので、引き出しのための「ち」を付けました。
そして昔の七つ道具に倣って、自分にとってあれば便利なもの(ただしカード型に限る)はないかと考えてみました。(さすがに七つは入らないけどね)。
そして私なりの三つ道具は、鏡、カード型の「ルーペ」と「定規」に決定!
物を設計して作る人間は常にどこかを測っているものなので(笑)「定規」は私にとって必需品です。
もう一つの「ルーペ」は、そりゃもう私の年代なら、あれば絶対に便利というものですよ(笑)。
カード型は薄くていいのですが、どれもこれも逆さにして取り出すのはスマートではないので、鏡の背を単純な挟み型にして、そこに挟んで鏡と一緒に取り出すことにしました。
最後に、この古式は天面の「簪挿し」を取り外して使うこともできます。
綿を入れない分、柔らかい雰囲気を出したかったので、胴締めと本体胴の角をなくして全体的に丸みを持たせています。
角がないので下にずらしてもそれなりに収まるので、カジュアルな筥迫として使うこともできるという、古いようでもあり、新しさもある筥迫です。
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これまでの定番筥迫を「本式」とし、三つ並べて、左から「簡易式」「本式」「古式」と名づけました。
縢襠筥迫「本式」
ここで言うところの「本式」は筥迫工房の教本でも使われている型で、筥迫といったらこれ!とも言うべき定番のスタイルです。
江戸時代に用いられていた筥迫はクラッチバックほどの大きさで、当時の「打ち掛け」「お引きずり」に合わせたサイズ感だったので、明治以降の長着スタイルに合わせるにはあまりにもボリュームがありすぎます。
そこで長着にも合うようサイズダウンした現代の筥迫の元となる型が生まれました。
実は明治時代に約30年の時を経て復活した筥迫は、当初「東小町」という名称で販売されていました。
あまりにも本来の筥迫とは違う形状だったので、当時の人もこれを筥迫と呼ぶことを躊躇したんでしょうね。
しかしこの東小町が大ヒットしたおかげで、ここぞとばかりに色々な形状の筥迫が作られるようになりました。
当時の「東小町」がどんなものだったのか今となってはわかりませんが、この東小町という名称が出てくるのは明治29年発行の「風俗画報」のみです。
その後様々に作られた東小町風の懐中物が最終的に「筥迫」という名称に統一されていったことからも、江戸時代の型を含め、どれも「外見的な特徴が同じ」で、他の懐中物と明らかに区別できる特徴を持っていたことが考えられます。
それはやはり「共布で作った胴締め」(中央の帯)の存在以外に考えられません。
今回私が作った2点は筥迫工房のオリジナルですが、このように外観は同じでも、中の仕様を少しずつ変えた筥迫がたくさん作られたということです。
アンティークの筥迫も皆さん気がつかないようですが、中は少しずつ違った形状になっていたりするので、お持ちの方は是非見てみてくださいね。
そして昭和10年ごろには、今回「本式」とした筥迫のスタイルに統一されていったようです。
それでは、ここで「本式」といっている筥迫の中をもう一度確認してみましょう。
1)本体は前面が三ツ折り(鏡、段口付)、背面が紙入れ(千鳥掛け)の二層構造
2)簪挿しは上置き(飾り房付)
3)胴締めと落とし巾着
私があえてこの形を「本式」としたのは、これをフルセットとすると、現代ではこれらの部品を一つづつ差し引いた形で使われるようになってきたこと、そして部品を全て取り外された物が「伝統的な筥迫」となって受け継がれてしまうことを危惧してのことです。
これは現代の筥迫の根幹となるスタイルですし、私もこの形を基本として型紙を作ってきたので、勝手ながら筥迫工房ではこれを「本式」として区別にすることにしました。
「伝統」は時代に合わせて変わっていくものです。(変えずに引き継ぐのは伝承)
ただ、変えていい部分と、安易に変えてはいけない部分があるはずです。
例えば「大衆演劇」と「歌舞伎」の違いで考えるならば、大衆演劇がお客さんが喜ぶことなら何でも有りの世界であるとすれば、歌舞伎は伝統と格式の上に成り立つ芸能であり、初音ミクや鬼滅の刃とコラボしようが、誰が見ても「歌舞伎のスタイル」として認識できる要素の中で作られていることが重要です。
つまり筥迫が筥迫と認識できる最大の特徴は「胴締め」の存在ということです。
そして外見さえ筥迫であれば、中はどんな仕様に変えてもいい。
江戸時代の筥迫も二層式で、背面は共通して紙挟みですが(縢りはない)、前面パーツは主に一ツ口で、人によっては七つ道具を納めるための差し込みができる形に作らせましたし(基本オーダーなので)。
花嫁や七五三が筥迫以外のものを懐中してはいけないなんて決まりはないので、紙入れだろうが、ポケットティッシュだろうが、スマホだろうが、お財布だろうが好きなものを懐中すればいい。
ただし、着物に懐中すればそれら全てが「筥迫」になると考えるのは大間違い。
大衆演劇の役者が「私は歌舞伎役者です」と言うようなものです。
でも、お財布に同素材で作った胴締めを付けて懐中して「これは筥迫です!」と言われたら、それは筥迫じゃないとは言い切れないかもしれません。
だってお財布は立派な紙入れなので、それは現代版筥迫と言うしかない(苦)。
(スマホは袋の定義に当てはまらないので、胴締め巻いても筥迫にはならんよ)
縢襠筥迫「簡易式」
先の型が「本式」(左)で、右が今回新たに制作した「簡易式」です。
「本式」と並べてみてもほとんど変わりがありません。
筥迫を作ったことのある人なら、上の「簪挿し」がないことに気が付くかもしれませんが。
しかしこれを下から除いて見ると違いがよくわかります。
そう、とっても薄いんです!
画像だとわかりずらいのですが、触って比べるとびっくりするぐらい違いがわかるでしょう。
でも今時の花嫁さんたちは、この薄型から更に胴締めを外したものを懐中しているんですけどね(それは筥迫じゃないけどね!)
被せを開くと中は「紙入れ」パーツのみ!
せめてもの「持出口(表布で作る段口)」を付けてみました。
これを「三ツ折り」パーツに変えれば更に薄くすることはできるのですが、実はあの三ツ折りは「あがき」と呼ばれるもので実は袋物の体を成していない。
それに筥迫の「千鳥掛け」に憧れている人は多いので、やはり紙入れを残す方が筥迫らしくなっていいですね。
背面には「背口」を付けています。
これは「玉縁仕立て」に対応するためです。
サンプルは「折り返し仕立て」ですが、やはり筥迫といったら「玉縁仕立て」です。
本仕立てなら一周玉縁にしてもいいのですが、挟み玉縁では無理があるので、背口で玉縁を切るためにあえて付けました。
天面部の「簪挿し」がないので、胴締めを外せば「紙入れ」として使うこともできるのですが、こんなに薄くしたんだからジャラジャラ(びら簪&飾り房)も全部付けてほしいな〜という願いも込めて、汎用性のある作りにしています。
簪挿しがなくても、被せの折り掛けに幅がないのでそのままびら簪を差し込むことができます(安定感有)。
びら簪が飛び出すのが嫌ならば胴締めに通してもいいのですが、胴締めだけで支えることになるのでちょっと安定感には欠けます。
そこで今回開発した「補助の簪挿し」を中に入れると、安定感のある「横挿し」と「飾り房」も付けることもできます。
これで見た目には「本式」の筥迫と遜色がありません。
薄型を作る意味
この簡易型を作った理由は、兎にも角にも厚みのあるものを懐中したくない!という今時の風潮から。
今時の和装の世界は、襟元を崩さないようスッキリ見せることが美の基準なので、襟元に影響しないような薄く存在感のない筥迫が理想の形。
かたや筥迫至上主義の私にとって、いかにも筥迫が入っていることがわかるボリューム感のある胸元こそが花嫁らしさなので、厚みがあって風格が感じられる筥迫が理想の形。
かつて私が筥迫を作り始めた頃、サンプルに買い求めた市販筥迫のあまりの薄さにびっくりしたことをよく覚えています。
びら簪を差し込む「簪挿し」なんて幅が8mmぐらいしかなくて、なんだこれ?という感じでした。
まだ筥迫の何たるかもわからない頃だったにもかかわらず、この筥迫は「全く美しくない」と感じたんですね。
それ、悪い意味で取っておけばよかったと今更ながら悔やんでいるのですが、あまりにも陳腐でサンプルにならない筥迫だったのですぐに捨ててしまった(苦笑)。
実際にお嫁さんが使う筥迫セットだったんですけどね。
その後アンティークの刺繍筥迫を手に入れて、あまりの美意識の違いに愕然としました。
何より仕立てがうまい。素人が見てもうますぎる。
私が作りたい筥迫はこれ!と心に強く思ったのでした。
その他にも「紙入れ」パーツの中の懐紙が抜き取られているものもけっこう見かけます。
初めは興味本位で抜き取ったのかなと思ったのですが、中古の筥迫で懐紙が抜き取られたものがいくつも売られている事実に、これは意図して懐紙を抜き取っているのだということに気がつきました。
襟元を美しくスリムに整えるためには、筥迫がひしゃげてもお構いなしなんだと悲しい気持ちになりました。
人の美意識ってほんとわからないですね。
襟元が崩れるのが美しくないと感じるか、ひしゃげた筥迫を着装するのが美しくないと感じるか、、、さぁあなたはどちら?!
もちろん懐紙を外してしまえば簪挿しが不安定になるので、「邪魔な簪挿しは外そう!」と考えるのは自然の成り行きかもしれませんが、それは「びら簪」が外されることを意味します。
そんなことから、今は花嫁衣装にびら簪を見ることはほぼなくなりました(花嫁さんの華なのにねぇ)。
ここまできたら胴締めも外ずそうと思ったのかもしれませんが、普段使いの紙入れを使って花嫁としての格を下げるぐらいなら、もう懐中物自体いらなくね?と黒い心が湧いてきます。
でも時代は流れ、東小町が現れたように形を変えた筥迫が必要な時代になってきたということなので、紙入れが筥迫の仮面をかぶってその地位が入れ替わることを目論んでいることを見過ごすことはできないので、ならば私が薄型の筥迫を作ってしまえ!と思った次第です(苦笑)。
薄くてももちろん胴締めは付けますよ、だって筥迫だもの。
その上で美しい筥迫を作ればいい。
更なる薄さを求められるのであれば、被せや胴締めに綿を入れない「平仕立て」にすればより薄〜い筥迫になります。
金襴で作ってもかなり薄い!
これはいつかオンラインでやりたいと思っているのですが、相変わらず遅々として進まないので、とりあえず東京の教室に来ていただけるのであれば「体験講座」として一日(!)で作れるようにします。
全くの初心者であれば、布はこちらでおまかせのもの(別料金)で事前作業もこちらで行いますが、かつて講習会で筥迫を作ったことがある人であれば、事前作業ができるように材料一色を事前に送りますので、自分のお好きな布で事前作業してから参加すると、当日はさくっと作ることができると思います。
次回は「縢襠筥迫(基本型)古式」をご紹介いたします。
こちらもなかなかオススメです。
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以前にも度々出ていた「目打ち」のお話です。
色物の飾り房や華やかな花嫁の話題から、一気に地味な道具の話題になります(苦笑)。
でもねぇ、モノを作る人にとって道具や材料はとても大事なモノなのですよ。
ブログで一つの話題に執着するのも筥迫工房の特徴ですが、「でんぷん糊」を検索していて筥迫工房に辿り着き、今では教室に通っているなんて方もいらっしゃいます(でんぷん糊はしつこく書いているから)。
筥迫工房のブログを見てクロバーに「パッチワークアイロン」の問い合わせる人が多いので、内容を変更していほしいとカスタマーから直々に言われる等々。
しかしそれぞれに詳しく知りたい人は少なからずいるので、自分が検証しているような情報は積極的に出していくのも筥迫工房の役割かなと思っています。
クロバーのS目打ち
貼り込みで作る袋物細工を作る上でとても大事な道具の一つとして「目打ち」があります。
綺麗な仕上がりにするためには、きっちりとスジを入れる必要があるのですが、これまで筥迫工房では最もシンプルなCLOVER(クロバー)の「S目打ち」を推奨してきました。
この「S目打ち」がなんと言っても使いやすい、いや一昨年までは「使いやすかった」。
貼り込みでは目打ちを多用するので、ある程度使うと目打ちの先が摩耗して丸くなってしまいます。
そうなるとスジがはっきりと付きにくいという状況になるので、生徒さんたちには「目打ちは消耗品なので、スジが引きにくくなったら新しいモノに買い換えましょう!」と言っていました。
それが去年、生徒のSさんから「新しく買った目打ちの先端がおかしいです(涙)」と言われました。
使ってみると、そろそろ新しい目打ちに買い替えたら?と言いたくなるぐらい先端が摩耗したものが新品として売られていたのです。
もちろんこれは摩耗したものを販売しているわけではなく、目打ちの先端の形状変更してしまったということ!
残念なことに写真に撮るとどちらも先端がピンピンして見えるのですが、実際に指先で触ると新CLOVERの方は「使いすぎた目打ち」といった感じです(筥迫工房的にはもう使えない状態)。
更にプロポーションも先端部分から太めになり、普通体型からぽっちゃり体型になっています。
CLOVERには、あえて先端が尖っていない「なめらか目打ち」というものが販売されているのに、なんでこんなよけいなことしてくれるんだか(怒)。
その後、目打ちの先がピンピンしたものを探し求めてあらゆる目打ちを買いまくったのがTOP画像です。
しかし、どいつもこいつも先が丸い!あ〜全然使えない!いつから日本の目打ちはこんなに先端が丸くなってしまったのか!(いわゆるユニバーサルデザインなのか?)
ちなみに、一般の方からすればどこが違うのかわからない程度かとは思いますが、スジ引き命の貼り込みをする者にとっては、先端が尖っているか否かでスジの入り方が全然違うのですよ。
角利(KAKURI)の目打ち
最終的に購入したのは『角利(かくり)』のくじり目打ち。
実はこちらは洋裁用ではなく工具としての目打ちなんですね。
柔な洋裁用とは違って、行き過ぎなぐらい先がピンピンです。
これだと慣れない初心者は絶対布を切っちゃうな〜と思いつつ、スジはきっちり引くことができます。
私は教室の時は道具類を「腰バック」に入れて持ち歩いているのですが、入れるのもちょっと怖い感じです。
しかし気がつくと、最近はこの角利の目打ちばかり使っていました(すでにしっかり馴染んでいました)。
一番下がクロバーの旧S目打ち、真ん中が新S目打ち、上が角利のくじり目打ち
旧S目打ちは使いすぎてロゴが薄くなったわけではなく、リニューアル版を黒いロゴにして区別しているようです。
角利のくじりはいかにも頑丈そうという見た目ですが、Amazonのレビューには「強度不足」などと書かれたいたりします。
でもね、あなたたち(工具使い)とは使い方が違いますから(笑)。
貼り込みのスジ引きにそこまでの耐久性はいりません。
前出のSさんも、買ったばかりの目打ちなのにこれじゃ納得いかない!と思ったようでネットで調べたところ、同じような記事を書いているブログ(同志よ)を見つけてくれました。
COUTURE MAISON YURI*TOI-ユリトワ
クロバーの目打ちが丸くなった★メーカーに問い合わせしてみた★目打ち徹底比較
目打ちの種類
以前も書いたかと思いますが、もう一度おさらいで「目打ちの種類」について書いておきます。
ちなみに今回CLOVERのS目打ちをディスってしまいましたが(苦)、あくまで「貼り込みに使えない」レベルであって、CLOVERさんの目打ちは洋裁に使うには大変優秀です。
目打ちの違いは先端の形状の違いです。
貼り込みで使う目打ちは「くじり型」と呼ばれるものですが、先端が細く、持ち手までがなだらかなカーブを描きながら太くなっています。
ただし「くじり」という用語は洋裁ではほとんど出てこないようで、どちらかといえば今回の角利さんのように工具として使われています。
目打ちを斜めにしても先端まで力が加わりやすい形状なので、貼り込みのスジ引きには適しています。
CLOVER <S目打>
一番スタンダードな目打ちです。
今回話題の先が(ほんのちょっと)丸くなってしまった目打ちです。
初めて貼り込みをする方にはいいかもしれません。
角利 <ステンクジリ 小>
現在私が使っている目打ちです。
形状的に先端が鋭角でかなり力が入るので、スジ引きに慣れていない人が鉛筆持ちをすると高確率で布を切ってしまうので、慣れないうちは「S目打ち」の方がいいかもしれません(帯に短し襷に長しですね)。
大と小がありますが、必ず「小」を選んでください。
CLOVER <N目打>
赤の持ち手タイプは、断面が楕円なので転がらないようです。
先端はS目打ちと同じなのかな?(使ったことない)
CLOVER <N なめらか目>
S目打ちより先端が更に丸くなった形状なので、貼り込み用には間違っても買わないでね。
布地の繊維や縫い糸に引っかかりにくく糸割れを起こしにくいようなので、ニット地やデリケートな生地にお勧めのようです。
ここからは洋裁用の「細目打ち」と呼ばれるタイプのもので、根元まで一定の太さの針軸です。
くじり型と同様ミシンの布送りや、先端で細かい作業をするときに使いますが、深く差し込んでも穴が広げたくないものに使います。
工具用には「錐(きり)」や「千枚通し」と呼ばれる形状です。
スジ引きは斜めにして使うので、軸が細く長い錐形状のようなものは先端に力が伝わりにくいので、スジ引きには適しません。
錐形状の目打ちは真上からの力に対してのみ有効です。
CLOVER <N細目打>
細かい作業に便利です。手にしっくりなじみます。
カドを整える、ミシンがけの時に布を送る、糸をほどく…など細かい作業に使います。
パーツの穴あけ、人形の目鼻などのしるし付け(穴あけ)、小さなチェーンの穴を広げるなどに。
角利 <万能千枚通し 小>
角利 <四つ目錐 大>
ここまで来ると完全に大工道具ですね。
ここからは先端が特殊な形状の目打ちになります。
CLOVER <カーブ目打>
布送りや縫い目をほどく時、カーブ出しに使いやすい形状です。
CLOVER <ボールポイント目打>
トラプントやブティ用の目打ち。
糸割れせず布の織目を広げるようにして穴あけができます。
SEIWA <プロツール菱目打 4本 4mm巾>
目打ちで検索すると必ず出てきますが、これはレザークラフト用だから、、、。
穴を開けるという同じ目的ではありますが。
いや〜目打ちってホントたくさんあるのねぇ。
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]]>この巾着は去年作っていた物ですが、まだ形が完成形ではないので、今回はこの巾着はさておき、これに付随している「根付」に焦点を当てて書きたいと思います。
菊割橙または橙根付
数年前にご縁があって知り合ったK氏からこの根付を見せていただいた時に、初めてその存在を知りました。
これが本物の果実から作られていると聞いたときは信じられない思いでしたが、これをK氏自身が作ったと聞いて2度びっくり!
何とも味があって可愛い形に魅せられ、お願いして作り方を教えていただきました。
菊のようなその姿から「菊割橙(きくわりだいだい)」と言ったり、私はそのまま「橙根付(だいだいねつけ)」と言ったりもしています。
K氏は腰提げの「新川」という巾着の根付に使われていますが、私が腰提げ物を作ったところで生徒さんたちは興味を持たないだろうし、何に使おうかと考えあぐねておりましたが、最近マイブームだった「守り巾着」の根付に使おう!と思い立ちました。
守り巾着は小さな子供のための物なので菊割の根付を合わせるのはアンバランスな気はするのですが、今時守り巾着を腰に提げている(実用している)子供なんていないですし、元々ひだ系の巾着は飾り目的なので、ただの飾り物と割り切ろうと思った次第です。
今時は年配の女性が自分用にお雛様も買ったりしますし(私のことか?)、現代物はそんな考え方でいきましょう。
これは「橙」の実にタコ糸を巻いて形成していきます。
半年ぐらいこまめにお世話をしながら形を整えていくのですが、線がずれやすく綺麗に割っていくのはコツがいります。
初めの年はK氏から言われていた大事な工程を忘れて本来の形にならず、2年目はなんとかそれなりの形に成形することができました。
それが今回の根付にしたもので、これで二年物になります。
これが経年で次第に真っ黒になって、実に味のある色に変化していきます。
(K氏の年季の入った菊割橙はブログ一番下をご覧ください)
私は毎回ワクワクしながら作っているのですが、現代でこのようなものを作っている人たちはごく僅かになり、その存在を知っている人も稀です。
袋物細工を未来に繋げていきたいと思っている私にとっては、この菊割橙も何とか残していきたい文化です。
そのようなことから、生徒さんたちにもその存在を知ってもらいたいと思い、今回はK氏にお願いしてまとめて取り寄せていただきました(いつもいつも感謝です)。
思っていたよりも希望者が多く、あっという間にはけてしまいました。
貼り込みで作る袋物細工が好きな人にはベクトルが同じなのかもしれません。
作り方は単純なようでいて均一に割っていくのはなかなか難しいのですが、今回は一本取りに挑戦するため、自分なりにある工夫を凝らしました。
次回は箱で取り寄せて、更に深く研究しようという野望に燃えています。
このように昔あった造形物で自分が心から感動でき、今はその作り方や技術がなくなったような物があると、それを研究し解明することに並々ならぬ情熱を注いでしまいます。
そしてしつこいほど時間をかけてそれを達成出来たときの充実感よ。
ほとんどビョーキ(笑)。
回青橙(かいせいとう)
橙(だいだい)はミカンによく似た柑橘です。
しかし年末の鏡餅の上に乗せる用途以外ほとんど出回らないので、身近な果実とは言い難い。
その理由として、橙の「皮」はかなり分厚いのでミカンのように手で剥くことは難しい(=生食できない)ことから、八百屋には並ばないものだからなのですね。
しかしこの皮の厚さが菊割に向いているので、手に入りやすいミカンではこの菊割はできません(簡単に潰れてしまう)。
果汁はほんのり甘い程度で、酸っぱさと苦味があるのでポン酢にするにはいいようです。
ヨーロッパではサワーオレンジ、ビターオレンジと呼ばれて、マーマレードに用いられています。
「ネロリ」は橙の花から取った精油です。
橙は結実すると「緑色」の実を付け、その実が熟す10月下旬頃になると、その名の通り「だいだい色」の果実になります。
しかし熟した後も落果せず、そのまま年を越して春になると再び「緑色」に戻るという特性があります。
このように2〜3年木についた状態で色の変化を繰り返すことから、「回青橙(かいせいとう)」とも呼ばれています。
この新旧交えた果実が同じ樹に実る様から「同じ家に違う世代が暮らす」=「家が代々続いていく」=「代々」=「橙」になったと言われ、子孫繁栄の象徴とされてきました。
このようなことから、日本では橙を果実としてよりも縁起物の飾りとして好むようになったのです。
橙をお守りにする人々
実はこの菊割橙は、ある人々のお守りとされてきました。
それは「鳶職」(とびしょく)です。
橙は「木」に「登る」と書きます。
その橙は「木」から「落ちない」。
如何にも江戸時代に流行ったであろう「言葉遊戯(ことばあそび)」ですね。
更に縁起物ですしね。
K氏自作の50年物の菊割橙と、燻皮(いぶしがわ)の新川巾着。
私はまだまだこんな綺麗な形に作れない、、、(苦)。
紐は「釈迦結び」と「二重叶結び」を組み合わせるのがお約束なのだとか。
何ともカッコいい!!
日本の文化ってほんと独特で素敵です。
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]]>最近、守り巾着好いているので、今回は『柿型守り巾着』のご紹介です。
こちらは袋物の教科書によく出てくる型ですが、単純かつ簡易な作りなので、わざわざ作らなくてもいいかなと思っていたものですが(誰でも作れるという意味で)、真向き兎の守り巾着のついでに一緒に作っていたものです。
出典:家庭袋物細工全書/大正4年
一般的によく知られた型と思っていたのですが、教室の生徒さんたちからは「初めて見た〜」と言われました。
今時の人には珍しい型なんでしょうか?(自分こそ一体いつの時代の人間なんだ、、、)
昔のサイズで作るとやたらとでかいのですが、現代の人の感覚ではこのぐらい(約9×11cm)がちょうど良いのではないかと思いサイズ調整しています。
縫い合わせ部分が正面にくるので、ここに刺繍で柄合わせしても面白いですね。
縫い紋なんていいんじゃないかしら。
前回の「真向き兎の守り巾着」では「封じ帯」を付け忘れましたが、ヒダ系の巾着の場合は必ずこの封じ帯は付いています。
「封じ帯」は中に入れたお守りを封じるためなのか、紙入れ等に付ける「帯封」のように新品を意味する(新しい着物のしつけ糸のような)ものなのかは不明ですが、アンティークのものは帯を付けたまま古くなっているので、なんとなくこれも意匠の一つに見えてしまいます。
時代が下がって完全に装飾品となってからは、中にお守りを入れたりはしなかったようなので、個人的にはお守りを入れているていで、それを封じる物であってほしいなぁ。
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今回はとてもレアな白無垢のお引きずり姿をトップ画像に使わせていただきます。
教室に通われているEITOMANさんから、お嬢さまの結婚披露宴の際の画像をご提供いただきました(感謝)。
昨年末、改訂版の「婚礼用和装小物の作り方」を発売いたしましたが、表紙解説では近代の婚礼で筥迫が使われ始めたきっかけについて書いています。
筥迫を作り始めた頃から筥迫作りと並行して、なぜ筥迫が婚礼衣装に使われるようになったのかをずっと調べ続けていました。
その間『日本文化と懐中袋物』という講演を2度行い、近代における筥迫と婚礼衣装の関係を、時代背景を含めより深く考察した内容でお話させていただきました。
その3回目として、今月末に(2023.1.28)板橋区の東板橋図書館(最寄駅:板橋区役所前駅)で同じ内容の講演会があります。
こちらは図書館開催なので無料です。
申込開始は1/13からなので、ご興味のある方は直接東板橋図書館にお申し込みください。
和婚の花嫁衣装
最近、婚礼の花嫁衣装について書くことが多くなりました。
実際の結婚式では、身近な知り合いがお姫様に大変身するという夢のような世界感に浸ってしまうので、衣装の細かいところまでは目が行かないものです。
しかし最近はSNSに見知らぬ花嫁の写真が大量に流れてくるおかげで、冷静な目で見ていると、びっくりするような姿が度々目に止まります。
私にとってそのきっかけとなったのは、ある白無垢の花嫁の衝撃の「おからげ姿」でした。
今まで花嫁姿は山ほど見てきたつもりですが、そのほとんどは本に掲載されているような美しいポーズをとった型物写真(いわゆるスタジオで撮るような写真)ばかりだったので、リアルな花嫁姿をまじまじと見ていたわけではなかったように思います。
私自身着物の世界は好きですが、どちらかと言えば「古い日本文化」が好きなのであって、自分自身が着物で着飾ることにはとんと執着がありません。
そんな私が花嫁の着付けにダメ出しをするなんて大変おこがましいこととは思うのですが、どっぷりその世界に浸かっていないからこそ見えることもあると思うので、今回は率直に感じたことを書いてみたいと思います。(ちなみに遥か昔の私の結婚式はウェディングドレス一着のみだったので、お引きずり体験をしたことは一度もありません)
「お引きずり」「褄取り」「おからげ」
和装の花嫁が着用する、白無垢、打ち掛け、引き振袖は、いずれも裾を引きずる独特のスタイルです。
ウェディングドレスでもびっくりするぐらい長いトレーンを引いたものがありますし、古今東西、人生最大の通過儀礼には実用から思いっきりかけ離れた衣装を着てこそハレの日が実感できるのですね。
白無垢も打ち掛けも「お引きずり」が本来のスタイルですが、例えレンタル衣装であっても、土足で歩く人と同じフロアで高価な衣装を引きずるなんてことは考えられないので、ポーズを取ることが決められた場所以外、裾は常にたくしあげた状態でいなければなりません。
そのためのスタイルが、いわゆる「褄取り(つまどり)」や「おからげ(または掻取)」といったものなのですが、打ち掛けを着たのに出来合った写真を見たらお引きずりの写真が一枚もなかった!なんて話がネットにありましたっけ。
もし披露宴会場で裾の処理をしてくれる人(介添人、アテンド、着付師)がいないとすれば、せっかくの打ち掛けであってもからげたままにするしかないのでしょうね。
「褄取り」や「おからげ」姿の別は、こちらのAiderさんのサイトで詳しく解説されているので以下ご参照ください。
ということで、今回の画像のように披露宴会場にお引きずり姿で入場することがどんなに珍しいことかがわかっていただけたかと思いますが、これはEITOMANさんがお嬢さんために仕立てた白無垢だからなのです。
和裁をされている方でもなかなか白無垢まで仕立てられるチャンスはないと思いますが、そこに白無垢の余り裂で筥迫と懐剣まで作ってしまうのですから、お見事としか言いようがありません。
EITOMANさんの当時のブログ内容はこちらからどうぞ。
上記ブログを書いた約3年前はこの画像に目が行かなかったのですが、最近教室で「褄取り」や「おからげ」の話題を頻繁に出すようになったところ、EITOMANさんから「うちの娘は白無垢をお引きずりしたから〜」という話になり、改めて写真を見せていただいたところ、本当に会場でお引きずりで歩いていてびっくりしたという次第です。
どうやら和裁の先生に、自分で仕立てた白無垢なんだからお引きにしてみては?と言われたとか。
それにしてもフキのボリュームの立派なこと!
東京の某有名式場で行われたそうですが、白無垢のお引きずり姿に式場中の介添人が見に来ていたとおっしゃっていました(笑)。
「打ち掛け」と「掻取(かいどり)」は同義で、武家では「打ち掛け」、公家では「掻取」と呼んでいました。
打ち掛けはかなりの重さがあるため、前を合わせて右側で専用のコーリンベルトで止め付けています。
重さがあるのでそうしないと脱げやすいようで。
以前ブログで「大奥のドラマでは打ち掛けを前でちょこんと持って引きずって歩いているのに、なんでこんな巻きつけるような着せ方をするのか」などと書いたような記憶がありますが、よっぽど打ち掛けを着慣れていない限り、そんな持ち方はできないようで、これは私が無知でした。ごめんなさい(汗)。
こちらの綿帽子はEITOMANさんのオリジナルだそうです。
和装の婚礼衣装は重い!
ウェディングドレスの重量が3〜4kgとすると、打ち掛けは5〜10kgだそうで、そこにカツラなんぞが加わると+1kgが頭に乗るそうです。
故エリザベス女王が通常付けられていた「大英帝国王冠」が約1kgらしいので、文金高島田のカツラをつける方はどうぞ女王の気分を味わってください(ちなみに戴冠式に使われる「聖エドワード王冠」は2.23kg!)。
ウェディングドレスはトレーンを腕に掛けてしまえばダンスだって踊れますが、和装の花嫁衣装はそんなに軽やかに動けるものではありません。
昔ながらの「褄取り(つまどり)」スタイルは、いかにもザ・花嫁!という感じでとても美しいと思うのですが、実際には打ち掛けと掛下を片手だけで持ち続けるので、花嫁はこの重量を耐え忍ばなければなりません。
教室のE・Sさんは当時を思い出して「打ち掛けが重かった思い出しかない」そうです(苦笑)。
そんなこともあり、専用の「おからげ紐」というものを使って裾をたくしあげる「おからげ(掻取)」スタイルが最近は主流のようです。
おからげしてしまえば花嫁の手はあの裾の重みから解き放たれ、両手はフリーになります。
しかしそれにより私が目にしてしまったのが衝撃のおからげ姿でした。
コーリンベルトを奥まで見えるほど大きく手を広げ、それによりおはしょりをしているのに帯がないという姿に見えてしまうんですが(着付けの途中?)、更に裾をやたらと短くからげた白無垢ということもあり、私にはそれが花嫁衣装というよりは割烹着にしか見えなかったんですね。
せめて手を前にしてくれていれば、それほど違和感は感じなかったとは思うのですが、、、。
コロナで花嫁は自由になった?
花嫁の頭から重いカツラが取り外され、おからげによって褄取りから解き放たれた花嫁たちが、あらゆるポーズでSNS上を賑わせています。
自由に手を広げ、時にジャンプするわ足はあげるわ。
それによって丸見えになったコーリンベルトが、私にはブラの紐が見えているような気持ちになってしまうのです。
それでも少し前まではちらっと見えてしまうぐらいだったのに、今ではコーリンベルトが見えるのは何も恥ずかしいことではないかのように動きのある美しいポーズを取っている。
相変わらずコロナは続いているものの、最近はやっと結婚式を挙げるカップルが増えてきました。
しかしこのコロナ禍で大規模な結婚式が避けられるようになった反面、スタジオ写真館やフリーのカメラマンたちは大忙しだったようです。
多くの写真館がレンタル衣装をするようになったとも聞きました。
和装の花嫁を撮ることに関してはプロだった式場のカメラマンに変わり、一般人を対象にしていたカメラマンが花嫁写真に移行したことにより、和装の花嫁は洋装のポーズをするようになったのかもしれません。
花嫁たちの楽しそうな様子を見ると、コーリンベルトが見えてしまうのも、中途半端な割烹着姿に見えてしまうのも、あれはボロが見えているというよりは、コロナを打ち破るような自由というエネルギーが見えていると見なすべきなのか。
ジャラジャラとびら簪や飾り房がついた筥迫は大人しくしてこそ胸元に落ち着いていますが、花嫁が動き回っていたら簡単に落っこちゃいますから、筥迫から本来の小物たちが取り外されてしまったのも時代の流れなんでしょう。
筥迫の「巾着」は本来筥迫が落ちないように襟の中深く落とし込むストッパーの役割がありますが、これまで花嫁は七五三のように動き回らないから、巾着は出したければ出していいんじゃないですか?と言っていました。
でも今後は七五三と同じく花嫁にも「絶対巾着は中に入れましょう!」と言わねばならないのかもしれません(愚)。
TikTokでも、すでに打ち掛け姿の花嫁ダンスなどが出ていたりするんでしょうか(見たことないけど)。
成人式
そういえば昨日は成人式でした。
池袋あたりまで出れば、たくさんの振袖姿のお嬢さんたちを見ることはできたかと思いますが、私は地元にしかいなかったので一人の振袖さんに出会っただけでした。
ほぼ金髪の髪を結い上げて、お着物はかなりの古典柄。
きっとママ振りなんだろうなと微笑ましく見ていましたが、一緒に歩いていた彼氏がジーパンにパーカーのラフなジャケットだったので、「正装の彼女をエスコートするならスーツぐらい着てあげなさいよ」とおばさんは思ってしまうのですが、これこそが20歳をやっと過ぎた初々しさなのかと萌えさえ感じてしまうのでした。
そして今成人式が終わったばかりだというのに、成人式のために作ります!という方からの筥迫材料の注文が何人か続きました。
どうやら来年の成人式に向けて、お母様方が今から筥迫作りに奮闘されるようです。
いいねぇ。
是非がんばっていただきたいです。
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]]>新年明けましておめでとうございます。
Instagramに卯年の画像があふれているのを横目に見つつ、自分は新年のご挨拶はパスしようと思っていたのですが、、、。
今日はどうしても気になっていた巾着の調べ物をしたくて工房に立ち寄りました。
そこで日本玩具博物館所蔵「江戸・明治のちりめん細工」の本の中に、明治42年に発行された「裁縫おさいくもの」のページを見つけました。
そこには、私の好きな「真向兎」で作られた守り巾着が。
なんて可愛い♡
今までこのページに目も止まらなかったのに、やはり兎年だからかしらん。
そしてその隣のページにこの実物の写真があったのですが、これじゃない感が半端なかったので、怒りにまかせて衝動的に作ってしまいました(笑)。
これ、ぬいぐるみじゃないですよ(笑)。
正真正銘の巾着、つまり袋物です。
それもよくある口べりを付けた絞り系の巾着ではなく、ヒダたたみ系の巾着です。
ちょっと資料を見に立ち寄るだけだったのに、なんで私は正月から兎の巾着なんか作っているのだろうと思いつつ、なぜか材料が全てあったし、何かの不思議な力に動かされてしまったようです(ウソ)。
去年からこの守り巾着を研究して山ほど作っていることもあり、ぶっつけ本番で作った割にかなりイラストに忠実に出来たように思います。(次に作るときは、もっと顔を小さく耳を長くしよう)
後ろに尻尾をつけようかとも思ったのですが、本来の真向兎紋は桃のようなお尻で尻尾が上に立っているので、紐の後ろの輪を尻尾に見立てようと思います。
今年は他にも守り巾着の可愛いヤツをご紹介できると思いますので、どうぞ楽しみにいていてください。
ところで、私はこの真向兎の読み方を「真向い兎(まむかいうさぎ)」だと思っていたのですが、正しくは「真向き兎(まむきうさぎ)」でした。
スラムダンク
昨年末の最後の仕事を納品後に、どうしても見たかった映画「スラムダンク」に駆け込みました。
色々な人の評価から自分も泣くかなと思ったのですが、どのシーンで泣くのかよくわからず、、、。
ただあのエンディング曲にやられて、年末の家事に明け暮れながら終始頭の中をあの音楽が響いていました。
そして元旦はおせちを食べながら漫画全巻(それも二周)読んでスラムダンク疲れ。(そして真向兎を作る)
しかし、おばさんが読んでもスラムダンクは永遠の名作だと思うわ。
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2022年のクリスマスが近づくにつれ、私はジョナサン・アントワンばかり聴いていました。
(画像が切り取られて表示されてしまう場合は元のYouTubeでご覧ください)
ご存じの方も多いかと思いますが、2012年のブリテンズ・ゴット・タレントで有名になった「ジョナサン&シャーロット」。
現在、ジョナサンはソロとして活躍しています。
17歳当時、不安と緊張で震えながら歌っていた少年が(にもかかわらず圧倒的歌唱力)、準決勝、決勝と勝ち進むにつれ、どんどんと様子が変わっていく姿が印象的でした。
ジョナサンやポール・ポッツ、コートニー・ハドウィンしかり、極めてシャイでいかにも自己表現が苦手そうに見える彼らの、その才能だけで突き動かされている姿を見ていると、この世のものならざる力が働いているような気持ちになってしまいます。
暗い土の中で静かに生きていた昨日とは打って変わり、この日を境に眩しい光の中で多くの人から大喝采を浴びる。
人生とはわからないものですね。
しかし彼らのように宝石のような才能を持っていても、誰にも知られず暗い土の中で一生を終わらせる人々は山ほどいるのでしょう。
世の中の宝石に、いつかどこかで輝けるチャンスが与えられますように。
そして皆さんには、そのような宝石を探し当てて、豊かで幸せなクリスマスを過ごすことができますように。
メリークリスマス。
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]]>『婚礼用和装小物の作り方(改訂3版)』発売いたしました!
今回は「子供用の懐剣」にも対応しております。
前版から2ページ増えて「14ページ(内型紙3枚)」という内容です。
けっこう頑張った内容にしています(笑)。
一応2023年版にしているので、先行販売ということで、新規購入の方は割引価格(10%OFF)です。
以前、こちらの教本を購入履歴のある方は、更にお得な30%OFFです。
どちらも2023年3月以降は定価になりますので、この機会にご購入いただければ幸いです。
ご注文はこちらからどうぞ! ▶︎婚礼用和装小物の作り方(第3版)
PDFデータの販売
実はこの婚礼用和装小物は、以前より部分的に「この内容だけほしい」という方がいらっしゃいました。
確かに筥迫は一冊丸ごと購入しないと作れませんが、婚礼用小物は丸絎けだけほしい、抱え帯だけ作りたい、筥迫に末広房だけ作りたいという場合があります。
そのようなことから、こちらは前版を購入された方で部分的に改訂版欲しいという方のために、PDFデータにて販売させていただきます。
改訂内容は以下の通りです。
そして、この項目毎にデータで購入できます。
懐剣袋の作り方
前版の「縫い」の作り方から、「貼り込み(糊で貼る)の作り方に変更になっています。
筥迫を作った後なら容易に作ることができ、失敗がありません。
「型芯」(中に入れる厚紙)も新しい形になっています。
型紙3枚付き(貼り合わせて、大人用、子供用1枚ずつ)
丸絎けの作り方
これまでの「持ち手芯」を縢る作り方とは違い、ミシンで縫った後に「毛糸」を通す作り方に変更になりました。
毛糸の方が柔らかく結びやすいと思います。
礼装着物以外でも作れるように、太さの対応表もあります。
房紐の取り付け方
撚り房の取り付け方から結びまでを解説しています。
「菊結び(楔形)」は今まで通りですが、取り付け方の最後の紐の始末を少し変更しています。
「鱗結び」は結びをして長さを測ってから、房を取り付けるやり方に変更しているので、確実に長さ調整ができます。
※懐剣用「切り房」の作り方のPDFデータはありません。教本をご購入ください。
末広房の結び方
これまでは入っていなかった末広の飾り結びの作り方を追加しました。
撚り房、切り房に対応しています。
基本的には筥迫の飾り結びを長くしたものですが、正確なサイズ指定をしています。
中央の菊結びを「蝶々結び」にしたものも多いので、この結びも入れています。
蝶々結びは子供の筥迫にも多く使われます。
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]]>改訂版『婚礼用和装小物の作り方』をやっと印刷に出したものの、教本内で解説している懐剣用の「切り房」について書いているので、しかたなくネットショップでひっ散らかっていた飾り房の「色材料」を整理しました。
ずっと逃げ回っていたけれど、今やらないとどうにもならない(ネットショップが迷路すぎる、、、)。
筥迫作りというのは、筥迫本体を作ったからといって終わる訳ではなく、もう一つの山場として「飾り房」「落とし巾着」というものがあります。
筥迫にはこの「飾り房」が切っても切り離せません。(最近の婚礼用筥迫にはこの飾り房が消滅する理由がわからなくもない)
どんなに面倒でも、筥迫にはこのじゃらじゃらとしたうざったいまでのびら簪や飾り房が必要なのよ!
初めの頃は「撚り房」なんて用意できなかったので、なんとか自分で揃えられる「切り房」オンリーでやっていました。
切り房のメリットは、自分で好きな色、サイズ、長さで作ることができることです。
ただし、正直なところ作るのはそれなりに面倒です。
最近はもっぱら出来合いの房を取り付けるだけでできる「撚り房」をお勧めしているのですが、やはり色物の飾り房が作りたい人はいるので「切り房」は残さなければなりません。
そのため切り房の「色数」はかなり揃えているつもりです。
(女性というのは色数が揃っていることに萌える生き物なのよ)
しかしこの色材料は、筥迫用打ち紐、筥迫用切り房、筥迫用縢り糸、緒締め玉、懐剣用打ち紐、懐剣用切り房と、これらの全てで色を揃えなければなりません。
色をたくさん揃える難しさは全てが同じ条件でないということで、それらの組み合わせをどう説明するか、これがなんと言っても難しい。
そしてネットショップ上の管理と、実商品の管理がものすごく大変だということ。
色も出る色、出ない色があるので、これまで廃盤にしたり、新たに入荷したりを繰り返してきたので、ネットショップがすごくわかりずらくなっていたのですが、どうすることもできずに放置せざるを得ませんでした。
しかし今回意を決して、バイトのSさんにも手伝ってもらってなんとかまとめました。
(これ一人で絶対にできない作業、、、泣)
「房糸」はこれまで色が揃わないものは「手縫糸」で代用したりもしていましたが、今回からは1色(珊瑚)のみ残して他は廃盤にし、珊瑚は私が染めることにして、手縫糸は全て扱わないことにしました。
(仕入れや管理の手間よりも、自分で染める方が気分的にラク)
ネットショップ トップページ
筥迫工房のネットショップを始めてからすでに10年以上は経っていますが(書いていてびっくり)、デザインテンプレートを変えていない。
世はスマホ時代なのに、相変わらず始めた当初のPC向けフォーマットを使い続けているので、ほんと見にくいデザインで皆様には申し訳ない限りです。
毎年、今年こそはスマホ対応デザインに変えよう!と決意するのですが、実際にやろうとするとあまりにも気の遠くなるような作業になるので、ついつい先延ばしして今に至っています。
おかげで、自分でさえ何がどこにあるのかすぐには探せないという情けない状況。
ということで、新しいショップデザイン変更がいつにかるかわからないので、とりあえず力技でトップページに全て集約することにしました。
トップページを開くと、いつものこの画面が出ると思います。
これをそのまま下にスクロールした先に「全商品 リンク一覧」を作ることにしました。
このテキスト部分が各商品ページにリンクしています。
視覚的にわかるので、すぐに欲しいものが探せるのではないかと思います。
さらには、こちらの「色材料対応表」も作りました。
こちらの表にリンクしております。
ここはそれぞれの「色太字」で材料ページにリンクしています。
とりあえず、これでどうにか少しはわかりやすくなったのではないかと、息切れしながら今このブログを書いています。
は〜。
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改訂版の『婚礼用和装小物の作り方』はもう少しで印刷に出せると思うので、12月中には販売できると思います。
改訂内容は次回にお知らせいたしますが、今回は最後のページに入れた上画像「筥迫装着時のご注意」についてご説明いたします。
これを語る前に、「筥迫とは」を今一度語らなければなりません。
いつもしつこくてごめんね〜、大事なことなので繰り返し何度でも言うよ〜(笑)。
筥迫とは
筥迫の原型は江戸時代に遡りますが、近代とは時代背景や生活様式があまりにも違いすぎるため、この時代の筥迫を現代の着付けに用いることは不可能です。
そこで筥迫工房では、近代(明治以降)に筥迫が花嫁衣装の装身具として使われ始めた、最も華やかなりし時代の型を忠実に再現し、これを「正式な筥迫」と定義付けています。
ちなみに、この型が花嫁の装身具として定着してから約100年ほど経っているので、ギリギリ筥迫は「伝統的な婚礼衣装の小道具」と言っていいかなとは思いますが、懐中すれば全て筥迫になるわけではないですし、ここで改めて筥迫としての定義は書いておく必要はあるかなと思います。
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<筥迫の主要形態> 三つの部品が合体した装身具
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1)本体
前部、後部に別れた二層式。
前部:「あがき」と呼ばれる三ツ折り層。中央に「鏡」、手前に「段口(ポケット)」が付いたものが一般的。(古いものには折り襠付きも有)
後部:懐紙を納めるための「紙入れ」層。
側面は縢り糸を使った「千鳥掛け」が施されている。
2)簪挿し(びら簪、飾り房)
「びら簪」を納めるための部品(形状としては楊枝入れと同じ)。
左上に「飾り房」を付けるための「ち」が付く。
「飾り房」は、三連の結び(総角+菊+総角)の下に房を付ける形が定番。
3)胴締め(落とし巾着)
「本体」と「簪挿し」をまとめるための部品(止め帯)。
刺繍が施されたものが最上級で、本体と胴締めを「柄合わせ」にするのがお約束。
胴締めに繋がれた「落とし巾着」は、筥迫の落下を防ぐために、襟下に深く落とし込んで使うためのストッパー。
胴締めと巾着をつなぐ緒は2つの「緒締め玉」で締める。
—-----------------------------------
このように、筥迫というのは3つの部品からなるものを「胴締め」でまとめ上げ、全てが一体感を持つような意匠に作り上げています。
懐中に挟むものは、筥迫、鏡入れ、紙入れなどがあり、これらを総称して「懐中物」と呼ぶのです。
分類としては、筥迫も鏡入れもまとめて「紙入れ」なのですが、わかりやすく生物学的な分類に例えると、袋物目>懐中科>紙入れ属>筥迫種、という感じでしょうか(笑)。
江戸時代中期頃に袋物全盛時代を迎えて、紙入れから鏡入れや筥迫が派生したのですが、「紙入れ」は実用に重きが置かれているので外観の装飾は前金具程度。
「筥迫」は紙入れ同様の用途ですが、装飾により重きが置かれているので、紙入れの「上位互換」と言ったところです。
江戸時代の筥迫は、後部の紙入れ層に縢りを付けていないものが一般的で、単純に懐紙を挟む形状でした。
実用的に考えれば、縢りなどせず紙を挟んだ方が使いやすいですからね。
ただし、懐紙を挟むだけなので、筥迫本体だけでは中身がバラバラに落ちてしまいます。
そこで「胴締め」といった留め具が必要になるのです。
この胴締めを本体と刺繍で「柄合わせ」し、装飾の一部にするという実に手の込んだ独特な意匠に仕上がったというわけです。
紙入れは実用なので、基本は襟元から落ちないようにするため「全懐中」です。
それを他者に見せる目的で「半懐中」にしたのが筥迫です。
当時の筥迫の厚みは4〜5cmほどもあったので、それを半分しか懐中しないのですから当然落ちやすいわけです。
そのため、筥迫が落ちないように胴締めに「落とし巾着」を付けて、襟元深くに沈めてストッパーとしたのです。
現代人から見れば摩訶不思議な形状をした筥迫も、こうやって考えていくと自然な成り行きでたどり着いた意匠ということがわかります。
筥迫を「半懐中」した目的が「見せびらかし」だとしても、この時代は人に見せるための「おしゃれ」などという生優しい動機ではなく、その人の「格」を知らしめるための道具、つまり自分の優位性を相手に認識させるための「マウント行為」です。
派手であればあるほど相手を威嚇できる、だけど半分しか見えないんですよ、怖い道具ですね〜。
この時代は奢侈禁止令全盛なので、世の中的には人に見せびらかす贅沢など以ての外。
しかし老中でさえも絶対に手出しできない世界が大奥にはあったんですね。
このように筥迫とは、一般人が目にすることも叶わないような殿上人だけに許された装身具なのです。
しかし、明治維新を機に日本は一気に近代化していきます。
四民平等となり、筥迫が生きた「格」の世界もあえなく消滅します。
(実際は着物文化に格は切り離せないものなのですが)
そんな時代に筥迫が息を吹き替えしたのが、婚礼における「花嫁」の存在です。
筥迫は「格」から「ハレ」の象徴として大復活したのです。
筥迫を通して、ハレの日の花嫁をかつての殿上人(武家の女性たち)になぞらえたのです。
この婚礼と花嫁の関係は、今回の改訂版『婚礼用和装小物の作り方』の表紙解説に詳しく書いています。
明治維新で消滅してから30年近くたって復活した筥迫なので、さすがに江戸時代の筥迫は当時の生活様式には合いません。
そこでかつての筥迫の雰囲気を残しつつ、一般階級でも懐中できるような形と大きさに変えたのが現代の筥迫です。
その間、様々な形態の筥迫が市場に現れました。
二層式でないただの紙入れに胴締めをしたものが筥迫として売られていたこともありますが、全てに共通していたのは「胴締めを付けた懐中物が筥迫と呼ばれていた」という事実です。
ちなみに、江戸時代は「びら簪」「飾り房」「鏡」は筥迫とは別の物が組み合わられていて、必ず使うというようなものでもなかったようですが、近代の筥迫ではこれらを全てフルセットの一体化した状態で作るようになりました。
多分、江戸時代の絢爛豪華な装飾には及ばないものの、これらの小物をまとめて付けることにより、とにかく派手!華やか!という当時の筥迫の雰囲気を出したかったのかもしれませんね。
現代にはびこる偽筥迫
さて、ここからが本題です。
困ったことに、現代では着物の懐中に挟むもの=筥迫という、大変アバウトな認識がなされています。
筥迫の象徴である胴締めがなくても、ただのティッシュケースにしか見えないシロモノであっても、襟元に挟めば全て「ハコセコ」!
帯に挟んでても、ぜ〜っんぶ「ハコセコ」
ハコセコ皆姉妹!(ウソです)
以前のブログでも書きましたが、現在婚礼の現場でも「胴締め」を用いないものが筥迫と呼ばれ、圧倒的なシェアを誇っています。
「びら簪」を付けている花嫁さんなんて見つける方が難しい。(すでに過去の遺物か)
問題は、婚礼の場において、あまりにも「胴締めを外す」行為が一般的になりすぎて、着付け師さんたちが「筥迫に胴締めがあったらおかしい!」という本末転倒な認識になりつつあるということ。
花嫁は絶対筥迫を付けなくちゃいけないなんて決まりはないですし、筥迫はあくまで「花嫁らしくなるための小道具」です。
花嫁さんは自分のやりたいように、お財布でもペンケースでも何でも好きなように懐中しちゃっていいんです。
例えびら簪は付けなくても、完全でないとはいえそれが筥迫であることに変わりはありません。
ただ、胴締めを取ってしまったら、それは筥迫ではないんです。
お財布を懐中して「これは筥迫です!」と言う人がいないように、胴締めを付けたくないんだったら、堂々と「これは紙入れです!」と言ってほしいということ。
紙入れ(格下)を使って、これは筥迫(格上)ですなどと言うのは、そんなに堂々と花嫁を騙していいのか?!ということに私は憤慨しているのです。
このように婚礼の場で胴締めを付けない筥迫が一般化するようになると、苦労して作ったフルセットの筥迫を持ち込んでも「びら簪」も「飾り房」も「胴締め」ごとあっさりと外されてしまう可能性が出てくるということです。
でも、いかにもベテランの着付け師さんにさも当たり前のように言われてしまうと、うら若き花嫁は「そういうものなんだ、、(涙)」と引き下がってしまいますよね。
そこは上で書いたように筥迫の成り立ちを思い出して、毅然とした態度でこう言いましょう。
「これは本式の筥迫なので、フルセットにした状態で使ってください」
結婚式の主役である花嫁さんにそう言われて従わない着付け師さんはいないと思います。
どうか自信を持って対応していただきたいです。
着付け師さんに伝えられない場合は、TOP画像のイラストを渡してください。
このイラストはもう少し詳しい内容で、改訂版『婚礼用和装小物の作り方』の最終ページに入れています。
ただ、正直なところ「打ち掛け」にこれらの付属品は邪魔な存在であることは理解できるので、びら簪は上挿しでできるだけ奥にセットしましょう。
その代わり「(引き)振袖」に邪魔するものは何もないので(笑)、びら簪を少し出したり、横差しにしたりして、思いっきり派手にやっちゃってください。
おばさんが「びら簪」を付けちゃいけない決まりはないのですが、あんな派手な飾りは主役級の振袖でなければ似合わない。
一生に一度、この日、この時しか似合わないものがあるんですから!
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最近「丸絎け(まるぐけ)」の沼にどっぷりハマっています。
なぜにこのような事態になったのかと言えば、今年の秋は七五三や婚礼の材料を買い求めるお客様が多く、それに伴って、教本『婚礼用和装小物の作り方』の在庫が一気になくなってしまったことからでした。
再び印刷にかけるとなると何百冊という単位になるので、これが全てはけるには数年かかります。
そうなると、途中であれもこれも直したい!というところが山ほど出てきます。
つまり教本の在庫が切れたときが改訂時!ということで、その中に「丸絎け」の作り方が入っていたということです。
コロナの影響で教本も材料もほとんど出なくなってしまったので、「婚礼用和装小物の作り方」の改訂はまだ少し先の話と思っていたのに、こんな一気になくなるとは思いもよらず、今かなり焦っています。
もし、近々「婚礼用和装小物の作り方」を購入を考えていらっしゃる方がいましたら、できれば改訂版が出るのを少し待っていただけるとありがたいです。
丸絎けと筥迫は相性がいい!
刺繍の筥迫や帯地の筥迫を使う方には、私は「丸絎け」を組み合わせることをお勧めしています。
それらの筥迫は着物地を使ったものよりも存在感があるので、丸ぐけのボリューム感にとても良く合うからです。
相乗効果というやつですね。
もちろん花嫁衣装には丸絎けが一番です。
あのぷくぷくした見た目が何ともいえず可愛い♡
前版の「婚礼用和装小物の作り方」でも、この丸ぐけの作り方は解説されていますが、ここでは芯材に「持ち手芯」を使った作り方で説明しています。
持ち手芯を使った丸絎けは、ひたすら長い芯を「くける」(まつる)手間はありますが、失敗なく確実に作れる方法なので、教本に入れるなら実はこちらの方が安心ではあります。
私がこの教本を作った当初は巷で流行っていた作り方でもありましたし。
丸絎けの本来の作り方は芯に「真綿」を入れて作るようですが、現代では「毛糸」を使うことが多いと思います。
しかし、長い芯を布に通すのはそれなりにコツがいります。
そういう意味では、「持ち手芯」はガラと呼ばれる毛糸を網目状のネットでまとめたものなので、ここに布を巻き付けていけばいいだけということもあり、ある意味簡単です(ただし手縫いの面倒さはある)。
しかし「やはり毛糸を通したい!」という思いにかられたのは、教室の生徒さんがInstagramに普段着物に丸絎けを合わせていたのを見かけたことからでした。
許可をいただいたので、画像を掲載させていただきます。
この細い丸絎けが何とも可愛い♡
丸絎けなのに、結び部分がやたらと小さいのも萌ポイント♡♡♡
わざわざ「持ち手芯」を使わなくても、毛糸であれば本数を増減するだけで好きな太さで作ることができます。
そして毛糸をそのまま通した丸絎けは、何と言っても手触りがいいのです。
しかし、自分は作れたとしても、一般の人が教本だけを見て、細い布を表に返したり、毛糸をむりむり通していく説明で、果たして無事に作りきれるのかしら?
そんなことを考えるとつい気が遠くなって後回しにしてきたツケが、今一気に押し寄せているということですね(自業自得)。
とにかく今回の改訂版では、何としてでも丸絎けの作り方を載せるしかない(今やらないと、また数年悶々として過ごすことになる)。
そんなワケで、ここ最近は寝ても覚めても丸絎けのことばかり考えるという、丸絎けの沼にハマっていたのでした。
最近はYouTubeなどで参考にできるものが多々ありますが、そこに自分なりの工夫を加えた作り方を研究しなければならない。
そしてある程度やり方が決まると、次は太さを決めるためにサンプルを量産するのみ。
遠近感が着いてしまったので、この画像では太さの違いがちょっとわかりずらいですが、5mm単位で布の幅を変えています。
う〜ん、どれもこれも捨て難い。
一番細いものは、おしゃれ着にちょうどいいし、、、。
ということで、丸絎け対応表も載せることにしました。
婚礼用、振袖用、おしゃれ着用(太)、おしゃれ着用(細)、七歳用に対応していますので、毛糸が余ったら、是非普段用着物の丸絎けも作ってみてください。
毛糸は「並太」を使っていますが、並太といっても、メーカーや種類によってそれぞれ微妙に太さが違うので、この表もあくまで目安です。
(でも全国的に一番手に入りやすそうな、DAISOのアクリル毛糸(並太)を使っています)
画像提供をしていただいた#maycatmittanさんのInstagramには、丸ぐけを使ったおしゃれなコーディネートがたくさん紹介されています。(↓こちらはInstagramにリンクしています)
そういえばこんな漫画も紹介してくれていたので、ついでに紹介させていただきます。
丸絎けの他にも「懐剣袋」の内容も改訂します。
そこで、かつて教室に通われていたよしみで、実際に花嫁着付けのお仕事をされている #m_kimono_style さんにご意見をお聞きしたところ、実際にお仕事で使われている懐剣や丸絎けのサンプルも持って工房に駆けつけてくれました。(感謝!)
それを見ながらサイズ比較をしたのですが、私が作った一番太い丸絎けは「ちょっと太すぎるかな?」と思っていたにもかかわらず、#m_kimono_style さんが持ってこられたサンプルはそれよりも少し太い物でした。
恐るべし花嫁衣装のボリューム感!
我々が知っている着物のボリュームで考えてはいけませんね。
「持ち手芯」を使った丸絎けも「全然使えますよ!」ということだったので、教本には毛糸で作る丸絎けの解説を載せて、「持ち手芯」での作り方は、単品の持ち手芯に作り方を同梱することにしました。
久々にお会いした#m_kimono_style さんから、婚礼業界の裏事情や、婚礼あるあるなどの面白話が色々聞けて楽しいひと時でした。(今後少しずつ小ネタにさせていただきます)
見渡せば、周りには専門の方がたくさんいて、これを聞くにはこの人、あれを聞くにはあの人と、人材がたくさんいてありがたい環境です。
完全ではないにしても、やっと負い目なくお祝い事ができるような世の中が戻ってきて、待ちぼうけされていたお嫁さんたちにとっては本当に喜ばしいことです。
ちなみに、日本の結婚式はジューンブライドが多いと思いきや、結婚式が最も多く行われるのは11月なんだそうですよ。
日本の6月は梅雨だしねぇ。
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(「角箱ひだ袋」から11/7に改称)
可愛えぇ、、、♡
(普段は筥迫の本仕立てでしかミシンを使わないので白糸しかなく、サンプルだしということでそのまま作ってしまいました。生徒さんが作られる場合は、糸の色は合わせていただきます)。
三歳持ちなので当たり前ですが、やたらと小さいです。
大きさ比較に手を入れてみましたが、私の手は小さいのでこのサイズ感を十分に表現できない、、、。
底の大きさは「7×10.5cm」なので、普通の女性の手の平にすっぽり収まってしまうサイズ感です。
絶対振り回すと思い紐は短めにしましたが、まるでショートケーキ(爆笑)。
「式部型小物入」も実際に見ると「こんなに小さかったんですか〜」と驚かれますが、この三歳持ちは式部型より小さいという(汗)。
大人持ちと比べると、このぐらい小さいです。
七歳持ちは、この中間ぐらいの大きさです。
十三歳なら、もう大人持ちで大丈夫です(最近の子は大きいからねぇ)。
基本的に帯を締めるのは帯解きの七歳の七五三からなので、三歳は「被布」を着るのが一般的で筥迫は用いません。
しかし、昔は三歳の子でも帯を締めることがありました。
小さい子が大人のような格好をすると、ミニチュアみたいに見えて可愛かったんでしょうね。
地方によって着せるというところもあったかと思います。
現代では三歳の筥迫なんてほぼ売っていないと思いますが、昔の筥迫ではよく出てきます。
お人形の筥迫か??と思ってしまうほど小さいです。
大人から見れば、七歳の筥迫を兼用してもいいんじゃないかと思うかもしれませんが、三歳の子に七歳用の筥迫を付けると、襟元が筥迫で占領されるような感じです。
やはりそれぞれのサイズに合ったものを付けてあげたいということで、巾着も三歳用サイズを作ったという次第です。
三歳持ちの小さな巾着に何が入るのかって、そりゃアメちゃんとかお菓子とかパンパンに入れてあげてください。
きっと喜んで持ってくれると思いますよ(笑)。
紐の飾りは「くくり玉」にしています。(円形の布を絞った玉に非ず)
以前からこの玉に憧れていたのですが、いつも上手く出来なくて、諦めてはまた挑戦するの繰り返しでした。
しかし今回はかなり練習したので、綺麗な玉に収まるようになりました。(太い紐に付けるからコツがいるだけなんだけどね)
そして三歳は巾着を振り回すことを想定して「鈴」ちゃん付けています(デレ)。
でもこの鈴はただの飾りじゃないんですよ。
鈴を引くと口が開き、くくり玉を引くと口が閉じるという至極単純な仕掛けになっています。
小さな子供には楽しいかなと思い、今回採用してみました。
子供用の筥迫びら簪にも、昔のものにはよく「鈴」が付いていました。
飛び跳ねて歩く子供に、鈴がよく似合うと考えたのでしょうか。
筥迫工房ではこの「鈴付き」のびら簪も扱っています。
七歳持ちで、鈴はちょっと子供すぎると思う方は「色違いのくくり玉」にしてもいいですね。
いや七五三なら、筥迫とこちらの巾着をお揃いにしたら恐ろしく可愛いだろうなぁ♡♡♡♡♡。
オンライン動画は相変わらずちんたらやっているので、これを上げるのは相当後になってしまうと思うので、作りたい方は是非教室へ。
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]]>「新作の巾着できた〜」と生徒さんに言ったところ、「ついに手提げ解禁ですか、、、」と言われました(苦笑)。
名付けて「角箱ひだ巾着」。
明治まで日本人は手に袋を持つ文化がなかったという話をよくするのですが、筥迫工房で作っている袋物細工は、そんな時代背景をもつ型を対象としています。
それで、かつては「手に持つ袋物は作らない!」を公言していたのですが、このタイプは昔からある巾着バックなので、このぐらいは解禁とさせていただきます。(昔のように抱えて持ってもいいんだしね!)
巾着というのは、袋物の中で最も古い歴史があります。
日本で一番初めに使われた袋物が「燧袋(ひうちぶくろ)」と言われています。
火打ち石を入れる巾着ですね。
佩物(さげもの)の中に於きまして最も早く世に現はれましたものは燧袋(ひうちぶくろ)でありましやう。
燧袋の行使されましたのは何れの時のことであるか明りませんが、『古事記』の日本武尊東夷征伐の條で、日本武尊が大倭姫命から賜うた袋を太刀の一の根に付けてお提げになられましたと云ふことがあります。
我等の知る所では是れが袋の記録に見えた最も古いものであります。
『日本袋物史』 井戸文人著
この燧袋は「佩物(提げ物)」の原点で、あくまで手に持たず、帯に挟んだり、徳川の時代に至っても、旅行の際には必ず太刀に燧袋を提げるのが因習として残っていたそうです。
それを考えると、小学生がランドセルに巾着を提げた姿を見ると、日本古来の燧袋は、今このように姿を変えているのかと感慨に浸ってしまします(大袈裟、、笑)。
巾着が今のように手提げ状になったのは、明治以降の「信玄袋」からの流れです。
信玄袋というのは、日本で一番初めの手提げ袋なんですね。
昔はこのような籠巾着よくありましたよね。
私はウールの着物や、浴衣を着るときによく持っていました。
ちなみに「箱」には、匚、匣、函、凾、匧、圅、笥、匮、筐、椢、筺、筥、匱、箧、箱、箪、篋、槶、櫃、簞という実に多くの漢字が使われますが、ハコの字に「竹かんむり」が多いのは、古くは竹で作られた器が多く用いられていたからです。
筥迫工房の「筥」の字も、元は竹製の丸い籠を意味しています。
つまり日本人にとっての「箱」は「竹を編む」ことが原点なので、これらの籠も元はハコなんですね。
その後は「指物(さしもの)」で作るハコが主流となって行くので、現代人は直線で角の尖った形状にハコのイメージを重ねると思います。
そんなワケで本当は籠巾着が作りたかったのですが、現代ではこのような籠はなかなか手に入らないのが残念です。
それなら籠を付けずに作ってもいいのですが、籠も付けないただの巾着バッグを「貼り込みで作る袋物細工」の筥迫工房が型紙にする意味がない。
そんなことを思っていたある日、下籠を厚紙で作った巾着を手に入れました。
それをちょっと真似して作ってみたのが、今回の新作「角箱ひだ巾着」です。
下の部分は厚紙を工夫した使い方をしているので、少しは糊も使いますし、これはいいかも!と思ったのがきっかけです。
籠も使わないので、お安く手軽に作ることができます。
この布は私なりに可愛いと思って買った縮緬着物を解いたものですが、そのままで使うとなんだか汚らしい色に思うのか、教室の生徒さんたちには見向きもされないという可哀想な布です。
でもこんな巾着にして、マチに鮮やかな差し色を添えれば途端に可愛くなりますね。
中は底に綿を入れているので、スマホを入れても傷つかない。
縢りは打ち紐を使っていますが、ちょっと手を加えて縢りやすくしています。
この「手提げ紐」は染めています。
筥迫工房のネットショップでは、筥迫用と懐剣用の色紐は揃えていますが、さすがにこれ以上違う太さで色数を揃えるのは難しい。
しかし、最近は教室で染めができるようになったので、白の紐さえあれば生徒さん自身に好みの色に染めてもらえばいいだけです。
紐を染めるのにそれなりに時間がかかるので、教室の1回分では作れませんが、その後、自宅で復習するなら1日で全て作れるのではないでしょうか。
いくら昔の袋物を作ったとしても、昔のままの材料で物を作るのは難しいのが現実です。
そこで、ないものは工夫しながら徹底的に作るのが筥迫工房設立当初からのモットーとなりました。
教室の生徒さんたちは手作り大好きな人たちばかりなので、いつかこの下箱をクラフトバンドで作らせようと画策していたりもします。
もうほとんどは出来ているのですが、ここからレシピにしていくのが大変なので、もう少し時間はかかりそうですが。
こういうものを作りたい方は、ぜひ筥迫工房の教室にどうぞ。
承認や資格取り目的でないかぎり、「貼り込みの基礎(金封袱紗)」だけでも受講していただけると、かなり自由に自分の作りたいものを作っていくことができます。
講習会のように1日1個の作品を完成させられるわけではありませんが、自分のペースで進められるので、知らないうちにけっこうな数を作っていけるようになります。
この「角箱ひだ巾着」は型紙を縮小すると、七歳、三歳用に応用できます。
ただ子供用は少し趣向を変えて、可愛い小細工を加えています。
これは次回にご紹介したいと思います。
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姪っ子の婚礼用筥迫に、以前金襴で作った筥迫をアップしました。
話があったのが二ヶ月前だったので、取り急ぎすぐに着手できる手持ちの金襴で作ったのですが、これがどうしても気に入らない、、、。
そんなとき、以前入手していた帯地の存在を思い出しました。
こちらの方が確実に見栄えがする!と確信し、速攻で作り直しました。
筥迫房と懐剣房は金茶があるのですが、そういえば末広も色を揃えた方がいいなと思い、こちらは既製品がなkったので急遽染めることに。
これは六通の袋帯ですが、六通は上手くすれば「柄合わせ」ができるのがいいところ。
ただ所詮は帯なので、筥迫用の柄付けにはなっていないものを無理矢理柄合わせしたところで、あまり映えない出来上がりになることも多い。
柄合わせは運がよければできるぐらいに考えて、胴締めにしっかりと色柄を出した方が華やかな筥迫に出来上がることの方が多かったりします。
ということで、こちらはあえて柄合わせはしていません。
ただ、長く筥迫を作れば作るほど、どうしてもジャストな配置で柄合わせがしたくなるので、結果日本刺繍に進むというパターンが多いのですが(苦笑)。
このように、金襴や帯地で筥迫を作れば大変立派なものに仕上がるのですが、講習会や教室、または教本で作る筥迫は、必ず「着物地」を使ってくださいと言っています。
筥迫は同じ型であっても、扱う素材によって難度は雲泥の差です。
教室でも、金襴は教科コースの初級、中級までは使わないように言っていますし、厚みのある布で小さなものを作るのにはそれなりの修練が必要です。
上級になって、初めて金襴での「角の処理」を学びます。
帯地で仕立ては出来ても、角は布が重なってくるところなので、「折り返しの額縁」や「突き合わせの額縁」で処理をすると、相当の厚みになってしまい、出来上がりがとてつもなく野暮ったくなります。
例え出来上がっても、胴締めが閉まらなくなります。
このような帯地は折り返しが出来ないので、通常は本仕立てにするため、レベルとしては工芸コースの人が修練を積み重ねて作るようなものです。
布の処理で「どうしても上手くできない(扱えない)」と言う生徒さんがいると、「それは人間の手が布に負けているってことよ」と笑って応えます。
布には布が行きたい方向というものがある。
帯地は貼り付けから「堅糊」で作っていくことになりますが、これも普通に使っていたら付きません。
それらを知らないで真っ向から立ち向かうのは、北風と太陽のようなもので、簡単に撃沈されるということ(苦)。
貼るタイミング、布の力の逃し方を考えて貼っていくことができるようになれば、かなり平和的に布を扱えるようになります。
つまり「糊を制する」「布を操る」ことがわかってくると、貼り込みで物を作ることはより楽しい作業になります。
これまで相当の数の帯(ユーズド)を買ってきましたが、柄の大きさが丁度いいというだけで買ってしまうと、作る段になってほぼ泣く思いをします。
袋帯は全て「帯裏」が付いているので、本当の帯の裏は見えないからです(厚みがわからない)。
袋帯のほとんどは、裏に模様を作るための大量の緯糸が渡っていると考えた方がいい。
これでも裏糸は少ない方です。
これまで帯を買いまくってそれなりに失敗もしてきた。
しかし今では、筥迫用の帯を探す時の大体の目安というものが自分の中に確立してきたので、帯を買って失敗をする頻度も少なくなりました。
これについて詳しくブログに書いてしまうと、教本を買ったばかりの初心者が張り切って帯地を買ってしまう恐れがあるので書きませんが(笑)。
初心者は失敗したくなければ、どうぞ着物地で作ってください。
このような帯地で筥迫を作れるようになりたい方は、どうぞ教室に通ってください。
こちらは初めに私がイメージした房のパターン。
「金茶」とこちらの「赤白グラデ」を作って姪っ子に選んでもらったところ、金茶に決定しました。
房は筥迫との色合わせよりも、衣装との色合わせで考えた方がいいですね。
最近は房を染めることにひたすら執心していましたが、色々な染料を買いまくり、助剤との組み合わせに難儀しながら、やっと少しずつ光が見え出してきたところ。
筥迫は作り出すと、こだわりどころ満載で、沼は深くなる一方です。
ちなみに、着付師さん用に「筥迫はフルセットで装着してください(胴締め、簪差し、びら簪は外さないで!)」と注意書きを入れたのですが、果たしてそのようにしてくれるのかちょっと心配しています。
あえてこんなことを書かなければならない世の中になるとは、、、(嗚呼)。
姪っ子の結婚式は今月末。
どんな素敵な花嫁姿を見せてくれるのかとても楽しみです。
このような帯地の筥迫は、どうぞ職人のお仕立てにお任せください。
着物地でも一度は筥迫を作ってみたい!という方は、どうぞ以下バナーからネットショップへどうぞ。
↓
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]]>▲こちらは画像のみです
このところ、急激な寒暖の差で体調をくずされている方も多いのではないでしょうか?
我が家の娘は、子供の頃から、春から夏、秋から冬に移り変わるころになると、気候の変化についていけず必ず体調を崩します。
私はほとんど風邪もひかない健康体なのですが、やたらと寒がりで、冬の午前中は爬虫類のようにほとんど体が動きません。
そして教室などで「寒い」という話題が出てくると、つい柳田國男の「木綿」の話をしてしまいます。
柳田國男は「木綿以前」と「木綿以後」という言い方で、木綿の存在が日本人の生活や生き方、考え方にどれだけの影響を与えたかを説明しています。
今回は筥迫から離れて、この「木綿」について書きたいと思います。
木綿が我々の生活に与えた影響が、毛糸のスエーターやその一つ前のいわゆるメリンスなどよりも、遥かに偉大なものであったことはよく想像することができる。
現代はもう衣類の変化が無限であって、とくに一つの品目に拘泥する必要もなく、次から次へ好みを移して行くのが普通であるが、単純なる昔の日本人は、木綿を用いぬとすれば麻布より他に、肌につけるものは持ち合わせていなかったのである。「木綿以前のこと」
現代の私たちが最も安価な衣服として用いている「木綿」は、完全に庶民の衣服として定着するのは江戸中期以降です。
それ以前は、実に1000年の長きに渡り、日本人(庶民)は一年中「麻」(もしくはそれ同等の素材)の服を着ていたんですね。
真冬に「綿」でも寒いと思うのに、「麻」の着物を着て極寒を過ごすなんて、現代人には想像もつかないことです。
昔の人が寒暑につけて、天然に対する抵抗力の強かったことは、とうてい今人(こんじん)の想像の及ばぬところであるから、素肌に麻を着て厳冬を過したとしても不思議はない。「木綿以前のこと」
綿の種は室町時代頃から日本には入っていたようですが、栽培は根付かず、江戸以前まで綿製品は輸入物に頼っていたようです。
日本国内において本格的に「綿作」が行われるようになるのは「江戸期も半ばを過ぎて」からのようで、短期間に広がって行きました。
輸入物であっても暖かい綿製品の存在を知っていたのなら、なんで勤勉な日本人がもっと以前に栽培の研究を試みなかったのかと思ってしまいますが、その需要の起爆となったのは、木綿の染色における適性と柳田國男は書いています。
色々の染めが容易なこと、是は今までは絹階級の特典かと思っていたのに、木綿も我々の好み次第に、どんな派手な色模様にでも染まった。「木綿以前のこと」
それって暖かさを求める努力するよりも、色物の着物を着るため(おしゃれ)の努力をする方が、よりモチベーションが高かったってことなの?!
ところで、明治34年には「裸足禁止令」というもの出ているのですが(笑)、それまではよほどの病人でない限り、庶民は真冬でも裸足でした。
薄い木綿の足袋でさえ、足を覆う布があれば感動するぐらいの暖かさを感じたと思いますが、この裸足禁止令も防寒目的ではなく、衛生面(ペストなどの予防)が目的だったそうな。
浮世絵にも、雪の降る中で裸足に草履姿が描かれていますが、せめて上から布を巻くとかいう発想はなかったのかしらんと思っていたところ、つい先日、ウクライナの戦争において、ロシアの兵士たちが、物資不足から2013年に禁止された「足布(ポルチャンキ)」を使い出したというニュースがありました。(以下は2013年の記事です)
彼らはブーツがあっても足布を必要としているのに、昔の日本人は「そんなの無くてもヘーキ!」と言っているようで、ただただ驚くばかりです。
(ちなみに、江戸時代の冬は現代より数度も低かったそうです)
カムイ伝と綿花栽培
江戸中期以降は綿の全国的な需要の増加によって、綿価は米価に比して有利となっていくのですが、この綿作については、私は何といっても白土三平の「カムイ伝」が思い出されます。
忍者漫画だと思っていたのに、壮大な歴史漫画だったという意外性に、楽しんで読んだという記憶よりも、裏教科書を読んでいるような気分で、一揆やこの綿花栽培の話は強烈な印象として心に残っています。
こんな時代を経て、日本人の衣を支えてきた「綿」という存在に、あらためて敬意を感じました。
時代劇でしか江戸の時代を知らない人に、いや日本人には是非読んでいただきたい「カムイ伝」ですが、いかんせん大長編漫画なので、う〜ん図書館などで借りるといいのかも。
ちなみにタイトルの「カムイ」は忍者ですが、この本にはカムイは頻繁には出てきません。
カムイの姉(ナナ=非人)の夫となる正助(最下層の農民である下人から本百姓となる)がほぼ主人公という感じ。
「カムイ外伝」の方は忍者中心の話なのでお間違いなく。
木綿の感化
いずれの民族でも同じかと思うが、木綿着用の歴史には記念しなければならぬことが多い。
しなの山本修之助氏の集めた佐渡の民謡の中に「シナのはだそで脛こくる」という盆踊唄がある。
シナというのは級の木の皮で織った布、もとは通例は肌にも麻を着けたが、土地によっては湯具にまで級布を用いたのである。
肌膚がこれによって丈夫になることも請合いだが、その代わりには感覚は粗々しかったわけである。
ところが木綿のふっくりとした、 少しは湿っぽい暖かみで、身を包むことが普通になったのである。
これがわれわれの健康なりまた気持ちなりに、何の影響をも与えないでいられた道理はないのである。
日本の若い男女が物事に感じやすく、そうしてまた一様に敏活であるのも、あるいは近世になって体験した木綿の感化ではないかと、私たちは考えているのである。「明治大正史(世相編)」
※この本は昭和5年に書かれているので、戦前の若者のことを言っているのですが、現代の若者のことか?と思ってしまいます。
綿は衣食住の「衣」に劇的な変化を与えましたが、高温多湿の日本という国にあってはオールマイティーという訳にはいかなかったようです。
吸湿・放湿性に優れ丈夫な「麻」は、日本の夏には大変適した素材だったので、夏に綿を用いることは
肌と着物との間にいくつもの三角な空き地を作っておいて、たびたび扇の風を送り込まなければ、汗を放散させて清涼を味わうことができなかった。「明治大正史(世相編)」
その転換期においては、麻に比べ手足にまとわりやすく感じる木綿がために、わざわざ糊を多く用いてゴワゴワな肌触りの布にして、洗濯の度に打ち平めて、麻の感触を残したのだとか。
しかしそれも束の間、明治に入ると日本人はすっかり木綿に順応していきます。
紡績の工芸が国内に発達してくるとともに、木綿の着心地は公然として変化した。
もはや洗濯物の糊の強さ柔らかさを、深く詮議する者はいなくなり、衣服はこのとおりいつもやや湿って肌に附くものと相場が決まってしまった。
女性の姿のしおらしさが、遠目にも眼につくようになったのもこのころから、またその細かな内々の心遣いが、掬み取らるることになったのもこのころからであるが、その代わりにはいくぶんか人に見られるのをもっぱらとする傾きを生じ、かつやや無用に物に感じやすくなってきたことも事実である。「明治大正史(世相編)」
柳田國男がいうところの「木綿の感化」は、現代人にとっては当たり前すぎて、もはや共感さえ難しいのですが、多分こんなイメージかな?と思うようなことがあります。
私は真冬でも薄い木綿のパジャマで寝るのが好きなのですが、我が家の娘はマイクロフリースの毛布が大好き過ぎて、真冬でもその感触を肌に感じたい!ということで常に半袖Tシャツを着て寝ています。
こんな「マイクロフリースの感化」を受けた人間は、きっと「ガラスのように物を感じやすい」柔な現代人の成れの果てなのだろうと思ってしまいます(笑)。
麻はケガレを祓う
ちなみに、木綿の出現以前に日本人に長く愛用されてきた「麻」は、神事とも深い関わりがあります。
古来「ケガレを祓う」ものとして、神社でのお祓いに使用する御幣 (ぬさ) や、相撲で横綱が締める綱にも用いられています。
以前、神事用に作られた麻の房に、やたらと感激した覚えがあります。(麻で房を作る!)
そして袋物で言えば、「守り巾着」の内布は、「清浄、潔白」を表す「白」と「ケガレを祓う=麻」で、白麻を使うのがお約束なのだとか。(現代では必ずしもというわけではないようですが)
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これまでInstagramのポストは、「埋め込み」という機能を利用してブログに貼っていました。
これなら、Instagramのアカウントを持っていない人でも見ることはできると思ったのですが、どうもデバイスによって画像が見れないということがわかり(私はスマホでは見れない)、ちょっと手間ですが、ブログには画像化したものを貼って、上のテキスト(Instagramのリンク先はこちら)にリンクを入れることにしました。
ややこしくてごめんなさい。
私の筥迫作りは娘の七五三がきっかけで始まりましたが、当時、生業としていたテクニカルイラスト(取説のイラストや機械の分解図)の仕事で、本来のモノの説明よりも、免責事項でコマを減らされることに鬱憤が溜まり、好きなだけ画像を詰め込んで、誰でも絶対にわかるマニュアルを作ってみたい!という強い衝動に駆られていた時でした。
手芸本は山ほどあれど、これだけ要素の多い筥迫をマニュアル化しようなんて物好きはいないだろうから、これでちょっと腕試ししてみようか?そんなノリでした。
つまり当初の目的は、筥迫制作よりもマニュアル制作の方だったんですね。
それが今、こうやって私のマニュアルで筥迫を作ってくれる人がいて、その方にとって何より大事な婚礼の席でお役に立つことができる。
何とも感慨深いことです。
筥迫を作ってみたい!という方は、どうぞ以下バナーからネットショップへどうぞ。
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]]>かつての純和装花嫁スタイルを、国際色豊かな新郎新婦が身につけたことで、改めてその素晴らしさを感じられたように思います。
まるで、その昔に作られたかのように見える正統派筥迫ですが、これは現代の職人の手で作られています。
(サンプル保存が目的で撮影したものだったので、胴締めの位置を確認せずにズレたまま撮影してしまった、、、💦)
「ザ・筥迫」と言わんばかりの白地の塩瀬に鶴の図案ですが、ご依頼主様から友禅職人(Y氏)へのご指定は「鶴・希望の色味」のみで、後は全てお任せだったそうです。
「鶴」の図案は婚礼筥迫の定番ですが、鶴はつがいで描かれることが多いモチーフです(実際には一羽も複数羽もある)。
「おしどり」図案の筥迫を見つけることはほとんどないのですが(以前、中山先生の筥迫で見かけたぐらい)、鶴が「一生添い遂げる」のに対して、おしどりは一途ではあるものの「季節限定恋愛」のため、なかなか婚礼には使いづらいのかも(苦笑)。
しかし今回の図案は、Y氏の「右側に空間を作りたかった」との趣向で、つがいの鶴は「被せ下」に描かれました。
被せ下の鶴がくわえているのは「若松」で、「子宝」を象徴しているとのこと。
(クリスチャン的には、鳩がオリーブの葉をくわえている姿に重なってしまう、、、)
筥迫図案を作る面白さは、作家が思いのままに場面展開で考えられるところだと思います。
・被せ(胴締め下)
・被せ下
・背
・巾着
・簪差し
・懐剣袋
それぞれに思い思いの図案を考えていくことができます。
しかし、江戸時代の筥迫も、明治・大正時代の筥迫も、被せ下に絵の繋がりはあるものの、このような「場面展開」という考え方はあり見かけません。
実に現代らしい考え方とアイデアであると私は思っています。
絵本のようで、図案を考えるのが楽しい。
それも人に見せるものではなく、あくまで自分一人のもの。なんて贅沢。
裏側には職人の落款が入っています。
Y氏は通常自分の作品に落款は入れないらしいのですが、今回はご依頼人からの希望で入れることになったそうです。
なぜ私がそんなことを知っているかと言いますと、この筥迫を作るのに、直接Y氏と打ち合わせすることができたからです。
一般的に友人や親戚、紹介でもない限り、友禅職人へ直接依頼ができる人は少ないと思います。
出来上がった作品(着物や帯)を購入する、もしくは呉服屋さんの仲介で作ることがほとんどなのではないでしょうか。
私にとっても遠い世界です。
ただ、筥迫というのは、実際に刺繍(もしくは友禅)をする人と、直接お話をして打ち合わせをしないと、図案を生かした筥迫を作ることはできません。
筥迫の「柄合わせ」はとても難しく、絵付けの配置に注意が必要なので、下図からの打ち合わせが必須になるからです。
懐剣には金箔を使った松がキラキラと輝いて、なんとも美しいです。
Y氏も筥迫の図案など初めてだったので、直接会って打ち合わせをしたいと言ってくださったので喜んで応じました。
間に人が入るよりも、直接職人同士で話をした方が早いので、おかげでさまで時間のない中で連携プレーができたと思います。
筥迫というのは小さなものなので、バッグなどと比べて「小さい=安い」と考えられがちですが、表現に重点を置くとかなり小さな図案になってしまうので、刺繍では通常の糸よりもずっと細い糸で緻密な刺繍をします。
ですから、小さな面を埋めるだけでも相当の時間がかかります。
これは友禅も同じことのようで、ここまで細かい彩色にはそれなりに時間がかかるとおっしゃっていました。
(ただし筥迫仕立てをご依頼いただいた場合は、教本サイズよりもやや大きい大型サイズを使います)
このような仕事をしていると、色々な分野の職人さんと繋がるチャンスがあるのですが、やはり東京近郊の職人さんが主です。
そして彼らがよく言うのは、京都などの職人さんは細かく分業体制で仕事をするのに対して、東京の職人はそのようなシステムがないので、一人の職人が一通りの作業が出来なければ成り立たないということ。
例えば今回のY氏も、図案、友禅、金彩までを一人で行われています。
筥迫を作るには大変都合がいい。
これが京都の場合は全てが分業になるので、この筥迫だけでどれだけの時間とお金がかかるのだろうかと思ってしまいます。
筥迫はハレの日に込める思い
筥迫工房の活動は、私がたった一人で筥迫作りの研究をすることから始まったのですが、こんなにも筥迫作りにハマるきっかけとなったのは、アンティークの刺繍筥迫の存在でした。
世にアンティークの筥迫ファンは多いかと思いますが、私がこの古い筥迫に惹かれたきっかけは、ほとんどの人がそうであるように「日本刺繍」の美しさからでした。
しかしその現物を手にした瞬間、何よりも心を打たれたのは、その圧倒的な「仕立て力」でした。
現代でも筥迫は作られ続けていますが、業者が作ったものと昔の専門職人が作ったものとでは、同じ形に作られているにも関わらず、同じものには全く見えないという明らかな仕立ての差があります。
しかし昨今、胴締めやびら簪で何とか体裁を保っていた現代の花嫁筥迫から、更にこれらの付属品を全て省いてしまうという所業を目の当たりにし、「これは筥迫じゃない!」と私が嘆く気持ちをご理解いただけるでしょうか。
ただ、何回もお着替えをする衣装に懐を痛める花嫁さんを見ると、こんな小さな筥迫にお金をかける余裕(価値)がない気持ちもわかります。
だからこそ、もしお式当日の衣装は和装の一着だけ(お色直しをしない)という花嫁様がいらっしゃいましたら、是非、筥迫にハレの日の思いを込めてみてはいかがでしょうか。
お衣装は、レンタルすればその日限りですし、誂えるにしても、お手持ちの振袖を手直しするにしても、気軽に見返すということはできません。
遠い将来、タンスのスペースを取るために処分されることがあるかもしれません。
でも筥迫は小さいので、いつまでも思い出の日を振り返ることができます。(いや、3代の花嫁までは使える!)
筥迫のお仕立て
実は私はこれまで、積極的に仕立ての依頼は受けてきませんでした。
それは一人で多様な仕事を抱えていること、少しながら受けている依頼も特殊な物が多く、どうしても一般の依頼まで手がまわりませんでした。
しかし、この1〜2年でさすがに一人で抱え込むことが不可能になり、それを見かねて協力してくれるスタッフが加わったことで、ここ一年ほどで体制を整えることができるようになりました。
同時に、以前から地道に養成してきた職人も、最近は十分な技能を満たすようになってきました。
このようなことから、今後は一般の方からのお仕立て依頼もお受けできるようになりました。
現在は刺繍などの「素材持ち込み」がメインなのですが、手持ちの着物で筥迫を作ってほしいなどは可能です。
専門のスタッフがアドバイスいたしますので、ご希望の方がいらっしゃいましたら是非お問い合わせいただければと思います。
筥迫工房のネットショップでも、初心者向けの筥迫作りの「教本」が販売されていますので、手に覚えのある方には是非挑戦していただきたい。
一人で作ることに自信のない方は、「教室の体験講座」がありますので、ここでなら確実に筥迫を作り上げることができます。
(体験とは言っても教室に正式入会しないというだけで、最低2日はかかりますが)
筥迫はほとんどの工程を糊だけで作ります。
ここまで精密に糊を使う技法にこだわった袋物教室はないと思いますので、もっと本格的な筥迫や、様々な型の袋物細工を習いたい方は教室があります。現在は「プロ養成」もしております。
ご自分で仕立てはできなくても、趣味で刺繍を習われている方なら、プロの手による完璧な筥迫をオーダーすることもできます。
まだ筥迫の既製品を作るまでは手が回らないのですが、お手持ちの着物で筥迫を作ってほしい、というご要望にはお応えできます。
婚礼において、もはや筥迫は単なる「差し色」としての価値しかないように見受けられます。
この世の流れからすると、婚礼から本格的な筥迫はどんどん姿を決していくことでしょう。
(意外にも七五三の筥迫から胴締めを取り外すことはまだないようで)
だからこそ、「自分で筥迫を作る」「筥迫をオーダーする」など、本来の筥迫の形にこだわる方が一人でも増えてほしい。
そして、いつまでもこの文化が続いていくことを願うばかりです。
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筥迫工房的に『ザ・花嫁』のお手本のようなスタイルです。
こちらは、お嬢様の婚礼のための「筥迫&懐剣」をオーダーいただき制作したものです。
あまりにも美しい作品だったので、SNSへの掲載に許可をいただきました。
純和装の花嫁姿も、正統派筥迫もどちらも素晴らしいので、2回に分けて投稿させていただきます。
オーダーされた当初は、ご本人様に筥迫に対する明確なイメージがなかったので、話し合いを重ね、その中で懇意にしている手描き友禅の職人がいらっしゃるということだったので、最終的に「筥迫用に手描きされた友禅」での制作となりました。
友禅の着物を解いて筥迫を作ることは多々あれど、あの小さい枠内に収めようとすると、柄取りは中途半端なものになりがちで、仕方なく切り付けをしたり、金装飾をしたりと、色々な手を加えます。
ですから、このように筥迫用に絵付けされた(つまり筥迫枠にバッチリ絵が収まる)手描き友禅で筥迫を作ることは、私にとっても初めての経験でした。(筥迫画像は次回を乞うご期待ください)
花嫁衣装は、ご依頼いただいたご本人様(花嫁の母)がその昔着用された振袖で、そこに更に友禅で華やかな色を差し加え、「お引き」に仕立て直しされたそうです。
かなり急ぎのご依頼でしたが、普段から友禅の職人さんと懇意にされている方だったので、スムーズなチームワークでオリジナルの友禅筥迫を作ることが可能だったのだと思います。
髪はかつらを使わずに、地毛で結って「角隠し」にされたそうです。
ここ最近は和婚を希望される花嫁さんが増えているようですが、髪型は洋髪スタイルがほとんどなので、必然的に「綿帽子」が主流となりました。
「角隠し」はベースとなる日本髪あってのスタイルですが、あの時代劇のような「かつら」が、現代ではあまりにもベタに思われるのでしょうか。
最近は「地毛」で「日本髪」というスタイルを見かけるようになりました。
その方が、現代人にとっては違和感なく角隠しが出来るかもしれませんね。(お色直しにドレスを希望されなければ?)
ちなみに、ここまで純和装のフルコーディネートならばと、筥迫工房から「赤の志古貴」と「角隠しピン」をご提案させていただきました。
黒引き振袖なら、「赤の志古貴」をお勧めしないわけにはいかないですし!
打ち掛けの後ろ姿は、帯結びも志古貴の結びも隠れてしまうので、そこに凝っても意味がない。
つまり、打ち掛けの選択肢はシンプルな帯結びと、シンプルな抱え帯のみ。
ド派手な帯結びや、可愛い志古貴で後ろ姿を見せるのは、花嫁振袖だからの優越感ですよ!
ちなみに「赤の志古貴」は筥迫工房のショップには出ていませんが、取り寄せは可能です。
「角隠しピン」は、お仕立てのコーディネーターN.Nさんからのご提案です。
その昔、角隠しには専用のピンが使われていました。(現代ではもっと簡易なもの)
角隠しなら本来のピンを使うべき、なんてことは全然思っていないのですが、私のようにアンティークのびら簪を買い集めていると、その中によく「角隠しピン」が混ざってくるんですよね。
これを西洋の結婚式での縁起物「サムシングフォー」の一つ、「サムシングボロー(借り物)」にちなんでお貸ししたという次第です。
私もいくつか持っているのですが、興味がないのでどこぞに仕舞い込んでいる(苦笑)。
今回お貸ししたのはN.Nさんがお持ちのものでした。(なんで二人してこんなものを持っているんだろう)
ご新郎様はアメリカの方で、ご新婦様は日米ハーフという、美しいお二人の純和装での婚礼姿でした。
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最近、私が「筥迫」について大変憂慮していることがあります。
それは、結婚式に花嫁が使う筥迫から「胴締め」が姿を消し始めたことです。
筥迫をよくご存じない方のために、「胴締め」というのは筥迫の中央にある帯のことです(画像右側のもの)。
筥迫から胴締めが外されるということは、筥迫の意匠において重要な役割を果たす「簪挿し」「びら簪」「飾り房」「巾着」がことごとく消えるということです。
私が筥迫を作り始めた当初は、「巾着」を「表に出すか」「帯にインするか」で問い合わせが多かったのですが、胴締めがないとそれにつながる巾着さえ存在しないので、そんな問い合わせは一切なくなりました(苦笑)。
かつて、花嫁の胸元には「3種類の房」が飾られていました。
(かなり昔のブログ画像からお借りしたので、画像が荒くてすみません)
向かって右側「懐剣房」(房2個)
その隣に「末広」(房2個)
右側が「筥迫」(房1個)
このスタイルでは、合計5個もの房が帯回りを飾っています。
個人的には昭和の花嫁のような「筥迫&末広」のみのスタイルが好きなんですが、今時は「末広房」どころか「筥迫房」までなくなり、「懐剣房」のみが残るという事態に陥ってしまいました。
でも「筥迫のようなもの」は残っている。
つまり、私たちの知っている筥迫はこんな形ですが、
今時の花嫁の筥迫(と言われるもの)は、右半分の付属品が全て取り去られ、左側の本体だけが残った形なんです。
あら〜なんてスッキリ!
だけどこれは筥迫じゃない(汗)。
かつて婚礼業界では、打ち掛けには「びら簪を外す」、引き振袖には「びら簪を付ける(本来の筥迫型にする)」などという謎ルールがあったようですが、それは本来の筥迫から「胴締め」や「びら簪」を差し引くということ。
それが今では、引き振袖にも胴締めのない「紙入れ」タイプが使われているので、そんな謎ルールさえ存在しない。
だって初めから付属品をつけない形にして筥迫として販売すれば、どちらにだって使えるのですから(?!)。
(いや、打ち掛けも引き振りも本来の筥迫使っておくれよ)
そもそも「胴締め」の存在理由は、二層式(前側の三ツ折り+背側の紙入れ)をまとめること、半懐中した胸元から筥迫が落ちないように「巾着」というストッパーを胴締めとつなげたことにあるので、胴締めを必要としない形にしちゃえば、邪魔な付属品諸共おさらばよ!(死語)ってな感じなんでしょう。
襟元にインしてしまえば、ほとんどバレないですしね。
▼そんな今時の花嫁スタイルは、以下検索からどうぞご参照ください。(時々は本来の筥迫も残っているけどね)
筥迫は邪魔もの?
なぜこのようなことになったのか?
それは婚礼業界のご都合主義と思っています。
「胴締め」と「被せ」の柄を合わせた「柄合わせ」は、筥迫の最上級の装飾なのですが、筥迫には被せと胴締めに「綿」も入れるため、中央はかなりの厚みがあります。
花嫁着付けに携わる人たちには、これが襟元の大きな障害になるのでしょう。
かつてはこの胴締めを外されたり、不自然にずらされたり(柄合わせは無視して襟から外に出す)したのですが、今やその胴締めは「存在すらしない」ものになり果てたのです。
もう一つは、打ち掛けをお包みのように体に巻き付けるスタイルにあります。
襟合わせが深くなるので、びら簪や飾り房は打ち掛けの中に隠れてしまいます。
それらを完全に見えるようにすれば、懐剣と筥迫を中央にぎゅ〜っと寄せ集めた不自然な状態になってしまいます。
そもそも打ち掛けは「裾を引く」もので、当時だって歩く時に前をちょっとつまみはしたでしょうが、ここまで体に巻き付けて裾をからげるのは外に出るときぐらいのものです。
室内で撮影するときでさえ、コーリンベルトでがっつり巻き付けるのをやめてくれれば、打ち掛けの前が開けて、筥迫がばっちり見えるんだけどなぁ。
(素敵な柄の打ち掛けを着ているという証拠を写真に残すためには、前を開けるのは業界的にダメなんでしょうね、きっと、、、)
つまり花嫁の美しい着付けにとって、筥迫は「邪魔」でしかない存在なんですね。
は〜、、、(ため息)。
「ハレ」の日と装身具
「筥迫」の成り立ちをもう一度考えてみましょう。
筥迫は江戸中期ごろに、それまで単純な「紙入れ」であったものが、薄い「箱型」(3〜4cm厚)にすることで実用的な物入れになり、そこに付けた「胴締め」と「被せ」を豪華な装飾で柄合わせすることにより、その存在が「格付け」にもつながる装身具として進化したのです。
そして、江戸時代の大奥の様子を記した書物には、「裾をからげるようなときには筥迫は付けない」とあります。
「裾をからげる」とは、裾が邪魔にならないような作業をする場面(ケ)なので、筥迫は裾を引くことが正式な儀式や特別な場面(ハレ)のみに用いる装身具だったということです。
維新以降に筥迫は一時姿を消しますが、明治後期からは花嫁衣装に用いられるようになり、次第に花嫁のアイコンとして定着していきます。
これは武家社会の「格付け」として使われた筥迫が、庶民の「ハレ」(結婚式)に使われる装身具に変化したことを意味します。
その昔、黒引き振袖が花嫁の定番だった時代、当時の女性の身長が150cmぐらいしかないのに、筥迫のサイズは現代よりずっと大きく、びら簪は長く立派な物が多かったのです。
当時の花嫁衣装において筥迫は大変目立つ存在だったので、この時代の花嫁スタイルを経験した年代で、筥迫に並々ならぬ郷愁を感じる人は多い。
それが今時の和装で結婚式をしたほとんどの方が、「筥迫なんて入っていたっけ?」という感じです。
現代の筥迫はそんな目立たない存在になってしまいました。
では気を取り直して(笑)、ここで今一度おさらいしますね。
筥迫の属性は紙入れですが、紙入れ=筥迫ではない。
あくまで「紙入れ」+「胴締め」=「筥迫」なので、胴締めのないものは筥迫とは呼ばないということです。
花嫁着付けに携わる方に知ってほしい
言っておきますが、私は婚礼衣装で「紙入れ」を使うことに反対しているわけではありません。
懐中物を身につけるという意味において、「紙入れ」を使うことは間違いではありませんが、「ハレの装身具(筥迫)」から胴締めやびら簪などの付属品を外して「ケの装身具(紙入れ)」にすることは、「格を下げる」というだけのことなので。
それよりも私が許せないのは、婚礼業界の中で、ただの紙入れを「筥迫」として伝統化されることです。
そして、花嫁の着付けをする人自身がそれを知らないということ。
着付けの先生や先輩から「打ち掛けには胴締めを付けない」(←勝手に伝えられている謎ルール)ことが伝統のように教えられているので、若い着付け師さんたちは真面目にそれを信じている。
(七五三の方が、忠実にびら簪を使っているというのも何だわ)
かつて筥迫工房の教本で筥迫を作った花嫁さんが、お式当日に「打ち掛けには使わないものなので外しますね!」と当たり前のように、胴締め、びら簪諸共外され、「そういうものだとは知らなかったです、、、」と花嫁さん自身の落ち度のように言われた時は、あまりにも可哀想で泣けました。
また、ある花嫁着付けに携わる人のブログでは、時々筥迫に「びら簪」が付いてくることがあるけれど、これって何するものかわからない、と書いてあって愕然としました。
「伝統」というのは、適当なご都合主義で変えられていく、至極あやふやなものであることが多い。
例え自分自身にその認識がなくても、教えられたことが全て正しいと鵜呑みにしていると、自分の知らないうちに本来の姿を変えていく手伝いをしているということにもなりかねない。
「筥迫」は本来このような形だけれども(この形に筥迫としての意味がある)、自分達は様々な理由から「紙入れ」を使っているぐらいに思っていてほしい。
そして、本来の形状をした筥迫を持ち込んでくる花嫁さんがいたら、それは尊重してそのままの形で使ってあげてほしいです。
また、筥迫は可愛いアイテムなので、最近はハンドメイドで作った筥迫を売る人たちも見かけるようになりましたが、ほとんどの人が、より簡易な物に形状変更しています。
時代によって筥迫は変化をしてきたので、それがいけないとは言いませんが、あの独特なフォルムをした筥迫と、簡易に落ちた今時の筥迫は「別物」だという認識は持ってほしいと思っています。
姪の結婚式
今回、なぜにこのようなことをクドクドと書いたかと言いますと、実は10月に私の姪っ子の結婚式があり、先日、兄から突然筥迫を作ってくれないかと持ちかけられたからです。
姪っ子本人からの依頼でないのは、筥迫は親からのプレゼントということにしたいからとのこと。
もちろん姪っ子のものなら喜んで無理もしますが、さすがにこの時期では凝った筥迫は作れないので、買いためておいた金襴の中から、着用予定の打ち掛けに合った色柄を選んでみました。(TOP画像がそれで、まだ制作途中)
筥迫は大型サイズを本仕立てにし、びら簪は長鎖で派手にしたいと思っています。
しかしながら問題は「付属の筥迫びら簪を必ず使ってほしい」ということを、兄→姪→式場のプランナー→着付師、に正確に伝わるのかということ。
私にとっては、筥迫を作ること以上に悩ましい問題です。
筥迫以外の袋物細工を習いたい方はこちら!
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